か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

中西食堂 

2019年04月29日 | 食・レシピ
 

 

 

相撲の曙関が来て、メニューを提案した。それが曙丼(あけぼのどん)。何でもかんでも海の高級食材が詰め込まれている。サザエ、アワビ、エビ…。

彼は素晴らしい言葉を残した。人相が悪い人だが、その言葉でいっぺんに彼が好きになった。「絶対に値上げしないでくれ」

その一言により中西食堂はずっと1000円で頑張っている。でも食堂のおばさんは、「今度の消費税でどうなるかはわかりません」と言った。

精一杯曙との約束を守ってきた。そこでほかのメニューとの間にアンバランスが生じている。福岡市内でこのレベルを食えば安くて4000円だ。だが、重要な点はいくらカネを出してもこの臨場感を、漁船のエンジン音が聞こえるここで食わなければ感じられないこと。

色彩的にいかにも漁師飯だ。しかし、このごろ著しい値上げで一般的にサザエ、アワビの類は、天文学的価格になっている。それがこれでもかと入っていてワカメがどんぶりの中に塩風を吹かせている。

サザエさんの漫画を描いた長谷川町子さんが住んだ町が対岸にあり目視できる。

あまりインテリアにはこだわらない。飯を食うところが食堂だ。だから味で勝負するんだ。いすやテーブルは関係ない。…という威勢のいいおばちゃんの声が聞こえてきそうだ。大きくシャキシャキした張りのある声で注文を取る。

そうでなくちゃあ、と僕は思った。味噌汁お替り無料。そう来なくっちゃあ。

↑の画像で鳥居を探してください。その鳥居の向こうが船着き場。福岡のベイサイドプレイスから高速船で30分。約500円。

ぼくは車で行った。駐車場の看板の手作り感がいい。   

色紙はこの3倍あった。

 

人間の感覚の中で一番最後に発達するものは、「苦味」である。この苦みの良さを分からない人はまだ脳の発達が十分でないガキだ。

人生の苦みも同じ。苦しいことは嫌だとばかり言って逃げていると人生の苦みの良さを味わいそこなう。

栄螺。奥の奥の先端までひねり出した時の快感。苦みのご褒美。

名刺もらった。

そのあと弘(ひろ)漁港で乾燥ワカメにゴマをまぶしたのを買って志賀島資料館に行き金印でハンコを押した。

コペンご苦労さん。その資料館(無料)がある国民休暇村、駐車場で。

カネを使うと楽しいが使わないともっと楽しい。

         


山滴(したた)る 水沼の里

2019年04月28日 | 食・レシピ

 

 

儲け話に絶望の田舎が飛びついた。そして、一杯食わされた。

 

ことの顛末を要約すると、

ある私立歯科大が、学部の増設のためこの町に白羽の矢を立てた。そもそもがあり得ない話だった。

池の鯉が、千載一遇の好機を逃すまじとわれ先にたった一片の麩(ふ)を求め殺到する。用地買収は進んだ。

そして、大学は言う。「あんたんとこ行かないよ」

ともかく、池の鯉が百戦錬磨の鯉料理人に勝とうものか。農民から集めた土地が宙に浮いた。いいように踊らされた町はそれに気づかず、公金をどぶに捨てた。

農民は、土地成金になり学生アパートを建て…と皮算用をした。

紆余曲折を経て大学が来るはずの土地は公園になった。

 

(この事件のころ僕は学生で、ゼミでこの事件を取り上げた。いずれシリーズ化して書きます。)

 

水沼の里というその公園。住民からは失政を糾す声が上がることもなく、池の鯉はすぐおとなしくなった。

小学生が遠足に来ていた。

幼稚園児も

 

いきさつはともかく、本来なら到底あり得なかった公園とその他の施設が、思わず現実に誕生することになった。

浴場と食堂、老人保養研修施設(はやいはなしが町営カラオケ)…。今日はそのうちの食堂について。

福岡県のほぼ中央に位置するここは、ドライブやツーリングの拠点として利用させてもらっている。福岡歯科大ありがとう。

公務員がひとのカネと思って好きなように、あるいはぞんざいに経営するととんでもないことが起こる。

 

 行政がまんまとペテンにかかりその失態をごまかすためにできた「水沼の里」。その中にある「水沼食堂」、上品な都会の薄味。絶品の醤油でやさしいばあちゃんの味。

このメニューが信じられますか。その価格。

まず200円の雑炊から、           

立派な浴場も200円、雑炊も200円。これで町民の批判をかわせるのだからありがたい町だ。

醤油はもちろん不二家。

ぼくは定食。

andざるそばも。200円

 

ぜんざい、たこ焼き…。100円

 

もはや空気は「山滴る」の夏だった。

 


海老原光(Conductor)、松本さくら(Vn)、森下花蘭(Vla)、永野沙祐里(Vc)…11人

2019年04月23日 | 音楽

昨年8月に出帆した出来立てのフィルハーモニー。九州シティフィルハーモニー室内合奏団。

団員の皆さんは顔つきこそそこらのおじさんおばさんだったが、演奏はピカ一だった。

 

ピチカートは音がどうしても小さいのでVnとVlaとかVcとか異なる楽器で協力して音を出すことが多い。この時、相手が近くにいると相手を見なくても大体きちんと合うが、席が離れるとなかなか合わない。とくにゆっくりのときが難しい。

手拍子で考えるとわかりやすいと思う。二人で手拍子を打つときはよっぽどの音痴でない限り拍子は合う。ところが100人の手拍子はどんなに良い人が指揮をしても合わない。

ユーモレスクを100人で弾く催しに参加したとき、とても悲惨なことになった。演奏前のチューニングのようだった。

 

九州シティフィルの演奏は完全にあっていたので気持ちよかった。正確だった。でもよい演奏とは間違えず正確に弾くこと、要求された技巧をこなすこと・・・ではない。聞き手が感動してなんぼである。

曲芸を見に来ているのではないのだ。

音楽の世界で抜きんでるためにはただ一つ、感動させる実力のみが重要だ。他はあまり関係ない。驚かせる曲芸は全く必要ない。

 

その才能はたいてい持って生まれたものである。努力したことの無い人がわかったふりして99%の努力と1%の才能というが音楽はそんなあまい世界ではない。逆だ。

ある楽器の上級者が、子供の奏者を見たとき、その子が初歩であっても確実に将来を予見できる。上級者が100人いても意見は完全に一致する。絶対に。

 

最初に拍手の話をしたのは、それが言いたかったのだ。同じことをVnの上級者100人でしたとき、一人が拍手しているように拍手できる。ピアノで言えば、両掌で任意の鍵盤を同時にたたいても、ピアノができる人が聞くとすべての音を言い当てる。

これを努力の成果とは言えない。ダメな人はどんなに努力してもできない。しかもほとんどの人はその才能がない人の側にいる。ぼくはその筆頭だ。

 

ぼくが言いたいのはこれからだ。

1%の努力をいくらしたところで才能がほとんどを決める世界においては、大勢に影響ない。

本来、人は、努力は嫌だ、成果は得たいという気持ちで生きている。宝くじを見てみろよ。濡れ手に粟は常においしい話だ。そして、たいてい「ない話」だ。

 

ぼくは勉強の世界ではまあ何とかなったが、音楽の世界では最高の落ちこぼれだった。人の一年分の進歩を一周間でこなしていくやつがいる。そういうやつですらほかの天才を見て挫折するんだからとんでもない世界だ。

勉強とか試験とかならいろいろ屁理屈が通るし、日本ではカネやコネでどんなバカでも医者になれる。

音楽になぜインチキがないかというと、上手下手をいちばん見分けることができるのはその楽器を弾いている本人たちだからだ。

自分より上手が自分より点数、評価、成績で低評価だったら、自分はとても恥ずかしくてやっていけない。「腕前」というのはすべての口実、屁理屈、弁解を拒否する。仲間の音を聞き一流の音を聞いて自分の位置を正確に毎日意識している。

 

文句あったらこの音出してみろ。そのどや顔に、ぼくはただひれ伏すばかりだった。

 

ぼくは悟った。だからこそぼくにできるのは努力しかない、と。努力ぼくはボトムだったが、トップもやはりトップ同士で鎬(しのぎ)を削ってみんな1%の努力にかけている。演奏家は毎日7時間は弾いている。そうしないと仲間にすぐばれるのだ。

 

長くなったので演奏の内容と最近のバイオリン事情は、またそのうちに。

 

ウソはしきりと絶叫する 53

2019年04月20日 | 韓国

<前回のつづき>

植民地時代、経済成長の原動力は日本からの資本流入と日本との輸出入だった。したがって植民地工業化の典型的なパターンは日本人資本と韓国人労働力の結合であった。

しかし、朝鮮人工場数を見ると1918年には965ヶ所だったが1939年まで4185ヶ所に増加したのに反して、日本人工場数は同じ時期に929ヶ所から2768ヶ所に増えただけだ。もちろん朝鮮人の工場規模が全体的に零細だったのは事実だ。

にもかかわらず韓国人資本家の大部分が比較的大規模の日本人・朝鮮人の合作会社に投資、参与していたという事実を卑下する必要はない。

植民地近代化論の立場からかれらが民族資本家なのかそうでないのかとかいうことは決定的な問題なのではなく副次的な問題である。重要な点は国民経済あるいは民族経済の成立をどうこう言う問題ではなく、相当数の朝鮮人資本家たちが参与した中で日帝の下驚くほどの資本主義的成長があったという客観的事実だ。

さらに、1930年代後半以降日帝は日本全体の工業施設の25%を朝鮮に配置したし、とくに戦時体制に突入した以降は重化学工業さえ誘致した。これは植民地支配としては類例がないことだった。

 

合わせて日帝時代の急速な植民地工業化を都市部から発生した一方的な近代移行であるとみる根拠もない。当時全体人口の70%を占めた農村の半封建的な性格の植民地地主制に終始一貫したものではないからだ。

1922~38年間、農家の耕作規模の分化趨勢を見ると3丁歩以上の最上層と0.3丁歩以下の最下層が縮小したかわりに中間層が持続的に増加し、とくに1丁歩小作農が次第に主流をなしつつあった。

日帝時代は伝統的地主制を殖民地地主制にその形だけを変えたのではなく、小農社会に再編成される変化の過渡期だったのである。もちろん植民統治初期には地主制が温存・強化されたのは事実だ。

しかし、日帝後半期にいたり地主制の量的膨張は鈍化し、その恩恵を受ける特権層は弱体化し始めていた。

1920~30年代の小作争議は小農経済の発展を知らせる政治史的兆候として表れたのであるが、日帝は朝鮮小作調停令や自作農設定事業などを通じ地主との政治的同伴関係を事実上撤回した。

日帝末期になると朝鮮の地主たちは上からの日帝の工業化政策からは疎外され下からは農民からの突き上げを受ける一種のサンドウィッチ階級に転落した。日帝末期小作料の殺人的急騰も部分的な現象でありそうでないなら誇張された蓋然性が高い。

解放直前一部大地主の土地経営文書の分析によると小作率は平均3割台であったし、解放以後左翼系新聞でさえ日帝末期平均小作率を5割台とみている。

 

<次回は、끝으로 식민지 근대화론은 한국의 산업화 과정에 있어서 から>

©からけん


令和の令が嫌だ

2019年04月16日 | ニュース


平成は令和になるという。とくに今回の改元では、mede in japan であることが強調される。

万葉集学者の中西進が今回の年号選定にあたったとされる。彼はその実力や業績などから選定に加わるべき人間であることに異論のある人はいない。

彼の万葉集解説はわかりやすく気取らずしかも本質を大局からおさえるもので、僕なんかはただただ彼の造詣の深さや正確さにひれ伏すばかりである。

3流、4流大学になるとインチキ野郎が多く、わかりもしないくせ難しいことをさらに難しく解説し妙にいきがるのが多い。これはあらゆる学問について言えることだ。東大の王道を行く研究姿勢は学問の垣根を超えて共通した資質だ。

相手をねじ伏せるために、あるいは自分の低能がばれないように意気込んで論証する偽学者は、たいてい3流で本人の理解がでたらめの異端である。

 

中西の名は以前からささやかれていたが、安部はよくぞ選んだと思う。中西先生は安倍内閣にかならずしもべったりのポチではない。

 

そんな中西先生の発言が朝日に載っていた。今までの彼の論がそうであったような鋭い論の展開はみじんもなく、ひたすら令和の素晴らしさを強調していた。(令は善なり、素晴らしい字 「令和」考案者? 中西市民講座  4/13土曜 朝日新聞 朝刊 )

牽強付会

「文選」」(もんぜん)「帰田賦」(きでんのふ)を見れば誰でも万葉集、梅歌の序文に影響を与えていると思うはずだ。早い話がパクリだ。(ダサソーという名の百均を開店しダイソーの真似ではないといいはる韓国人じゃあるまいし)

冷静に考えるところだ。文字自体がmade in china だろ。漢字というのは漢の字。音も漢音呉音あってもとにかく中国の発音。万葉集は万葉仮名で書かれているが肝心の単語は漢字で書かれている。

つまり漢字をくずして表音化したものだけではなく、意味を持つ表意文字もまぜて書かれている。小学校で習うことだ。

牽強付会

今までの年号は、ほとんどその2文字間に因果関係があるとか少なくとも「and」でくくられるほどの意味上近距離にあるものであった。

ご覧になられた方も多いし長くなるので引用しないで結論だけ。「令」と「和」には関連がない。ただ近くにあった単語をpick upしただけである。

元号自体がmade in chinaだ。いまや中国様の発明品を後生大事に用いているのは日本だけになった。とうの中国はとっくにやめたというのに律儀だ。

牽強付会

普通に感じろよ。「令」といわれてご令嬢の令とか巧言令色の令を思い浮かべる人はいない。命令の令だ。

律令(りつりょう)政治」、令外官(りょうげのかん)もしかり。この時代、「令」は「りょう」であって「れい」と読むことはない。"r"eiwa であるか"l"eiwaであるかも問題だ。いずれにしろ日本人が不得意とする発音の単語が語頭にある。問題の多い字だ。

ぼくは令和を見たとき、不愉快だった。命令に和して同ぜよとはなにごとか。いずれ慣れるにしろ慣れたらいい話ではない。令は命令と考えるのがまともな文字感覚だ。これには国語力を要しない。小学校4年生に令の意味を聞いてみるがいい。

中西進先生は、「令」に負けた。

 


僕は島原へ具雑煮を食べに行った その3 (最終回)

2019年04月10日 | 食・レシピ
食事後アーケイド街に行った

アーケイド街が寂れるのは生活スタイルの変化のせいだといわれる。 そんなことが原因ではない。本気で考える癖がないバカにはわからない。

アーケイドの中に時計店

沼にはまった白鳥が最後に羽ばたいていた

 

たとえば、船が沈むのは浸水したからだとか、頭が痛いのが頭があるからだという文章のどこに誤りがあるだろうか。

否、文章に誤りはない。内容にも誤りはない。浸水しなければ沈まない。頭がなければ頭痛もない。

だけどこの文章の異常さはたいていの人が気が付く。それはことの本質から照らしてこんなことを言う陳腐さを理解するからだ。

 

自民党はもちろん、公明党まで地方破壊に加担しておきながら口では地方創成を叫ぶ。日本の98%は、過疎が加速して悩んでいる。何が創成だ。

一方でバカは言う。「当たり前だ。産業競争力を維持拡大するためには分散による非能率を避けねばならぬ。」

その通りだが、先ほどの屁理屈の例でわかるように、ここでの本質はそれで幸せに生きる世界が来るかということだ。

バカは、そんなこと言っても諸外国との競争に負けて貧乏になったら幸せどころではない。悠長に構える余裕はないのだという。

つねに貧乏ににおわれて生活してきた人は銭カネこそが幸せへの特効薬だという前提で物事を考える。北欧諸国のGDPはいくらか。ブータンはどうか。日本は一時、EU全体のGDPを凌駕した。

じゃあその時は幸せのエクスタシーだったな。

 

そんな考え方が蔓延する日本は今後も価値ある昭和を消してゆく。風情とか情緒とか、銭カネにならないものは経済性という化け物が消していく。

ここで狂った動きを始めた経済に制動をかけ社会を修復できるのは、政治のほかにはない。、その政治が地方を破壊し口先は地方創成という。国民を欺くペテンじゃないか。

 

島原のアーケイド街はいずれ消える。それが良くないものなら消えるがいい。

そんなことはない。アーケイドに覆われると町は小さな宇宙になる。そこでの強固な共同体意識は自分の体の一部のように街をいたわる意識に満ちている。

今はやりの自己責任というガサツで不勉強なバカに受ける概念は人と人との連帯を断ち切る恐ろしい考え方だ。他人のことなんか構っちゃあいられないという考え方は、人らしさ、人らしく生きること、連帯による共同体を否定している。

 

消えかかるアーケイド共同体は回復不能だろう。また、無理に再生したところで商店街なんて必要ないという考え方のもと諸政策が行われるから「創成」するはずがない。

平和の象徴が鳩だからといって鳩をかわいがっても平和にはならない。

 

昭和の灯よ、どうか消えないで

窓は泣いていた 湧水亭

 




僕は島原へ具雑煮を食べに行った その2

2019年04月08日 | 食・レシピ

具雑煮

起源は何と天草の乱。天草四郎は手っ取り早く作れて力が出る戦場食を工夫した。兵糧として蓄えていた餅をメインにシイタケ、はんぺん、大根、ウナギ…、とにかく何でも入れて兵に食わせた。

文化文政になると姫松屋喜久平がアレンジした。

その姫松屋を屋号にして今日に至っている。客で混みだす前に2階で食うのが良い。雑煮は座って食うものだ。島原城が正面に見える。今なら桜も間に合う。

 

窓から島原城。

この坂道を島原高校の女子が下りて行った。僕は40年前この高校からの採用通知を受け取ったが、行かなかった。島原高校が素敵な高校であることは断った後で知った。

田舎の優れた生徒は、都会のそれとは違い伸びしろが大きい。もてる力を振り絞るようなみっともないことをして入学してきたのではない。

当然にひきつった強迫観念はなくゆとりをもって大学に行く。福岡の三流公立とは対極にある。

連れはきわめて機嫌が悪かったが、も一度高校勤務もいいなと思った。すれ違う高校生が全員あいさつした。男子は有難迷惑だが、女子からあいさつされると、この高校の先生になった気がする。

ちょっとした弾みがあれば、僕は島原の人になっていたことも十分ありうるのだ。なんだかふわふわ夢の中にいる気分がした。

 

ぼくの目線が部活女子のフトモモにいっていることにひどく怒っている人がいた。僕は機嫌を直すため絶望的な出費を強いられた。今思うと作戦だったのかも。

それは次回。

 

 


僕は島原へ具雑煮を食べに行った

2019年04月07日 | 食・レシピ

フェリーの中

 

FIATは今までのぼくのクルマの中で最も疲れない車だ。1000年前から椅子に座って生活する国と100年前まで椅子を知らない国とを比較するのは、最初から勝負がついている話でありそんな比較は意地悪だ。

これもフェリーの中

福岡から熊本長洲港に行くときはわざわざ有料の高速を通る必要はない。みんな80㎞/hourで走る5号線を下り筑後川の堤防から有明海沿岸高規格道を走る。そこは、90㎞/hour.

 

古賀誠先生のおかげだ。新幹線の駅ができ、高速のインターができアクセス用の道路は有明海を一周する計画でほどなく完成する。およそ見渡しても人工物がないところに一大インフラ施設ができた。

 

貧乏な地方は中央からお恵みをいただくしかない。九州の田舎では、いまだに議員の評価は中央とのパイプという誤った考えが主流だ。

頭が悪いとわかるはずもないが、厚顔無恥にも自民党の主張はこうだ。

補助金、交付金、国庫支出金(現在は名称を変え実態を隠ぺいしているが本質は同じだ)を国から多く分けてもらえるにはどうするか。自民党が当選しなければならない。つまり自民は正義である。

節操がない。ときの権力者に盲従するのが地方議員の務めだと。議員の本心は違おうが無学の民はそれで大宰府が良くなるならと見境のない行動をとる。

バカには輪留めが必要だ

土人が酋長を選ぶ時ですら酋長の統率力とか人望とか経験とかまっとうな理由で選出する。だから選挙カーから名前の連呼のみをするのは土人以下の民度だ。個々の争点について意見を言うより、名前を連呼して私は国からお金を持ってきます、中央とのパイプがあるんです、といった方が当選に近づく。

どこが民主主義でどこが地方自治か。

 

あまり利用されてない

当選のためには仕方がないというが、イギリスでは名前を連呼する選挙運動をしたら必ず落選する。住民はバカ扱いされたと思うのだ。日本ではなーーんにも考えないバカが、聞いた名前を条件反射で記入する。

どこが民主主義でどこが地方自治か。

料金2000円 映画より楽しい

 

沿岸道路の終点はほぼ長洲港だ。有明フェリー。クレジットカードを出したらこれなんですかといわれた。一番最後に駆け付けた僕の手続きが手間取るのを見てフェリーが待っててくれた。このゆるーいシステムは好きだ。

カモメパンはうまくないパンだと思ったらカモメの餌だった

 

ぼくをのぞき込むカモメがいた。ぼくの方もカカモメにガンを飛ばした。ぼくはそんなにおかしいことを言っているか、お前学校行ってないな、と思った。ネトウヨカモメかも。

船室。少女が本を読んでいた。スマホゲームじゃなくて本を。

次回は食事編


Le gibier était délicieux.

2019年04月04日 | 食・レシピ

佐賀県鏡山山頂から唐津市方面

山頂は平たく桜が満開だった。

 

、松浦小夜姫(まつらさよひめ)の像が立ち、傍らに昭和天皇が来たとき読んだ歌があった。小細工を弄せず簡潔に心のままに歌ってあり、いわゆる「天皇ぶり」が出た歌だ。

 

そのあと海浜館に向かった。明治末、政府はタイトル画像に見える松原に鉄道馬車を引き外国人専用ホテルを作った。上海に生まれたジャック・マイヨールJacques Mayol, 1927年4月1日- 2001年12月22日)は父親の休暇に伴って唐津に来た。夏はこの海岸に潜った。(『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu))

現在は同名のレストランが後を引き継ぎ、だれでも利用できる。鏡山を下りると虹ノ松原があり、その真ん中に世間とは隔絶してこのレストランがある。そこには大勢の佐賀県民がいたので食事はやめた。

脊振の山奥にはジビエ料理の店がある。その料亭の前に一台の上品な高級イタ車が止まった。

ジビエで頭がいっぱいになっていた男は写真を撮ると早々に店の中に消えた。キーをつけっぱなしにして。食後本人はキーを紛失したと思い込み店はちょっとした騒ぎになった。迷惑な男だ。

 

部屋は真正面に滝がありシーンとして下界とは別世界。

半回転して入り口方向を撮った。件のイタ車が見える。

今の季節だから桜肉が良かったが、それは熊本まで行かないと本物はない。桜肉はまたいつか。現地に行かなくても肉自体あるにはあるが、やはり気持ちが乗らないと味も落ちると思う。牡丹は脊振、桜は阿蘇。

あれっというような量だったが、ジビエだもん、獲れないときは仕方がない。まてよ。これは燻製だ。少ない肉も近くで撮ると大きい。

僕は、穏やかに食事をした。食い終わった後でキーがないことに気が付いた。