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海は荒海・・・。 番外編 ( 高田 雁木通り )

2017-06-14 09:01:12 | 不思議紀行
 10分ほどの遅れで、直江津港に降り立った私たちは、昼食がまだだったので、目についたラーメン屋さんに入りました。山盛りのラーメンを見た私は、お店の方には悪いなあと思いながらも
「うぷっ!」となってしまい、ほとんど残してしまいました。(船酔いのためか? かたいかりんとうを食べ過ぎたためか?わかりませんが・・・。)
直江津からの帰り道、私の用意してあった計画は、春に木蓮を見に行ったお寺で初めて出会った優しいお顔の「木喰仏」のあるという「上越市 円藏寺」に行くこと、又は、雪国の歴史や雰囲気を味わえる「高田雁木通り」を歩くというものでした。
「木喰上人」の「木喰仏」は佐渡島にも何体か残されているようでしたが、私たちが巡るエリアからは少し離れていたので、諦めたのでした。直江津港でナビに入れてみると、上越市のお寺は、かなり距離があり、方向も帰路からは外れています。
そこで、ちょこっと帰り道の途中の上越市高田に寄ることにしました。

『 高田のまちのかたち

 高田のまちは、徳川家康の六男松平忠輝公によって、慶長19年(1614年)に築かれた高田城の城下町として整備されました。わずか4ヶ月で完成させたお城は石垣を用いず、天守閣もありません。
城下町の特徴は、東側を除き城を凹字型に囲むように町が配置され、並行する南北2 kmの通りが5本もあることです。そのメインストリートには北国街道を通し、間屋や商店、旅籠が建ち並び、それぞれ職業に応して、奥行きが長く大きな吹抜けがある町家に集住しました。その家々の軒先を伸ばし、公共の通路に提供する雁木通りは、今も総延長16km、日本一の長さを誇り、冬の雪から人々の生活を守っています。 城下の一番西には寺町が置かれ、お城のシンボル本丸三重櫓からは、夕日を背にして浮かびあがる寺々を拝することが出来たといわれています。二本の寺町通りには、今日も66の寺院が立並んでいます。
 高田は藩主榊原家で明治維新を迎え、まちは地域の中心商業都市として映画館や洋風の商店が生れ、新しい建物も立並ぶようになり、近代都市として変貌していきます。まちを歩くと、現役最古といわれる映画館やモダンな装飾を施した建物を見ることが出来ます。』(高田まちなみ歴史散策 其之参 より)


明治時代の建築された町家を再生・活用した「町家交流館高田小町」(駐車場有り)の前、雁木通り



明治44年に芝居小屋「高田座」として建てられた日本最古級の現役映画館「高田世界館」


五ノ辻稲荷神社


雪国の優しさを感じる「雁木通り」


雪下ろしのための梯子でしょうか? 


滅多に雪の降らない富士市に住む私たちには、見慣れない風景です。


江戸後期に建てられた商家、 黒い格子が美しい「旧今井染物店」

 寄り添うように建てられた家々、どこまでも続く「雁木通り」、とても暖かい感じのする町でした。ちょこっとだけ雪国のまち歩きを楽しみました。このまちは見所がたくさんありそうだったので、いつかまたゆっくり歩き回ってみたいと思いながら、帰路につきました。
 さて、これで、初めて訪れた佐渡島とちょこっと高田のまちのお話は、お終いです。
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。お疲れ様でした。
 一人で運転してくれただんなさん、ありがとう~。