こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あきれるほどに自分勝手で冷たい私

2020年08月13日 | 生き方について考える
スマホやテレビでニュースを見たり聞いたりするたび、その話題について様々な感情が芽生える。それを言語化してしまうことも少なくない。そしてそのほとんどは自分勝手で他者に対して冷たく優しさに欠けている。今朝も、そんな調子であれやこれやと不親切で底意地の悪いことをいちいち考えている自分に気がついてしまい、呆れて、薄ら笑いまで起きてしまった。漫才に置き換えてみれば、テレビがボケで、それに私がツッコんで、それを第三者的に見る観客としての自分が別にいるという図式。でもそれは、演芸場ではあってもいいが、現実社会では褒められたものではないし、そんな自分が嫌になる。

ブログを書くことで、他者に対し優しい自分、他人の心を思いやる自分になりたいと思って何年もやってきたが、いまだにそんな自分にはなれない。妻(=善人)と話していると、私のそんな意地の悪い考え方・発想そのものの存在が信じられないらしく、どうしてそんなことをおもいつくのかと真顔で訊かれるもある。

過去と他人は変えられないとはいうが、私自身を変えることすら難しく、そんなことこの先もずっと変更不能のように思えてしまう。普段の生活ではそんな自分を隠すことが多少できるようになったかもしれないが、それは社会環境の変化のせいでしかない。喫煙環境、ジェンダー論争、LGBT、各種のハラスメント、その他もろもろの変化が身の上に降りかかってきたら、その都度考え、受け入れる努力をしてきただけだ。でも、すべてを受け入れることができているかというとそんなことはない。

私の抱える諸問題は硬くて黒くてものすごく重い塊というか芯のような存在として、胸のあたりにある。それは容易に取り除けるものではなく、おそらく一生私の胸のあたりにあり続けるだろう。その塊がほんの針先ほどの大きさだったとしても、それはブラックホールのような質量を持ち、その闇に飲み込まれたら決して出てくることはできない。それでも、よりよく生きて行きたいと思っているのも本心なので、毎日、瞬間瞬間、その塊の存在を注意深く意識し、足を取られないように生きていく必要がある。
せめてふやかせないものか

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