神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新町口

2015-04-20 09:38:46 | 千川用水2

 七ヶ村分水の最初の支分水口は「新町口」、寛政6年の→ 「星野家文書」では「谷頭口」と書かれていたものです。青梅街道と早稲田通りがT字を形成する井草八幡前交差点の南側にありました。新町(しんまち)も谷頭(やがしら)もともに上井草村の小名で、青梅街道沿いに新しくできたのが新町、その北側の村境と接する井草川の水源付近が谷頭です。新たに町ができて以降、分水口の名前も新町口となったものと思われます。→ 「段彩陰影図」から読み取れるように、(妙正寺川の上流の)井草川の谷頭が青梅街道に迫っていて、そこに落とし込むような形で開削した分水口で、その形跡は「切通し(きりどおし)」の名前を持つ公園となって残っています。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影空中写真」  左下隅が早稲田通りとの井草八幡前交差点、白実線で重ねたのが切通し公園です。公園の北縁に沿う水路がまず左岸流を分け、公園下で右岸流を分けています。

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    ・ 切通し公園  井草川の谷頭(現杉並工高キャンパス)を望む傾斜地に作られた、細長いスペースの公園です。「切通し」は小高いところを切り開き、道路を通すのが一般ですが、ここは水路を通したことになります。

 <50m等高線> 前々回UPの→ 「東京近傍図」で、井草川の谷頭や善福寺池を取り囲むように描かれているのが、50m等高線です。この50m等高線というのは、武蔵野台地から発する河川にとってはキーワードで、井の頭池、善福寺池、富士見池、三宝池という神田川、善福寺川、石神井川の源となる湧水池はみな標高50m前後の谷頭に位置しています。井草川も同じ条件のところから発しており、かってここに湧水池があったと想像しても、それほど的外れではないでしょう。
 「杉並区立郷土博物館の「杉並の川と橋」の中に、杉並の湧水を扱った一文がありますが、それによると、これら湧水池の元は武蔵野礫層を流れる伏流水が、地表に姿を現したもので、その後武蔵野ロームが堆積しますが、湧水や流れのあるところには積もらず、今日見る谷地形が形成されたといいます。とすると、標高50mというのは、武蔵野礫層(及びそれを形成した古多摩川)のレベルだったのでしょう。