か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

目達原基地の軍神  4

2013年01月30日 | 東洋歴史

http://www.youtube.com/watch?v=7qH5_ZPzjQk&feature=player_embedded

「来るべき秋がついにきた。たとえ生還の確率が少なくても、雷撃や爆撃など帰還するこ
とが前提の出撃であれば、自分だけは絶対に生還できると信じることで、精神的な不安を
克服することができる。死は結果であって、目的ではないからである。 

 ところで、いくら命令だからといっても、生還できない「体当たり攻撃」に、平静に出
撃することが果たして可能なのだろうか。戦死することもあり得ると、承知のうえで志願
した海軍ではあったが、死ぬのが目的で志願したわけではない。」

海軍の話であるが陸軍も似たり寄ったりである。白菊偵察練習機で体当たり自殺攻撃をした。情報がどんなに不足しても負けているのはだれにも分かる。自殺攻撃の成果はあったというアホがいるがそんなら真珠湾の時からこれをやれば日本は勝っていたわけだな。

目達原には少年飛行兵がどんどん投入されては消えていった。中には飛行時間40時間というクルマの運転ですら青葉マークが必要な者が南の空に消えた。

死ぬかもしれないが頑張れ、と言われたとき日本人はとてつもない力を発揮する。しかし必ず死ぬけど頑張れと言われたのだ。日本人に限らず誰でも死地に赴く運命を嘆く。

福岡市内の女子校の寮には特攻隊員が暴れてつけた刀傷が残る。僕の数学の先生は特攻の生き残りだ。僕は彼がこういうのを100回以上聞いた。「やけくそだった。」現代のセンチメンタル右翼思想で美化することはできぬ。

この攻撃の成果を強調することで、せめて彼ら特攻隊員の御霊が浮かばれるならと、自殺攻撃作戦を正当化しようと努めたい気持ちはよく分かる。

あからさまに特攻攻撃の被害対効果の低さを強調されると、決死の思いで出撃した純粋な17歳の少年たちまでバカにされたようで心中穏やかではなかろう。

ピアノを弾いた特攻隊員たちは目達原基地に戻っていく。そして二度と鳥栖国民学校を訪れることはなかった。

ピアノを弾いたあと、隊に帰る特攻隊員2人に、小学校の生徒たちが口々に「予科練に入ります」「特攻隊になります」と言うのに対し「君達が特攻に行かなくてすむようにお兄ちゃん達が行くんだよ」やさしく言った。

目達原はなんと悲しい曲を弾かせたんだ。(一部音に乱れがあります、申し訳ありません)

純粋な国を思う気持ちの美しさに心を打たれる能天気たちよ。その純粋さは利用するのに都合がいい。

特攻の元締め大西瀧二郎は問われた。「そうまでするなら戦局を一挙に挽回できるんだろうな。」大西は泣くばかりであった。卑怯である。しかし方針は変えなかった。本人が腹を切ってすむ話ではない。2500人分の切腹をせよ。


Posted at 2012/11/30

 

 

 

 

 


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