爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

迎賓館と新宿歴史博物館のミニ散歩(2) ー「測量と地図展」見学ー

2019-11-24 14:13:24 | 日記
迎賓館見学が思ったより時間がかかり、目的の「測量と地図展」の会場である新宿歴史博物館に。
 今年が近代測量150年の年に当たるとのこと。近代測量とは、明治政府が国家統治に必要な基本的な情報として、我が国の国土の姿を把握するため設けた枠組みが、1869年(明治2)から数えて満150年に当たります。歩いて測った時代から衛星測量の時代まで歴史が紹介されました。

1.近代測量前史
近代化以前の江戸時代にも幕府が諸大名に命じて作成した国絵図のほか、名所案内や道中図、都市図(切絵図)など様々な地図が作られました。これらは正確な測量によるものでなく、縮尺や描き方も様々。日本の近代的地図は、伊能忠敬らによる全国測量に基づいて作成させた「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が始まりである。「伊能図」は、幕府の機密書類として公開されませんでした。

伊能中図
明治7年(1874)以降に陸軍参謀局によって模写された伊能中図
文政4年(1821)に幕府に上程された「大日本沿海輿地全図」正本の中図8鋪(ホ)のうち、蝦夷東・西半分の2鋪を除く、6鋪を繋げたもの。
御用旗(レプリカ)右端
測量が幕府御用であることを周知させるために作ったのぼり。
 
2.近代測量の幕開け
新政府は、正確な地図の必要性を意識し、明治2年(1869)に民部官庶務司戸籍地図掛が設置されたのを皮切りに、工部省、兵部省などの官庁がそれぞれの方法で地図作りを開始。その後、測量地図作成機関の移管・統合を経て、明治17年(1884)に陸軍参謀本部測量局(後の陸地測量部)に統一された。測量については、三角測量により順次作成されていきます。

3.近代測量の発展 大正~昭和戦前(1912~1945)
明治23年(1890)に国の基本図を縮尺5万分の1で整備する方針に改め、大正13年(1890)には本州・四国・九州・北海道の内地の整備が34年の歳月をかけ完成しました。完成した地図は、軍事・事業に使われるだけでなく、一般にも販売され広く国民に還元されました。

4.戦災からの復興 戦後~昭和35年(1945~1960)
敗戦(昭和20年・1945)による軍部の解体とともに陸地測量部も解体。しかし戦災による実態を明らかにし、復興へとつなげるため、地形図の修正や新しい地図作成が必要であり、同年9月に内務省に地理調査所が設置され、業務が引き継がれました。昭和35年(1960)には、国土地理院と名称変更し現在に至ります。

5.高度成長を支える  昭和35年~64年(1960~1989)
戦災復興も一段落し、土地利用の高度化や開発を図るための地図利用が増加し写真測量などの技術が向上しました。2万5千分の1地形図の本格的な整備が始まり昭和58年(1983)に全国整備が完了しました。また、昭和39年(1964)から人口衛星観測を開始し、宇宙技術の導入が始まりました。

6.情報通信技術との融合 平成から令和へ(1989~ )
天体や人工衛星からの電波を利用して地球上の位置を決定する方法が活用されていきます。平成5年(1993)度から衛星からの電波を受信するアンテナである電子基準点の全国整備が本格的に開始され、平成14年(2002)に全国整備が完了しました。人々の生活では、カーナビやGPSが普及し、紙の地図だけでなく、デジタル地図も一般化しました。

まさに、歩いて測った時代から衛星測量まで隔世の感がある、1枚の地図から過去と未来を感じる日であった。
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