爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

JR「駅からハイキング」 デビュー

2018-11-06 11:43:37 | 日記

JR東日本が企画している駅からハイキングに初めて参加した。参加したのは大正大学の学生が考えたコースで「江戸から平成の歩み ~小さな秋みつけた~」(歩行距離約8Km/所要時間約3時間30分)である。

受付場所の巣鴨駅には長蛇の列である、旅行・ハイキングで面倒なのは効率的なコース設定であるが、面倒な事はJRがやってくれる。
受付にて参加登録(カード)コース地図等を受け取り出発である。

今回のコースは、個人・退職者の会で訪れた所が多く、関心のある場所は「大正大学」と「近藤勇の墓」である。一応、コース通り進むが中に入らない場所もあった。
六義園から、ほぼコース通りにと心がけハイキング一度来た所はカット、通過、寄り道をしながら進む。

妙義神社
駒込駅を通り過ぎ、通りに「妙義神社」の昇り旗が、これが無ければ通り過ぎる所である、路地を歩いて行くと住宅街に鳥居と階段があり上がると本殿があった。日本武尊が東征の際に陣営を設けたと言われ、その後、太田道灌が戦の前に祈願し勝利を収めたことから「勝負事のお守り」が人気があり、別名「戦勝の宮」と言われている。

西光院無量寺
前回、旧古河庭園を訪れたとき無量寺が気になり今回寄り道をしてみたが前を歩いていた方が右に曲がったのでついていくと手水と六地蔵があり突き当たりに墓石が並んでいたが本堂が見あたらない、どうやらお寺の裏手のようだ、「足止め不動」として有名、盗賊が不動明王像前で動けなかったことによるらしい。表に回るのをあきらめてコースに戻ることにする。

本郷通りの滝野川消防署の隣に「東京都北区防災センター(地震の科学館)」の建物があり立ち寄る、1階が展示ホール、地震・煙体験室、2階が応急救護体験室・大研修室となっており、もしもの際は、北区災害対策本部のバックアップ施設にもなっており、児童生徒、区民にとっては防災意識、行動の向上を図る施設でもある。

正寿山慈眼寺
勝林寺を探し染井霊園を歩いていたら間違って慈眼寺の前に。勝林寺は老中・田沼意次の墓石や関東最古の木彫釈迦如来像、慈眼寺は、境内には芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓石があるようです。

いよいよコース後半に入り、「おばあちゃんの原宿」へ巣鴨地蔵通り商店街の人混みを掻き分け掻き分け前に進む。日曜日にこんなに混んでるとは思わなかった、本家の原宿以上ではないだろうか。

大正大学に入る、ちょうど学園祭の日で賑わっていた。学園祭の経験が無く、雰囲気だけでも味わいたい気持ちもあった。
大正大学は、天台、真言、浄土宗の仏教系の大学である。仏教系の大学は、駒沢大学(曹洞宗)、立正大学(日蓮宗)があるが、大正大学が出来た大正時代は単一宗派では認められず宗派の連合での設立になったようである。宗教系大学の学生は、おしなべて建学の精神が校風として一人一人に現れている感じを受けた。

もう一つ、このコースを選んだ理由は、「すがも鴨台観音堂(鴨台さざえ堂)」である。
なんとも不思議な建築物である。一見すると日本版「ピサの斜塔」である、この仏堂の堂内は螺旋状の回廊構造になっている、所々に仏像があり巡礼をしていくような構造となっている。堂内の上り下りが交差する事がない一方通行である。そのため螺旋構造や外観が「サザエ」似ていることから「サザエ堂」と呼ばれている。             ※仏教の礼法では、右繞三匝(うにょうさんぞう)と言い、右回り三回というのが本来の礼法で三匝堂という所もあるようだ。
この仏教建築は、江戸時代後期には見られたようです、江戸時代にこのような建造物があったことに驚きである。大正大学のサザエ堂は、平成25年度に建造された新しいものだが、古い木造のものはきしみ等があり趣がありそうです。

最後は、「近藤勇の墓」です。お墓はJR埼京線板橋駅の前にありました。
劣勢の幕府軍が再結集のため下総国流山(千葉県流山市)に集まっていたときに捕縛され板橋宿まで連行され板橋刑場で斬首された。墓所の一角に「永倉新八」の碑がある、永倉新八は新選組の組長であり武術師範であった。明治期以降も改名し剣術師範を務めるなどし大正4年に亡くなった。

小雨がちらつく中でのハイキングであったが良い散歩になった。庭園などゆっくり回ったなら一日がかりとなるコースである。

【その他の写真】

 

 

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