渋谷界隈の日帰り散歩の予定していた日が雨模様のため19日になったが、秋晴れの日で日帰り散歩にはもってこいの日であった。千代田線神宮前駅で下車、回りはモダンな建物が多く、こんな所に寺社があるのかと思うほど変貌している。明治通りに面している「長泉寺」もわかりにくかった。このお寺は、「人肌観音」で有名であるが、檀家だけの拝観で一般には公開してない、本堂裏手には200体の石仏群があるとの事で裏手に回る、墓地の入口に志乃多寿司創始者夫妻の碑があった、田舎から出てきたときなど、懐かしいのか母がよくお稲荷さんと太巻きの詰め合わせの折り詰めを買っていたのを思い出す。墓地の奥に石仏群があった。童子の石仏なのだろうか一カ所に集めた感じであり、背後は山手線が通りその傾斜を利用している、この光景は都会ならではである。
長泉寺の前の、明治通りを隔てた反対側にあるのが穏田神社である。旧穏田村の産土神で、徳川家康が本能寺の変での伊賀衆の活躍により賜った領地と言われ、この神社も格が上がったと言われている。
渋谷駅に近い、宮益坂の渋谷郵便局手前に、宮益町の氏神である「御嶽神社」がある、通りに面した歩道から階段があり、ご多分に漏れず敷地の一部が集合住宅となっている。芭蕉の句碑があり、綺麗に玉砂利がひきつめている、参加者が狛犬の話をしていたら、参拝に来ていた人が、これは狼ですと教えてくれた、狼というのは珍しい。
御嶽神社を出て、恵比寿方面に歩き、途中、豊栄稲荷神社を拝観し、渋谷区で一番古い木造建築である「金王八幡神社」に行く。「渋谷」の地名は、この一帯が「渋谷城」を築城した事に由来する、金王八幡神社は城内に創建されたが、創建当時は渋谷八幡神社と言われていた。境内にはベンチがあり、付近のOLがお弁当を広げていた、都会のオアシスである。隣にあるお寺が「東福寺」である、創建当時から「金王八幡宮」の別当寺で、明治時代の神仏分離まで八幡宮で管理していた。この寺の梵鐘は渋谷区最古である、さほど大きくはなく,こぢんまりしているが趣があるお寺である。
「日帰り散歩」では珍しい次の見学先は、「國學院大學博物館」である。途中、幹事のMさんが「志賀直哉」の旧居がこの辺にあるとの事で探す。「学生」や地域の人に聞いてもなかなか分からない、学校で教えてもらわなかったのかなとの話にもなる。一回りしてもそれらしき住居がなく、あきらめて博物館に向かおうとして最後に聞いた人が隣のマンションに住んでいる方で、2年ほど前には親族の方(お孫さん?)が住まわれていたが転居されマンションになったとの事、一同、もやもやした気持ちを納得させ博物館に。
國學院大學博物館では、江戸時代に人気のあった「唐詩選」の展示が開催中であった。國學院大學と言うと、神道・神職養成のイメージがあり、博物館はそれに関わる展示物が多いと思っていたが、考古学の陳列品が充実していた。これは、同大学教授の故樋口清之氏の功績が大きいようだ。神社に関わるコーナーから見学した、神社建築様式が表記されていた、類型は、色々あるようだが・神明造・大社造・住吉造・流造・春日造・八幡造に分類されていたが、いままで建築様式まで見てなかった。学徒出陣の展示品、考古学展示品を見始めた所でMさんから{そろそろ」との声が、時間の関係で全部見学できなかったのは残念。
大学の隣に神社があるが、この辺一帯の総鎮守である「渋谷氷川神社」である。創建は、古く日本武尊の時代までさかのぼるようである、江戸時代には参道横にある土俵で「金王相撲」と言って江戸中の町から見物人が集まったと言われていた。東隣にある寶泉寺は、氷川神社の別当寺にあたる。
幹事のMさんが、最初、道を間違えるかもしれないと言っていたが、渋谷は、新宿、池袋とともに3大副都心となっているが、渋谷だけがここ数年再開発が進んでいる。しかし、まだまだ歴史を感じさせる散歩であった。
【その他のPhoto】
長泉寺の前の、明治通りを隔てた反対側にあるのが穏田神社である。旧穏田村の産土神で、徳川家康が本能寺の変での伊賀衆の活躍により賜った領地と言われ、この神社も格が上がったと言われている。
渋谷駅に近い、宮益坂の渋谷郵便局手前に、宮益町の氏神である「御嶽神社」がある、通りに面した歩道から階段があり、ご多分に漏れず敷地の一部が集合住宅となっている。芭蕉の句碑があり、綺麗に玉砂利がひきつめている、参加者が狛犬の話をしていたら、参拝に来ていた人が、これは狼ですと教えてくれた、狼というのは珍しい。
御嶽神社を出て、恵比寿方面に歩き、途中、豊栄稲荷神社を拝観し、渋谷区で一番古い木造建築である「金王八幡神社」に行く。「渋谷」の地名は、この一帯が「渋谷城」を築城した事に由来する、金王八幡神社は城内に創建されたが、創建当時は渋谷八幡神社と言われていた。境内にはベンチがあり、付近のOLがお弁当を広げていた、都会のオアシスである。隣にあるお寺が「東福寺」である、創建当時から「金王八幡宮」の別当寺で、明治時代の神仏分離まで八幡宮で管理していた。この寺の梵鐘は渋谷区最古である、さほど大きくはなく,こぢんまりしているが趣があるお寺である。
「日帰り散歩」では珍しい次の見学先は、「國學院大學博物館」である。途中、幹事のMさんが「志賀直哉」の旧居がこの辺にあるとの事で探す。「学生」や地域の人に聞いてもなかなか分からない、学校で教えてもらわなかったのかなとの話にもなる。一回りしてもそれらしき住居がなく、あきらめて博物館に向かおうとして最後に聞いた人が隣のマンションに住んでいる方で、2年ほど前には親族の方(お孫さん?)が住まわれていたが転居されマンションになったとの事、一同、もやもやした気持ちを納得させ博物館に。
國學院大學博物館では、江戸時代に人気のあった「唐詩選」の展示が開催中であった。國學院大學と言うと、神道・神職養成のイメージがあり、博物館はそれに関わる展示物が多いと思っていたが、考古学の陳列品が充実していた。これは、同大学教授の故樋口清之氏の功績が大きいようだ。神社に関わるコーナーから見学した、神社建築様式が表記されていた、類型は、色々あるようだが・神明造・大社造・住吉造・流造・春日造・八幡造に分類されていたが、いままで建築様式まで見てなかった。学徒出陣の展示品、考古学展示品を見始めた所でMさんから{そろそろ」との声が、時間の関係で全部見学できなかったのは残念。
大学の隣に神社があるが、この辺一帯の総鎮守である「渋谷氷川神社」である。創建は、古く日本武尊の時代までさかのぼるようである、江戸時代には参道横にある土俵で「金王相撲」と言って江戸中の町から見物人が集まったと言われていた。東隣にある寶泉寺は、氷川神社の別当寺にあたる。
幹事のMさんが、最初、道を間違えるかもしれないと言っていたが、渋谷は、新宿、池袋とともに3大副都心となっているが、渋谷だけがここ数年再開発が進んでいる。しかし、まだまだ歴史を感じさせる散歩であった。
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