今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

原発とがれき処理の問題

2012-04-01 07:08:39 | 社会 政治

自分で決めたタイトルですのに、綴る前から、なんだか気後れし、しり込みしたい気分です。
タイトルが、重たすぎて・・・・・・

報道記事を追い、関心は示してはきたものの、あまりに知らないことが多すぎて、書く自信など、全くありません。
ですから、このことについて論じる資格が、自分にあるかしら、と恥ずかしくもあります。

でも、今日は私の溜まった思いを、吐露してしまいたくなりました。

家族の体験を織り交ぜて、私の感性のみでお話しさせていただきます。
お読みぐるしい点がございましたら、失礼お許しくださいませ。

 

最近の新聞で、がれきの受け入れが自治体の間で広がっている、との喜ばしい記事を目にしましたが・・・・・・
その後、反対住民の理解は進んでいるのでしょうか。
静岡の島田市は、受け入れを早々と承諾したものの、住民はなお、納得していない様子でした。

単純に私の感想を述べるなら、拒絶する人たちは、あまりに自己本位で、被災地の方々の苦労を察しなさすぎる、といったことになりますけれど。
しかし、もし自分が住む場所から、目と鼻の先の地点で、その焼却がなされると分かったなら、もろ手を挙げて賛成できるかどうか。
孫達が近くに住んでいたなら、なおさらの事で、自分の振る舞いに、自信が持てません。

とは言え、私は、賛成派に回れると確信していますし、娘達も、きっぱりとその態度を表明するに違いありません。
娘達はともかく、私には私なりの根拠も有るからです。

そして、住民の過剰反応に、幾分疑問を抱かずにはおられません。
この根拠と、疑問を抱く理由については、後程述べましょう。

 

先日、亡き両親を偲ぶ会との名目で、親族が久しぶりに集まった時、夢路の長男のKちゃんと、しばらく振りに語り合うことができました。

かれは、第一線で活躍する、都の公務員です。
彼の話しぶりからも、仕事のやり甲斐と充実感が伝わってきて、私も大変嬉しく、頼もしく感じました。

その彼が言うには、「がれきを拒絶する人たちを、一概に身勝手と批判したり、責めたりはできないんですよ。
彼らには、彼らなりの言い分があり、その判断基準や、価値観は動かしがたいものだから」と。

かなりうろ覚えで、正確ではありませんが。
そのような内容でした。
私はそれを聞き、うなずくしかありませんでした。

 

しかし、焼却により放出される放射能物質が、人体に影響がないほど微量であるのなら、拒む必要が、何故あるのでしょうか?
余りの過剰反応でないか、と、どうしても思ってしまう私です。

マスメディアの影響などにより、不安を増幅しておられるのかもしれません。

さらに、反対する最大の理由は、影響がないという、政府の見解や発表されるデーターを信じることができないのでしょうね~
震災と原発事故の一連の報告で、政府や東京電力、原子力保安院が、真実を隠蔽してきたことによる住民の不信感は、極まりないものが有るのでしょうから。

過去の例を参照し、科学的実証で正確なデーターを積み上げ、それでもって、住民を説得するしかないのかもしれません。

情報が錯綜し、混乱している昨今。
心から信頼できる報道拠点が、一日も早く出現してほしい。
そんな思いで、私は今います。

痛み分け、などという情緒論で、語るべきことではないのかもしれないけれど、もし自分たちが被災地側の立場であるなら、と考え、思いを巡らせば、視点が変わり、かたくなな態度も柔軟になりはしないでしょうか。
今の状況下では、被災者と同じ立場になることも、決して非現実的なこととも思えません。

 

今日の記事を書くにあたり、広島の被爆者である私は、再度、広島と福島の放射線量の比較を知りたく思い、いろいろ検索してみました。
その結果は、私の今までの理解が、間違っていたことを認めざるを得ず、驚きを持って認識を新たにしました。、

私が、以前読んだ読みものでは、広島の放射線の方が、福島とは比較にならないほど強力といった内容だったのですが・・・・・・
どうもそれは間違っていたようです。

福島の方が、はるかに強力だったということが、分かりました。

読む方の不安を煽るだけなので、知識の未熟な私が、具体的に書くことは控えます。

 

しかしです。

福島に比べると、セシウムなどの放出量が少ないとはいえ、広島に落とされた原子爆弾は、人間を殺傷することが目的で、爆風、中性子、熱風等を伴い、単純には比較できないと、政府は言っています。

私と両親、三人は、その爆心地から3キロの地点で被爆しました。
私が一歳の時のことです。

このことはブログで、すでに触れたことがありますが、文脈上、再度書かせていただきます。

父は前日、出張先からも戻ったばかりで、その翌日は30分出社を遅らせて良かったのです。
その幸運で、九死に一生を得ることができました。

庭に面した縁側に腰かけ、出勤のために、ゲートルを足に巻いている時に被爆しました。
私と母は、屋内にいました。

そして父はその後、臆せず、当日に、爆心地から7~8分のところに位置する会社まで、出向いています。
その時の惨状は、数回聞かされたことがあります。

むろん帰りに黒い雨も浴びたそうです。

しかしその父が亡くなったのは、享年81歳でした。
スポーツも万能で、健康そのもの。
80代になるまで病気知らずの人でした。
ヘビースモーカーで、晩酌も欠かさず、健康的な暮らしからは程遠かったにもかかわらずです。

父の生きた証が、放射能を浴びても、健康を害するとは限らない、一つの良い例になりませんでしょうか。

 

母は、私に似て、体力はなく、気力で気丈に生きているような人でしたが、最後は医療ミスで、75歳の時、突然他界しました。
癌ではありません。
私は、一番放射能の影響を受けやすい乳児でしたが、今も内科的な病気は一切ありません。

この証が、放射能に怯える方々の、多少でも気休めになれば、との思いで書かせていただきました。

 

私は大学に入学するまで、広島を離れたことはほとんどなく、被爆者の方もたくさん知っています。
でもみなさん、とてもお元気で、被爆したことを口にする人は、全くと言ってよい程いませんでした。

運命的な過去の出来事として、冷静に受け止め、人生を前向きに、明るく生きる人たちばかりでした。

私の両親も、その典型で、被爆の話をしたのは、数えるほど。

父は、妹の夢路に似て、関心のある対象は、徹底的に究明する人でしたから、被爆の怖さは十分知っていたはずです。
でも、その不安を、家族に口にしたことは、一切ありませんでした。

そのお陰で、私も母も、放射能の影響に怯えることなく、平安な暮らしを、のびのびと送ることができたのです。

 

このような経験をたどってきた被爆者の私です。
ゆえに、がれきの焼却による微量の放射能でさえ、不安になる人達の心情に、如何せん、納得がいきません。
過剰反応では、との思いを抱かざるを得ないのです。

そこまで怖がる必要はありませんよ、と私の体験から申し上げたい気持ちでいっぱいです。。

 

私がいま、一番気がかりなのは、被災地の、特に福島の子供達の精神状態です。
幼い子が、放射能に怯え、痛々しい問いかけを親にする内容の記事を、新聞で、ときどき目にします。
余りに可哀そうで辛く、胸がどうしようもなく痛みます。

親御さま達のご苦労と不安は、計り知れないものがおありでしょう。

このような状況下、大変な事と思いますが、放射能から子供達を守るのと同じくらい、マスコミや風評、心ない言葉から、子供達を守って上げて下さい。

そして、幼い心が、不要な心配で怯えたり、傷つくことがありませんように。
すくすくと、健やかに育ってほしいと、心から願っております。

 

情報が錯綜し、混乱していると、先ほど書きましたが、この現象で、一番苦しんでいるのは、福島の人達でしょう。

放射能がいかに恐ろしいかを、いろんな情報を取り上げ、例えブログで綴っても、今尚厳しい現状で苦しんでいる人たちは、すでにできる対策は精一杯講じ、逃げ場のない状況下で、懸命に暮らしておられます。

その人たちの不安をあおるようなことを書いても、被災者の人達を苦しめるだけで、余り良い影響を与えないのでは。

広島の被爆者がそうだったように、現地で闘っている人達は、できるだけ不安は払しょくし、穏やかな日常を取り戻したい、と願っておられるのではないでしょうか。
そんな気がしてならない私です。

暗いことより、少しでも希望が差す明るい情報を取り上げられるものなら、取り上げたい。
私は、今回の出来事をブログで綴るにあたって、自らの姿勢はそうありたい、と願っています。

父の被爆体験とその後が、被災地の皆様やがれき問題で悩む住民の方々の、多少でも気休めになれば、幸いに存じます。

新しいスタートの季節、四月早々に、少々重たい話をしてしまいました。
多少でもご判読いただけるなら嬉しく思います。

昨日の歩数 5218歩

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