<前回のつづき>
例にとれば、私は韓国がアメリカの連邦の51番目の国家に加わることができたらそうすることが「国益」だと思う。我々はそうすることでアメリカという連邦のよく整備された金融、政治、法体系など先進社会システムを導入することができる。現在では不可能な莫大な投資と福祉の恩恵が与えられ韓国人の生活は豊かになる。であるのだが(連邦の一部になったとしても)われわれは独自の主権国家として立法部と司法部、行政部を構成することができ連邦憲法にもとづき大統領も選出し現在の法体系もそのまま維持することができる。アメリカという連邦に所属する50個の主は事実上一つ一つが主権国家として独自の国旗と国歌、首都と軍隊を持っていて住民が(連邦の一つであることを)願わないならいつでも連邦から離脱する権限も持っている。しかし、こんなに都合のよい事が起きないのは、我々が望まなかったからではなくアメリカが望まなかったからだ。
もう一つ例を挙げてみよう。ある日、中国が山東省を大韓民国の植民地にしてやろう(割譲しよう)と言ったら我々は果たしてよろこんで受け入れるだろうか。どんなに植民地だといっても我々が山東省の9千万住民を奴隷にしてこき使う気でもない限り互いの生活水準を合わせるため膨大な財源が投資されなければならない。また押し寄せる移住民たちによって韓国全体が長い間頭の痛いことがつづくのは明らかだ。
実際山東省まで行かなくても、万一ある日急に休戦ラインが解放されでもしたら大部分の韓国人たちは、憲法上大韓民国の住民に明記されている(ので仕方なく)北朝鮮人までも受け入れようとはならないはずだ。北朝鮮から韓国に数百万の難民が押し寄せてきた場合、膨大な社会混乱と政府資金の支出が続くだろうしそのことによる生活水準の下落が予想されるためだ。今日、統一を国家目標のように考えている韓国でもこのように統一を望まない微妙な気流が形成されつつある。
過去の帝国主義時代の国家とはおおよそ広大な領土を持ち住民を率いることだとまず考えるが、現代社会では奴隷制度が禁止され最小限の人権を保障する法体系が確立しているのであるから生活水準が高い社会は貧しい社会と統合するとか国境が解放されるという事態を望まなくなったのだ。さる1957年、フランス大統領ドゴールはアフリカにあるフランス植民地13か国を独立させたことがあるが、当時この植民地はすべてフランスの植民地の一部として残るのかさもなくば独立するのかということを投票により選ぶ機会があった。結果、13か国すべて独立を支持した。
しかし今日、どうにかしてフランス本国の地を踏もうと命がけで密航しようとするこれらの地域の若者たちは過去自らの父母がなした結論をどう考えているのか考えてしまう。万一、当時一つ二つの国でも独立を拒否しフランスの領土に残っていたら、そこの国民は周辺のアフリカの国家よりはるかにましな生を享受できただろうし、少なくともフランスに自由に旅行しあるいは移住することができたであろう。
<つづく> 毎月20日