物事には何事も終わりがあるとすれば、不倫にも終わりはある。不という字から始まるような言葉に、それほど幸せな終わりの形があるとは思えない。いずれにしても、自分たちが不倫(という不という字から始まる行い)をしていると認識した時点ですぐに終わらせるのがいいのではないか。そして、そうすることが、たとえかりそめであったにせよ、その愛が真実であったことの証しとなる。
不倫を終わらせるとき、たいていはどちらかが強い意志をもって、関係を終わらせることを宣言するしかない。互いに愛し合っているのに別れなくてはいけないということは、つらいことだが、始まりが始まりだけにしかたあるまい。一旦は終わりにして、頭を冷やして回りをみるのがいい。それでも、一緒になりたいならば社会的しがらみをすべて清算してからでも遅くはない。そうしている人はたくさん居る。
別れを切り出されて、狂ったようになったり、ストーカーのようなことをして、相手を苦しめるのは愛情表現としては格好よいものではない。二人が不倫という袋小路に入っていることを認識して、どちらか一方が踏ん切りをつけようとしているのを妨害していることになる。相手を愛しているのならば、相手の考えを尊重することも愛だ。そして、どのような形にせよ、遅かれ早かれ不倫は終わる。
こうして書いてみたけれど、不倫は不倫で愛の1つの表現型であり、他人がとやかく言うことではない。人のことを好きになったり、愛してしまったりするのは、止めようのないことだ。だけど、自分の心のおもむくままに行動することで、傷つく人もいるということを忘れてはいけない。それは、連れ合いであったり、不倫をしている相手であったり、家族であったりする。
まずは、自分を大事に思ってくれる人が、たくさんいるということを忘れずに生きていくということが、人間としての第一歩のように思う。
袖振り合うも多生の縁か