ノー天気画家の本音生活 

これが私の生き方などとヤセ我慢するよりも、今日の風に流されましょう!

65歳からのノー天気な日々の過ごし方

2008-03-26 09:56:22 | 犬たち
ハッと気づけば、65歳の誕生日を数日過ぎていました。
元来記念日とか行事などが嫌いな私ですから、これまで誕生日のお祝いなどしたこともないのですが、世間では60歳・65歳・70歳などを人生の節目として、いろいろな優遇措置をするのですが、私は無視することにしています。65歳という年齢の認識は人生の終盤でもなく後半でもなく、長~い「途中の時期」だと思っているからです。
なぜなら、どうせ一度っきりの人生、終盤とか後半と思うより「途中の時期」と思ったほうが明るい未来やドラマティックな舞台がこれからも待っているような気がするからです。

時間軸では 現在・過去・未来 となっていますが、私は極端な未来志向の性格のようです。過去にはまるで関心がない薄情な性格のようです。
たとえば、私にはアルバムがありません。思い出を記録したり、懐かしさの感傷にひたるという意識が希薄なのです。よく「思い出づくり」などといって旅などする人がいるようですが、そんな話を聞くだけで全身が痒くなります。「思い出など作ってどうするんじゃ~」と。
私は40年近く努めていた会社の人とは退職してから5年で4人しか合っていません。ひとりは絵を注文した方、もうひとりはわが家を尋ねてきた方、後の2人は偶然街で出会った方、たったそれだけです。会社とは問題やトラブルがあったからではなく、円満退社だったことを付け加えておきます。つまり済んだことには関心がないのです。

過去への関心が低い分、未来づくりへは強い関心があります。
過去の事実は変えることはできませんが、未来は現在の努力でいくらでも変えることが出来るわけですから。
とはいっても、将来は大金持ちや権力者になろうとは全く思ってはいません。ひとえに「心豊か」になることに努力しているつもりですが。

しかし「老後」を考えないわけにはいきません。避けて通るわけにはいきません。そのため以下のように考えています。

75歳まで「老後」については考えまいと思っています。

75歳で老後を考えるというのではなく、その年で次の「老後」を考える時期を決めようということです。つまり考える時期をできるだけ先延ばししようということです。
「老後」を考えるとは、「老後の生き方」についてや「病気」「死への準備」「死」「残すもの」などですが、ちょっと重いテーマですよね。
私の方針では75-65=10、10年間はそんな難しく面倒なことをを考える必要がありません。時々妻が老後的な話をするのですが、「ストップ!その話は75歳になったら話そ!」ということにしています。
最短であと10年、ひたすら花よ!蝶よ!とノー天気な日々をすごせばいいのです。



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