神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

四面道

2015-04-28 05:59:03 | 千川用水2

 青梅街道と環八通りの交差する付近が四面道です。現在は交差点の名前として知られていますが、その四面道交差点付近には、七ヶ村分水の分水口のうち、四ヶ所が集中していました。上流から杓屋口、南四面道口、清水口、そして北四面道口です。青梅街道と現日大二高通りから上荻へと至る通りが交差し、(北西から時計回りに)下井草、天沼、下荻窪、上荻窪の四ヶ村を分かっていたためで、杓屋口と清水口は下井草村、南四面道口は下荻窪村、北四面道口は天沼の各村に属し、その田用水を供給していました。なお、水車設置にかかわる→ 「嘉永二年絵図」では、現日大二高通りのみ描かれ、T字路のようになっているところです。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 田無町」(参謀本部測量局 明治13年測量)及び「同 / 板橋駅」(明治14年測量)を合成、その一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。

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    ・ 八丁交差点  四面道の一つ手前(信号は二つ手前)の交差点で、荻窪八幡と四面道の中間にあります。八丁通りは付近の通称地名ですが、その由来については下記で詳細します。

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    ・ 四面道交差点  青梅街道の八丁側からのショットなので、前を横切る環八通りの左手井荻方面、右高井戸方面です。なお、撮影地点の青梅街道は、下井草村と上荻窪村を分けていました。

 <八丁通り>  八丁通りと通称されているのは、荻窪八幡前の石橋から四面道までの青梅街道沿いです。江戸時代から中野と田無の中間の宿場として栄え、大震災までは荻窪駅前をしのぐ商店街でした。現在も荻窪警察署や荻窪郵便局があるのはその名残なのでしょう。森泰樹「杉並歴史探訪」は地名由来として、領主だった今川家の屋敷地として、間口340間奥行70間、面積8町歩の矩形が区画されていた、と指摘しています。なお、井伏鱒二「荻窪風土記」の冒頭に、「荻窪八丁通り」の一項がありますが、その舞台は主に四面道から荻窪駅にかけてで、次の「平野屋酒店」で、思い違いを認めています。「荻窪で昔から賑やかだったところは、四面道から西にかけて有馬屋敷、八幡神社あたりまでの謂わゆる八丁通りであるそうだ。以前、私は八丁通りとは、四面道から荻窪駅あたりまでの街だと思っていた。」