竹橋から、九段下の「しょうけい館」(戦傷病者史料館)を目指す。
道を間違えたようで、北の丸公園を回り込むコースとなってしまった。
竹橋(橋の由来は、竹を編んで渡した橋だったからとも)をわたり国立近代美術館・国立公文書館前の坂を上がる、この緩やか坂は紀伊国坂と表示があった。紀伊徳川家の屋敷があったことから名付けられました。
注)紀伊國坂は、港区赤坂にもあります。
※手前のビルが毎日新聞本社、奥が丸紅株式会社。
さらに歩いているとレンガ造りの洋館があり、プレートに旧近衛師団司令部庁舎とありました。2階建ての赤レンガ造りで国の重要文化財に指定されています。明治43年、天皇と宮城(皇居)を警護する師団の司令部として建てられました。付近には近衛歩兵連隊も配置されていましたが、現在は碑が立っているだけです、明治時代のレンガ造りは丸の内等には多くありましたが、関東大震災・戦災で消失し現存するものは少なく、東京駅丸の内駅舎、法務省旧本館などです。司令部庁舎は現在、一般公開されておらず外観のみの見学となっています。
やっとの事で、九段下の表示の場所まで。近道と思い小道に入るが「鍋割坂」とあった。名前の由来は、鍋を伏せたような形状をした台地を割ったように坂道が通っていることから名付けられました。同名の坂道は各地にあるようです。東京は坂が多いが坂名の由来が面白い。
だいぶ遠回りし「しょうけい館」に着く。 東京都千代田区にある博物館で、日本の傷痍軍人に関する史料の収集・保存・展示を行っている。館名には「承継」の意味があり、「戦傷病者史料館」の名称を附記されている。
戦時中及び戦後の戦傷病に関するさまざまな体験・労苦等を後世代の人々に伝える施設で、厚生労働省が設置した国立施設である。2013年11月までは厚生労働省所管の財団法人日本傷痍軍人会が運営していたが会員の高齢化と減少により解散し、それに伴い管理主体は変更された。私の世代(第一次ベビーブーム)は、父母が戦争で艱難辛苦を経験している。小さいころ母と出かけた時に、橋のたもとで、戦傷病者が白衣を着て演奏や歌っている姿を鮮明に覚えているが、こうした方も戦地で筆舌に表せない苦労があったのだろうと、いま見学し思った。戦争の悲惨さを伝える博物館(展示)はあるが、戦傷病者の戦中の貧弱な医療状況、戦後の厳しい生活状況に視点をあてた展示も伝えていかなければならないと感じさせられた。まさにこうした施設も承継していかなければならない。