こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

全部スッたか4630万

2022年05月18日 | 日々思うこと、考えること
 誤送金されてきた4630万、全部をネット上の賭博で失ったとのこと。


 当人の言っていることが本当かどうかわからないが、もしも私がこの大金に手を出していたらどうだっただろうと想像してみた。

ーーー
 すでにネットカジノなるものに登録していて、結構頻繁に賭けていたとする。コロナ禍の折、街中のパチンコ、スロットに行くよりもずっと安全安心で、人口3000人の小さな町で目立つこともない。賭け事だってテレワーク。

 以前から、一回1000円、2000千円、突っ込む時は1万円、勝ったり負けたり。賭博というもの絶対に胴元が勝つ。たまに大勝ちしても、それをまた突っ込んで最終的にはマイナスとなる。そんなことを繰り返して過ごす毎日。仕事があるのかないのかわからないが、24歳なんて、そんなものだ。いや、年寄りだってすることがなければ似たり寄ったりだ。

 とにかく、そんなつまらない毎日を送っていたら、ある日突然大金が空から降ってきた。
 おっかなびっくり1万、2万をつっこむが当然負ける。というか、負けても負けても四千万までは大丈夫だろうととりあえず、630万負けるまで負ける。10万、20万と大きく賭けて負けを一気に取り戻そうとするが、ジリ貧は回復しようがない。こうなるともう、どうしようもなくなる。いまさら返そうにも1000万なんて、どこにもない。もう、どうでもいい、やるだけやろう。惰性で賭け続け、そもそも使っているのがお金かどうかもわからなくなる。やがて、負けは2000万を突破する。結構遊んだ。遊んだというかスった。

 どうしよう。心はゾワゾワ胸騒ぎばかりがするが、もうどうしようもない。100万単位で10回かけたらあっという間に1000万。残りの1000万も瞬く間に無くなって無一文。すっからかん。

 自分だったらこんなところかな、なんて想像してみたが、実際のところはどうだったのかな?

 こんなに使えるのか?

 なんて言っている人がいるが、賭け事なんてこんなものだとその人本当に知らないのか?ラスベガスに行けば一晩で億単位の金をスる人がいるわけだから、4630万なんてどうということもない。すでにネットカジノというのに手を出していたのならなおさら簡単だったろう。

 そういえば、IRでは実際のカジノが作られるが、そこでも大金を失う人が現れるだろう。でも、こうやって一足先にネット上で博打が普及していてはどれほどの集客が見込めることやら。こっちも大きな賭けになる!?

 それにしても、誤送金を防ぐためのチェック機構はなかったのか。お金は一番大事なものなのに。
 
知らなくてよかった

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迅速病理診断と私のカレンダー

2022年05月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 久しぶりのスッキリした1日になるということで、元気が出る。

 ロシアに侵略され、抗ったものの力尽きたウクライナの兵士の姿を見ると気の毒になる。捕虜として相応の処遇に付されることを願うばかりだ。今のところこの日本ではそんな悲惨な戦争とは無縁に、日々の仕事に勤しむことができ、ブログも日々更新できることに心より感謝する。
 先日書いた分子病理専門医試験についてのメモのような体験記が何度か開かれていて、もしかしたらこのブログ、病理に興味のある方もしくは病理医が読んでくださっているのかもしれない(アラ還病理医の分子病理専門医資格試験挑戦記 2022年02月 )。そんなことで今日はちょっと病理がらみの話を書いてみた。

 腫瘍や腫瘍と鑑別する必要のある病変に対する手術の途中、検体を採取し、その一部もしくは全てを凍結したのち凍らせたまま薄切りし、凍結切片という標本を作製し、おおよその診断をつけることを術中迅速病理診断という。迅速病理診断は簡便な診断であってその適応範囲は限定的だが、乳癌や胃癌・大腸癌などの悪性腫瘍の手術では、切除断端に癌細胞がいるかいないかを決める重要な診断となる。また悪性リンパ腫や肉腫は、腫瘍が増大スピードが早くてすぐに化学療法、放射線療法を始めなくてはいけない場合があり、この”おおよその”診断で治療を始めることもある。

 術創を一旦閉じてしまったら早々容易にまた開くことはできないため、ある程度とはいっても相当な確度が求められるのはいうまでもない。迅速病理診断を行うのは熟練した病理専門医でなくてはならず、不詳コロ健ではあるが院内唯一の病理医として重大な責任を負っている。私が師と仰ぐ病理医は、

 病院にとって病理医は迅速診断のために必要なんだ

と言っていたが、常勤病理医が不在で困っているという院長の懇願に私が応じたのも、そのことを知っていたからだ。

 迅速病理診断を行う場合、一体どんな病変に対する手術なのか、手術中にトラブルがあったり、意思疎通不足があったりしたら術者と直接話す必要がある。少し早めにだいたいの結果が知りたい、などということで申し込まれる場合もある。いずれにしてもその場に病理医がいなくては始まらない。迅速診断が必要な時とか、病理医による検体処理が必要な時、臨床医は病理医の予定を確認してから検体採取のための手術を入れて、臨床医との事前に話し合う。この時私の部屋に来て直接確認する医者も結構いるのは情報が増えるという点で私としても嬉しいが、ほんの少しだけ困ったことがある。
 私の座っている椅子から鏡検室というこの部屋の入り口を見るとこんなふうになっている。画面左手にあるのが顕微鏡で、これを使って標本を診て、診断を入力する。必要に応じて、モニターに組織像を映し適当な写真を撮って診断と共にカルテに送信している。画面正面の机はあれこれのための作業台であり、病理の教科書(医学書)を開いたり、書類を書いたり、ノートパソコンを使っての論文検索、メール管理、スケジュール管理を行なっている。その先に見えるドアの外は標本作製室。私はこの鏡検室内ではマスクを外していて、誰かが入ってくるとその都度マスクをつける。
 で、この話は何かというと、この机とパソコンとカレンダーについて。

 臨床医が私のところにやってきてスケジュール調整をする場合、カレンダーを開いて日程を確認する。そこであの机の上のパソコンが重要となる。紙カレンダーもぶら下げているが、詳細な予定はパソコン内のカレンダーで管理している。

 スケジュール調整にやってきた臨床医は基本的にはこのパソコンの向こうに立って私が日程を確認するのを待つのだが、勢い余ってというか熱心に私と一緒にカレンダーを覗き込む。悪気がないのはわかっているのだが、個人的な予定も記入してあるので見られて困るほどではないが、見られたくはない。それに私にとってこの部屋には二重の結界があって、一つ目が入り口のドア、そして二つ目はこの机で、これを回り込んで来られ、後ろに立たれるとゴルゴ13ではないが不安な気持ちになる。

 この私の結界が破られることのないように、顕微鏡像を一緒に見る時には、

 先生、そちらからモニター見てくれる?

と言う。実際そちらの方が見やすいのでこれはいいのだが、スケジュール調整のときは、

 ちょっと待ってね

とパソコンの蓋を開きながら奥に入ってこないよう機先を制するのだが、

 失礼しまーす

と挨拶しながらささっと鏡検室に入ってきて、すぐに後ろを取られることがあり、なかなか難しい。こうやって部屋に来る臨床医だが、私がいることがわかっていても来る前にはPHSで連絡してくるし、ほとんどは礼儀正しく熱心だ。まあ、どうでもいいような話ではあるが、こんなことを考えながら私は日々仕事している。
千客万来

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このままでは今の日本相当まずくないか?・・・マリウポリの製鉄所陥落の報に接し

2022年05月17日 | ウクライナ侵攻
 ロシアがウクライナ東部の要衝マリウポリのアゾフスターリ製鉄所を陥落させたという(ウクライナ マリウポリの製鉄所 “265人が投降” ロシア国防省)。白リン弾とか焼夷弾といった非人道的な兵器を使ったということでロシア軍すなわちプーチン大統領はウクライナ侵略のためには手段を選ばないということが明らかとなった。もはやロシアによるウクライナへの侵攻は、特別軍事作戦などというものではなく、世界中を巻き込んだ戦争状態になっている。

 そういう状況を知ってか知らずか、世の中の人はそれほど危機感を抱いているようには見えない。もちろん多くの人がウクライナの惨状に心を痛め、ロシアによる核兵器使用におびえているはずなのに、街中は平和にあふれている。日本のような小資源、小食糧国家はそれこそ存亡のの危機にあるのだがそんなことへの危機感はない。パニックになることを政府が抑えているようにも見えないことからは、この国の危機意識というのはその程度のものだということがよくわかる。

 こんなことでいいのだろうか?

 こうなってしまった原因の一つは、まともな野党がいないためだ。戦争への対応を全て自民党政権に丸投げしているとしか見えない。政府はいろいろ考え、この国の舵取りをしているが、それを誰も評価、検証していない。この間など、首相が外遊中にマスクを外していたということを槍玉にあげていたし、元首相がどこそこの政党は右翼だって申し入れたとか。それって今やることか。

 ウクライナ問題についても十分な論戦が行われているのかもしれないが、ただ単に一般国民に伝わってきていないだけなのか?それはそれでそんなことがわからないというのも問題だ。

 マスクの着脱などという極めて国内的な問題などそれこそ官僚と専門家に任せたらいいような話で、もは首相がわざわざ出て行くことですらないと思う。

 今、国会で話し合わなくてはならないのは、来週ロシアが北海道に攻めてきたらどうするのか、とか、北朝鮮が領海内までミサイルを飛ばしてきたらどうするかとか、プーチン大統領が核兵器を使ったらどうするとかいうことだろう。テレビの解説者が話しているのも大事だがそれよりも、国会で話し合う方がよほど大事だ。

 すぐにでも起こりうるそれぞれの事態に対して、今の憲法をどう解釈してどう対応するのか、それらのことがすぐに起きないのならその猶予期間中に何をすべきかを考えなくてはいけない。法律を作っている間に占領されてはどうしようもない。
 一触即発の世界の中で、今の日本は相当まずい事態にあるという認識を国民全員が持たなくてはならない。国は国民的議論を促す必要があるのではないかと考える。
どうしようもないではない

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そろそろマスクを外していいのでは

2022年05月17日 | 自然災害・事故・感染症
 雨上がりの朝はしっとりして今朝のように暑くないと気持ちがいい。花びらについた水滴は美しいのだが、残念ながらちょっと傷んでしまう。バラは外側だけで済むが、ゼラニウムはすぐに落ちてしまう。梅雨の走りのような天気が続いているが、明日からは少し持ち直すようで、入梅はもうしばらく先になりそうだ。
 昨日の朝、駅のホームに並んでいたらマスクの紐が突然切れてちょっと焦った。カバンから予備のマスクを取り出しことなきを得たが、このマスクをしていない状況での罪悪感というのは一体何なのだろう。着用が義務付けられているわけではないし、黙っていれば自分から他人にうつす可能性はほぼゼロなのになんだか居心地が悪い。最近、マスク着用についての議論がされるようになってきている。駅のホームなどでは時期尚早だが、人との距離を取ることのできる屋外では外してもいいのではないかと思う。

 新型コロナの感染状況は今どのようになっているのだろうかと調べたら、日本の新規感染者数は2万人あまり、世界中では36万人あまりだとか。世界に関してはそんなことがあるわけなく、もう感染者数を追うことができていない国が多いのだろう。北朝鮮など1日の発熱者が39万人だとかで、一国で世界中の新規感染者数を上回っている。今流行中のオミクロン株は、BA.2という亜型が主流となり、小児の感染が多いそうだ。ウイルスの効果については、3回接種者では予防効果が見込まれている。

 私が2年半の間、新型コロナに感染しないでやってくることができたのは、単に感染に気をつけて生活してきたからで、自分は”気をつけて生活する人”の側にいると感じている。もちろん、医療従事者ということで少し早めにワクチンを打ってもらったということもあるが、いずれにせよワクチンによる効果は絶大だった。病理診断を行っていても、ワクチンによる効果が明らかな症例が増えているように感じる。

 感染拡大のパターンとしては以前は親が職場でクラスターを起こして、それを家に持ち帰って家庭内クラスターを起こすというのが多かったが、今やそれは逆になりつつあって、学校でクラスターを起こしてそこから家に持ち帰るというのが多いようだ。私の知り合いでこれまで持ち堪えてきていた人が次々と子供からうつされている。感染経路は学校から家庭というものが多く、少なくとも散歩中に感染することはほぼない。私としては、大人子供に関わらず屋外で、距離を保っていたらマスクは不要であると政府が宣言するべきだと考える。

 新型コロナウイルスが蔓延するようになって、散歩が嫌いになった。当然のことながら、マスクをつけて歩いていると息苦しく散歩そのものがつまらなくなるからだ。コロナ禍が始まった頃であっても、近くに人がいないときにはマスクを外して歩いていた(マスク外して家まで帰った 2020年06月26日 )。これまでもゴミ出しに行く時はマスクはしていなかったし、ご近所の人と話す時も少し離れていたら特に気を使うことはない。散歩の時、誰かとすれ違う時だけマスクをつけて誰もいなければ外している。それでも感染してはこなかった。

 新型コロナウイルス感染そのものによる健康被害よりも、その2次被害が問題となって久しい。欧米から届く映像をみていると新型コロナウイルス感染などどこに行ったかという感すら受ける。マスク効果に盲従するばかりではなく、国民一人一人もウィズコロナ時代を具体的に考えよう。ただしワクチン接種率を上げるのには行政の努力が必要だ。
油断はせずに

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夜中に目が覚めてしまったら羊を数える代わりにブログのテーマを考える

2022年05月16日 | 日々思うこと、考えること
 朝から冷たい雨。すっかり梅雨のような空模様で元気が出ないが、週の半ばには持ち直すようなのでそれまでしばらく我慢しよう。今年は黒潮の流れがおかしな具合になっていることも天候不順に影響しているらしいが、原因はわかってもそれを治すことはできないので、付き合っていくしかない(黒潮大蛇行)。

 歳のせいだろう、眠りが浅くなって夜中に1、2度は目が覚める。そのあとすぐに眠りに戻れたらいいのだが、そうでもない時はちょっと工夫が必要になる。スマホを開かないというのは大前提で、つい開いてしまうと目が冴えてしまう。こんな時はヤフーとかグーの悩み相談を読む。トピ主は大真面目なのだろうが、宿題を解かせるような、しょうもないものも多く、そんなのを眺めているといつの間にか寝入っている。

 多くの時はただただ目を瞑っているようにしているが、そうしたところで、仕事のことやら、家族のこと、お金のことなどが気になってまた眠れなくなる。そうなるともうダメで、気を紛らわそうと今度はテレビをつけてしまう。つまらない映画しかやっていなければすぐに消してしまうが、ちょっと面白そうなB級映画などやっているとつい、4、5時まで観てしまい後悔する。そうはいっても、こういったことはさすがにまずいので少なくともウィークデイはテレビをつけるようなことはしない。

 あと羊の数を数える代わりにするのはブログのエントリーを考えること。今日はどんなことを書こうかと考えるとそれなりのタイトルを思いつく。夜中アイディアが浮かんだときには枕元にあるノートにすぐ書く、などという人もいるようだが、私もいいテーマが浮かんだからと、タイトルと書き出しぐらいを”新規投稿”する。あとはスマホを閉じて目も瞑ってその先を考えるうちに再び寝入るのだが、これがそれほどうまくはいかない。日々のエントリーを書き出すときには一応起承転結、自分なりのオチまでを構想してから考えているが、朝目覚めたときに夜中にメモったタイトルと書き出しだけを読んでも、一体何が言いたかったのかがよくわからなくなっている。こうなるとわざわざスマホを開いてメモっておこうがおくまいが、あまり関係ない。それでも、このところはテレビをつけず、スマホも開かないようにして、ブログ書きの足しにならないかと世の中のこと、仕事のこと、家族のこと、生き方のことを考えているといつの間にか眠っていることが多いように思う。
下手の考え休むに似たり

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結婚する人生、結婚しない人生、結婚をやめる人生

2022年05月15日 | 家族のこと
 5月14日は婚約記念日だった。娘は小石の日、といって覚えてくれているが、私としては少々おセンチだが、”恋し”の日として覚えておこうと思う。先日、何が写っているのかわからない昔のネガフィルムが出てきたので現像したら、結納の時の写真だった。その頃私がお世話になっていた病理の先生に仲人をしていただき、近しい親族、いまでも親友と呼べる友人に立ち会ってもらったことを思い出した。

 昨日、妻に

 どうして私たち(結婚が)続いているのかしらね

 と聞かれたが、なぜ結婚生活が続いているかなんて互いの努力以外にいなかろうと思ったが、それは”続けるため”であって、なぜ、努力しているか、なぜ、努力ができるかということへの回答にはなっていない。

 そもそも何のために結婚するのかというのがよくわからない。性的欲求を解消するためであるとしたら、セックスレスがこれほどまでに問題となるのはおかしい。子供を持ちたいがために結婚するというのもこれほどの少子化は説明できない。一人でいるより二人でいる方が経済的に楽だからとも言い切れない。そのほかいろいろな理由があるが、人それぞれの状況があるので一概にこうとは言えない。私たち夫婦にしてもどうして結婚したのかなんて、今となってはわからないし、多分その時もわかっていなかった。それがどうして、今でもなぜ続いているかなんてことまでわかるだろう。

 それでも何とか絞り出した答えは、

 気が合うからじゃない?

 だった。
 どう説明すればいいのかわからないが、互いに邪魔に思わない、相手の考えが嫌だと思っても、それを受け入れることができるスペースが心の中にある、そういうことではないだろうか。友人、同僚であっても、気の合う仲間というのはいて、そういう人とはくもなく一緒にいることができる。でも友人、同僚とはその場限りのものだ。夫婦は四六時中一緒にいるわけでそれだけ気が合うというのはやっぱり結構すごいことなんじゃないかと思う。

結婚はすぐに壊れてしまうから

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平和で穏やかな夕暮れに散歩する

2022年05月14日 | 日々思うこと、考えること
 いつの間にかずいぶん日が長くなっていた。午後6時過ぎなのに、街はまだ明るく、気温湿度が気持ちよかったので、妻と散歩に出かけた。

 昨夜から今朝まではひどい雨だった。庭木も鉢植えの花はずいぶん傷んでしまった。昨日から開きはじめたアイスバーグは雨の当たらないところによけておいたので幸い真っ白のまま。午前中のうちに買い出しを終わらせようと思っていたが、いろいろ買い込んでいたらずいぶん遅くなった。アウトレットパークとコストコで買い物したが、気のせいか値段が上がっているようだった。世の中、色々なものが値上がりしているが、これもこれだけ大きな戦争がおきているうえ、さらに円安なのだから、そうであっても仕方がない。さらにこの先、もっとひどいことになることを覚悟する。
 鎌倉宮まで歩いた。観光客はほとんどおらず、時折すれ違うのは犬の散歩かジョギングの人。歩くにつれてそれぞれの家の夕食の香りがしてくる。平和な時間が流れていた。出かける少し前までみていたテレビでやっていた沖縄の苦難、ウクライナの戦況についての話を思い出し、今自分のいる平和のありがたさをしみじみと感じた。
 家に帰ったら月が昇っていた。世界中で同じ月をみているはずだが、それぞれの人からみえるその姿は違う。
平和であることがどれほど幸せか

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スマホをいじっている人だらけの車内で考える人類の将来

2022年05月14日 | 電脳化社会
 電車やバスに乗っている人の7、8割がスマホをいじっている。メール、ゲーム、SNS、買い物、マンガ、ドラマ、小説・・・、一体どれほどの数のコンテンツというかアプリがあるのかよくわからないが、各人思い思いにやっているのだろう。私だって、先日ちょっとした大作を読み終え、その余韻に浸っているところで読書は一服しており、このところはもっぱらスマホいじりだ。こうやってブログのエントリーを書いたり、日経新聞電子版を読んだり、もちろんLINEで妻と連絡を取り合ったりとそれなりに忙しい。

 それでも、見るともなく目に入ってくるすぐ隣に座っている若い人の手元で目まぐるしく移り変わる画面を見ると驚いてしまう。Twitterとかインスタ、ファッションやヘアスタイルのページやらなにやらを、瞬時に開いたり閉じたりしているのを見ると、ろくに中身を見たり読んだりしていないんじゃないかと思う。まあ、写真だったらパパッと、それこそ一瞥できるのでちゃんと見ているだろうし、Twitterにしても5、6行なら2、3秒で読むことができる。ファッションやヘアスタイルなんてそれぞれコンマ以下で興味の有無が判別できるに違いない。

 これに対して紙媒体で本を読んだり、新聞を読んだりするというのは圧倒的に時間がかかってしまう。今やこういう行為はそれに取り組む、ということで情報収集において不利だが、さて、心にはどちらがどれだけ残るだろう。以前は、紙媒体の方が圧倒的に心に残る刻まれると考えていたが、iPad 一枚がポンと置いてある近頃の若い医者のデスクをみると自信がなくなるが、人それそれ適切な勉強方法があるのだろう。ただ、日本電産会長の永守重信氏が「投資の勉強はネットとかでやっています」と言った学生に向かい「日経新聞を読みなさい」と指導しているのをテレビで見て、少し安心している。

 スマホをいじって各種の情報を得るというのはお手軽ではあるが、なんだか暇つぶしの延長のようにもみえる。その究極の姿が歩きスマホ、(運転し)ながらスマホなわけだが、こういう暇つぶしのスタイルが蔓延したら人間の思考力というものは一体どうなっていくだろう。結果としては深く考えることが億劫になって、表面的なことばかりに振り回されてしまう人が増えていってしまうのではないだろうか。Twitterやらなんやらに並ぶ140字程度の情報だか主張だかわがままだかよくわからない言葉の垂れ流しに巻き込まれ、深いところで考えるという人間にしかできない作業が喪失していくように思う。ただ、こんなところでそんなことを叫んだところで、読んでくれる人は少ない。中学生までの漢字でわかりやすく書けば少しは読んでくれるかもしれないが、残念ながらこんなに長いエントリーではそうしたところで難しいだろう。
最後まで読んでいただきありがとうございます

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遊べちゃう既婚者ってすごいけど、どこか哀しくカッコ悪い

2022年05月14日 | 愛と女性とジェンダーと
 私と同い年の大手タイヤ会社社長(59)がパパ活していたという話が、文春砲にあげられていた。こういうところまで網を張っている週刊誌というのもすごいが、なんといってもこんなに忙しそうで地位の高い(さらに既婚者である)人がこういう時間をひねり出すことはもっとすごい。考えてみたら、こんなの別に珍しくもなく、同じようなのを京都は円山公園で見たばかり(年の離れたカップルが寂しい時間に公園散歩)だし、知り合いの弁護士が大病院の院長の愛人問題を解決したなんてことを話していたのを聞いたこともある。

 ”お盛んな人”とでもいうのだろうか、こういう人に額面通りの倫理観など求めてはいけない。そもそもこの倫理観っていったいなんなのだろう。互いに”まとも”な考えがあれば、軽いアバンチュールで済むのに、入れ上げてしまうと人の知るところとなる。地位が高ければ週刊誌の格好のネタになってしまうのは想像に難くない。こういうゴシップが芸能人だけのものだったのは遠い昔のこと。このタイヤ会社の社長のような、一流企業のトップ、政治家、大学教授なんて社会的地位の高い人たちは虎視眈々と狙われているのだろう。こういう人たちはある意味職場では権謀術数の限りを尽くしてその地位まで辿り着いたのだろうに、いざ異性のこととなると脇が甘く、あまりカッコの良いものではない。

 それが既婚者で、不倫だとしたら悲しんでいる人もいるわけで、それはそれで余計に始末が悪い。件の社長は関係は精算する、と言っているそうで、ならば始めからそんなことしなければいいのに。

 などと、いくら書き連ねたところで、所詮はモテない男の遠吠えになってしまうので、この辺で切り上げよう。
聖人君子などいるわけないが

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気分が落ち込むのは低気圧のせいだから気にしない

2022年05月13日 | 妻の名言
 湿度が高くなるせいで雨の日はメガネが曇る。もちろん、マスクをしてさえいなければこんなことにはならないのだが、こればかりは仕方がない。屋外でのマスク着用は不要だろうという意見が出始めたところで、岸田総理はまだ時期尚早と。これに対して、立憲民主党が、総理は外遊中マスクを着用していなかったじゃないかと指摘していた。確かにそうだが、出席していた国々の首脳が皆マスクを着用していなかったのに、日本の総理だけマスクで顔を隠しているというのもどうか。それに、海外ではもとより、日本においてもそもそもマスク着用は義務ではないわけで、揚げ足取りに近い。

 今日はもう金曜日。連休ボケがなかなか抜けない一週間だったが、病理医が関わるような重篤な疾患の患者さんが途切れるようなことはなく、それなりに忙しく過ごした。ここで話は少し逸れるが、病理医が関わるということは、患者さんから体の一部を切除するということで、個人個人にとってはほんの小さなほくろひとつであったとしても重大なことだ。話を戻すと、これで表をマスクなしで歩いてもいいことになりそうで、明日明後日が待ち遠しい。散歩が減った理由は、フラットコーテッドレトリバーのナイトが死んだというのもあるが、なんと言ってもマスクをつけての散歩が息苦しいということに他ならない。
 
 梅雨の前触れのような雨続きの天候で気分も晴れない。このところ私の気分がすぐれないと妻にこぼしていたら、それは低気圧が迫っているせいだからあまり気にするなとのこと。気分というのは上がったり下がったりするが、それは気圧の変動に連動しているにすぎないのというのが妻の持論で、私がクヨクヨしたり落ち込んでいるといつもそう言って励ましてくれる。私としては、ウィズコロナ時代という暗い世の中に、ロシアによるウクライナ侵攻という凶悪な事態が生じ、鬱々とした気分はピークに近づき、さらに個人的には仕事は徐々に溜まって首が回らなくなりつつあるし、朝ドラでは主人公の家族が悲惨なことになり、大河ドラマは毎週陰鬱なことばかりある、などが原因だと思っているが、どうもそれは考えすぎらしい。

 明日天気になって、プーチン大統領が根を上げて特別軍事行動の中止を宣言し、大谷翔平がホームランをかっ飛ばし、ドラマの主人公に幸運が訪れたら気分なんてあっという間に晴れるのだろう。病院に行ったらまた、難しい患者さんの診断が待っているし、山積みのマッペの高さは変わっていないが、やる気が出たらその山も少しは低くできるだろう。気持ちの変化なんて、そうやって日々変わるものだし、変わるものだから楽しいことも悲しいこともある。仕事にしたって、何でもかんでもできるわけがない。そんな当たり前のことに気がつかせてくれた、妻に感謝しつつ今日一日もしっかり頑張っていこうと思う。
やるのは自分

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日々のルーティーンとマンネリズム

2022年05月12日 | 日々思うこと、考えること
 週末は梅雨のような天候になるとのことで、やっと開き始めたアイスバーグの花びらに雨粒のシミがついてしまいそうで心配。今朝から曇天。冬の間に切り戻しし過ぎたのではないかと心配していたゼラニウムは小さくなった株を寄せてプランターに植え直したら元気に伸びて花をたくさんつけてくれている。3、4年前から始めた株分けがうまくいったようで、新しいものを買う必要はなさそう。

 昨日、職場に水筒を忘れてきてしまった。別の水筒を持って出てもいいのだが、そうすると今夜の帰りには水筒を2本持って帰ることとなってしまうのでそれはやめた。したがって、昨夜の帰りと今朝は水分補給ができないでいる。1日の水分補給は2.5リットルほどを目標とすると良いそうで、500ミリリットルの水筒だと4、5回は飲み干さないといけないことになる。水分補給を行いながら仕事をするのは比較的容易であるのだが、水筒を忘れてしまっては朝、職場に着くまでちょこちょこ飲み干すはずだった500ミリリットル分が後ろにずれ込むことになった。

 いろいろなことがいい塩梅にバランスが取れた状態が(毎日)の習慣となる。これがルーティーンということになるが、これをずっと継続しているとマンネリズムに陥る。朝目覚めてから職場に着くまでの行動は毎日ほぼ同じだ。まずはベランダに出て写真を撮り、身支度をして、朝食を食べ、電車に乗って、ブログを書く。このブログのパターンも、朝の天気、気分と言った身近な事項から始まり、今日のテーマに入る。基本的に日記ブログであって多くの集客は望むべくもないが、いつも気にかけてくださる方がいるので、これでいいと思っている。何年かに1度、たまーに、読んでくださる方もいるに違いない。

 今やこういう行動パターンがルーティン化して、マンネリズムに陥っているような気もする。ただ、それを言い出したら、ブログを書くことすらマンネリであるといえる。マンネリに気がついたらそれを打破する必要があるかというと必ずしもそうでもない。先日PC版のスタイルを変えてみたら、なんだか居心地が悪く、結局元に戻した(スマホ版アプリは変更のしようがなくなっている)。圧倒的なマンネリに飽きてしまうことがあるかもしれないが、そんな時は適宜、手順を変えてみる必要があるだろう。でも、以前のスタイルの方が良かったらさっさと元に戻したらいい。なんといってもそれは長い間に培われてきたことであっ
て、それほど悪いことではないはずだから。
惰性はダメ

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お金はどうやって得て、どう増やして、どう使うのか

2022年05月11日 | 日々思うこと、考えること
 通勤電車に揺られながら、猿は電車を動かすが、お金をやってもそれが電車賃だとはわからない、なんてことを考えた。カラスでもラッコでも何かを道具に見立てて使うことがあるが、お金を使える動物はいない。お金は人間にしか通用しない。そして、現代では人間が生きていく上でお金はなくてはならない。そのお金、もともと軽くて小さいが、いまやスマホの画面の中に数字としておさまるほどになり、ゼロの数はいくらあっても邪魔になることはない。

 少し前に、民放の有名アナウンサーがある大学の研究員としてセカンドキャリアを始めるというのを知った。華やかなキャリアを捨て、薄給の大学スタッフになってでも、やりたいことができるということで、その道を歩み始めた彼はおそらくとても幸せな気持ちだろう。でも、やきもちというか、そういう気持ちがわいてこないのはなぜなのか。いや、むしろその道でぜひ成功してほしいと思う。お金とか名声を蹴ってでもつかむ幸せというのは多くの人に賞賛されこそすれ、毀損されることはない。彼の場合、これまでに築いてきたキャリアによって十分な余録があるだろうが、それはそれだ。

 お金に蹴られる人というのは多い。詐欺師とか強盗というような類の犯罪者が泡銭を失うというのとは別に、ごく普通に生活していているつもりでも、お金は右から左へと逃げるようにして流れていって、手元にはほとんど残らない。

 お金というのはどうやって得て、それをどう増やしたらいいのか。そして、増やしたお金をどう使ったらいいのだろう。こういうことがわからないままだから、私などは小金持ちにすらなれないのだろうが、では、有意義な利用法というものを理解している人間というのもいないだろう。

 今、国会では補正予算案をめぐって論戦がなされているということだが、個人にしても国にしても、お金を中心として世の中は回っている。そのお金はどこからきてどこへ行くのか。

 個人的にお金を得るには働くしかない。ちなみに医者の場合、勤務医はもちろんだが、開業医でも基本的には自分でせっせと稼ぐしかないブルーカラーだ(医者というブルーカラー)。人間稼ぐとなったらその方法は無限大で、額に汗水たらして働くほかに、人に働かせてその上前をはねるという方法もあるし、金融商品で儲けるというのもある。お金を増やすのはそれこそ金融商品をうまく使えたらいいのかも知れないが私はそちらの方面には暗い。ただ、お金というのは溜め込んでばかりいても良くないわけで上手に使えると良いのだが、使ってばかりだとなくなってしまう。難しいものだ。

税金は有効に

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年寄りは今日を見ているが、若者は未来を見ている

2022年05月10日 | 生き方について考える
 今日も仕事が多いなぁ、あれこれ算段はどうしようか、などと悩みながら電車に揺られつつこのエントリーを打っている。ふと我に帰ると、そんな私が考えているのはせいぜい1、2年後のことまで、はっきり言ってしまえば定年頃までのことで、その先のヴィジョンはとくにこれといったものは持っていないということに気がつく。

 先日、ある若い病理医に、

 先生が(定年で)いなくなった後は、ここ(今勤めている病院の病理診断科)はどうなるんですか?

 と尋ねられた。専門門病院で、いわゆる“潰しがきかない”不人気な領域のため、恒常的になり手が少ない。私が赴任する前は2年ほど病理医が不在だったほどだ。かといって病院にしても多くの病理医を抱えるだけのゆとりはなく、後継者を育てることが難しいということを知っての客観的な心配事が口をついて出ただけだったのだと思うが、私は別の意味で軽くショックを受けた。

 それは、自分に残された時間は、少なくともここにはもうあまりないということ、若者から見たら自分は近い将来ここから退場していく人間であるということ、ある時期がきたら否応なしに今座っている席を譲らなくてはならないということを実感したからだった。

 少し嫌だなと思ったが、年には勝てない。それは、先日、近所のご高齢の人たちと話してよくわかった。あの時、”年寄り扱いするな”と怒り出す人は誰もいなかった。
 ああ、自分もそういう年になったのだ、そして、若者たちはそんな私の心情など考える必要などなく、ただただ未来を見ているのだと理解した。

 このことを残念なこと、寂しいことと考えるか、私なりに未来志向に生きることのきっかけとするかは結局のところ自分次第だ。より良い家族を残すこと、より良い職場を残すこと、より良いまち、より良い安全な日本、そしてより良い平和な世界を残すことを考えながら生きるということは、私が死ぬまで続けなくてはならないことだ。それは、今の自分のテリトリーとか定年とかそういったものとは別の次元のことであり、いちいち残念だとか寂しいだとか考えることではない。
 
 明日明後日のことを考えることも大切だが、未来のことを考えながら生きていかなくてはならない。そして、それは自分が死んだのちのずっと先の未来のことだ。
あとのことはどうでもいいではいけない

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大型連休明けのToDoリスト

2022年05月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 連休明け、今週は梅雨のような天気になるとのことで、まずは小雨混じりの曇天。駅のホームは人で溢れ、一部の路線には遅れが出ているらしい。日常が帰ってきたわけだが、これを日常というべきなのか、先週の月曜金曜あたりの状態こそを人間らしい状態というべきかはわからない。通学通勤に伴う電車の混雑というものは人間にとって正常な状態ではないが、鉄道会社からしてみたら、もっと混んでいる状態で経営を考えているわけで、捉え方は立場によって相反する。

 これだけ多くの人が再び動き出したということは、それだけ多くの”やらなくてはならないこと”があるということだ。大都市圏に限ったことなのかもしれないが、これほど”やらなくてはならないこと”をかけた人がいればこの国の経済はまだ大丈夫なのではないかと楽観視してしまうが、実態はどうなのだろう。

 かくいう私にも”やらなくてはならないこと”はたくさんある。カレンダーを見ると毎月第1週に組まれている各種会議が第2週にずれ込んでいて、いつもの第2週よりもずいぶん忙しくなっている。この合間にルーティンワークである病理診断、切り出しを行なわなくてはいけない。ミスをしないよう、いつも以上に注意を払って行っていきたい。

 ウクライナの人々の苦難を見るにつけ、仕事があるだけ、仕事ができるだけでもありがたく思って日々労働に勤しんでいかねばならないと思いを新たにするが、いざ仕事が始まると、通勤を含めていろいろと厳しい。対独戦戦勝記念日の、今日はロシアにとって重要な日だそうだ。仕事の終わる頃にはプーチン大統領のスピーチの内容もわかっているだろう。これほどまでに世界中の耳目が集中する中での演説などかつてあっただろうか。その行方に対して西側諸国的な考え方は通用しないわけで、私たちはただじっとその演説を待つしかない。

 このブログで、ロシアのことが出てきたエントリーを振り返ってみたら、10年ほど前のプーチン大統領による”引き分け”という考え方について書かれていた(引き分けの論理 2012年5月26日)。私はその時に、何をもって「引き分け」とするかは、これまた難しいことだろうが、「引き分け」という決着があってもいいのではないかと、私も思う。と書いていて、今の対ウクライナ侵略についても国内向けにはせめて「引き分け」ということで幕引きできないかと淡い期待は持っている。
地には平和を

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地域で助け合い地域を守ろうという集まり

2022年05月08日 | 鎌倉暮らし
 明日から仕事。通勤の往復といろいろ山積みになっていることを思い出すとちょっと憂鬱になるが、大型連休最終日の午前中は晴天。

 かねてより私と妻とで提案していた地区住民の顔合わせの会。25戸あるうちの24戸、50人以上が集まってくれた。声かけをした私たちの方がびっくりした。隣は何をする人ぞ、というのが当たり前のこのご時世、差し障りのない範囲で家族紹介など順番にしていただいた。
 11年前の3.11のときに高齢者が多く住んでいるということが判明し、それ以来ご近所の様子を知っておくことが重要だと考えていたが、新しく入ってくる人もおり新旧の住民の顔合わせが必要になっていた。幸いにもみなさん今回の集まりを喜んでくれたようで、私も妻もホッとした。

 昼過ぎに息子が母の日のプレゼントと、紫陽花の鉢植えを届けてくれた。顔合わせの会のあと、出かけていた娘がひまわりのアレンジを妻にプレゼントしていた。夕食も準備してくれていて、いい匂いがしてきた。
 今日の私は、プランター野菜の手入れや寄せ植えを作って過ごした。例によって黙々とやっているとあれこれ考える。今日の集まりで、”年寄り扱いするな”と臍を曲げるお年寄りがいなかったのは何よりだったと胸を撫で下ろした。
比較的有意義な連休だった

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