か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

あき缶を捨てる韓国人

2014年03月30日 | 韓国

友人と野外で無線通信をするために200メートル程度の山に登った。韓国程度なら家の中からもできるが香港、豪州、昭和基地との交信を楽しむ予定だった。

コンディションが悪くまだ交信はうまくいかなかった。暖かくなれば何とかなる。HF~VHF。広場に洗濯ひもの長いやつみたいなのを張りめぐらすもんだからよく通報される。

許可はとっているので問題はない。できればウクライナと話をしたかった。

九州大学の卒業式は品のいいもので特に総長の言葉が印象的だった。昼間のキャバクラのお姉ちゃんたち、ポン引きのお兄ちゃんたちがハイテンションに集う福岡大学とは雲泥の相違があった。どこまでも馬鹿は悲しい。向上心がない。

僕は九州の大学は押しなべて馬鹿かと思っていたので自分の不明を恥じた。総長は、世界を見よといった。ちまちましたアジアだの日本だのに役立つ人間になるな。この時期によく言ってくれた。日本の馬鹿は韓国は島とったもん、とか言って泣き出し、韓国の失敗を狂喜する。出口のない狂乱だ。

いや、からけんは韓国を分かってないと叱られそうだが、そういうお前こそ頭が高い。僕はやつらのせこさ、いい加減さ、暴力性、不誠実さ、虚言。誰よりも分かっている。専門ではないが韓国での出版物はできるだけ読んでいる。

僕が言いたいのは、韓国人がああしたこうしたに一喜一憂する馬鹿は、韓国人と同じだろうということだ。止めろ。中国人の失態を書くと人気があるようだ。僕はそんなことではいかんと書いたのだ。

なぜ事実を噛みしめ背後にある政治情勢や歴史性を嚙みしめようとしないんだ。要するに、中国韓国にしてみれば、日本は悪い国だから何をしてもいいと思っているんだ。僕も悪人の家には食いかけのパンを投げ込む。

外交交渉の3分の2は歴史に対する認識論争で最低150年はさかのぼる。いい加減「お前の母ちゃんでべそ」ごっこは止めないか。まさにそこが日本人の幼稚性、非倫理性をあらわしている。デンマークがグリーンランドのある小さな島の領有をカナダと争ったときの外交交渉文書が明らかになっている。そこにあるのは実に大人の会話だ。どうせ読まないだろうから僕も言わない。

ここですねるのがその馬鹿さ加減をよく表している。そしてすぐ忘れる。おめでたい。

僕らが無線をしていると下品な色の服を着た韓国人が来てベンチでジュースを飲んだ。もちろんジュースの缶をそのままに立ち去った。

問題はここからだ。明らかに日本人と分かる上品なご老人二人が同じベンチに腰掛けた。僕らは無線に夢中になっていたが、ふと気がつくとご老人と共に空き缶も消えていた。






桜を折る中国人

2014年03月26日 | 事件事故

都府楼跡(大宰府政庁跡)は今、周囲2キロの公園になっている。朝は老人たちが元気よく歩いている。仕事を辞めた僕も歩くことにした。昼。朝はいかん。体が無理をする。その上、速く歩くのは健康に悪い。

昼間起きだして、カメラと双眼鏡を持ってかわせみの写真を狙う。たおやかな午後のひと時、至福の時間だ。

なぜ僕は、もう少し我慢というものをしてこなかったのか。人をイラつかせることばかり言って食ってかかってきたのか。逃げ場をとられた馬鹿は、必ず攻撃的になり、かつしつこい。

わが子が三輪車で遊ぶのに目を細める日本のいいお父さんになれたかもしれない。夢だ。あがらいがたく引きずり込まれる Fighting Life 。朝鮮語は時に適切な単語を提供する。

??(パルチャ、抗しきれない運命の悪い糸).

中国人観光客が、その都府楼跡に来ていた。みんな手に桜を持っていた。ここで注意するとどうせ拾ったとかもらったとか言い訳するから、しばし傍観すると、その中の一人が僕の目の前でボキッと桜の枝を折った。

カンフーが来たら困るが、たぶん僕のほうが強いだろう。止めろと言った。すると強そうなのが一人食って掛かってきた。でかいのは大丈夫。たいてい息切れする。警察に行くぞ、というと女たちがわめきだした。

そのまま帰ろうとしたので、そりゃないだろ。というと案の定、折ってしまったものをどうしろというのか、と言ったので、僕の沸点は突破された。

日本に謝れ。手に持っている桜の枝を捨てろ。さもないと査証無効確認(滞在要件違反)をするぞ。

やっぱり犬と中国人は公園に入ってはいかん。上海租界の看板は正しかった。何を言ってもどこ吹く風で、桜を投げ捨てるとバスに急いだ。

日本人も悪い。こんなやつらを招き入れるに必死だ。そんなら毎朝早く起きて公園を掃除している老人、公衆トイレをボランティアで掃除する老夫婦たちに謝れ。金だけの人生を恥じなさい。ところが、そんなことには目もくれず、駐車料金、免税品、梅が枝もちで小金をためて喜ぶ浅ましい貧乏人よ。草取りに来い。そして折られた桜の多さに反省をしろ。

おまいらが小金をためるにつれ桜は沈黙の中で死んでいく。

お遊びに数学の問題をだしていた。

n角形の対角線の総数はn(n-3)/2である。対角線の総数が35本である多角形は何角形か。

①おもしろくない解き方で、数学の才能をつむきわめて害毒の多い解き方。主に学校ではやる。

n(n-3)/2=35を変形して nの自乗-3n=70  つまり  nの自乗-3n-70=0  つまり
(n-10)(n+7)=0  だからnは10、-7 だがn=>4  よって10角形

②ファクトリーお猿さんが示された頭のいいとき方で、脳が若いほど解ける。

nと(n-3)は3違いの数である。①の最初の式の両辺を2倍して nと(n-3)は、かけると70になる数である。かけて70になる数は多くない。2と35、5と14、7と10。 この中で差が3なのは、nと(n-3)を満足する。それは7と10だから、n=10

①のように-7とか言う変なものも出ない。「条件により不適」と言うのはなるべく使わないほうがよい。長くなるとどこで間違えたか分からなくなる。


弄り壊し(いじりこわし)

2014年03月22日 | クルマ

不愉快な言葉だ。今はアルミ製の部品が増えて、ねじを締めるのも緊張する。とくに時間に追われるのがよくない。失敗、勘違い、的外れな修理をする。

不思議な人間の心理だ。修理を始めるときは億劫な気分でいっぱいだが、時間がなくなってくると、もう少しもう少しと欲が出てあせって作業をしてしまう。

プロはこんなことはなく、急ぐこともなく淡々と作業をこなしていくのだと思う。しかも何百種類の車種に精通しなければならない。カネをもらうのだから当然だが、その知識、創意工夫の量は到底アマの及ぶところではない。

しかし悔しいじゃないか。僕はたった1、2種類の車について知ろうとしているに過ぎない。

先日、ヘッドカバーのパッキンを交換しようとしてねじ山を壊してしまった。このとき絶望と同時に自分のいやな性格があふれ出る。「ここぐらい鉄で作れよ」とか「ねじ穴が薄いからこんなことになる」、とまるで朝鮮人みたいに人のせいにする。

タップもだめ。いっそ、ねじ穴を大きくして一回り大きいボルトで締めることにする。日が暮れる。寒くなる。車庫の照明は暗い。照明を持ってくれるような助手はいない。

こんなとき悪魔がささやく。からけんの馬鹿。工場に頼めよ。できもしないことを自分でやろうなんてカッコつけるからこうなったんだ。

このときは何とか10のねじの代わりに12を使い、ほかのねじはシリンダーヘッドに切られた10のメネジによって締め付けられるが、この一本だけはヘッドをつきぬけ12のナットで締めた。

試運転に170キロぐらい出したが異常ない。どうだっ。悪魔め、僕はこの瞬間がこの上なくうれしいのだ。PAでボンネットをはぐるとシリンダーは乾いている。オイルはまったく漏れてない。

機械音痴とかいるらしいが、正確な呼び名ではない。機械を愛さない乗りっぱなし人間がよく平気な顔をしているな。人任せにしていちように車好きのつもりでいる錯覚野郎だ。思想上の怠け者だ。ナチスドイツには無能罪というものがあった。頭が悪いのは犯罪だ。こう言われると少しは考えるだろう。

機械に乗る以上は、その原理原則に通じていなければならない。車が大きなブラックボックスとなるとき、そこに乗る人間は遊園地のおサルの電車のサルだ。ただし、女性は違う。女性はそんなことに頭を使うな。女を磨いて魅力ほとばしる女になり、自分で運転する必要のない女になれ。

プラグが何かも知らないホモ野郎が増えて気持ちが悪いので言いたいことを言った。まだ足りない。

あとは数学の問題

n角形の対角線の総数はn(n-3)/2である。対角線の総数が35本である多角形は何角形か。

 


負けたときの身の振り方。

2014年03月17日 | 思想

日ごろ、勇ましいことを言う者に限って、状況が変化したとき、身の振り方の変わりようには、節操がない。

① おいおい述べていくが、東京裁判の証言台に立つ大本営の発狂将官参謀たちは、数百万の兵を死なしたことへの反省はまったくなく、アメ公に対しこびへつらいを始め、陸海軍相互で責任のなすり付けをはじめる。見苦しい。

この無能集団を、学歴のない国民は、信仰のように陸士海兵とあがめ盲従した。

ニュールンベルク裁判で連合軍から謝罪を要求されたナチスの将軍は、毅然として反論する。「なぜ私がアメ公に謝らなければならないか。ドイツ国民に対してはいくらでも謝ろう。負けて申し訳ない、と。ドイツ親衛隊は敵に謝ったりしない。ドイツ国民から敗戦責任を問われれば、いくらでも絞首刑になる。だが、私は犯罪人ではない。したがってアメ公は私を裁けない。」

低脳大本営からは、ついにこのような言葉を吐く人間は出なかった。

② 次のあほの例として青木泰二郎がいる。敗戦確実と知るや一部の部下と家族を連れて元山(北鮮)から脱走し日本へ逃亡した。元山航空隊の司令である。 僕の数学の先生井上少尉は取り残された一人だ。ソ連の侵攻を死をもってとどめる、あるいは遅らせるのが軍人の当然の務めだ。

グラマンとの戦闘にへとへとになりつつもゼロ戦パイロットは、一人も青木のように敵前逃亡したものはいない。待っていたのは優秀なソ連軍飛行機との歩が悪い空中戦だ。パイロットは肉片となって振ってきた。

ゼロなら1時間で内地に帰れる。しかし帰ったものはいない。一人パイロットがいれば10人近くの整備兵がいる。さらに100人近くの地上勤務者がいる。人間なら仲間を残して帰れるか。

青木のように敵前逃亡するやつは一人もいなかった。ところが、青木は戦後を恥じることなく生きた。

③ ジャワから撤退するとき、大本営軍令部はグッドイヤーのタイヤ工場(ブリジストン、当時日本タイヤ、が接収していた)を破壊するよう命じた。中国に何箇所か存在したタイヤ工場も同様の措置を命じた。

敵に利用されるのを防ぐ措置で、一見合理性があるようだ。ところが、タイヤは米本国で有り余っていた。高校生が彼女を誘う車に対しても制限はない国に対して、まさに蟷螂の斧とはこのことだ。

ブリジストンは命令に背いた。とりわけ陸軍と癒着することで発展してきた会社だ。隼のタイヤはすべてブリジストンが作った。だがブリジストンはいつまでも軍のあとを追うチンピラ企業ではなかった。タイヤ屋の意地を見せた。インドネシアにとって戦後の発展には、タイヤは欠かせないものになる。

そのあと工場を取り戻したグッドイヤーは驚いた。俺たちが日本軍に押されて撤退したときよりも、いい状態じゃないか。

戦後、ブリジストンとグッドイヤーとの各種提携は、1979年まで続く。

 


Coriolis force(コリオリの力)

2014年03月14日 | 技術

日本では、大塩平八郎の乱が起き足元に火がついた幕府はやっと情勢の急変を自覚した。飼い犬が手を咬んだのである。

欧州では、ナポレオンの熱狂のほとぼりも冷めぬころ、国民はルイ=ナポレオンに夢を見た。彼は果敢にも再び寒い国の熊に戦いを挑んだ。国民は、クリミア半島、とくにセバストポリの攻防に一喜一憂した。

200年後、この寒い国の半島が再び熱くなろうとはだれが想像しただろう。

そのころ、ある弱兵がいた。前線はおろか通常軍務も果たせぬ彼は、ほどなく除隊する。ここからだ。彼が本領を発揮するのは。兵隊というのは数にすぎない。一騎当千とはたとえの話だ。それどころか10人力も現実にはない。

しかし頭は違う。バカが一億十億いようと烏合の衆であり、頭というものは、一騎当千どころか百万にも一億にも相当する働きをする。

石原慎太郎は、小説家らしく豊富な語彙で適切に意見を表明するが、肝心の教養がない。フランス人がいつから数学が不得意になったんだ。逆だ。近代の、及び現代の数学を支えているのはフランス、ロシア、アメリカだ。

クルマに関係のない話をしているとかいって泣きじゃくっている人がいるだろ。あほ。当初述べた病弱の青年の名はコリオリだ。彼が、明確に、正確に、単純に、「仕事」と運動を区別したことから世界の物理は統合された。今高校で習う物理の概念をつくった人だ。

なぜガソリンという液体がクルマの運動に代わるか。そのことをエネルギーで考ると、燃焼という化学エネルギーが上下運動、回転運動に代わって運動エネルギーに変わって行くのだが、そこには、一定の方程式で結ばれる法則があるということ。これが分かってなかったらクルマは誕生していない。同じ質量なのになぜ遠心力は角速度の2乗に比例するのか。衝撃はなぜ速度の2乗に比例するのか。そのまま正比例じゃいかんのか。

残念なことにコリオリは別のことで有名だ。コリオリの力。これは、とても面白く応用が広い。数式は使いませんのでもう少し頑張りましょう。

北極から南極に向かってボールを投げた。ボールが空中にある間も地球は動くので、かならず狙ったところより右側に落ちる。これはあたかもボールが力をうけて右にずらされたようだ。というのも、地球が止まっていたらそのまま狙いのところに落ちるからだ。実は力をうけて曲がったのではない。

ここからが頭を使うところ。

北極は西も東もない。ので、日本みたいなところに立ち、こんどは東へ投げたらどうだろう。あるいは西へ。安易に答えを書いちゃあいかんが、ボールはずれない。

じゃあ斜めに、たとえば赤道に向かって左45度にボールを投げたらどうだろう。その次は、その投げ出す角度、と、ずれかたを一般式にしたらどうなるだろうか。

戦艦大和の主砲は、一発今のおカネで五千万。通常9門の斉射を行うので約五億/一回。外せません。計算室の歯車が何百個もまわりだし計算を始めるとき、ひそかにコリオリの力を組み込んだ歯車があった。





泣きつき、すがりつき、おねだり農業。だれのせい?百姓をバカにしてるだろ。

2014年03月10日 | 社会・経済

一昔前は、減反政策の見返りとして補助金が与えられていた。すべてにわたって同様のことが行われている。それが日本の現状だ。

麦はどうだ。麦作補助金を断っているやつはいるか。こうして世界価格の10倍の麦、7倍のコメを食わされる。

ここでバカをだますため官僚が考えたのが、食糧安全保障だ。農水省の傘下には意外と天下りポストが多い。そこで教養のない貧乏人がまぐれで試験に通り、その職にしがみつき変なプラン、現状を糊塗するプランを考えつく。ポチはご主人さまを金塊のありかに連れていき、ここ掘れワンワンと騒ぐ。

官僚の落ちこぼれは大したプランを持たない。それをお役人様あー、と奉ってはならない。お上(おかみ)の思いつきは必ず破たんする。農業基本法に踊らされ、バカを見た選択的拡大の茶番を思い出すべきだ。

狭い国土、あふれる都市人口、過疎化する田舎。だからコメの単価は高くて当たり前だ。とホラを吹く。おまいら農水省が一回も農地を見ないで、くわも持たず学校時代の受け売りと自民党議員の受けを狙い、絵空事の青写真を広げたのが、農業基本法を受け継ぐ食料・農業・農村基本法だ。

今回は食糧安全保障に限る。米は何でつくると思っているか。田植え足袋をはいて苗を植えていくか。そんなことは北朝鮮でもしていない。田の草取りで腰は曲がり長生きはできないか。バカ。それは江戸時代だ。

米は油でつくり油で刈り取り油で運ぶ。軽油重油がないことには一粒のコメも育たない。なのに食糧輸入が止まった時、最低限の自給率を確保しようとぬかす。最低の成績で入った下品で国際会議に出せない貧相な顔をした農水官僚が、仕込んだ通りの世論ができたと喜んでいる。

自給率が100%以上でも油がないことには何によって流通させる気だ。自給率は関係ない。40%ぐらいに食いモノが減っても、餓死者は出ない。十分な流通があれば。

多くのトリックで、真実をごまかそうとしていることに注意すべきだ。ニワトリが日本で卵を産めばその卵は国産だ。だが、餌は輸入なので、数字に出るほど自給率は高くない。これもまやかしだ。なぜなら、飼料価格は不安定だ。だが価格は高騰していない。自給率も落ちていない。補助金もない。しかしちゃんと我々は卵を食っている。(卵の価格の決定要因は飼料ではない。油だ。養鶏業者は数十銭の原価計算をして安い卵を提供している。詳しくは後日。)

甘やかし農業にすがらなかった人たちもいる。その人たちこそきちんと日本の農業を守っているし、自らの収入をあげている。わずか5町歩の畑からコンスタントに2500万円/年の収入をあげている。

官が口出しをしないと日本人は立派にやる。佐賀のコメは輸出すらしている。国際価格の7倍なのにやっていけるのだ。官僚の机上では出てこない計算だ。ポイントは何か。うまいのだ。

クボタのトラクタを見せてもらった。佐賀農業まつりで30台ぐらい展示されていたが50台ぐらい売れていた。男の機械だ。1500万。アタッチメントは2000万。現代の考える百姓をバカにするな。

写真は隣にあったYS11と僕





OHP (over head projector)

2014年03月01日 | 教育

この機械はきわめて原始的な仕組みで、何のとりえもなく面白みもない。案の定、小学校の先生、とくに大部分を占める女性、さらには公務員たちを魅了した。

50代の方は記憶にある人もいるだろう。原始人は、これ見よがしに透明なプラスチックの板(フイルム)を、自慢話をしながら重ねてゆきそのことに満足した。

仕組みはこうだ。四角い箱の中に光源があり垂直方向に光を放つ。15センチぐらい離れて透明なプレートがある。この上に前日苦労して書きこんだプラスチックの板をかさねる。その昔幻灯機といったたぐいだ。縁日で、提灯の蝋燭によって映し出される金魚の絵だ。さらにその先に反射板があって、スクリーンなり壁なりに投影される。オーバーヘッドプロジェクター。バカがカッコつけただけの「頭越し投影機」。

人がやりだすと慌てて自分もしだす。げに集団の恐ろしや。必ずクロマニヨン人からも笑われる。ラスコーの壁画にはるかに劣る。

15000年前ですらゴミになったこの物体は、バカがカッコつける絶好の機会を提供した。頭を使っていない、及び使ったことのない、及び今後も使わない永遠の低能達のためにあった。

発表内容を書き込んだプラスチック板は、重ねるにしたがって不鮮明になりずれて暗くなり、何回も使い回しするので傷が入り、割れてセロテープで止め、スクリーンには大きなセロテープが映った。

説明も佳境に入り自己陶酔と観客のなま欠伸が重なる頃、プロジェクターは過熱し、せっかくの力作のプラスチック板を溶かし、臭いにおいが会場に立ち込めた。

ある男が昇進する際、たいして親しくもなかったのに何日も徹夜して書きこんだプラスチック板をくれるという。こんな失礼な話があるか。学問は思想信条の中に含まれる。お前のアホづらと俺のりりしい顔が異なるように、お前の権力迎合、ままごとお勉強と僕のサイエンスは違う。

僕は、若かったからではなく今でも同じことをするが、数十枚のさんざん書きこまれしかも使いこんだ中古品のプラスチック板をその場で捨てた。不潔だ。

バカだな。

なにも考えず、よさそうだなー程度の認識で必死にラスコーの壁画を描く。かげでは、だれがこんなもん発明したんだとぼやく。

「なんだ、スマホもしてないの。フェイスブックは。ツイッターは。このアプリを知らないなんて。ビットコイン知らないの。プレゼンにパワーポイント使わないなんて。」

OHP狂想曲にならない保証がどこにある。