<前回のつづき>
このように後進国においては独立というものはいつも甘く素敵な政治スローガンなのだがおおよそ権力を握ろうとする独立運動家にのみ利益のあることで、住民には損害を与える選択である場合が多い。なのであるから我々が過去1919年3.1独立運動で何の実益もない自主独立を扇動した人たちと世界情勢を見るとき独立とは何の実益もないものであるといえる。自重することを訴えた李完用伯爵の主張とどちらのほうが正しかったのかをもう一度考え直す必要がある。
カリブ海にプエルトリコという小さな島国があるのだが、ここは今アメリカ連邦に編入されるかそうでないならそのまま自治領として残るかを選ぶ問題で葛藤しているところだ。隣のメキシコやキューバから一日に数千名の人々が国境を越え荒れる海を越えアメリカに密入国しようとしているのを考えれば、これは一種の幸せな悩みだといえる。
19世紀末までスペインの領土だったプエルトリコは1898年アメリカが軍隊を派兵しスペインを追い出し島を占領することでアメリカの領土となった。 以後アメリカが100年間統治した結果貧しい農業国だったプエルトリコは先進工業国に変貌し現在一人当たり国民所得が1万ドルを超える中南米でもっとも豊かな国になった。
そんな中、この国にもアメリカからの独立のため武装闘争をするゲリラもいた。プエルトリコの民族解放軍はいまだに密林の中で自主独立のその日を夢見て世界最強のアメリカ軍を相手に熱心に戦っているが、住民たちの中には彼らにカネと食料などを支援している人もいるのだ。彼らはたぶん過去朝鮮の独立運動家たちと同様にアメリカによってプエルトリコが略奪されているので自主独立を成し遂げることのみが未来のための唯一の選択であると住民たちを扇動している。しかし、第三者の視点からプエルトリコを見るとき、アメリカの統治を受けなかったらいまだにただラテンアメリカの最貧国家の中の一つとして残ったであろうこの国でどうして独立運動をするのか理解しがたい。
したがって、国益というものは支配者の利益ではない住民の利益を言うのであるとするとき、住民がより人間的な生活を享受し高い生活の質を享有することさえできたら国を失うとか維持するとかいう命題は何の意味がない。安重根であろうが金九であろうが、またキムジャジンとかホンボムドとかの過去の朝鮮の独立運動家は今の現在のプエルトリコの民族解放軍と似た存在であるといえる。韓日合邦(日韓併合)は大多数の朝鮮人によいことだったのにそのことに抵抗した独立ゲリラは彼らが受けた儒教教育が偏向していたことで過去の朝鮮王朝への郷愁持っていたのかあるいは「独立」だけを最高の価値とする誤った考え方を持っていたのだろう。
政府が国民のために存在する今日の国家理念から見るとき独立であろうと自立であろうとそれが国民の幸福に寄与しなければ何の意味もないのである。さらにはそのことが住民の幸福を害する結果をもたらしたならばこれは明らかに最悪である。このような見方からすると100年前韓日合邦に反対であるとして自決するとか義兵となり死んでいった人々は価値がないことのために争い犬死をしたのだ。朝鮮はすでにきわめて古く腐っていてうち捨てられる運命にある王朝であった。いったい彼らは何を根拠に高宗に忠誠を誓い朝鮮王朝を守るために貴重な命を犠牲にしたのか。
<つづく>