こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

これはもうブログと思って書くしかない

2015年11月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理関連のコラムを書く機会があり、何本か書き溜めているのだが、ここにきてなかなか進まない。

テーマが一つあって、それにまつわる話をいくつか用意するのだが、あれこれうまく行かないのだ。というようなところで悩んでいたら、気がついた。

「これ、全部ブログだと思ってしまえばいい」

そう、原稿書きなど、毎日のブログと同じと思えばいいのだ。と、気がついたらとたんに楽になった。

だが、やはり難しい。400字程度のコラムだが、ざっと書いてからいざ推敲すると、一体なにがいいたいのかわからないし、そうするとタイトルもなんだかよくわからなくなってしまう。そうなると、このブログもろくに推敲しないでアップしていることに気がつく。こんなことを毎日続けているものだから、文章力がいっこうにあがらないのだろう。

この間、芥川賞作家がいったん書いた原稿を、あとはひたすら推敲していると話していた。プロでもそうなのだから、私なんぞよほどしっかりせねばなるまい。そう思い、今朝からコラムに関しては紙に書き出してあれこれ考えている。このブログにしても、文章力が上がるようにもう少し丁寧に書こうと思う。

 文才は努力のたまもの

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 


もっと先まで乗って行く人なのよ

2015年11月14日 | 妻の名言

都内との行き来は横須賀線を使っているのだが、その日は藤沢に用事があって、下りの湘南新宿ラインを使った。

簡単に主要駅を挙げると、普段の横須賀線だと都内ー(15分ぐらい)→武蔵小杉ー(10分ぐらい)→横浜ー(15分ぐらい)→大船ー(5分ぐらい)→鎌倉、なのだが、湘南新宿ラインでは都内ー(15分ぐらい)→武蔵小杉ー(10分ぐらい)→横浜—(15分ぐらい)→大船ー(5分ぐらい)→藤沢(大船の次)となる。たいして、変わらないようにみえるが、横須賀線は乗りなれている上、乗降の多い車両はわかっているので、比較的空席をみつけやすい。それに大船の手前でずいぶん空く。そもそも湘南新宿ラインとは元々の混雑具合が違う。

で、その日の湘南新宿ラインはやっぱり混んでいて、都内から横浜を過ぎるまでずっと立っていた。少し離れたあたりで空席があったりしたが鞄を網棚に上げているということもあり、大船まで40分近く立っていた。膝も痛くなって来たとところ、幸いなことに大船で前の人が立ったのでやれやれと思いながら座ることができた。

ところが、大船から80歳ぐらいの女性が乗って来て私の斜め前に立った。買い物帰りらしく、両手に荷物を提げている。

気づいているのかいないのか、気づこうとしないのか、都内からずーっと座っていた私の両隣、横浜から座った男性、誰も席を譲るような気配はない。しょうがないと思って、女性に席を譲った。礼儀正しい方で、一度は断られたが、「いいですよ、どうせ次(藤沢)で降りますから」と、わずか30秒ほど座っただけですぐに立ち上がった。降りるときにもう一度お礼を言われたので、「お気をつけて」と声をかけてから降りた。

というような話を妻にしたら、「(席を譲らなかった)その人たちはもっと先まで乗って行くのだったのよ。きっと、その人たちだって気恥ずかしい思いをしているでしょうから、自分が損したような気持ちをもってはだめよ」とたしなめられた。

なるほど、湘南新宿ラインは藤沢から先もずいぶん行く。仮にその女性が終点まで乗るとして、譲った人も終点まで行くとすれば、譲った人は終点まで30分以上、座ることはできないかもしれない。みんな疲れているのだ、そんなことになったら、あと一駅で降りる私からみても気の毒だ。

相手の身になって考えることは、結局自分に返ってくることだろう。たまたま電車に乗り合わせた人に対してもこんな風に相手を自分と同じように大切にできたらいいものだ。

 グリーン車に乗るのもどうかと

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


名前という記号

2015年11月13日 | 日々思うこと、考えること

通勤途中、あるマンションの前をよく通るが、ちょうどそのマンションの管理人さんの掃除の時間のようで、しばしば会う。 管理人さんの名札が目に入ることがあって、そこには○○○○、と本人の名前が書かれていた。その時、私にこの人の名前は不要なのに、無理矢理名前という記号を、私の頭に押し込まれたような気がした。

管理人さんの名前の場合は固有名詞だが、名詞にせよ固有名詞にせよ人間から名詞の概念が無くなったらどうなるだろう。日常生活は大混乱に陥るに違いない。

一方、犬は名詞を持っていないと思う。 我が家のナイトなど、エサが「エサ」と人間に呼ばれているなど判るわけがない。彼にとっては、そのかぐわしいにおいこそがエサを表す記号なのだ。

まあ、人間にしても、鼻が効かない分を補うために、食事という名詞でもって、食事を記号化しているだけかも知れない。さらに、固有名詞は一歩進んでその人の価値とか、役割そのものを表すワンランク上の記号であると考えることができる。

ところで、人間には匿名という概念が昔からある。土佐日記の作者がそうだし、コロ健もここではそうやって存在している。この場合、コロ健というのはいったいどういう記号なのか、よくわからなくなってしまう。

 名前ってなに?薔薇と呼ばれる花を別の名前にしても美しい香りはそのままよー  ジュリエット

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


高級葡萄の箱

2015年11月12日 | 日々思うこと、考えること

電車で座っていたら、「高級葡萄」と書かれた箱を持ったおじさんが目の前を通り過ぎた。
”高級?”

いや、もちろん、ぶどうというものは元々が高級品であり、高価なものであるのは知っている。

それはさておき普通の感覚なら、自分が高級品を持っていることを周囲に知らせながら歩くことなどいないだろう。
ご本人も「私は高級品を持っているんだぞ」などという意識はないのだろうし、そもそもそんな風にみている人がいるなどということにも気付いていないとおもう。
となると、この「高級葡萄」というぶどうの箱に名前を入れた人の思いを知りたくなるところだが、そこまで調べるつもりはない。
だが、山梨に行った時に思わず同じ箱に詰められているかも知れないぶどうを買い求めようとするかもしれないが、「高級」なので手が届かないだろう。

驚いたことに、“高級葡萄”とネットで探すとたくさんヒットする(65万件)。ぶどうはぶどうではなく”葡萄”なのだ。

 巨峰が一番好きです

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


スランプ

2015年11月11日 | 日々思うこと、考えること

仕事はてんこ盛りだが、どれも手に負えなくなりつつある。


全部を一気に片付けることなどできるわけ無く、一つ一つをコツコツと片付けなければどうしようもないとわかっているのだが、落ち着かず思考が停止してしまう。
これはもう軽いパニックを伴ったスランプだ。それでいて、ブログその他に時間をかけてはどうしようもない。
今日はこれまで。


 セルフコントロール

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


少し寝坊しただけなのに

2015年11月10日 | 日々思うこと、考えること

昨晩のカンファレンスの疲れがあったせいか今朝はいつもの目覚ましで起きることができなかった。いつもより20分ほど寝坊して目が覚めた。
しまった!などと飛び起きたりしたら心臓に悪そうなので、ひとしきりいつもと違う朝の段取りを考える。
カーテンを開けると空は昨日と同様暗い。立冬を過ぎ、夜明けが遅いだけなのか、昨夜来の雨雲が空を覆っているせいなのかはわからない。

犬の散歩に行けるか、窓を開けて雨が降っていないか確かめるとやんでいる。ほんの少しでもと思って、身支度を手早く済ませた。いつもなら朝食の時間だが、少しずつつづめれば時間は作れる。

そう思って、玄関を出たら、雨がまた降り出していた。

しまったと思ったが、後の祭り。

寝坊しないでいたら、雨のやんでいる間に散歩に行けたのに。 結局、エサやりだけした。これでもまあ、喜んでくれただろうけど。

 いつもは目覚ましで起きるのだけど

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 

 


その人のいいところを10個挙げる

2015年11月09日 | 日々思うこと、考えること

ある人のことを考えるとき、その人のいいところを10個、挙げることができるか。

試しに妻のいいところを挙げてみたら、幸い(?)にも早々に10個挙がり、15個あたりでやめた。子供たちもなんとか10までは挙げることができる。
仲の良い友人や尊敬する人だとこれが7つか8つぐらいで止まってしまう。バラエティにも欠け、似たような表現が並んでしまう。
それでも、自分が好きな人、自分が恃みとしている人だと、その人のいいと思うところの2つや3つすぐに思いつく。

ところがこれが、自分が嫌いな人、関わりたくない人のいいところとなると、なかなかいいところが出てこない。ふと何か思いついても、よくよく考えればそれもたいしたことないと否定して、却下してしまい、いつまでたっても1つも挙げることができない。結局、思い出すのも嫌になってやめてしまう。

これは、その人に対する嫌悪感がバイアスとなってしまうためだろう。

1つでもいいところがあればそれほど嫌いではないはずなのだと思うのだが、難しい。

本来ならば、人に対して好き嫌いがあること自体あまりよろしくない。

嫌いな人、関わりたくない人にもいいところはたくさんあるはずで、そういう人に対して食わず嫌いというか、深く知ろうともせずに人のことの決めつけをしないよう、気をつけたい。

 いいところが一つでもあれば

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


段葛の切れ目が無くなった・・・平成の大改修

2015年11月08日 | 鎌倉暮らし

以前、鎌倉若宮大路の段葛が改修に入ったことを書いたが、来年3月の終了に向かい工事も佳境に入ってきたようだ。

というのも、段葛は二の鳥居までの真ん中で切れていて、東から西へとわたることができるのだが、先日この切れ目が閉じられてしまった。

信号も塞がれて、二の鳥居までノンストップなので、車で走るとなんだかおかしな感じがする。

こうなってから、まだ一週間だが、人の流れが少々変わったような気がする。二の鳥居の前で、東側の道を歩くか、小町通のある西側の道どちらを歩くかを選ぶことになった。二の鳥居前の交差点がずいぶん混んでいたが、住民もまだ馴れていないということもあるだろう。

真ん中の切れ目を使っての移動がいかに多かったかがわかるというものだ。

こうして不便さを感じると、この塞がれた横断歩道が、映画『マトリックス』で、ネオの口が塞がれてしまった場面が思い出されて息苦しさを感じてしまう。

この部分の閉鎖は12月末までで、今度の初詣では使えるとのことで、ホッとしている。

 来春の完成が待ち遠しい

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


この縁

2015年11月07日 | 生き方について考える

人間社会の複雑さは今も昔も変わらない。くっついたり、離れたり。

何かがきっかけとなって離れていく人がいれば、そのおかげで思ってもいなかった出会いがあったりもする。

出会いと一言でいっても、中には、利害が一致して近づく人もいるが、まったく人間だけをみて仲良くなる人もいる。

私のようにこれといったものを持たない人間であっても、仲良くなってくれる人がいる。学生時代に持つ友人と違い、大人になってからの出会いというものは、育った環境、社会に出てからの環境というものが大きく異なるため、わざわざ付き合いをはじめるというのは面倒になりがちだ。

だが、あえてそうしてくれる人もいるし、私もそうしようという人がいる。

仕事など、社会的な環境があって出会うということまで抜きにするというのはなかなか避けがたいが、いずれにせよ、こういった縁(えにし)というものは、ずっと大事にしていきたいものだ。

 若き日の友人とはもちろん

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 


お尻が痛くなりました

2015年11月06日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

午前中は病院で仕事。午後から病理学会二日目。

今日もいい秋晴れ。

安田講堂でのメインの会のあと、東大の校舎で研究会のミーティング。

古い階段教室で一時間半。都合8時間の勉強、お尻が痛くなりました。

 今回は座学のみ

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


秋の病理学会@安田講堂

2015年11月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今まで訪れた学会場で一番美しかった。今年の秋の病理学会、会場は東大安田講堂。

今年の秋の病理学会が東大のお世話で開催されるというので、それなりに素晴らしい学会になると思っていたが、それ以上に安田講堂で行われるということを楽しみにしてやってきた。

それで、あのような感想となった。 安田講堂は耐震補強もあって、新装オープンは今年になってだそうで、まだできたてのホヤホヤらしい。

安田講堂というと、全共闘の立て籠もりの映像しか思い浮かばない新人類世代としては、外から見た安田講堂と中に入って見たのとで印象がずいぶん違って驚いた。 日本のアカデミズムの中心たる気概が伝わってきた。 テーマも興味深く、明日も楽しみだ。

 警備がすごかった

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  


コウノドリとデザイナーベイビー(2)

2015年11月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

トランジェントならなんとかなるだろうが、パーマネントのセルラインを樹立するなんてことがそう簡単にできるだろうか、などとプラスミドをいじっていた頃のことを思い出しながらみている。そもそも大腸菌とか酵母ではなく、扱っているのはヒト。トランジェントではフランケンシュタインになってしまう。

だが、私のようなへなちょこ研究者(今は研究者でもない)でない、ハイレベルの技術をもった人がヒトのゲノムDNAをいじって継代可能な個体を作出することも可能なのかなあ、とも思う。

NHKのテレビドラマ『デザイナーベイビー』は生殖医療の暴走の可能性を描いていて、生物系の実験でDNAをいじったことのある人なら誰でも興味が持てる内容となっている。遺伝子操作など全く知らない人(速水刑事)でも多少勉強すれば理解できるという点では、誰もがこの領域に関心を持っているということもわかる。 誘拐犯という犯人がいるという点でコウノドリとは全うサスペンスドラマで、来週はいよいよ最終回。NHKなので、そこそこハッピーエンドとなるだろうが、生殖医療の問題点のみならず、遺伝性疾患のように未だに治療法の乏しい疾患が少なくないことなど、扱われたテーマは重かった。

奇しくも同じ時期に放送された『コウノドリ』と『デザイナーベイビー』。それぞれ良くできたテレビドラマだった。二つのドラマを見ていると、いくら人間が奮闘しても、また技術を手に入れても、神様にしか扱うことのできない領域(例えば、胎盤の形成とか剥離のコントロール、染色体のランダムな発現等々たくさん)というものがあるということ。そういったことのいくつは解決して、私たち人間は神様に肉薄したような気になるかも知れないが、そこから先にはきっと大きな壁があって、私たち人間はそれを越えることはできないだろうと思うのだ。

 思い上がってはいけない

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ 


コウノドリとデザイナーベイビー (1)

2015年11月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

周産期医療にかかわるドラマ二作が放映されている。一つはお産を中心とした話、もう一つはその手前の生殖医療に関する話だ。
コロ健の勤め先の病院にもこれらに関わる診療科があり、産科医や新生児科医にも飲み仲間がいるということもあり、二作品とも興味深くみている。
原作とかそういったものは知らないので、ここまでみていて思ったことを書いてみたい。今日はまず、TBSのテレビドラマ『コウノドリ』をみて思ったこと。

綾野剛演じる主役の産科医のキャラクターは措いておくとして、まずは医療ドラマとして。

最近の医療ドラマは、日本でも医療技術アドバイザーというか、現場の医者が指導しているようでほぼ正しく描かれている。これは海外医療ドラマの『ER』とか『グレイズアナトミー』をみたら当たり前と言えば当たり前だが、この『コウノドリ』もそうで、クレジットに知り合いの日々現場で奮闘している先生の名前を見た時は妙に感激した。

さて、産科医療というのは、誰もが母児ともに元気な出産が前提として考えているが、決してそうではない。妊娠、出産というのは今も昔も母親にとっては命がけ、胎児もそれこそ必死に生きようとする。日本がいくら周産期死亡が減ったといっても、一定の数起こっている。このドラマもそういった、厳しい産科医療の現場の話が続いていくのだと思う。一昔前なら、それで終わりだったが、今ではそれだけでは済まなくなっている。

晩婚化にともなう晩産化が急速に進行しているため、高齢出産というハイリスク妊娠が増えている。ハイリスク妊娠ではいろいろな事態が生じる。それ以上に、コロ健、このドラマを見ていいと思っているのは、妊婦さんの背景(生活、喫煙、高齢など)がしっかり描かれていること。

あと、飲み会の様子も楽しそう。なかなかみんなが集まることができないなどというところが、リアルでいい。

(明日は『デザイナーベイビー』)

11月3日は”いいお産(1103)の日”

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ  

 


一冊の本にこめられたそれぞれの人生・・・2015年10月の読書記録

2015年11月02日 | 読書、映画、音楽、美術

本を読むと、その作品を書いた人、そこで描かれた人、その本を作った人、様々な人がいることがわかる。

それぞれの人の人生観がその本一冊に反映される。本、一冊一冊に人生がこめられている。

逆に、本を書く人、作る人は人生をその本に込めている。

一冊の本を手に取った時、そう思ってみると感慨深いものがある。

 

2015年10月の読書メーター
読んだ本の数:4冊
読んだページ数:1087ページ
ナイス数:145ナイス

学術書を書く学術書を書く感想
ちょうど今、本(もちろん学術書)を書いているところでこの本を知った。もっと前から知っていたらと残念に思っていたら、今年の9月に出たばかり、とすればこのタイミングはむしろ幸運だったか。学術書の書き方ノウハウ満載で、3ヶ月早く読めていたら、ずいぶん原稿書きが楽だっただろう。本を出すことなど、よほどの幸運の持ち主か、金持ちにしかできないこと。私も今回の運を逃さず、遅まきながらこの本を参考にして、少しでも多くの人に読んでいただける有益な本を世に出したい。共著なのにそれを感じさせない書き方、そのコツも知りたかった。
読了日:10月28日 著者:鈴木哲也,高瀬桃子


人間的魅力の研究 (日経ビジネス人文庫)人間的魅力の研究 (日経ビジネス人文庫)感想
自己啓発本のようなつもりで手にとったのだが、読んでみたらまったく違った。昭和の大実業家、中国、西洋の歴史上の偉人たちを取り上げ、彼らに見る人間的魅力を語っている。名前だけしか知らないような半ば歴史的実業人の生き方、考え方に触れることができた。惜しむらくは、登場人物のほとんどが男性であるということ。これからの世の中、男性史観ではやっていくことはできない。性差が社会的役割とどう関係するかはわからないが、色々な意味で、“人間的魅力”はこの先、急速に変化していくに違いない。色々な意味で良書といえます。
読了日:10月27日 著者:伊藤肇


謹訳 源氏物語 八謹訳 源氏物語 八感想
匂宮三帖はテレビドラマのつなぎのようだったが、宇治十帖に入ってからはあっという間に引き込まれた。宇治の八の宮の悲しい境涯とその遺言から逃れることのできない大君。その大君と薫のプラトニックラブ。家柄に縛られる匂宮。京都と宇治は20キロぐらい、道などあまり整備されていなかっただろうから、行き来はさぞ大変だったに違いない。それでも頑張れたのは20代の若者の元気さあってこその物語といえる。なかなか楽しそうなパーティーを時々やっている。別荘地での上流階級の遊びといったところのようで、興味深い。
読了日:10月17日 著者:林望


生身の暴力論 (講談社現代新書)生身の暴力論 (講談社現代新書)感想
北野武の映画『アウトレイジ』をたまたま観てその中の暴力シーンに驚いて、落ち込んでしまっていたところでこの本のタイトルが目に入った。「本当にこんなことできる人間なんているのだろうか」というのが映画をみたときの驚きだったが、この本を読んで納得できた。「一線を越えてしまえば、何でもできる」そのことが理解できた。そして、越えてしまった人はどこにでもいる。世間をなめて生きていてはいけない。デビュー論とダサさの関係はいい分析だと思った。それにしても、男ってある意味馬鹿な生き物だ。
読了日:10月4日 著者:久田将義



読書メーター

 私だったらどんな思いを込めようか

ブログランキング・にほんブログ村へ←よろしく!→

PVアクセスランキング にほんブログ村
読書履歴はコチラで→


疲れることはそろそろ終わりに

2015年11月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

学会に行ったとき、休憩時間のときなどで話す相手の大半は同世代の先生となる。

今度の学会でも、同世代の先生と話して、ずいぶん疲れてしまった。

ある大学の先生は、朝、当地にいて、いったん東京に行って、そのあと最終便でまた学会場に帰ってくる。またある先生は、今日、午後から、東京で会議があるので、先生(コロ健)の話聞かせてもらったら、すぐ出かけます。はたまたある先生は・・・、とか。みなさんすごいパワーだ。

自分がそういう渦中にあったらそれはそれで気がつかないままいってしまうのかもしれないが、残念ながら不肖コロ健、そのようなマネはできそうにない。

 

というのも、そうやって忙しくしている先生方はみなさん余裕がある。いろいろ話をしていても、常に笑顔を絶やさない。疲れている風には全く見えないのだ。

こんな風に、余裕がある人だからやれるのだ、とつくづく思う。

これが、コロ健だったら、もう、忙しい忙しいと悲鳴を上げて、周りの人にも心配させてしまう。

このブログを読んでくださっていただいた方にまで心配してもらったことがあるほどだ。

 

私には私なりの人生の歩き方がある。すくなくとも、何かやって疲れてしまうような生き方はやめておこうと思う。

やっと自分の身の丈が見えてきたように思える。

 自分をよく見る

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ