こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

文章のもつ質量とはなにか(2)

2021年07月15日 | 読書、映画、音楽、美術
 梅雨明けまでもう一息というところ。ここのところゲリラ豪雨があちこちで起きていて、昨日も医局の机で窓の外を眺めながら弁当を食べていたら突然の雷鳴に驚かされた。季節の変化を以前よりも感じるようになったのは、コロナ禍のせいで、一人でいる時間が長くなったせいかもしれない。東京の新型コロナの感染者数が一気に1000人を超えて、1300人。東京オリンピックの頃には3000人ぐらいに達するのではないかと心配になる。これも政府の無策によるものなのでその国民は諦めるしか手立てはない。と、このままコロナ禍について述べてもキリがないので、忘れないうちに話を昨日の続きにする。
 物理の苦手な私でも、F=mgという数式は知っている。Fは重力、mは物体の質量、そしてgは重力加速度。この先どう応用されるのかはよくわからないが、数式というのはなんとなく便利そうだ。昨日考えた、文章のもつ質量というのも数式かできないか考えてみた。

 文章を評価する要素にはどんなものがあるだろうか。

 客観的にみてわかるのは、本文の字数だ。次にわかりやすいのはテーマ、専門的なことか一般的なことか。あと、文体、これは明るい感じか、暗い感じかということ。使っている語のレベルもある。こんなものを数式の構成要素として、それぞれに数値を代入する。そんなことで文章の質量をはかることができるのではかなろうか。

 文字数は少ない方がいいに決まっている。だが、テーマを語るために必要な文字数というのはテーマによって異なる。今、読んでいるレ・ミゼラブルなんて、半分は近代フランス史についてだが、この時代背景を知らずして作品を理解することはできない。そのテーマだが、これは学術専門書か、一般向け専門書か、娯楽小説雑誌かで異なる。そして今やネット上にも様々な文章が溢れていて、テーマを重み付けするのはちょっと難しいかもしれない。

 文体は、テーマと密接に関わる。せっかく希望あふれる若者の明るい話を、わざわざ暗くなるように書いても仕方ないし、病気とか悩みについてをことさら明るく書くのは関係する人に失礼になりかねない。だから、文体はテーマによって変動する。

 最後は、使っている語のレベル、これは平易さともいえるかもしれない。日本語の場合、漢字を知っているか知らないかが重要で、やたら難しい漢字だの語句を使っては人には伝わらない。私がここで仕事で使っている医学用語を引っ張り出したところで意味がない。外国語の場合、と言っても英語しかわからないが、イディオムの場合それぞれの単語の意味を知っていたら、わかりそうだが難解なものもおそらくあるだろう。

 そんなことで、文章の質量をはかるために必要な要素は、

 字数、テーマ、文体、語のレベル

 これらを組みあわせたら、文章の質量をはかる数式のようなものができるのではないか。
むずかしいかな?

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