か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

目達原基地の軍神  4

2013年01月30日 | 東洋歴史

http://www.youtube.com/watch?v=7qH5_ZPzjQk&feature=player_embedded

「来るべき秋がついにきた。たとえ生還の確率が少なくても、雷撃や爆撃など帰還するこ
とが前提の出撃であれば、自分だけは絶対に生還できると信じることで、精神的な不安を
克服することができる。死は結果であって、目的ではないからである。 

 ところで、いくら命令だからといっても、生還できない「体当たり攻撃」に、平静に出
撃することが果たして可能なのだろうか。戦死することもあり得ると、承知のうえで志願
した海軍ではあったが、死ぬのが目的で志願したわけではない。」

海軍の話であるが陸軍も似たり寄ったりである。白菊偵察練習機で体当たり自殺攻撃をした。情報がどんなに不足しても負けているのはだれにも分かる。自殺攻撃の成果はあったというアホがいるがそんなら真珠湾の時からこれをやれば日本は勝っていたわけだな。

目達原には少年飛行兵がどんどん投入されては消えていった。中には飛行時間40時間というクルマの運転ですら青葉マークが必要な者が南の空に消えた。

死ぬかもしれないが頑張れ、と言われたとき日本人はとてつもない力を発揮する。しかし必ず死ぬけど頑張れと言われたのだ。日本人に限らず誰でも死地に赴く運命を嘆く。

福岡市内の女子校の寮には特攻隊員が暴れてつけた刀傷が残る。僕の数学の先生は特攻の生き残りだ。僕は彼がこういうのを100回以上聞いた。「やけくそだった。」現代のセンチメンタル右翼思想で美化することはできぬ。

この攻撃の成果を強調することで、せめて彼ら特攻隊員の御霊が浮かばれるならと、自殺攻撃作戦を正当化しようと努めたい気持ちはよく分かる。

あからさまに特攻攻撃の被害対効果の低さを強調されると、決死の思いで出撃した純粋な17歳の少年たちまでバカにされたようで心中穏やかではなかろう。

ピアノを弾いた特攻隊員たちは目達原基地に戻っていく。そして二度と鳥栖国民学校を訪れることはなかった。

ピアノを弾いたあと、隊に帰る特攻隊員2人に、小学校の生徒たちが口々に「予科練に入ります」「特攻隊になります」と言うのに対し「君達が特攻に行かなくてすむようにお兄ちゃん達が行くんだよ」やさしく言った。

目達原はなんと悲しい曲を弾かせたんだ。(一部音に乱れがあります、申し訳ありません)

純粋な国を思う気持ちの美しさに心を打たれる能天気たちよ。その純粋さは利用するのに都合がいい。

特攻の元締め大西瀧二郎は問われた。「そうまでするなら戦局を一挙に挽回できるんだろうな。」大西は泣くばかりであった。卑怯である。しかし方針は変えなかった。本人が腹を切ってすむ話ではない。2500人分の切腹をせよ。


Posted at 2012/11/30

 

 

 

 

 


目達原基地の軍神  3

2013年01月30日 | 東洋歴史

 

1932年、上海市郊外に、蔡廷�粫(さいていかい)の率いる十九路軍が現れた。十九路軍は3個師団からなり、兵力は3万人以上に達していた。1月、日本軍が上海へ進軍してくると、国民党中央は蔡廷�粫ら第19路軍に撤退を勧めたが、蔡はこれを拒否する。1月28日より両軍の衝突が開始された。兵力は第19路軍が日本軍の半数の上、日本軍の方が装備・火力で圧倒的に優勢だった。しかし第19路軍は懸命に抗戦し、30日以上も持ちこたえた。

共産党と善戦した自信からか上海租界を狙ってのことか、兵への給料にすら事欠きながら二倍の兵力、数倍の近代装備を誇る日本軍に対峙した。

最近分かりもしないで日本軍の規律厳正かつ勇猛果敢ぶりを喧伝するアホが出てきた。1,000名だった日本軍は四日で本格的武装をした陸軍を7000名上陸させた。且つ戦闘機も導入し艦砲も可能だった。

「寡兵ヨク大軍ヲ撃ツ」とは蔡廷�粫をさして言う言葉だ。

さしもの蔡も撤退を決意する。彼は、壕と土塁と有刺鉄線で追撃を阻んだ。これに対し陸軍は20キロの爆弾に導火線をつけ竹で巻いたものをこしらえる。敵の防御線を竹で巻いた爆弾で突破しようとする。まるで文永弘安の役だ。絵巻にしたら博物館に入る原始人の戦争じゃないか。

ここで必ず出てくるのが久留米の部隊だ。とにかくここら辺は朝鮮半島の影響か、気が短く喧嘩っ早い。その後もこの無鉄砲さが買われ各地で突撃要員になる。

敵の防塁が落とせなくて苦戦していた久留米24旅団は、さきほどの爆弾つき竹やり戦法を思いつく。そんなに功を焦らずとも給料も払えない軍隊は自壊する。結果的に19路軍は蒋介石によって壊滅させられる。ナンバー2は邪魔なのだ。味方でも必要ない。蒋介石はむしろ共産党とは合作して東夷の小国を撃つ。

まるで会社の人事抗争を見るようだ。三国志を読んでいたほうが勝ちだな。

このとき軍国美談がねつ造される。死ななくてもいい21歳の青年が勇士となって死んだ。この話は国定教科書に載り国民のほとんどが信じた。今でも一部のアホは信じている。

国定教科書。

 敵の弾は、ますますはげしく、突撃の時間は、いよいよせまって来ました。今となっては、破壊筒を持って行って、鉄条網にさし入れてから、火をつけるといったやり方では、とてもまにあひません。そこで班長は、まづ破壊筒の火なはに、火をつけることを命じました。
 作江伊之助、江下武二、北川丞、三人の工兵は、火をつけた破壊筒をしっかりとかかへ、鉄条網めがけて突進しました。-----すると、どうしたはずみか、北川が、はたと倒れました。つづく二人も、それにつれてよろめきましたが、二人はぐっとふみこたへました。もちろん、三人のうち、だれ一人、破壊筒をはなしたものはありません。ただ、その間にも、無心の火は、火なはを伝はって、ずんずんもえて行きました。
 北川は、決死の勇気をふるって、すっくと立ちあがりました。江下、作江は、北川をはげますやうに、破壊筒に力を入れて、進めとばかり、あとから押して行きました。
 三人の心は、持った破壊筒を通じて、一つになってゐました。しかも、数秒ののちには、その破壊筒が、恐しい勢で爆発するのです。
 もう死も生もありませんでした。三人は、一つの爆弾となって、まっしぐらに突進しました。めざす鉄条網に、破壊筒を投げこみました。爆音は、天をゆすり地をゆすって、ものすごくとどろき渡りました。
 すかさず、わが歩兵の一隊は、突撃に移りました。
 班長も、部下を指図しながら進みました。そこに、作江が倒れていました。「作江、よくやったな。いい残すことはないか。」作江は答えました。「何もありません。成功しましたか。」
 班長は、撃ち破られた鉄条網の方へ、作江を向かせながら、「そら、大隊は、おまへたちの破ったところから、突撃して行ってゐるぞ。」とさけびました。
「天皇陛下万歳。」作江はこういって、静かに目をつぶりました。

僕は一等兵たちの勇気を深く尊敬する。ただ彼らは招集兵である。除隊後は夢があった。百姓をしたり輸送業をしたり。どの子もそうであるように親にとっては希望の星だった。

国定教科書はウソつきだ。竹の先に爆弾をつけた20キロ程度の物が爆発しても鉄条網が破れるのはわずかである。その爆弾つき竹の棒が雲霞のごとく押し寄せるのならなんとかなるが、そのまえに兵は死ぬ。音が大きかったとあるが火薬を知らないからそんな嘘がつけた。音と威力は反比例するのだ。

そんな幼稚なことではまるで日露戦争だ。会津の白虎隊にも笑われる。砲撃をせよ。野砲でも艦砲でもよい。15分ですむ。敵は糧秣にも事欠いているんだ。飛行機に任せろ。2分ですむ。それがいやなら何もしなくてもいい。敵は湿地帯の中で持ちこたえることはできない。

叙述があまりにも微に入り細にわたっている。誰か弾が飛び交う中でメモやスケッチでもしていたのか。あとで創作したじゃないか。だから矛盾してくるんだ。

なにが「天皇陛下万歳」だ。木っ端みじんになるときにどうしてそんな言葉が言えるんだ。そこで物語を変えゆっくり死んだことにしてある。

陸軍はさらにひきょうなことをした。3人のうちの一人に被差別出身をいれた。要するにですらこんなに命がけで戦っているんだ、汝臣民一層奮励努力せよというためだ。

彼らは軍神となり銅像が立つ。第二次大戦時の金属供出で銅像は撤去されるが一部石膏が残っていたので復元される。

目達原基地の資料室に2m以上の大きな銅像がある。江下武二一等兵(死後伍長)21歳、本懐を遂げたか。

Posted at 2012/11/29
 
 
 
 
 
 
 

目達原基地の軍神  2

2013年01月30日 | 東洋歴史

帝国陸軍大刀洗飛行学校の分校として、昭和18年に目達原飛行場は稼働する。ただし、自殺攻撃のみを目的として。

一時的ではあるがおおもとの大刀洗飛行場は民間機も運行した。じっちゃんの友人は夏休みなどに帰省する時、この民間機を利用した。戦前に飛行機で帰省。朝鮮の金持ちは戦前から桁外れだ。僕が韓国に住んでいるとき大変可愛がってくれた。今はあの世だ。

小日本の貧乏陸軍はその自殺機にさえ事欠くありさまだった。複葉機が爆弾を抱えてヨタヨタ低速で近づいてきたとき、ヤンキーどもは撃つのを忘れて笑ったに違いない。

その自殺機の話は次回にするとして今回は自殺人間爆弾の話をする。カモがネギしょってやってくる。その鴨たるや20歳前後の子供だ。子供は言われれば何でもする。だから子供に無意味なことを「志願」させた。その張本人こそが反省すべきなのである。この絶望的な状況でも神風が吹いて日本は勝つと言いくるめたのが、狂った陸軍と腰ぬけ海軍と弱虫政府だった。

このときから15年ほど前、小日本の軍は、勝ち戦が続くときも同様に、ブレーキのないクルマのように気違いになって国民を叱咤した。

最初はどんな戦も勝ち戦が続く。不意打ちをすればだれでも勝つ。また戦争はそうでなければならない。しかし戦線というものは距離の二乗に正比例して長くなる。三乗に比例して警備地域は広がり、少なくとも四乗に比例して捕虜は増える。実はそれほど勝っていなかったのが上海事変である。

戦線を維持しようにもあったのは兵力だけで軍備は劣悪で且つ不足していた。宣撫(宣伝)工作はほとんどなく最初っからなかった民心はさらに離反した。捕虜に関して言えばバカでも分かる計算をだれもした形跡がない。主計兵はなにをしていたのか。たった1000人の捕虜でも一日3000食が必要だ。

だからここでも神風に吹いてもらわないと困ったことになった。弱い支那兵、強い皇軍、素直な支那人、よいことをしている帝国の陸軍兵、わるさばかりする19路軍。「暴支膺懲」だ。

帝国は日露戦争より多くの死者を出しながら、ことを小さく見せるため事変という言葉を使い国民をだました。第一次上海事変。

なかなか奇怪だ。19路軍がいるかと思えば国民党がいて新四軍の共産党がいる。一番遠い関係の者同士が手を組んだり離れたり、三国志を地で行っているのでとても面白い。

東夷の国が海を越え来た時、ただ一つ気がつかないことがあった。太陽の国はみんなの嫌われ者であったことだ。違うというなら支那に住め。支那人が歓迎するはずだぞ。

江下武二一等兵(戦死後二階級特進、佐賀県神埼郡蓮池)、北川丞一等兵(同、長崎県北松浦郡平戸)、作江伊之助(同、同、佐々)の三名が20キロの爆弾筒を抱え敵の鉄条網を破壊せんと突進した。自爆攻撃ではなく兵は爆弾筒を投げると同時に退避するよう訓練されている。

ところが誤って転んだりして退避する時間をなくした。原始的な導火線に火をつけて進む方式だ。転んだりした時間のミスなど無視して導火線は短くなる。20キロを抱えて退却はできない。体だけ退却しようものなら戦意不足で即銃殺される。

彼ら皇軍の勇士はいかなる行動をとるか。

現在の目達原基地につながる話です。面白くないのは十分わかります。僕は、二百万人の戦死者の代弁者がどこかにいなければならないと思うのです。ウソつきたちに勝手に戦争をねつ造させてはいけないのです。

なを、参考までに申しますと、かの大韓民国の兵の修身の教科書には爆弾十二勇士というのが載っております。十二人で爆弾を抱え赤軍の機関銃の前にヨタヨタ近づく姿は、ただのひき肉志願者だと言ったら、韓国兵たちは、「そうさ、分かりきったことさ。国は俺達をだまそうとしている。」ときわめて健全でした。

                                 写真は靖国神社レリーフ、爆弾三勇士
Posted at 2012/11/28

 

 

 

 


目達原基地の軍神

2013年01月30日 | 東洋歴史

今から60年前、佐賀県目達原(めたばる)基地(駐屯地)の前を走る国道34号線がコンクリート舗装になった。朝鮮戦争当時、博多港や板付飛行場についた米兵の死体を佐世保に運ぶため、進駐軍は何よりも優先してこの道路を舗装することを命じた。腰ぬけ日本の行政は狂ったように全国から資材を集め突貫工事で舗装した。

今、コンクリートは一部を残して姿を消した。僕はそこから道をそれてフラフラと好きなところを走った。ふと出たところが吉野ヶ里だ。三田川(みたがわ)饅頭を買って鳥栖方面に行った。僕には最近ポッと出現した吉野ヶ里饅頭より、僕の生まれる前からあった饅頭が思い出も詰まっていてよろしい。

目達原基地は三田川饅頭より古い。正門が少し移動して入りやすくなったので、勇気を出して番兵さんにお願いした。年をとってアポなしで行くというのは苦しい。年取って常識がないのは本当のバカだからだ。

司令はいなかったが内心ほっとした。構内の売店で買い物はできますかと言ったら怪訝な顔をして「どうぞ」と言ってくれた。シャツやバッグ、懐中電灯、ノート、手袋やズボン。買いまくった。米軍のようにカッコイイ迷彩じゃないが、そこがなかなかいい。ミリタリーおたく達に高値で売ろう。

ここのクリスマスコンサートが中止になった。選挙の日とぶつかったみたいだ。素晴らしい軍楽隊だ。戦前の戸山陸軍軍楽隊を彷彿とさせる。

春の桜は見ているだけで涙が出てくる。

ところで、藤井貞文駐屯地司令には申し訳ないが、僕はこの基地にはいい思いだけを持っているわけではない。

まず、ヘリコプターからものを落とすな。危ないじゃないか。演習を見学したことがあるがさすが日本の軍人さんだと感心したことがある。地上戦の推移に対応して秒単位でヘリで強襲する。僕はテントがはがれてどこかに飛ばされるかと思った。ま、きわどいことより基本です。

ひき逃げもいかんぞ。89歳のおばあちゃん。轢いた人が逃げちゃったらおばあちゃんは心細かったと思うぞ。

火を出しちゃあいかんな。560㎡焼失。ちょっと広すぎると思う。

それよりも何よりも軍人としての基本が全然できてない。事故はどの事業所にもあり従業員が増えれば必然的に起こる。しかし、頭痛がするからと言って頭を切り離すことはできない。火事の一つや二つで自衛隊を廃止することはできない。

ポイントは、上官に対する欠礼を厳しく指導しろ。それで辞める奴がいたらドンドン辞めさせろ。どうせがれきの片付けにしか役に立たん奴だ。

笑われない行進をさせろ。僕は出かけて行ってひき倒そうかと思った。隣の奴と話す奴、駆け足の時も歩く奴。

いいか。ここから何百という特攻機が飛んだんだぞ。よい日本ができることを信じて死んだんだぞ。なんだこのザマは。税金を返してもらおう。ただ免許をとりに自衛隊に来るな。

将校がゴロゴロいる。旧軍は兵が将校にあうことはあまりない。しかし、一糸の乱れもなかったぞ。

思わず目達原シリーズを続けます。

Posted at 2012/11/27

それは公権と私権の戦いだった。室原知幸(むろはらともゆき)

2013年01月30日 | 社会・経済

1953年6月福岡県筑後地方を豪雨が襲う。160名あまりの死者を出した。この豪雨により、一気にダム建設の機運は盛り上がった。

ほどなく55年に日向神(ひゅうがみ)ダムは建設に着工した。水系は異なるが下筌(しもうけ)ダムのそばにあるダムである。今日はそこまでドライブに行って来た。落下式のみならず導水式の水力発電をする。ただ、合わせて6000kwだから今となっては、ままごとだ。1963年に完成する。

隣の下筌(しもうけ)ダムは規模が大きい。15000キロワットの発電をし洪水調整も目的にしている。筑後川水系だ。

ところがこの下筌ダムは水害から14年たっても着工できずにいた。今は完成したダム湖を渡ると室原という地名の村に出る。そこから行けども行けども針葉樹の美林が続く。その村には室原姓が多い。

建設省は住民を舐めたまねをした。どんな山奥に住んでいようと、きちんとした教養を積んだ紳士はいるのだということを、下品にも理解できずにいた。札束でほっぺたを叩けば低能住民は「はい」というものだと確信していた。もちろんわかりの悪いバカもいるだろう。そいつらに対しては土地収用法で脅せばいい。変に反対運動をしていたら二束三文でお前の土地は収容(用)するぞ、と。

反対する住民の根本的心情は「不安」にある。この不安を解くために建設省は十分な努力をしたとはいえない。逆の立場からも動員された人たちがいる。この住民の[不安」を利用しようと、折からの安保反対闘争をしていた労組員が動員されてきた。現場の建設作業員の代表では決定権がない。巷のなりあがり似非右翼は、お国の方針にたてつく奴らは「アカ」だ、と罵った。

かくしてダム反対闘争はこじれにこじれていく。

ひと雨降れば杉の木が直径何ミクロンか大きくなる。ところが彼の所有するその杉の木は500haある。つまりひと雨100万だ。彼は十分な資産家の家に生まれた。早稲田を出た彼は法律の知識を生かし命がけで抵抗する。彼をそこまで駆り立てたものは何か。

そもそも、彼が公権力に勝とうはずはない。知識も能力もある彼にそれが分からぬはずも、またない。それでも彼を突き動かす信念はこうだ。

「公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない。」

建設省は理と情を無視した。つまり、室原はこれが許せなかったポイントである。私権と公権の戦いであることを最初っから認識していた。所有権に対する国家権力の優位は、20世紀においてたしかに寛容になってきた。そうでなければ社会権的基本権の存立の余地はない。

しかし、乱用が許されたことはない。その乱用は理と情の蹂躙という形をとる、というのが室原の主張であった。

公共の福祉(全体の利益)の下には基本権(人権)は制限されることが多い。しかし、お上がひとたび公共の福祉を振りかざせば私権は無制限に制限されるといった考えは許されない。

端的に言うと、公共目的の遂行のため、公共の福祉というファシズムにつながる概念を乱用することは許されないのである。

室原はやみくもにダム反対をしたわけではなかった。彼のプランとしては室原(地名)一帯の総合環境改善プランがあった。動員されたロボット労組員たちの、ハトが豆鉄砲食らった顔が目に浮かぶ。政府側も決定権のない下級役人を出してきて、話し合いをしようというのは欺瞞的だ。室原が望んだのは実効性ある話合いであり「蜂の巣」ではない。当時、環境とか公害反対といえば即座に「赤」呼ばわりされた。それが20世紀の島国の現状だった。室原の先見性に気づいた人は支援者の中にも多くはない

そこのけそこのけお馬が通る、と建設省が通るとき、彼は確実にファシズムの足音を聞いていた。67年、ダムはできる。しかし、彼の死後、伝家の宝刀、土地収用法は改正され公権力の恣意的乱用はできなくなった。

室原のこの戦いがなかったら土地収用法の改正はなかっただろう。権力がこの土地収用法の発動に慎重になったのは、下筌ダム反対闘争があったからだ。そうでなかったら山は今以上に不要なコンクリートで覆われていたはずだ。

ネトウヨにしろそこらの右翼にしろ、およそ右翼たるものは彼の主張に同意するはずだ。なぜなら室原は所有権(私権)の国家権力(公権)に対する優位性を示す先兵たろうとした。

あらゆる権力が国家に集中する制度を民主集中社会主義という。つまり社会主義という国家だ。なぜか労組員が動員されてきて所有権の優位を叫ぶという倒錯した構図になった。

一方、右翼も自虐性を持つ。守るべき資産もないくせに日の丸を振って「アカ」を批判し、チンピラ資本家の仲間入りができたような錯覚はするな。

あの世で彼は満足だったに違いない。日の丸は、窮鼠が猫を咬むと怖いことを学習した。

有象無象のヒステリーには国も室原も迷惑した。

 
 
 
 
 
 

頭がいいとはこういうことか。  3

2013年01月30日 | 学問

ハーバードと比べてほとんど遜色ない大学にジョンズ・ホプキンス大学がある。アメリカの大学が一般にそうであるように留学生が多い。20%以上の学生が中・韓の出身で成績もよい。彼らスーパーエリートは帰国しない。ひとは待遇のいいところに移動する。アメリカ社会に貢献している。むしろのべ60人の卒業生を出した日本人留学生はほとんどが帰国している。

世界の大学ランキングの話をしたばかりだが、ここは13位だ。ノーベル賞を16人も出している。

中・韓だろうがどこだろうが賢い留学生はバカな日本人よりよっぽど有益だ。東大に行くと、ここはどこだろうと思うほど外国の臭いでいっぱいだ。こいつらのすごさを知らないな。つまり、韓国のコピー商品をけなす人がいるが、自分自身のアホさ加減を考えてみるべきだ。自分自身のどこにオリジナルがある?

その場しのぎの低能日本人は優れた韓国人に如かず。

マールチューブがこの大学に来たのは第二次世界大戦勃発直前だった。のちにmagic fuseと言われる近接信管を発明したのはこの地である。おそらくどのクルマにもつくようになるであろう障害物感知装置と同じ原理である。

壁を感じて自動で制動装置が働く。迷惑がつくほどありがたい装置だ。クルマに装着されようと、その性能がどんなに早く確実で信頼性があろうと、発想においてmagic fuseのcopyにすぎない。

sensorの性能が向上し、演算が速くなり、多少のメカニズムの改良があっただけだ。原理がどう変わったか。発想がどう変わったか。全く変化ない。

高角砲の弾が自分で敵の飛行機を感知して一定の距離になると爆発した。このおかげで銃手や装弾員は距離を手動で合わせていた作業から解放された。

ドップラー効果を利用している。70MHz 当時としては十分に高い周波数だ。ここからがマールが天才である理由だ。この真空管を高角砲の弾の中に仕込んだのだ。気の遠くなるようなカット&トライを経てmagic fuseは完成した。

そうとはしらず、何年も前のスタイルで何年も前の雷撃機に乗って攻撃する帝国の飛行機乗りは不思議がった。ほとんどの飛行兵は撃墜される理由を知ることもなく死んだ。生き残りが理由を知ったのは、はるかに終戦後だった。

太陽の帝国は最後の悪あがきをした。人間を誘導爆弾に乗せ飛ばそうとしたのだ。推進力のあるロケットエンジンもなく訓練の場所も時間も設備もなく、敵艦まで高空を誘導する飛行機もなかった。

桜花だ。

アメリカ軍はこの自殺のみを目的とした兵器をBAKA BOMB、バカ爆弾と呼んだ。55人とその数倍の誘導機の兵が死んだ。

Posted at 2012/11/21

頭がいいとはこういうことか。  2

2013年01月30日 | 学問

今日は数学の話だ。

今、整数論において画期的なことが起きている。アインシュタインは言った。科学を畏怖せよ。

ところがバカの度が深まるに比例して科学を恐れない者が多くなる。そういう者たちは、今から言うことを心して聞くべきである。

 

 

人はほんのちょっとの偶然でバカにもなり一定の成績をとるようにもなる。

問題が分からず立たせられたら、そのことが気になって、恥をかかないにはどうすればいいかで頭はいっぱいになる。バカな子供が先生から指名されるとなぜか教科書をぱらぱらめくる。授業に参加していましたというジェスチャアだ。ばか。授業にも人生にも参加していない。こうして加速度のついたバカになる。

 

xn乗 + yn乗 = zn乗 となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがないという定理がある。フェルマーの大定理とも呼ばれる。

人類はこれを解くのに350年かかった。しかし、中学生にもわかる新たな証明方法が明らかになったのだ。

京都大学の望月新一教授(43)が現代の数学に未解明のまま残された問題のうち、「最も重要」とも言われる整数の理論「ABC予想」を証明する論文を、18日までにインターネット上で公開した。

このABC予想は、うまく証明されるとマトリックス、今流行のフラクタルなどに応用しやすい。クルマは早く確実に安く走るようになる。

バカはフェルマーの定理は解けないのだとか、役に立たないのだとか言った。それでもいい。解けないということが分かれば確実に他の方法を探すべきだということが分かる。役にたたないとかいう奴は、どれほどなにを分かってそんな大それたことを言うんだ。そういう態度が科学をまえにして傲慢なんだ。

 

ABC予想。

数学者が350年かかった定理の証明を中学生が5分で解くようになる。人生の考える時間がどれほど節約されることだろう。

ここからは数式がありますから数学にいじめられた方は飛ばしてくださいね。
たとえば、64=1+63、右辺を素因数分解1*3*3*7、3は2個あるので最低の乗数にしてしまいます。そしてそれらを足す。1+3+7 3が一個になっているでしょう。これは11になります。最初の64>11ですね。11を自乗すると121  64<121 いかなる場合でも右辺が大きくなります。

きちんと目的を持って式をいじっているんですからすごいと思いませんか。こうすればこうなるということが分かってもそれは数学の先生止まりです。何のためにそうしているのかという直感が必要なのです。

で、何のためにしたかったかというと、冴えてる人は気がつきましたね。 xn乗 + yn乗 = zn乗というフェルマーの出発点から64=1+63を考えた式に応用して63つまりzn乗<(1+3+7)2乗つまりrad( xn乗 + yn乗+zn乗)2乗。ここで3は2個あったので一個にしてしまったことを思い出してください。(9行上)

数式がうまく打てないので文章で書きます。x、y、z、のうちzが最大であるという条件があります。するとこれらの積はzの3乗より小さくなります。するとnが6より小さいことが分かります。∵zn乗<(xy
z)2乗

3~5乗までは解がないことは証明されているので、6以上にないことはすべてにないことになる。

細かく言うとこれでは不十分です。素数問題、等号問題など詰めが甘い点がありますが。

彼は、
1988年 - プリンストン大学を卒業(16歳入学、19歳卒業)
1992年 - プリンストン大学でPh.Dを取得(22歳):指導教授はフィールズ賞を受賞したゲルト・ファルティングス
1992年 - 京都大学数理解析研究所助手に就任
1996年 - 京都大学数理解析研究所助教授に就任(26歳)

我らはこの26歳を尊敬しなければならない。

Posted at 2012/11/20

頭がいいとはこういうことか。  1

2013年01月30日 | 学問

ちょっと長いが九州大学もお役所だ。因縁のつかないように考えるとどうしても名前は長くなる。「精神神経疾患における病態機構・遺伝負担、発病危険因子及び発病抑制因子、治療薬反応性・副作用感受性等の解明、及び新規診断法及び予防法、新たな治療法の開発を目的としたヒトゲノム・遺伝子解析実験」

長いなあ。とにかく、そんなことをやってるところに行ってドクターからじっくり話を聞いた。僕みたいなニセモノのドクターと違い本物との会話は気が抜けない。たいてい帰りは劣等感の塊になって帰る。

あたりまえだな。努力が足りない、頭は悪いじゃどうしろというんだ。

でも少しはいいこともある。日常の些末な事柄に気をとらわれていた自分を反省するいいチャンスになる。

「鋭い質問ですねえ」とか、ほめてもらいたくて必死に考える。で、その時は分かった気分になるが、家に帰るとたいてい忘れてしまっている。

そんななかでこれだけは脳裏に刻んでおこうと思ったことがある。死なないウイルス。

Epstein-Barr virusというウイルスがアフリカの子供のガンから発見された。(1958年)エプスタインとバールはこのがん化した細胞の中からリンパ芽球を発見した。このウイルスはガンマヘルペスウイルス亜科に分類され、Bリンパ球に感染して不死化するという特徴をもっている(トランスフォーメーション)。

赤血球は壊れやすいので、白血球の中でもとくにリンパ球にこのEBウイルスをわざと感染させることを思いついた奴がいる。要するにがんは死なないウイルスだ。母体が死なない限りどこまでも増殖を続ける。EBウイルスも死なない。ならば無毒化したこのEBウイルスをあえてリンパ球に感染させた。これは血液保存の方法として現在定着している。

死なないウイルス=がんと闘う人類は、巧妙にもその死なないウイルスを利用して画期的な血液保存の方法を編み出した。

学問はすべてコロンブスの卵だ。できたあとでグダグダぬかす奴は多い。問題は、パイオニアとしていかにかかわったかである。

EBウイルスに感染し不死化したリンパは-150℃の貯蔵庫の中で永遠の生命を得た。株化されたリンパはいつでも研究者に生き生きとしたゲノムを提供する。

カネと女のために医者になったそこらの町医者よ。研究者の清貧さを学べ。

Posted at 2012/11/19

味をしめると止められない。覚悟があるなら同和に来てみろ。

2013年01月30日 | 社会・経済

うまい話はそうごろごろ転がっているモノではない。それなりに知恵を絞り危ない橋を渡り、怖い目にあいながら通り過ぎていくことで札束の一部が財布に残る。が、世の中には濡れ手に粟の仕事がある。

僕は最初公務員だった。その試験に、同対審答申の正式名称を書け、というのが出た。法政かどっかの大学であったと思うがさすがに今となっては定かではない。不注意この上ないことだが、学生運動の名残があったそのころは教室に同対審のビラが貼ってあった。僕はそれを見て正解を書き、隣の受験生にも教えてやった。

利権というのは一度つかむと死んでも離さないものだ。人生の重要な部分を韓国ですごし、再び来日してみるとやはりとうるさい。もう僕は過去の人間になった引退生活なのにな。

一部の人間は行政を脅し何かに因縁をつけ、因縁のつけようのない時はわざとでもあるいは嘘でもでっち上げてでも差別と騒げる材料を探し出し行政をカツアゲする。行政も解放同盟から無理やり押し込んでもらって公務員になったものだから言い返すこともできない。

こうして全国に13兆円がばらまかれた。だれかこの13兆円の経済的波及効果があったと言えるか。なんせドブに捨てた1万円札だ。なんの効果があろう。こういえば身近に感じる。すなはち、民は自動車学校がタダもしくは半額だった。一部は現在進行形だ。役所も検索に制限を加えたりHTMLにしてアップしているのではっきり把握することはできない。

の優遇は幼稚園から始まる。子供の数に対して幼稚園の先生に数が多い。(過配)今度遊びに行って膝枕をしてもらおう。命がけだが。

高校に入ったら数10万、大学に入ったら数100万。タナからぼた餅が降ってくる。出勤しないで給料だけもらう出身の公務員。高校にも出身のインチキ合格教員はいた。もちろん授業する能力はないから組合専従となる。

以外の地域に優先して道路堤防の整備、住宅建設利権、その住宅は通常の10分の1程度の安い家賃で入居し不足分は市が負担する。そしてすぐ子供の悲鳴とゴミときたないクルマでスラム化する。福岡県では、畜舎や米麦乾燥施設、また花卉や野菜の栽培施設などが設置されている。固定資産税は約半額だ。ボスは、ベンツに乗り数億の家を建てる。街では数億の家はよくあるが田舎では土地がほとんどタダで税金も免除されるので本当にお城のような家だ。

僕は涙を流しながら勉強した。最高の公務員を目指そうと心に誓った。利権を盗った盗られたの世界にいたら僕は腐れてしまう。死んでも一番になって合格して、社会党とその取り巻きの無能教師と解同とやくざと行政どもを足で踏みつける地位を得なければ、僕の人生はないと感じた。

Posted at 2012/11/17

韓国と敵対してはならぬ。 4

2013年01月30日 | 韓国

能天気が言うことは、あまりパターンが多くない。たいていこれだ。「国同士にはいろいろあっても国民同士は仲良くしましょう。」「国民が仲良くすることから国の平和は始まりますね。」

浅学非才、無知蒙昧、大脳障害、即物具象、天真爛漫、百花繚乱のお花畑だ。

とどまるところを知らない無能の嵐に囲まれて住むことは苦しい。僕はもう100回は聞いた。「国同士にはいろいろあっても…」バカは何がいろいろあったかを考えたためしがない。この点においては韓国人が優れている。かれらはPoliticalに自己中心であるにせよ憤っている。つまり、考えている。

やい。日本のNon-Politikども。お前たちバカに合わせて言ってやる。100年とは言わんからせめて60年前を考えろ。竹島の領有に対しては、歴史的省察をする場が醸成されてない。世論を高める教育や研究やプロパガンダがほしい。日本にいる韓国人学者はきっちりと韓国の立場を表明する。韓国にいる日本人学者はビザの取り消しを恐れまた闇討ちを恐れ何も言わない。

だがもう遅い。自民党の曖昧放置政策は韓国に時効取得を許した。韓国ではこれを、寝て餅を食うという。日本では、タナからぼた餅という。

しかしだ、一定のまっとうな世論の高まりがあり、ガセネタに痙攣したネトウヨの激昂がなかったならまだ実をとれる可能性がある。メタンだ、シェールだとアホが騒ぐがそれは領有権に関係のないことだ。たとえ石油の一滴が出なくとも竹島がわれらの物であることに変わりはない。

無知と跳ね上がりが最高に外交を妨害する。

勢い余って「チャンネル桜」などの国粋主義的言論の中には幼稚なトンデモ論が横行し始めたので驚いた。

経済評論家と称する三橋孝明はこう述べた。

日本から韓国に輸出しているレアガスを止めた場合、韓国は自国生産ができないので、韓国の財閥を潰すことができる。韓国に進出しているトヨタ、Panasonic・・・は一定の打撃を受けるが日本に帰ってくればいい。そしたら日本の雇用も増え潤うことになる。

トンデモ論とはこのことだ。まず、レアガス。たとえばキセノンは確かに日本からの輸入が多いがダメなら他国から買うだけだ。安いから買っているだけで希ガスの生産もできないOECD加盟国はない。

そのまえに、そんな子供のケンカのようなことをして国際社会の笑いものになってはならない。「おめえ、このアメ持たんだろ。ほしかったら竹島返せよ。」こんなことが通ると思っている。

TOYOTA、Panasonicが引揚げてくれば日本は潤うというのも気絶しそうな暴論で、これが一般ウケをしたらその国民は低能だ。ばか。とくにこれら二社は固定資本比率が高い。プレス機をはずして船に積み込むのを、緊張した両国関係の中で韓国政府は座視すると思うか。日本政府とは違うのだ。上記の両者が持ち帰るのは日本人の雇用ではなく、現地に残した資本という負債だけだ。

Posted at 2012/11/16

韓国と敵対してはならぬ。 3

2013年01月30日 | 韓国

韓国の記事に関しては、たいてい能天気どもが半島の焼き肉や服やエステを無邪気に紹介するモノが多い。ダラダラ写真をならべてキムチとニンニク混ざりのゲロのような料理を無能にも紹介しているので本当に腹が立つ。一度たりとも竹島も従軍慰安婦も日韓併合も考えたこともない、また知ろうともしない過去に無知で今日に盲目な低能よ、子供の顔を正視できるか。

かと思うと、知ったかぶりをして韓国を不当にこきおろして喜ぶネトウヨとその迎合者。ところが、僕はこちらに期待する。書斎のさみしい明りのもとで、いくら本を読んでもその煮えたぎるような嫌悪感はわいてこない。実体験がベースになっているはずだ。不愉快な思いをしたことは大脳に刻まれる。焼き肉やエステはせいぜい小脳だろう。犬でもビビンパを食えば喜んで親韓派 になる。そんな小脳狂喜親韓派 はいらん。

僕が留学中。最初から嫌韓日本男児であったものは少ない。約束は守らない。借りた金は返さない。それに対して見え透いた嘘を言う。この手のバカ犬に、語学学校、大学、大学院と進級する間、毎日のように悩ませられる。これで嫌いにならずにおられるか。

普通の路線バスが普通のカーブを回るときカーブの内側の車輪を浮かして走るんだから想像できるかな。ジャンボジェットが宙返りをするようなもんだ。座席のパイプにつかまっていた僕は両足が浮いたことがある。遠心力のベクトルを実感した。

そうして5,6年もすると勉強に来た留学生全員が国粋主義的嫌韓野郎になった。さもありなん。遊びに来た留学生は毎日朝鮮ピーとやり放題なので親韓派が多かった。彼らがずっと親韓でありつづけるかは興味ないので知らん。

韓国人も、日本人が酒をおごるかぎりにおいては友人であっても、基本的には反日精神が韓国人のアイデンティティイだ。学校でも家庭でも、だれも知らない幻の日帝の過酷な統治があったことになって、唯一朝鮮の平和な時代が虚構にされた。低脳はどの国も洗脳しやすく激昂しやすい。

もうひとつ、韓国人の反日の理由は貧困にある。日本をひがみねたむ。いかに物価と人件費がアンバランスであるか。下記の例示を見てほしい。

トイレットペーパ(12ロール) - 22000ウォン/1540円
カラオケ - 20000ウォン/1400円
おにぎり - 1300ウォン/91円
ビックマックセット - 6000ウォン/420円
コカコーラ500ml - 1800ウォン/126円
ガソリン1L - 2500ウォン/175円
ヴォルビック1.5L - 3000ウォン/210円
マックバイト料 1h/ 4500ウォン/320円
(2011.6韓国の偉大な物価より)

経済評論家の三橋貴明が唯一まともなことを言った。すなはち、

「韓国では人件費は切り下げにあい寡占は価格の上昇を生む。外国ファンドを中心とした他人資本は韓国の資本を支配し配当は外国に行く。」

賃金労働者の窮乏化と独占資本による独占高利潤。僕は共産党の講義を聞いているかと思った。Marxの「賃労働と資本」に書かれているとおりだ。次の文章に対しては、Leninの「帝国主義論」に有名だ。植民地の分割が終わったとき世界の列強は金融資本のしもべとなり国家独占資本主義の道を歩む。

韓国は列強のちょうちん持ちとしてチンピラ国家の道を歩む。こう書くと激昂しやすいチンピラはうれしいだろうが、僕は、だからそうなってはいけないという主張だ。じゃあそうならないためにはどうしたらいいか。

共存だ。どんな低脳不誠実性欲自慢の酔っぱらい国家でも、奴らの反日はポーズだ。いきかう貿易と金融を見よ。これを生かさないのは韓国人と同レベルの人だ。

Posted at 2012/11/15

県立図書館で「本が読めない、借りられない」 神奈川県教委が方針

2013年01月30日 | 学問

財政難が続く神奈川県で、県立図書館の閲覧と貸し出しのサービスが廃止される可能性が出てきた。施設や補助金の見直しを柱とする緊急財政対策の一環だ。

 都道府県立図書館を住民が直接利用できなくなるのは異例だが、県では、県内市町村の図書館の数も増えていることから「(県立図書館の)役割を振り返る時期にきている」と話している。
        J-CASTニュース 11月8日(木)

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市町村立の図書館も増えているので蔵書は漸次そちらに移していくという。バカだなあ。ここは特に京浜工業地帯の中心であることを反映して、社史においては全国的に権威ある蔵書を誇っていた。これが市町村に分散されたら利用価値はほとんどなくなる。

一つの社史が研究対象と合致するということはごくわずかである。だから集合、集中して保管されなければならない。テーブルの上に5社6社と社史を置き、考えに考えてそれらの有機的結合の糸目を探る。

そんなものコンピューターで検索をかければよいと言われそうだ。それで済むなら学者はいらない。たしかに要らない学者は多い。高額の生活保護をもらっているようでムカムカする。しかし全部がそうではない。

県の図書館ぐらいだったら出張扱いにならないことが多く自費で行く。しかし、この資料が全県に分散したら、善人ぶって奉仕活動のように全県の図書館を回るわけにはいかない。かと言ってさきほどの検索だが、僕はパソコンには全く興味がないがこれくらいのことは分かる。検索とは単語を検索している。図表、数式にはパソコンの検索は無能である。

こういう行間が読めない道具に頼って思考せよというのは学者をバカにしている。

この県立図書館ができるころから神奈川県教委はバカだった。この図書館を産業界のメッカにすることをふと思いついたのだろう。人件費で行き詰るのは見えすいていたことだ。そんなら一人で済む出張を二人も行くな。不必要なアルバイトを雇い仕事を押し付けるな。天下り館長に超高額な報酬を出すな。コネ採用で定員以上の採用(過員)をするな。県教委人事の不当な掃きだまりに利用するな。無能低脳のるつぼになる。その無能低脳を嘱託などの名目をつけ定年後もぐじぐじ採用することをやめろ。

大企業でもない限り社史に割くエネルギーは大きい。本来業務を離れさせ社史の編纂をするのは社長の道楽ばかりではない。それを検索し玉石を選別するのは大脳にしかできない。

実はこのような一点豪華主義の県立図書館がはやったことがある。百年の大計を持たないアホの思いつきに、ずーっと昔、僕は反対した。高級低脳官僚は思いつきだけ言って文部省に帰る。米つきバッタどもはその作業を途中で止めることを知らない。そんな施設より市町村に小さな図書館があったらお母さんと子供はたやすく本に親しむことができるではないか、と戦艦大和を作って自分の業績にしたがる気違いを批判した。

その考えは今でも変わらない。だが県立図書館はすでに50年たったのだ。名もなき図書館員が集めた社史は「日本ものづくり」の最高の証人である。今やその図書館員たちはこの図書館にはいない。

振り返りもされない地上の星たちが集めた資料を分散させてはならない。

 
 
 
 

韓国と敵対してはならぬ。 2

2013年01月30日 | 韓国

大きい戦争は10年ごとにしかできない。敵も味方も状況は同じなので巷の右翼どもがどんなに戦意高揚のプロパガンダを叫ぼうと自然法則は崩せない。

すなはち、戦をすれば15歳から25歳の青年が死ぬということだ。この人口を埋め合わせないかぎり兵隊がいなくなる。兵隊がいないと戦はできない。それには10年待つ必要がある。

たしかに敵の出方次第によってはそれを無視して戦うことになる。昭和20年の男子の平均寿命は18歳だった。アメリカは東洋のサルに情けをかける国ではない。

さて、その日清戦争であるが日本が勝ったことのみを強調するあまり、どこでどのように戦われた戦であったのかを忘れて思考の外においてしまうきらいがある。

日本と清は朝鮮の支配権をめぐって朝鮮で戦火を交えたのだ。それが落ち着くと領土の拡大に味をしめた帝国は、ロシアの南下を「伝統的南下政策」と称し、あたかもそれを防ぐのが神の御宣託のように国民にわめき散らす。このころアメリカと日本はきわめて良好な関係を維持していた。ところが突然、アメリカは中国にあるわずかの権益の拡大的保持を狙い、豹変する。アメリカにとって日本は邪魔な存在に変化してきていた。無能な外交官はいつまでもアメリカと良きお友だちでいれると信じていた。バカだったのだ。

外交を知らない外交官と近代戦を知らない田舎軍隊が、あれよあれよと言う間に底なし沼にはまった。誰も日本に味方する者はいなくなった。

そうとも知らず秋津島は、スローガンを「ロシアの南下に対抗する」から、「満州は生命線」、「バスに乗り遅れるな」と微妙に拡大させた。

国家の体をなしていなかった貧困と病気の半島は対ロ防波堤の役割をなくした。それは偽国家満州が受け持つようになった。

その少し前、坂本竜馬が近江屋で暗殺された幕末、まさにその時、ロンドンではネクタイをしてスーツを着た紳士が地下鉄に乗って売店でTIMESを買ってコーヒーを飲みながらロンドン証券取引所にのぞむ戦略を練っていた。

少し遅れて、同様に資本主義に目覚めた秋津島は半島の完全領有を狙う。が、半島にはその価値はない。泥棒と疫病と貧困が蔓延し形がい化した大韓帝国政府たるや全く国民の呻吟には無関心であった。政府の関心事はプライドのみでありそれはなんの役にも立たない。

日本は半島をロシアの防波堤にするという野心をもっとむき出しにすべきであった。善人ぶって朝鮮の保護者づらしたのが余計だ。

日本は差し出がましくも頼まれもしないのに半島の近代化に務めた。頼まれないことをやって、おかげで朝鮮は発展したとか負け犬の遠吠えがまさに見苦しい。朝鮮人としては言いたい。ご立派なことをしていただいたようだが、誰が頼んだのか。太陽の帝国が滅ばなければ永久に属領扱いだった、と。

すなはち、国家が産業革命を迎える時期というものは、世界史的に見ればかなりの時間差がある1670年にイギリスが産業革命を迎えるが、韓国は1980年から目覚ましい発展をしている。300年の差だ。

去年はバカがデフォルトだと騒いでいた。今年はスワップ解消によって韓国経済がつぶれるそうだ。それがいかにたわごとか自覚してくると、今度は積極的に韓国を潰そうという論調が頭をもたげてきた。年末に崩壊する。年度末(2月)に崩壊する。・・・

数字でモノを言え。以下韓国のデータ。実GDPは1980から今年まで7.6倍だ。購買力平価は18.6倍だ。世界のGDPの2%を占める。それも1980から2.8倍になった。今年のGDPは12位、インフラ18位。
(比較のため日本は、GDP3位、インフラ11位。)

いかに西欧が近代化されていたか、少なくとも我が国とは200年の差があったことを言った。しかし、日本は低賃金労働によって資本の蓄積を図り、50年後には世界に伍する工業国になった。

疫病の原始人の国はその発展した秋津島にやはり200年遅れていた。しかし、今や産業、研究、運輸、インフラにおいて、周回遅れではあるが追いついてきた。世界を見ろ。隣国でありつつ経済が断絶している国同士は、戦争をしているかしようとしている。それはお互いに損だ。人的資源は育てるのに20年かかる。

日本は、とくに福岡は、モノよりも高額の特許料収入を韓国から得ている。福岡の研究力の大事な客なのだ。釜山はここから30分だ。なくしてはならない。

Posted at 2012/11/11

韓国と敵対してはならぬ。 1

2013年01月30日 | 韓国

僕のブログ内で、「息もできない」、を検索してほしい。

人々はまるで糞にたかるハエのように足の引っ張り合い、だまし合い、殴り合いをして曇った空の下、ソウルの大部分を占める貧民街にうごめいている。

昭和20年代の日本人がそうであったように、ソウルには誠実とか正直とか良心とかはない。昭和20年代、将来への不安絶望恐怖を抱かずに生きていた者が果たしてどれほどいるか。

上の写真は今のソウルだ。僕が歩いたソウルだ。

我らは昭和20年代の日本を忘れてはいけない。今ネトウヨが勝手に描く立派で、良心的で、正直で、誠実な人間は、そこにほとんど見当たらなかった。GNPは縮小再生産を繰り返し、1円は0.6ウォンと交換されていた。つまり朝鮮カネの方が価値があったのだ。

日本は犯罪の国、悪徳金貸しの国、やくざの国であった。運よく財閥解体をすり抜けた者、SONYのように上手に進駐軍にとり入った者、太陽の帝国の軍隊と不法にも手を組み政商となっていた者以外に日が差すことはなかった。

つまり敗戦国の悲哀は被害者のみ負う社会が成立した。戦争に勝とうと負けようと財閥は健在でありむしろ労働者の在庫一掃セールが行われたので金持ちにはありがたいかぎりだった。旗さえ星条旗に持ち変えればよいのだから。

さて、朝鮮戦争の勃発で情況は一変する。さらに李承晩の失政で韓国は世界の最貧国となり日本は希望の光が見える。ウォンはゴミ紙幣となり円は1ドル360円に固定していただき発展の土台を作る。アメリカさまさまだ。

日本はやがて人心が安定するが、戦争の混乱で日本に漂着する朝鮮人がいきなり増えた。彼らが日本で犯す悪事を見ると、悪い朝鮮人正しい日本人、という図式が誰の心にも成立した。その後50年たってもしつこい粘着質は朝鮮人帰れという。じゃあ、ドイツ系アメリカ人はドイツに、イギリス系アメリカ人はイギリスに帰らねばならない、あ、黒人はアフリカに。とくに黒人はそうでしょ。貧乏で、汚い英語で、だらしない生活で、教養もなく、不潔で、公共心がなく、犯罪の巣となり・・・あ、僕は黒人のことを言ってますから念のため。だが、

いかにギャングに黒人が多くとも、大人の国は黒人に大統領になってくれとは言っても、アフリカへ帰れとは言わない。

長くなるので今日はこの辺で。

Posted at 2012/11/10

三井住友銀行にいって「emerging(新興国)諸国への債券投資」というお堅い話を聞いてきた

2013年01月30日 | 韓国

韓国はもはやemerging countries(新興国)ではないので除外されるが、隣国日本にとっては最近わいて出たような新参者だ。日本にとっては十分にemergingなのである。

GDPで世界13位の国が隣にあるのを無視できない。

いつもながら三井住友の経済分析力は素晴らしい。素人が家を建てると、どこをどうしろ、そこを持て、きれいに塗れとうるさい。自動車の整備工場でも同様だ。バカが一人入るとそのバカに指示する言葉で腕よりも喉が疲れる。

大和住銀投資顧問の部長も東京からおこしだ。本物は静かだ。会議だ研修会だ報告会だセミナーだとうるさくない。基本的に学問をした共通土台があるから、無理解への不安を打ち消すための傷のなめ合い的会議はない。

そういう環境で冷静に韓国を見ている。今まで50年もほったらかしにしておいていまさら島の所有の正当性を言っても遅い。李承晩があの世から笑っているぞ。なぜ自民党の無作為を責めないか。

それでも日本領を主張するなら攻めろ。こそこそブログで痙攣して日の丸振っても何にもならん。

たしかに日本には学ぶべき外交の歴史はない。伊藤と李鴻章の折衝は李鴻章の老獪さに軍配が上がる。小村寿太郎は命をかけて国益のため駆け引きを行った。百戦錬磨のロシアの外交官たちをその小さな体で圧倒する。それはまるで日本を象徴する姿だった。なのに跳ね上がり無能右翼は迷惑にも小村に敵対した。

とにかくその程度で、後は外国はおろか自国民すらミスリードする。

そしていま再びミスリードの危険性が拡大している。自民党の走狗どもは本も読まずなにも考えず旗しか振らない、脳が筋肉でできている始末に悪い輩だ。

大和住銀と意見が一致したところを書く。彼は、私見と断りつつも、こんな当たり前で初歩的で、良識ある人の共通理解となっていることをわざわざこの場で述べて申し訳ないというそぶりで手みじかにこう述べた。痛快だった。

韓国の金融状況はおおむね健全で、一年前バカがデフォルトを叫んだがあたりまえに杞憂だった。今回のスワップ解消も韓国経済にとって同様に九牛の一毛である。ここまでが共通理解。理由はそのうち書く。

ここからがアナリストの真骨頂。クルマの整備を生業とする人にあまりクルマの整備が好きな人はいない。競輪選手が休みの時は自転車なんて見るのもいやだと言っていた。

金融や貿易収支の話が出ると思いきや、人口構成の話だった。男女比が著しく不均衡である。女性が少ない。女は堕ろす。もう一つの特徴として少子高齢化が加速度的に進む。すると、複雑な数式はおいといて、10~20年後に危機を迎える。無策であれば必ずそうなる。日本のまねで矛盾を糊塗してきたがこの問題はそう簡単ではない。

韓国は方策としてDECDの一員でもあることから、リーダーシップの能力のない日本を出し抜くことが肝要である。日本は戦時中何をしたか、と言われればシューンとなってしまう。そんなやつがリーダーではアジアが狂う。

自国民を貧困の奈落につきおとし、財閥の内部留保は国民の悲鳴とともに成長しアジアの覇者になる。財閥の納税のみによって成立している韓国財政の取れる必然的政策目標だ。

韓国はアジア圏の構築を目指すべきである。隣の島国との共存を図りつつそれを行わない限りは相互に自滅する。半島の崩壊は日本の利益だという陳腐な理論で飯を食う経済学者がいる。三橋孝明の考え方は具体的、道義的に批判していきたい。いずれ書く。

Posted at 2012/11/09