美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

度々聞かされると何でも好きになる(プラット)

2023年09月03日 | 瓶詰の古本

 併し群集は各人の心にある観念や刺戟を間接のみならず直接にも強める。これは群集が各人に与へる多数の暗示によつて強めるのである。正常な人は暗示が余り強くなければ一つ二つの源泉から来る暗示には平気で堪へるが、暗示の源泉が五十、百、更に一万にもなると大抵の人は負けてしまふ。このことが屡〻言はれる通り広告の秘訣である。私は「サポリオを使用されよ、泡立ちがよい。」といふ広告を読んだが平気であつた。それから真直ぐに街を歩いて行つた。店頭にこれが陳列してあるのを見たが買はずにゐた。併し私が電車に乗ると、いつもスポットレス町ではこれ以外の品を使つてゐないことを聞き、雑誌を開くといつもサポリオは人を立派に見せる品であることを知り、又街を歩いたり田舎を散歩したりしていつもそれの大文字のビラを見ると、自分は体面上必要なものを用意してゐないから真の紳士でないと思ひ出して、遂に私の良心は負けてしまつた。
 ドーレー氏の言葉に「度々聞かされると何でも好きになる」とある。この反復の原理は群集の各人が交互に与へる暗示の中に非常に多く見られる。信仰、刺戟、情緒は群集に等比級数的に宣伝される。各人は互に影響し合ふから感染は群集内に進み、行動や信仰に及ぼす情緒的刺戟は殆んど抗し得なくなつて来るのである。14
 註14 この種の情緒的、刺激的感染は人間の群集にのみ限られない。テネットは象の群の中にもこの例を見てゐる。(“Ceylon,”1860,Part ⅤⅠⅠⅠ,Chap.ⅠⅤ)同様な現象は馬の群にも見られるとシイデイスも言つてゐる。(op.cit.,p.314)

(「宗教心理學」 ジェームス・ビゼット・プラット著 竹園賢了譯)

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