爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

日本地図センターの「地理文化講演会」を聞いて

2019-09-03 11:02:30 | 日記

日本人が尖閣諸島を知ったのは、そんなに古い話ではない。私も知ったのは領有権に関わるニュースが最初である。
今回の講演は、領有権問題ではなくテーマが「尖閣諸島での総合調査を指揮して」で副題として「魚釣島、南・北小島はどんな島なのか」とあり、学術的な総合調査に関わる講演であるが、調査のきっかけは領有権問題が絡んではいる。講演者は、調査の主管庁である元・沖縄開発庁総務局企画課企画専門官 藤田宗久 氏である。


                           ※日本地図センターと講演会場

調査は、尖閣諸島利用開発可能性調査である。調査に至った経緯は、1978年4月に武装した中国漁船が大挙して尖閣諸島周辺の日本の領海を侵犯したため、国会の与党議員を中心に領有権を守るため実効的な行動をとの議論から関係7省庁連絡会議を立ち上げ調査に至った。       

調査は、1979年(昭和54)5月26日~6月8日で調査資機材は14トンで海上保安庁ヘリ搭載艦「宗谷」にて輸送、調査員30名(各学術分野)、報道記者31名により魚釣島、南、北小島に上陸調査。この島々は、当時は国有ではなく、個人所有であるが無人島となっていた。
資材の搬入などは巡視船が接岸する港湾もなくボートとヘリポートを造成しヘリ輸送で、南極・昭和基地的を思わせる状況かもしれない。     

※調査は、気象計設置、動物、水質、地下水、水深・海流調査、1/5000地形図の作成など   


尖閣諸島の地質は、火山性で岩盤がむきだしになっている。河川や湖沼は無く農業には不適でり、もちろん飲料水も無い。第二次世界大戦前に工場(かつおぶし)があり100人程働いていたが経済的理由(採算面)により放棄された。魚を餌とする海鳥の生息地となっている。絶滅危惧種の「アホウドリ」が生息していたが、かつては大勢の台湾人が侵入し乱獲した、海鳥としては大きく羽毛が高額に取引されたようだ、食用としても食され無駄な所がないとのこと。(陸上では歩くのが遅く大量に撲殺された)
その他、希少生物が確認された。政治結社が灯台等を設置、ヤギを持ち込んでいた、大分増えたのでは。
※上陸したさい領有に関わるプレートがあったが破壊されていた。

学術調査とともに基準点の設置等、避難港、灯台、ヘリポートの建設可能性の候補地などが検討された。
※避難港については、防波堤の問題、造っても中国船が避難してくるのでは・・・、ヘリポートは技術的には可能等

調査日程は、中国への配慮から1日前倒しで撤収し終了した。

 

尖閣諸島は、1895年(明治28)に日本の領土として閣議決定をおこない、沖縄県に編入され、中国では自国の地図で日本の領有を表記していた。1968年の海底資源調査から1971年に台湾そして中国が領有権を主張している。          

 

※司会者の方が昭和63年当時、1/25000の地図が3カ所無かったとのこと、原図は10年程前にあったが、発行されたのが平成元年1月30日であった。配慮している面があったのかわからないが、微妙な問題があるのでしょうか?・・・

コメント
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