美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

沼とそれを包む濃霧という別世界、小暗い神秘の国(モーパッサン)

2024年06月12日 | 瓶詰の古本

 一体わたしは水が非常に好きである。けれども、海は余りに茫漠としてゐるのみならず、頗る変化に富んでゐて取りとまりがないといふ所がある。川はいかにも美しいが、日となく夜となく流れて止まない。殊に沼は、世に知られない水棲動物が棲んでゐて、気味の悪るいことがある。が、沼は地球の上に全く独立した世界であつて、この別世界は、それ自身の生命と、その定つた住民と旅客とを有し、その声、その音、殊に其の神秘を有してゐる。しかも時あつてまた、世に沼ほど騒擾な、不安な、悽愴な思ひをさせるものはない。何故、かゝる悽愴の気が、水で覆はれたこれらの低地の上に漂つてゐるのであらう? 葦がさらさらと捉へ所もない音を立てるからか、怪しい燐火が燃えるからか、しいんとした夜の間、底ひも知れぬ沈黙がそこらを鎖すからか、或は怪しい烟霧が、経帷子のやうに葦の上にかゝるからか、それともまた、平常は軽く静かに、時としては人の世の大砲よりも、天の雷鳴よりも恐ろしいほどに、人目には触れもせで水や泥をぶくぶくとはね飛ばすのが、人にそれらの沼を、いつも夢想してゐる国――思ひも依らぬ危険な秘密を蔵してゐる国ではないかと思はせるからか。
 否々、其の余の或る物が其れに属してゐるのだ。他のもつと深遠な、もつと厳粛な神秘、恐らくは創造そのものゝ神秘が、これらの濃霧の裡に漂うてゐるのだ! 何故かといふに、昔、生命の萌芽が初めて生ひ出でて膨脹するやうになつたのは、太陽の熱の下に、乾き果てずして重苦しく澱んだ湿地の中の濁つた泥水からではなかつたか?

(『愛』 モウパッサン 前田晁譯)

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