遺憾ながら地震を適確に予知すると云ふことは、今日の地震学に於ては出来ない。恐らく將來に於ても是が出来やうと云ふ望を、私は現状から推して持つ訳にはいかない。地震学始まつて以来いつの時代にも、如何なる学者も、其研究を試みなかつたことはない。誰でもやつたけれども、誰でもが、其困難なのに持余して居る状態である。或は気圧の変化或は潮の干満、地の脈動、低下隆起、又は降雨の関係、其他気象の微妙な点に亘つて随分研究も続けられたことであるが、何れも成功しない。甚しきは、動物の研究迄もやられた。例へば雉子は地震を予知すると云ふ話に基いて、雉子を飼つて、一々其動作を研究した人もある。成程雉子は微動に感じ易いと見えて、少しの地震にも驚くが、併しそれは如何なる微動にも驚くことだから、自動車が傍を通つても、其地響に依つても、驚き立つと云ふ訳で、是亦さつぱり用を為さない。犬でも馬でも同じことである。昔から地震は地の中に居る大きな鯰の作用だなんとふざけたことを言つて居るが、鯰と雖も矢張同じことださうである。要するにさう云ふ敏感なる動物は、微動を感ずるといふことが判つた丈けで、微動針のたしにもならない。要するに学術的研究として今日の所之を場所的時間的に適確に予知すると云ふことは出来ない。誠に已むを得ぬことである。誠に残念なことである。医学に於て人体の微妙な故障の分らないものが沢山あるのと比べて、更に困難な問題と云はなければならぬ。人体は何億人寄つても略同じやうなものである。さうして之を解剖して中の機関、又其作用等を盡く知り得て居るやうなものであつても、尚ほ其故障を盡く知ると云ふことは出来ず、又病気の発することを明確に予知することは出来ないことである。況や大地の中で突然に起る変化それが何か外界の作用でのみ起らされるならば解剖、内部に於て自分自身の応力の蓄積に基いて起るやうなものは、何時起ると云つたやうなことを予知することは至極困難なことで、容易に成功し難いのも亦誠に已むを得ないことと云はねばならぬ。
(『地震と建築』 工學博士 佐野利器)