こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

AIに餌をやりすぎ逆に支配される

2024年05月02日 | 電脳化社会
2日続きの雨が上がった。
今朝はだいぶひんやりしていたが、日中は気温も上がり、明日からの大型連休後半は天候にも恵まれる様だ。
フラットコーテッドレトリバーの子犬のアンがやってきたばかりで、どこかへ出かける予定などないが、やはり天気は嬉しい。
などと長閑なことを書いていたのだが、校正してからアップしようと思っていたのだが、これをそのままにしていたことを、昼休みに知って急いで公開した。

今朝、NHKニュースを見ていたら、


という話が出ていた。
AIの学習データとして新聞記事が使われたということに対する訴訟だと思うが、二律背反する事項の対立で、考え方は難しい。
私のこの文章もAIの学習に使われていると仮定したら、タダで使うなと憤慨するべきか、人類の叡智の発展の足しになっていると満足するべきか。

そんなニュースを眺めながら朝日新聞を斜め読みしていたら、文化欄のところに、AIを用いた文章作成に関する問題点についてのインタビュー記事が出ていた。
AIの作成する文章というのはあくまでも機械が単語のつながりの組み合わせであって、実際に使う場合には校正が必要だという様なことだった。

たしかに、私は時々AIに文章を整えさせたりするが、読み返すとおかしな文脈が出てくることがある。
それは微かなものなのだが、文章を俯瞰すると歪んでいて違和感を感じる。
事実を伝えるだけならその内容に誤りがなければそれでもいいかもしれないが、筆者の気持ちを加えた文章の場合それではいけない。
仮にこのブログをAIに下書きをさせるとしたら、私の”こんな気持ち”は絶対に表現できないということだ。

私としてはそうやってAIに抗いたいと思っているのだが、うまい具合に付き合っていくことのできる人が上手な文章家になっていくのだろう。
AIに文章作成を手伝ってもらっているという作家は少なくないそうで、まあ学校における勉強の要領の良い優等生の様なものだ。
それはそれで悪いとは言えないし、翻訳AIは私も散々使っている。
でも、そうやってAIに餌となる文章をやり続けるうちに、人間としての独創性は失われていってしまうのではないか、結果としてAIに支配されていってしまうのではないかと危惧する。
AIにも日本語は難しいらしい

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。