「竹下新田は、関上下石神井三村の秣場なりしを、天明四年竹下忠左衛門と云浪人来り、願ひ上て新墾せし地なればかく名付くと云、・・・・東西十町南北三町許此余関村を越て新座郡の堺に東西四町南北二町の飛地あり、青梅街道村内を貫けり」(「新編武蔵風土記稿」) 秣場(まぐさば)とは、田畑の肥料や牛馬の飼料のための原野のことです。天明4年(1784年)は「千川素掘筋普請所積見分」の4年後、→ 「関村絵図」成立の年なので、竹下新田はどちらにも登場しませんが、昨日扱った二つ目の橋(「昭和12年測図」では千川橋)以降の右岸がその範囲です。なお、青梅街道から溜井にかけての、上保谷村と境を接する飛地(上竹)に対し、千川上水沿いは下竹とも呼ばれました。
- ・ 「竹下新田絵図」 練馬区教育委員会「絵図にみる練馬」に収録された「竹下新田絵図」中の、作成年代不詳の一葉を元に、その一部をイラスト化したものです。飛地(上竹)の絵図は省略しました。
- ・ 久山(きゅうやま)橋 吉祥寺通りから百数十メートルのところにあり、田中橋と竹下橋の間の橋ですが、田中橋ともども橋名の由来はよく分かりません。
- ・ 竹下橋 青梅街道に架かる伊勢橋の一つ手前の橋です。南に100mほどで杉並区ですが、区境沿いにたけした公園、たけしたの森緑地が点在しています。
- ・ たけしたの森緑地 杉並区との境にある練馬区立の緑地です。右手の建物は杉並区ですが、間に道路はなく、通りから離れて孤を描く村絵図のオレンジ線と同じ状況です。