か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

韓国と敵対してはならぬ。 1

2013年01月30日 | 韓国

僕のブログ内で、「息もできない」、を検索してほしい。

人々はまるで糞にたかるハエのように足の引っ張り合い、だまし合い、殴り合いをして曇った空の下、ソウルの大部分を占める貧民街にうごめいている。

昭和20年代の日本人がそうであったように、ソウルには誠実とか正直とか良心とかはない。昭和20年代、将来への不安絶望恐怖を抱かずに生きていた者が果たしてどれほどいるか。

上の写真は今のソウルだ。僕が歩いたソウルだ。

我らは昭和20年代の日本を忘れてはいけない。今ネトウヨが勝手に描く立派で、良心的で、正直で、誠実な人間は、そこにほとんど見当たらなかった。GNPは縮小再生産を繰り返し、1円は0.6ウォンと交換されていた。つまり朝鮮カネの方が価値があったのだ。

日本は犯罪の国、悪徳金貸しの国、やくざの国であった。運よく財閥解体をすり抜けた者、SONYのように上手に進駐軍にとり入った者、太陽の帝国の軍隊と不法にも手を組み政商となっていた者以外に日が差すことはなかった。

つまり敗戦国の悲哀は被害者のみ負う社会が成立した。戦争に勝とうと負けようと財閥は健在でありむしろ労働者の在庫一掃セールが行われたので金持ちにはありがたいかぎりだった。旗さえ星条旗に持ち変えればよいのだから。

さて、朝鮮戦争の勃発で情況は一変する。さらに李承晩の失政で韓国は世界の最貧国となり日本は希望の光が見える。ウォンはゴミ紙幣となり円は1ドル360円に固定していただき発展の土台を作る。アメリカさまさまだ。

日本はやがて人心が安定するが、戦争の混乱で日本に漂着する朝鮮人がいきなり増えた。彼らが日本で犯す悪事を見ると、悪い朝鮮人正しい日本人、という図式が誰の心にも成立した。その後50年たってもしつこい粘着質は朝鮮人帰れという。じゃあ、ドイツ系アメリカ人はドイツに、イギリス系アメリカ人はイギリスに帰らねばならない、あ、黒人はアフリカに。とくに黒人はそうでしょ。貧乏で、汚い英語で、だらしない生活で、教養もなく、不潔で、公共心がなく、犯罪の巣となり・・・あ、僕は黒人のことを言ってますから念のため。だが、

いかにギャングに黒人が多くとも、大人の国は黒人に大統領になってくれとは言っても、アフリカへ帰れとは言わない。

長くなるので今日はこの辺で。

Posted at 2012/11/10

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