住みたい駅として人気ある駅、赤羽である。また、「センベロ」という新語にふさわしい街でもある。生活する上で交通の便が良い、物価が安いと、言うことがないディープな赤羽でもある。
赤羽という地名の由来は、土器に使われる赤土(赤埴・あかはに)が多いことから付けらた、また、赤土の崖線をこの辺ではハキ・ハケといい、赤土の露出した崖を「赤バッケ」とも呼ばれたという説がある。
北区では主要駅からの観光コースを数コース明示していたので、今回は自分の体力を考えてピックアップして散策した。 京浜東北線の赤羽駅で下車し西口から線路沿いに北に向かう。5分ぐらい歩いた所に急坂が見えてきた、新幹線が見える神社はここか?。近づくと「八幡神社」の看板と右手に参道?らしき道が続き階段と上に鳥居があったので上がる。この神社、赤羽八幡として知られ、赤羽村、下村、袋村、岩淵宿、稲付村の総鎮守で伝説によれば延暦3年(784)に征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐で陣を張り、八幡三神を勧請し武運長久を祈ったと言われる。 武蔵野台地の東北端に位置し、下を見れば赤羽駅から出てきた電車がこの神社の前で左右に分かれる。何とも不思議な場所にある神社である。これも新幹線建設によるもので、鉄道好きにはたまらない場所かもしれません。
駅に戻り「赤羽自然観察公園」に向かう。目的は園内に移築されている「ふるさと農家体験館」である。北区指定有形文化財「旧松澤家住宅」が展示されている。赤羽駅から道路は緩やかな上り坂となっているが廻りの住宅地は高台の上にもあり、スリバチ状の地形で地形マニアは聖地であるらしい。等高線を見ればおもしろい地形なのだろう。
※高齢化社会の中、高台に住むのは何かと大変だと思う。バス停の時刻表示を見ると本数が多い、赤羽は東京の北の玄関口の役割もあるが、バスの便なくして高台には住めない。地方のバス路線の減便・廃止を思うと恵まれている面もある。
「赤羽自然観察公園」は、元自衛隊十条駐屯地として使用されていた土地の一部を整備した公園です。スリバチ状の地形から湧水の保全・活用するため、従来の公園ではなく「自然とのふれあい」を目指し、本来生息する植物を植栽し放置を前提とした植生管理されている公園です。この公園の一角に「北区ふるさと農家体験館」があります。体験館の名のとおり江戸時代の建築、昔の暮らし、行事を体験します。江戸後期の古民家で、田の字型の間取りで、附書院、箱棟(はこむね)と言われる棟の上にやぐらを組み瓦屋根を載せる棟形式の一つである。北区では珍しい古民家の保存である。
また、駅に戻る途中に小さい赤い鳥居が見えたので立ち寄る、通りの裏手にあり赤い鳥居がなければ見落とす場所でもある。亀ヶ池弁財天とある、元々ここにあったものではなく、これから行く静勝寺の鎮守として安置されていたものを勧請して祀ったものらしい。小さい池の水源は赤羽自然観察公園が水源で池には亀ヶ池の名のとおり亀がいっぱいいる。
静勝寺(じょうしょうじ)に入る。上り階段の入口に「都旧跡 稲付城」とある、説明板によれば武将・太田道灌が砦として使用したといわれる稲付城で、道灌の死後、静勝寺となった。城は寺の敷地から南にかけての丘陵一帯とされています。
東口に出て、「カトリック赤羽教会」の建物を見学に行く。空襲で消失した旧日本製麻(現・帝国繊維株式会社)工場跡地にアメリカからの寄付金により購入し、修道院、聖堂、幼稚園が建設された。1951年には、象徴でもある尖り屋根の聖堂が完成した。正式名称である「被昇天の聖母カトリック赤羽教会」の名にふさわしい建物であり、心が静まる場所でもある。
神社、お寺、教会とそれぞれ異なるが、心が洗われますね、まさに聖地です。
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