こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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よりよく生きるにはどうしたらいい?

ボールペンと病理医不足

2015年04月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

朝刊に、製薬会社から医師への謝礼が総額約300億円にのぼるという記事があった。1千万円を超える謝礼を受け取った医者は184人もいるそうで、最高額は240件の講演料などで4700万円とか。最初に読んだ時には、エイプリルフールの悪い冗談かと思った。

 

謝礼だけでこれなら、交通費、飲食費、宿泊費を加えたら一体どれだけの金額になるのだろうか。こういうお金が元はといえば薬代だと考えると、それが特定の個人の手元に還流されるというのがどういうことかと疑問を持ってしまう。

だが、私が問題にしたいのは、ここではない。こんなこと、これまでにもさんざん問題になっている。

臨床研修制度が始まって、すべての医師免許取得者は初期研修といって、臨床の現場に行く。そこには必然的に製薬会社の営業さんがいっぱいいて、接待を受ける生活が始まる。先日も、病理関連の学会へ行った先の宿で“情報交換会”という名の宴会をやっているのに、出くわした。多くの若い医師が、営業さんの案内のもと宴会場に吸い込まれていっていた。

製薬会社とのつながりがある臨床医がうらやましいかどうかは別で、問題なのはいったんこういう生活を知ってしまうと、病理のようにこうした余録の無い科に若い医者が寄り付かないということが問題になる。

上記の記事の解説のところで、「製薬会社が営利企業である限り、講演会の建前が啓発であっても、利益に結びつけようとする。医師も、企業からボールペン1本をもらうのから始まり、徐々に感覚を鈍らされ、心を支配される。医師にその自覚がないことが問題だ」というコメントがあった。1本のボールペンはやがて、うまい弁当、うまい食事になって、旅費、講演料とどんどんエスカレートすることを、30前後の若者が知ったら、そういうことと無縁の科へ進もうというのにはよほどの覚悟をもって進むか、世間知らずかだろう。まったく、心を支配されている。

臨床研修医制度がなかったころは、こういうことを知らずに(心を支配されずに)病理医になる医者もいただろうが、いまはそういう医者は居ない。かく言う不肖コロ健、世間知らずがよかったのかどうかはわからない。

それでも病理医になる医者はいるので、まだまだ頑張れそうではあるが、もう少し増えてほしい。それには金だとは言いたくないが、臨床との不公平感がすこしでも縮まれば改善されるのではなかろうか。

 

2015年2月1日現在の病理専門医数は2276名

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