駒込稲荷で、思いもよらぬ出費?をしてしまっただんなさん、とぼとぼ歩いて乙女稲荷神社に向かいます・・・。
二つのお稲荷さんの間には、塞大神碑と庚申塚があります。
塞大神碑
『元々は本郷追分(東大農学部前の中山道・日光御成街道分岐路)に祀られていた道祖神である。この追分は、日本橋から一里で、江戸時代に一里塚のあったところである。 文政7年(1824年)の火災で欠損し、その跡地に明治6年(1873年)、この賽の大神碑が建てられた。その後、明治43年(1920年)に道路拡張のため、根津神社に移された。』(案内看板より抜粋)
供養塔が集められた庚申塚
丸瓦の家紋と「三猿」
「五拾貫目余」(187.5kg)、「三十五メ目」(131.25kg)と彫られているこの大きな石は形からして「力石」?
他にも持ち上げられそうな丸い石が集められていました。こんな風に重さが書かれた力石を見たのは初めてでした。それにしても重そうですね。
つづく
二つのお稲荷さんの間には、塞大神碑と庚申塚があります。
塞大神碑
『元々は本郷追分(東大農学部前の中山道・日光御成街道分岐路)に祀られていた道祖神である。この追分は、日本橋から一里で、江戸時代に一里塚のあったところである。 文政7年(1824年)の火災で欠損し、その跡地に明治6年(1873年)、この賽の大神碑が建てられた。その後、明治43年(1920年)に道路拡張のため、根津神社に移された。』(案内看板より抜粋)
供養塔が集められた庚申塚
丸瓦の家紋と「三猿」
「五拾貫目余」(187.5kg)、「三十五メ目」(131.25kg)と彫られているこの大きな石は形からして「力石」?
他にも持ち上げられそうな丸い石が集められていました。こんな風に重さが書かれた力石を見たのは初めてでした。それにしても重そうですね。
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