「橋 長八間程幅二間一尺程 右は江戸川え掛り有之町内より小日向水道町え渡り候板橋ニ而江戸川大橋と相唱申候又里俗ニは石切橋共唱来候釈相知不申候」(「御府内備考」) 江戸川に架かる橋の中では最も大きく、また、石切橋の名は付近に石工が住んでいたためとの説があります。「大橋 馬場片町より水道町へ渡す。俗に石切橋と云也。先年此所に石切ありし也。今は無」(「続江戸砂子」)
- ・ 「正保年中江戸絵図」 正保元年(1644年)頃とされる「正保年中江戸絵図」の該当個所をイラスト化しました。武家屋敷や寺社に分譲が完了した個所を薄い茶でカバー、薄いブルーは水田など未着工なところです。
石切橋は赤城神社(明神)下から対岸の小日向村に向う道に架かる橋です。「正保図」では該当個所に道はありますが、橋は描かれていないように見えます。正保の一つ前の年号にあたる、寛永19年(1642年)頃のものとされる「寛永江戸全図」も同様なので、架橋直前の様子なのでしょう。なお、元図でも橋は赤で明示されていて、大曲上流でそうなっているのは、上掲「絵図」からは切れますが、駒塚橋、面影橋、小滝橋の三ヶ所です。ただし、橋名は書かれていません。
- ・ 石切橋 現在の呼称は石切橋で統一されています。なお、傍らの解説プレートには、「寛文年間(1661~73年)に架けられたといわれ」と書かれています。
- ・ 神田川 石切橋から下流方向で、次に架かるのは西江戸川橋、そして小桜橋ですが、どちらも江戸時代にはなく、西江戸川橋は明治初めの、小桜橋は昭和初めの架橋です。