「千川素掘筋普請所積見分」が上石神井、関村境とする土橋(「長弐間半巾五尺」)は、吉祥寺村境から合計で311間(≒566m)のところにあり、→ 「関村絵図」や→ 「東京近傍図」が、並行する通りと交差するように描いている橋に当たります。「東京市志料」の千川上水橋梁リストが、最初に載せている「土橋 関村ニアリ筋違橋長一間半幅二尺」のことと思われ、ちなみに同書は三ヶ所の筋違橋をリストアップしています。その筋違橋から68間(≒124m)で、今度は関、石神井村の境に架かる土橋ですが、「関村絵図」や「近傍図」もやや下流に橋をが描いており、この通りは拡張され、吉祥寺通りとなっています。なお、今は橋名は特にないようですが、「昭和12年測図」には拡張された通りと共に、「千川橋」が描かれています。
- ・ 筋違橋跡 前回の開渠からワンブロック、100mほどのところです。「関村絵図」などの描くように、千川上水は通りの右手から左手へとシフトします。
- ・ 千川上水 道路の右手にシフトしたあと、再び暗渠となり、その上の遊歩道が100mほど続きます。この区間の暗渠化も昭和33年(1958年)頃ですが、なぜここだけなのかは不明です。
- ・ 千川橋跡 前を横切るのは青梅街道と吉祥寺駅前を結ぶ吉祥寺通りです。現在はこの通が、右岸を立野町と関町南に分けています。
- ・ 千川上水 吉祥寺通りから青梅街道までの、四百数十メートルに及ぶ最後の開渠の区間で、石組みの護岸が続きます。奥に見えるのは田中橋です。