美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

実利に偏した頭脳は人物の為した業績の精神的価値に思い及ぶなど毛頭なく、利得効用の尺度に纏綿して人からひいきされ人をひいきすることのみを価値ある業績とする(ツヴァイク)

2024年06月01日 | 瓶詰の古本

 しかし歴史上に於いては、ある業績の精神的価値を決定するものは、決して実用価値ではない。人類の自己に関する知識を増進し、その創造的意識を昂揚せしめるものだけが、人類を永久に豊富ならしめるものである。この意味に於いてマゼランの業績は、当時の他のあらゆる業績に立ち優り、また彼が大抵の指導者の如くに、自己の理想のために何千、何万の人命を犠牲にすることなく、むしろ自己の生命だけをさゝげたといふことは、彼の名声の中の特別な名声を意味するものである。まだ未知なるものに敢然抗して聖なる人類の戦ひのために出帆したこれら五隻の弱々しい、頼りない小船の素晴らしい冒険は、かゝる真に英雄的な自己犠牲のために、依然として忘れ難いものであり、世界一周のこの大胆極まる思想を最初に敢行し、その船の最後の船が、この思想を実現した彼自身も、依然として忘れ難いものとして留まるであらう。全人類は、千年以来空しく求められた地球の周囲の大きさとともに、初めて人類自身の力の新たなる大きさを自覚し、克服された世界の大きさによつて、人類は新たなる喜びと新たなる勇気とをもつて初めて人類自身の偉大さを意識するに至つた。一人の人物が一つの実例を与へる時にのみ、常にその人物は至高なものを与へるものである。そしてかゝる事績ありとすれば、天才によつて進められ、情熱によつて断乎として推進されるならば、一個の理想は自然のあらゆる要素よりも、より強力なることを立証し、たゞ一人の人物にして、そのさゝやかな儚い生命を以てしても、数百世代の人々にとつて単なる夢に過ぎなかつたものを、常に常に一つの現実、不滅の真実に作りかへることが出来るといふことを、この殆ど忘れられた一つの事績が永遠に立証したのであつた。

(「海洋の征服者マゼラン」 シュテファン・ツワイク 高橋禎二譯)

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