駒込稲荷で、思いもよらぬ出費?をしてしまっただんなさん、とぼとぼ歩いて乙女稲荷神社に向かいます・・・。
二つのお稲荷さんの間には、塞大神碑と庚申塚があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/87/653bcab6ac269774d55727d61e078d34.jpg)
塞大神碑
『元々は本郷追分(東大農学部前の中山道・日光御成街道分岐路)に祀られていた道祖神である。この追分は、日本橋から一里で、江戸時代に一里塚のあったところである。 文政7年(1824年)の火災で欠損し、その跡地に明治6年(1873年)、この賽の大神碑が建てられた。その後、明治43年(1920年)に道路拡張のため、根津神社に移された。』(案内看板より抜粋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/dd/fd4148d396b22cd83de0c12f05d0b175.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a7/1a3bb082d05f75aadb20eb50f48da46b.jpg)
供養塔が集められた庚申塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2d/220b3abcc6d9f02d070015ba05ed2204.jpg)
丸瓦の家紋と「三猿」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/71/f08011c61203ad6eaa815af30bd99678.jpg)
「五拾貫目余」(187.5kg)、「三十五メ目」(131.25kg)と彫られているこの大きな石は形からして「力石」?
他にも持ち上げられそうな丸い石が集められていました。こんな風に重さが書かれた力石を見たのは初めてでした。それにしても重そうですね。
つづく
二つのお稲荷さんの間には、塞大神碑と庚申塚があります。
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塞大神碑
『元々は本郷追分(東大農学部前の中山道・日光御成街道分岐路)に祀られていた道祖神である。この追分は、日本橋から一里で、江戸時代に一里塚のあったところである。 文政7年(1824年)の火災で欠損し、その跡地に明治6年(1873年)、この賽の大神碑が建てられた。その後、明治43年(1920年)に道路拡張のため、根津神社に移された。』(案内看板より抜粋)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/97/11cd570d2747c424a7fb11cec2666b92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/a7/1a3bb082d05f75aadb20eb50f48da46b.jpg)
供養塔が集められた庚申塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/2d/220b3abcc6d9f02d070015ba05ed2204.jpg)
丸瓦の家紋と「三猿」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/3e/b4f6c5b481ca1910bc57ceb903024647.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/71/f08011c61203ad6eaa815af30bd99678.jpg)
「五拾貫目余」(187.5kg)、「三十五メ目」(131.25kg)と彫られているこの大きな石は形からして「力石」?
他にも持ち上げられそうな丸い石が集められていました。こんな風に重さが書かれた力石を見たのは初めてでした。それにしても重そうですね。
つづく