こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

変えられないものだから、自分が変わるしかない

2015年04月09日 | 生き方について考える

過去と他人は変えられない。そんなこと、よくわかっている。

 

過去は変えようがない。それがしょぼいものであればあるほど、今更のように変えたくもなるが、そうはいかない。後悔先に立たず。

過ぎ去ったものを忘れようとしても、心の中には記憶が痕跡のように、わずかに残ってしまう。

だから、変えようがないのであるならば、過去を受け入れ、折り合いをつける。自分が変わるしかない。

他人は変えようがない。たとえ、妻子であっても、刎頸の友であっても、自分以外の誰かが都合良く自分のために変わってくれることなどない。

だが、その人が自分に必要な人であったらどうすればいいか。自分が変わって、相手に受け入れてもらうしかない。もちろん、必要ないならば別れてしまえばいい。

もし、何かあって、相手が変わったと感じたら、それは相手が変ったのではなく、変わった自分を相手が受け入れてくれたのだと感謝しなければいけない。相手を変えることができたなどと、傲慢な思いを持ってはならない。

それなのに、世の中はわがままな人ばかり。

 

わかってない人が多すぎる
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人生、一つ一つが積み重なって

2015年04月08日 | 生き方について考える

今年の冬は、大雪にたたられることもなく穏やかに過ぎたせいか、寒さの記憶がほとんど残っていない。

そのせいだろう、今週の寒の戻りが余計に身にしみる。この時期のこんな寒さ滅多にないと思ったが、”寒の戻り”でこのブログのなかを探してみると、一昨年にも同じようなことを書いている記事があった。べつに珍しいことではないようだ。

それにしても、以前のことを検索して思い出せるとは便利な時代になったものだ。

このあいだ、妻が、物置の整理をしていたら私の学生時代の写真が出てきたといって見せてくれた。2年前どころか、もう、30年も前のことになる。

そこに写っている私は屈託のない笑顔をして、仲間たちと馬鹿をやっていた。ずいぶん昔のことだが、写真を見るとその時のことをつい昨日のように思い出す。

このあと、私にはいろんなことがあって今に至ったのだ。

なにがあったのかといわれたら、あれとこれとそれもとなってきりがなくなってしまう。もう思い出せそうにない小さなことも多いだろうが、そんな小さなもののどれかが実は大事だったのかもしれない。

人生はいろんなことがあって、その一つ一つが積み重なってできていく。

この花びらが、人間一人一人であるとすれば、どれも似たり寄ったり。だけど、各人それぞれの思い出があって、今がある。

 

それにしても今夜は寒い
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たまには大学へ

2015年04月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

たまには大学へ、といってもサボってばかりだった学生時代の話ではなく、今の私の話。

通常の病理の仕事ならば、たいていは病院の設備か、施設内の研究所でなんとかまかなうことができるのだが、論文発表でもしようということになると、施設内だけではカバーできないこともある。

そんな時は、出身の病理学教室のある大学に助けてもらいに行く。PCRなど分子生物学的な検索は、いろいろな施設、それこそ私の施設でもできるが、病理学という形態学はきわめてアナログな世界であり、そのための手法をもっている人とか、設備というのは最近は少ない。

というわけで、病理学会まで1ヶ月をとっくに切ってしまい、切羽詰まって大学へとでかけた。

夜のカンファレンスも含め、同僚に後を頼み、自分の仕事を片付けてから、少しだけ早めに病院を出させてもらった。

少し遅くなかったが、技師さんは待っていてくれて、ディスカッション。それにしてもさすがは最新の電子顕微鏡。解像度はもとより、操作性も良かった。

せっかく来たので、図書館にも寄って少し調べもの。

いるのは学生か、若い医者。こんな白髪のオヤジ、図書館の閲覧室には少々そぐわなかったが仕方ない。閉館間際まで粘った。

やっぱり、教育機関というものは、懐が深く、たいしたものだと思う。

あれこれ考えないで、なるべく足を運ぶ機会を作っていこう。

 

あと、一息。
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霧が深いのならば、よく足元をみて

2015年04月06日 | 生き方について考える

今朝の鎌倉、昨日からの霧がよけい濃くなって、わが家からは視界不良。なんだか、ここのところの私のようだ、などと眠い目をこすりながらもしっかり霧の写真を撮ってから、朝食もしっかり食べ、犬のナイトにもエサをやってから仕事に出かけた。ちなみに、コロはまだ下りてこない。

通勤途中、横須賀線が駅と駅との間で止まってしまい、すこし気分が悪くなったが、ジッとがまんしていたら、じき動き出してホッとした。

東京に着いたら、こちらは青空。残念ながら富士山はみえなかったけれど、今日は西から天気が崩れるそうなのでしかたない。

春はめまぐるしく天気が変わる。

八重桜が咲き出していて、もうしばらくいろいろな桜を楽しむことができそうだ。

濃霧で視界不良だからといって、遠くが見えないだけ。そんな時でも、足元が見えないほどではない。

足元をしっかり見つめて、一歩一歩、焦らずゆっくりと歩みを進めていくしかない。

 

そんな時でもきっといいことはある
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挨拶をしない人、できない人。

2015年04月05日 | 日々思うこと、考えること

新人のみなさん、に限らず、新年度を迎えた勤め人のみなさんは、朝晩の挨拶をきちんとしているだろうか。

私は、社会人1年目のときに、ある臨床検査技師さんに挨拶を覚え込まされた。

職場に行ったときに、その技師さんが「おはようございます」と言ったような気がしたのだが、気がつかず、返事をしなかった。そもそも、私よりはるかに年長の技師さんに私から挨拶をしなかったのがいけないのだが、とにかく返事をしなかった。そして、私はそのまま仕事の話かなにかをはじめてしまったのだが、その技師さんが、もう一度「おはようございます」と言ってきた。そこで、私はすべてを理解した。私は朝の挨拶をしていなかった、さらに、わざわざ挨拶してくれた人に対して大変失礼なことをしていたということも。

それ以来、できる限り、朝の挨拶は欠かさずしているつもりだ。社会人1年目、というか初日だからそれ以来だ。

朝の挨拶をするのは当たり前のことだが、なかなかそれができない人というのは多い。こういう人は、自分の家でも挨拶をしていないのだろうと思う。

朝に限らず、挨拶というのは相手への敬意だ。親に対しても、連れ合いに対しても、子供に対しても、職場の同僚に対しても、どれも同じで、他人に対する敬意というのが挨拶に凝縮されている。

だから、挨拶をおろそかにする人というのは、他人をおろそかにしているということになると、私は思っている。

 

だから、ほぼ初対面のときに、挨拶を返さなかった私は、その技師さんに敬意を持っていなかったということになるし、そのことを、その技師さんは気づかせてくれた。20数年前のことなのに、昨日のことのように覚えているのはそのような意味がある。

私は、挨拶ができない人というのは、他人に対して敬意を払っていない、もしくは敬意を払うことができない人、と考えている。

 こういう人と付き合うと、ろくなことはないので、挨拶ができる人、挨拶ができない人、というのは人を評価する時、良い尺度となる。

もちろん、いい年をして挨拶ができない人とはなるべくなら付き合いたくない。

 

新人のお医者さんで、これを読んでいる人がいたら、是非、常に挨拶をするよう努力してほしい。

患者さんや医者同士はもとより、看護師さん、検査技師さん、薬剤師さん、事務の人、お掃除の人、職場で接する人誰にでも一度は挨拶してみたらどうだろう。

一週間でいいから努力してみたら、残りの一生、挨拶ができるようになる。そうしたら、あなたはもう、それだけで立派なお医者さんになっているだろう。

 

世の中には人見知りの人で、挨拶ができない人というのがいる。社会人になったら、それでは通用しないので、是非挨拶ができるようになってほしい。

 

あらためて私もやってみます 
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鎌倉、花冷え

2015年04月04日 | 鎌倉暮らし

雨にたたられることはなかったが、この週末は花冷えとなった。なんでも、3月上旬並みの気温とのこと。

明日は、真冬並みとか。

鎌倉の鶴岡八幡宮の源氏池の桜は池の上に枝を出していて、水面に映る桜の花とで、倍楽しむことができる。

水際に集まった花びらのことを”花筏(はないかだ)”とかいうそうで、なるほど美しい。

ぼたん庭園のぼたんも見頃で、たくさんの満開のぼたんがなんともいえない良い香りを漂わせている。

鎌倉の桜も、今日明日で終わりだろうか、葉桜もずいぶん目立ってきている。

 

一方、日本を代表する桜並木だった段葛は、こんな風に工事中。そうとは知らずに段葛の桜を目当てにやって来る人も多かろうに、気の毒なことだ。

二の鳥居の横の動物病院の庭の大きな桜の木だけが楽しみだが、これも終わりかけ。

 

ところで、桜の木は植えてから、花を咲かせるまでに数年かかるらしい。

段葛が昔のようになるのは、一体いつのことになるだろう。

ツツジはもうありませんが 
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月曜が二度あったみたい

2015年04月03日 | 日々思うこと、考えること

今週は月曜日が二度あったような気がする。

どれがその月曜日かといえば、本来の月曜日すなわち3月30日と、新年度が明けた4月1日。それぞれがスタートの日で、月曜日のような錯覚におそわれた。

3月最後の2日間は電車も空いていたが、年度が明けたとたん、ずいぶん混むようになってしまった。来週からは、学校も始まってもっと混むようになるだろう。

ただ、月曜日が何度あろうがなかろうが、仕事が少なくなることは無く、相変わらず顕微鏡にしがみつく毎日。窓辺に近寄って、空き地の桜を楽しむこともままならないほどだ。

今週末は天候不良との予報。今日は一日強風が吹いていたし、明日は花散らしの雨とのこと。東京の桜は今日で見納めとなってしまうかもしない。

それならそれで、楽しみといえるかどうかはわからないが、先週から今週にかけて都内の桜が満開になったのに驚いたように、今度は来週に出勤したときにこの満開の桜の多くが葉桜に変わっていることを面白く思うぐらいだろうか。

今日の桜は都内でも有名な公園のもの。早起きして、ちょっとだけ見てきた。

とても美しく、見とれてしばし動けなかった。もちろん、遅刻なんぞはしなかった。

 

でも、ずっと見ていたかった 
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読むジャンルの周期・・・2015年3月の読書記録

2015年04月02日 | 読書、映画、音楽、美術

先月読了できたのはハウツー本というか、どのように分類すればいいのか、いずれもジャンル分けするのが難しい本。

別に小説も読んでいるが、一気には読めないで、そちらのほうはゆっくりと。

その時々、心が求めるものというのが変わるのだろうか。そう考えると面白い。

 

2015年3月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:587ページ
ナイス数:44ナイス

老後に破産しないお金の話 (成美文庫)老後に破産しないお金の話 (成美文庫)感想
長生きが人生最大のリスク。医療はどんどん進歩して死ぬこともそう簡単なことではなくなってきている。となると、長生きに備えないといけない。結局はお金次第ということだけど、家のローンも子育てもまだまだでは、まったく先が見えません。
読了日:3月30日 著者:大竹のり子
読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)感想
高校受験レベルだろうか、50の中年オヤジの頭の中に沈んでいた、澱のような日本史の記憶をかき回して思い出させてくれた。文章は平易で、たしかにスラスラと読めて、頭に入ってきた。次は世界史を読んでみようかな。
読了日:3月25日 著者:後藤武士

読書メーター

最近は小説も読んでます
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ボールペンと病理医不足

2015年04月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

朝刊に、製薬会社から医師への謝礼が総額約300億円にのぼるという記事があった。1千万円を超える謝礼を受け取った医者は184人もいるそうで、最高額は240件の講演料などで4700万円とか。最初に読んだ時には、エイプリルフールの悪い冗談かと思った。

 

謝礼だけでこれなら、交通費、飲食費、宿泊費を加えたら一体どれだけの金額になるのだろうか。こういうお金が元はといえば薬代だと考えると、それが特定の個人の手元に還流されるというのがどういうことかと疑問を持ってしまう。

だが、私が問題にしたいのは、ここではない。こんなこと、これまでにもさんざん問題になっている。

臨床研修制度が始まって、すべての医師免許取得者は初期研修といって、臨床の現場に行く。そこには必然的に製薬会社の営業さんがいっぱいいて、接待を受ける生活が始まる。先日も、病理関連の学会へ行った先の宿で“情報交換会”という名の宴会をやっているのに、出くわした。多くの若い医師が、営業さんの案内のもと宴会場に吸い込まれていっていた。

製薬会社とのつながりがある臨床医がうらやましいかどうかは別で、問題なのはいったんこういう生活を知ってしまうと、病理のようにこうした余録の無い科に若い医者が寄り付かないということが問題になる。

上記の記事の解説のところで、「製薬会社が営利企業である限り、講演会の建前が啓発であっても、利益に結びつけようとする。医師も、企業からボールペン1本をもらうのから始まり、徐々に感覚を鈍らされ、心を支配される。医師にその自覚がないことが問題だ」というコメントがあった。1本のボールペンはやがて、うまい弁当、うまい食事になって、旅費、講演料とどんどんエスカレートすることを、30前後の若者が知ったら、そういうことと無縁の科へ進もうというのにはよほどの覚悟をもって進むか、世間知らずかだろう。まったく、心を支配されている。

臨床研修医制度がなかったころは、こういうことを知らずに(心を支配されずに)病理医になる医者もいただろうが、いまはそういう医者は居ない。かく言う不肖コロ健、世間知らずがよかったのかどうかはわからない。

それでも病理医になる医者はいるので、まだまだ頑張れそうではあるが、もう少し増えてほしい。それには金だとは言いたくないが、臨床との不公平感がすこしでも縮まれば改善されるのではなかろうか。

 

2015年2月1日現在の病理専門医数は2276名

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