爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

紅葉の清水公園と旧花野井家住宅

2019-12-01 10:05:40 | 日記
住まいから近い紅葉スポットを検索したら「本土寺」と「清水公園」がヒットした。本土寺については前に行ったので、今回は野田市の清水公園へ。前に野田市のキッコーマン他を訪れた時に、古民家「旧花野井家住宅」も見学したい場所だったが、コースに入れられないため積み残しとなった古民家であった。今回、紅葉と合わせて古民家見学も。

☆紅葉の清水公園
清水公園は、野田醤油(現:キッコーマン)醸造業茂木氏により明治27年(1894)聚楽圓の名で開園した民営公園である。フラワーガーデン・フィールドアスレチック(国内最大級)ポニー牧場・釣り場・キャンプ場など地域住民の安らぎの場となっている。
清水公園の中でも撮影スポットである金乗院へ、清水公園の中に金乗院があるのではなく、金乗院の敷地を借りて庭園を造園したというのが清水公園の始めである。金乗院は、創建が応永5年(1398)の古刹である。
※聚楽館
大正時代に建てられた茂木家の書院であったものを今の場所に移築。当時は、中央・地方の有力者たちの迎賓館的な役割をはたしてきましたが、現在は、一般市民の集会所として利用されています。
 

☆旧花野井家住宅(国重要文化財)
清水公園に近い、住宅街に「旧花野井家住宅」がありました。こんな所にあるのか思ってて、入口の案内書きを読むと隣の流山市より移築した古民家であった。
「旧花野井家住宅」は、代々幕府直轄の小金牧の牧士(馬の管理、捕獲、育成等)の家で、建築年代は江戸時代前期(17世紀後半)木造平屋・寄棟造・茅葺です。昭和46年(1971)に野田市に寄贈されましたが、それまで住まわれていたようです。

※旧上原家住宅 藥医門
同じ敷地内にある門ですが、旧花野井家住宅とは関係なく、これも寄贈移築したものです。昔から「甚五郎一夜造りの門」といわれ、名工・左甚五郎が日光より帰途に上原家に泊まり一夜で造り上げたと言い伝えられています。年代は、推定、江戸時代末期と思われ、藥医門の形式をよく示している門です。
 

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