か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

光母子殺害事件、秋にも再審請求

2012年12月29日 | ニュース

光市母子殺害事件で、少年時の殺人、女性暴行致死などの罪で3月に死刑が確定した大月(旧姓福田)孝行死刑囚(31)の弁護団は26日、確定した広島高裁の差し戻し審の判決に重大な誤りがあるとして、秋にも再審請求する方針を示した。東京都内であった報告集会で明らかにした。
                                      中国新聞2012,5,27

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最高裁は自ら判断することなく広島高裁に差し戻した。残念ながら今後同類の犯罪は起こっていくことが予想されるので、僕は今回最高裁の意見が聞きたかった。棄却や破棄などによって門前払いをし、下級審にその判断をさせることは責任回避だ。

というのも、十分に残虐であった場合、犯人の更生の可能性がいくらあっても首を絞めて殺すことにするという決定は、判例変更にひとしい。下級審を拘束する判例は、棄却などが積み重なってもありうるが、今回のように少年法の意義の根幹にかかわる場合、判決がほしいところだ。

というのも、日本の裁判所の決定命令判決はすべて開示される。僕らはそれを見て考えることができる。ありがたいことだ。煽情的なパソコンサイトのガセネタに狂乱するのはバカだ。その開示された上級審の決定の過程において、一人の裁判官が述べていることがどうしても気になる。

長くなるので一部にする。その判事が取り上げた犯人の精神鑑定と犯人の生い立ちの関係についてである。

関西大学教授の野田正彰鑑定人はこう述べている。

現弁護団は被告に面会し、あまりの幼児性に当惑した。山口家庭裁判所の調査官による「少年記録」には、「発達レベルは4、5歳と評価できる」とあり、生後1年前後で頭部を強く打っていることなどから「脳器質的脆弱(ぜいじゃく)性が存在するのではないか」と書かれている。今勾留(こうりゅう)されている広島拘置所でも、統合失調症の治療に使う向精神薬が長期多量投与されている。

もちろんこれはやる気のない隙間だらけのいい加減な鑑定だ。まず、生後1年で頭部を強打したことと、脳の器質的脆弱性は重要なポイントであり、もっと徹底的に調べるべきだ。向精神薬とその薬が選択された根拠も明らかにすべきだ。頭を強打したのは父親の暴力による。母親の自殺についての言及がない。

日本は罪刑法定主義を採用している近代国家である。街中をひきまわして銃殺する国とは違う。早く殺したくてうずうずしている人はその国に行ってほしい。みんな被害者といったら言い過ぎだが、その暴力によって4,5歳で発達を止める障害を与え、母が自殺するほどの暴力をふるった父親はなんの責めも受けないのか。

犯人がついているあきらかなウソぐらい僕にも分かる。弁護団は犯人を死刑から救いたいのではなく、裁判を引き延ばして死刑制度と戦いたいようだ。

付け足したいことがある。

弁護側の野田正明鑑定人が証言すること自体を批判した宮崎哲也は正気ではない。証言させることは裁判所固有の権利である。証言内容を批判するならともかく、証言すること自体を批判するのはチンピラのすることだ。

Posted at 2012/05/31

名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん) in dubio pro reo

2012年12月29日 | ニュース

1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で起きた毒物混入事件。5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。逮捕・起訴され、容疑者の奥西勝(おくにし・まさる)は死刑判決が確定している。 wikipedia

奥西死刑囚の裁判のやり直しを認めなかった5月25日の名古屋高裁決定は、再審のハードルの高さを示した。                                朝日新聞、2012,5,26

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日本は三審制度を採用している。一部の例外を除いて、3回の裁判により判決は確定するのだと決めている。もっともなことだ。一億人も住んでいるのにそんなに一つの事件に時間をかけてはいられない。現状ですら一つの事件に3回も裁判をするものだから、下級裁判所の裁判官はいきおい激務となる。

傍聴するとまるで工場の流れ作業のように裁判官と検事は息を合わせて多くの事件をさばいていく。被告人は不満を感じない。感じるほどの能力がない場合が多いからだ。何が何だか分からないまま窓のない部屋の儀式は進んで行く。国選弁護人は現場を見ることもなく15分ぐらいの弁論を仕事と心得ている。

裁判所には学生を連れて何十回も行った。「神」でもあるまいし、これじゃあ間違いも起きるな。というのが僕の傍聴しての実感だ。

クルマの下にもぐって修理をすると、どうしても早く終わらせたいという心理が働いて一万回に一回ぐらいは締め付けの甘いナットがあったりしてハッとする。

裁判所はそのようなときのため4回目の裁判として再審というものを開くことがある。この再審はみだりに開くと日本の三審裁判制度の根幹を揺るがすのでほとんど開かれることはない。

このように開かずの門であった再審制度に画期的なことが起こったのが白鳥事件再審の時である。最高裁は"in dubio pro reo"の原則(疑わしきは被告人の利益に)が再審においても適用されなければならないと1975年白鳥事件に関連して示した。

そこで今回の名張毒ぶどう酒事件だが勝手な判例変更がなされたようだ。名古屋高裁は再審棄却の理由として検察側と弁護人側との争点以外にも言及している。だが、恣意的な争点の取り上げ方には司法の傲慢さを感じる。まずは客観的合理的な棄却の理由を弁護側の再審請求に沿って提示すべきなのであり、弁護側が示した根拠には言及すらしてない点もある。

たとえば、名古屋高裁は弁護側の物証に対し、毒物が「ニッカリンT」ではなかったというほどの証拠能力はないと断じた。それは、あったかもなかったかもしれないという程度の言い訳だから、まさに被告人の有利に解釈すべきものである。

棄却の理由に、「自白」の信用性についても重きを置いている。調書の信用力を保障するため、可視化の必要性が常識となりつつある現代と、1964年当時をそのまま比較してはならぬ。その証拠に「奥西死刑囚」は、調書をとり終えるや否や自らの自供を否定しその後50年以上一貫している。調書をとる時点での一定の圧力を疑ってよい。そういった50年前の、瑕疵が予見される調書も被告人の有利に解釈すべきだ。

頑迷固陋をつらぬくと、たいていは恥の上塗りになる。再審開始をためらうほど名古屋高裁は、国民の信頼をなくしていく。


Posted at 2012/05/29

ファシストの巣窟、福岡の公立高校 その5

2012年12月29日 | 受験・学校

さもありなん、さもありなん。福岡県の話だ。労働組合としての実態が全くなかった、第二組合ゴマすり低脳ひがみ集団は解散した。今後は校長を囲む会としてより一層低脳ちょうちん持ちの性格を鮮明にしていくようだ。

福岡県は0時間目とか朝補習とかがあって高校の先生は大変だ。よくバカにならないもんだ。いつ教材研究するんだろう。生徒を英単語テスト、古文の助動詞の活用テストで追い込んで、日曜には模試をしてホントみなさんよく頑張る。その結果、バカになるということが分からんから高教組も非組合員も今や大差なくなった。

お先真っ暗の絶望生産工場だ。親は親で吐きそうなほど品のない服装をして式典に来る。すこしは考えろ。朝鮮人の式ではないんだぞ。

あるとき、不良の服装をして公立高校に来るなといったら言われた親が逆上した。会議室にいたらPTAの幹部の親はサングラスをして入ってきていた。クルマもバリバリ改造のキャンピングカーみたいなのできた。ごろつきだから子供も多分ごろつきだろう。

僕は客人だったが、失礼な服装とクルマはやめろと言った。公立高校に来るときはバカ車はやめろ、クラウンにしろ、それが買えなかったら西鉄バスで来いと言った。30分ぐらいいあったが、バカはいつも馬鹿にされているので言い逃れが上手だ。いつも言い逃れだけ考えて生きているから。

しかし、ここでサイエンスが低脳に言い負けたら文明は崩壊する。とにかくおかえり願ったが、学校にミーハー車で来ることの異常性について理解することはなかったようだ。糸島高校、もっとしっかりしろ。他にも福岡市周辺には吐き気がする高校が多い。筑前、玄洋、香椎、須惠、宇美商。ただただ一人の進学者もないことを祈るのみだ。屑のくせに日本人づらをしてもらっては困るのだ。

日本の邪魔になっているその無教養、汚い字、だらけた生活。そんなことをして尖閣だ竹島だと言ってほしくないのだ。

たった15年しか生きてないのに、人間はこうも差が出るのかと思わせる素晴らしい高校もある。

福岡県の柏稜高校では、ほんの数センチ女子の髪が長いと言って血しぶきがあがるほど殴りつける。ところが仙台一校では髪の長さは自由だ。50にもとどかぬ柏稜高校の偏差値に対して仙台一校はおおよそ65以上をキープしている。制服もないのだ。生徒がポケットに手を入れないようにポケットを縫いつける玄界高校とは大違いだ。

テレビで高校生クイズを見て、僕は本当に安心した。仙台のナンバースクールは冴えている。昼休みにラーメンを食いに外に出てもいい。何が悪いか。僕は家に帰って昼寝をしてから午後の授業に行くぞ。何が悪いか。意味もなく研究室からでられないアホより僕はいい授業をしている。

一校の生徒の透き通ったまなざしを見よ。集中力を見よ。正当な論議をする力を見よ。

Posted at 2012/05/27

国際リニアコライダー、「脊振誘致、九州一体で」

2012年12月29日 | 技術

国際リニアコライダー(ILC)誘致を目指す先端基礎科学次世代加速器研究会(顧問・古川康佐賀県知事、小川洋福岡県知事)の第7回研究会が26日、福岡市であった。候補地が脊振山地ということで佐賀、福岡両県で進めてきたが、新たに沖縄を含む九州・山口の7県7市町が会員として参加。「オール九州」で誘致に取り組んでいくことを確認した。
ILCは全長30キロ超のトンネルで電子と陽電子を衝突させ、宇宙誕生の謎を探る研究施設。各国が資金を出し合い、世界で1カ所建設予定で、国内では脊振山地と岩手県の北上山地が候補に挙がっている。古川知事は「実現すれば脊振地区に世界中から科学に関心がある人が集まってくる。みなさんと協力し、誘致を進めたい」と語った。
佐賀新聞1月27日
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ご存じの方も多いのですがちょっとおさらいから。

宇宙がビッグバン以降誕生したのだとすると、それ以前は空間もなかったことになる。真空もない世界は想像しにくいが、そこでは時を進めるものがないから時間もなくなる。この何もない世界に、ある「ゆらぎ」が生じたと考えるのが合理的だとされている。

今回この「ゆらぎ」の正体を探ろうというわけだ。「ゆらぎ」が起こった数百万分の一秒後、どっかーんとビッグバンが起こったようだ。ここで大きな疑問が起こる。ビッグバンのあとなぜ宇宙は偏ってしまったのか。つまり陽子は圧倒的に+に帯電しているが電子はその逆だ。「ゆらぎ」の時点では両者均等に存在したと考えるべきだ。であるならなぜ反陽子は世界を作れないでいるのか。反電子を与えると反物質ができるのか。

すべて、電子の性質がよく分かっていないから分からないのだ。サイクロトロンで原子核を崩壊させるのは簡単だ。しかし、電子は小さい。陽子(原子核)を地球にたとえると電子はピンポン玉ぐらいにしかならない。これ同士をぶつけて崩壊をおこさせ軌跡をたどるにはまだ数十年先の話だ。

学生たちは計算ばっかり気が狂ったようにして、ことの本質について本当に頭を使って考えようとしない。だが文系になると先生までお粗末がいる。

佐賀大の畑山は「震災復興や福祉などの課題が山積している。電力も必要で原発立地の理由づけか。」と述べた。

たしかにカネはかかる。一兆円。安いものだ。たった一兆円で電子の中身が分かるのだ。どれほど高速の半導体や素子ができることだろう。何よりも僕たちはものの本質に近づくことができる。かりに何も分からなくてもいい。科学とはそういうものだ。僕たち人類はあと何百万年も生きる。一兆円ごときをグダグダ言っちゃあいかん。

超光速ニュートリノは誤りだった。ヒッグス粒子にも誤りがある。じゃあやめとけばよかったのか。100の、1000の誤りなくして一の発見はない。役立つかどうかを気にするのも原始人のすることだ。たとえば、生きている意味は目には見えない。だから、あたかも生きる意味についての著作は無意味なようだ。とんでもない。ニーチェの言葉はそこらの料理本よりはるかに重要だ。

リニアコライダーをそこらの犬を食う原始人が建設できるか。だからわれらは責務があるのだ。佐賀大の畑山のように電気代を気にして世紀の実験はできない。


 

Posted at 2012/05/25

お石さんの小さなトンネル

2012年12月29日 | 東洋歴史

太宰府天満宮を抜けて裏手に回り、坂をのぼりつめたところに「梅が枝もち」屋がある。かたくなる前に食べたら大変おいしいが、家に帰ってチンしたら元の味がよみがえる。

真っ赤なカバーをかけた椅子と「バンコ」に、アジサイが冴えるのももう間もなくだ。中国人や朝鮮人の金切り声を避けて、ここは静かだ。かりに外人がいたとしても、ここまで来る連中は教養もあり話がとても面白くとにかく静かだ。

その一番奥の「梅が枝もち」屋を左手に折れると小さなトンネルがある。贅沢な造りだ。福岡東方沖地震にもびくともしなかった。昭和3年、麻生太吉が寄進した。

と、パンフレットをうのみにするような無粋なことをしてはならぬ。

小さいとはいえ山をうがち強度を確保するには気絶するほどのカネがかかる。参拝者の便利をはかっただと。ばか。トンネルの向こうにはほとんど人家はない。そのほんの数人のためにトンネルを掘ったというのか。あほ。

麻生太吉は惚れた女のために掘った。お石さんが茶屋に通いやすくするために掘った。炭鉱王、麻生財閥の総帥、太吉にはあらゆる賛辞が並ぶ。麻生のクルマを見て農民は土下座したという。その太吉が何の利益にもならない寄進なぞするか。信仰心からお石の茶屋の真横の出るトンネルを掘るか。天満宮から大きくそれたトンネルを掘るか。

孫の麻生太郎はともかく、ひいじいちゃんの麻生太一は男だった。何とでも言え、これは俺とお石さんとの問題だ。お石が雨に濡れないように造った、自転車に轢かれないようにわざと小さく作り、自転車は押して通るようにした。

今でもそのトンネルは寄進されていない。麻生家の所有だ。お石さんのためにつくった証拠だ。

太一がお石さんとそのトンネルを通った記録はない。また、通れるはずもない。噂が天満宮を押しつぶしたであろう。二人には、何もなかったのだ。性欲ダボハゼどもには想像すらできないことだ。

太一もお石さんにトンネルのことは一言も話していない。それでいいのだ。お石さんは十分わかっていた。

その後も、政界、財界、文筆家、学者。一流の人がお石の茶屋に通った。しかし、お石さんの気持ちが揺らぐことはなかった。1976年、お石さんは、トンネルありがとうと心の中で呟いて独身のまま亡くなった。

総理大臣の佐藤栄作、歌人・吉井勇、第29代総理大臣・犬養毅、詩人で作詞家の野口雨情、緒方竹虎、松岡洋右。

お石さんにとってはダボハゼどもにすぎない。「ガタガタ言うなら黙ってトンネルの一つも掘ってみろ。」言いたかったに違いない。お石の茶屋に行かれたら壁を見上げてください。彼とのツーショットがあります。

Posted at 2012/05/24

メクラチビクロゴミ虫

2012年12月29日 | 健康・病気

低脳バカ無教養無節操下品醜悪虚弱な、地を這う虫達。ああなってこうなって・・・と考える人間特有の思想は嫌いでしょ。ぶつぎりのA=B,C=Dといったなんの発展性もないその場限りのアハハと笑って終わりの知識がとても大事みたいね。

こらえにこらえて咬んで含んで書いてきたが、よく考えると日記なんだから何も読者にサービスすることはなかった。

先日「鯛生金山」(たいおきんざん、大分県、現在閉鉱)に行ったら鉱山の中に退化した虫がいるという説明があった。「メクラチビクロゴミ虫。」 おろおろトンネルの中を這いまわっている。宮沢賢治の詩の中で見たようなオロオロ這いまわる虫達がここにいた。

そういうめくらが300万程度のクルマをローンとやらで買い、不必要なスピードを出し何も見えずそこらの電柱にぶつかる。巻き添えを食う人間や哀れだ。

と、怒り心頭なのにはわけがある。先日、このブログに書くのを楽しみに三井住友銀行に出かけた。そこでの話し合いや質問やいただく資料は一級品でワクワクしながらブログを書いてきた。ただのクルマ好きしかいないと思ったら、やはりしっかり書けたときはちゃんといいネが多い。お土産ももらうし僕の頭では分からないところも多いが、博多駅のそばの銀行は僕のオアシスだ。

悲劇はそこで起こった。いつも行っているので地下から回る裏口を見つけた。何気なく今日はそこから行こうとした。身なりを整えていると一人の男が近づいてきた。

グダグダぬかしていたが要するに「ゆすり」だ。日本も落ちたな。こりゃまるで朝鮮だ。日本人がゆすられている人を助けるはずはない。みんな見て見ぬふりをしている。地下に向かう広い階段は、ゆすりの男と僕だけしかいない気持ちになった。

僕は見くびられた。たった一人の男からゆすられている。5、6人からゆすられたら僕は怖くてカネを出した。しかし、たった一人だ。たった一人。僕はとうとうたった一人からゆすられる男になってしまった。

僕は階段に腰掛けて男を見ないで言った。

「僕はもうとてもきついからよそに行ってくれ。」

もっとかわいそうな虫がいた。 チョウセンゴクツブシ科 チョウセンメクラチビゴミムシダマシ

Posted at 2012/05/23

考える兵隊

2012年12月29日 | 学問

日本軍の場合は、「おいちょっとそこの兵隊、このトラックを動かせ。」といっても、「免許持ちません。」となるのがオチだった。ところが、ヤンキーどもはほとんど免許を持っていた。クルマなしに彼女にモテるはずない。

こういうほんのちょっとしたことの積み重ねが戦場では大きな力となる。

太平洋の島嶼部における接近戦では手榴弾の投げ合いとなることもあった。ベースボールクラブの投球力はこんなところで役立った。

なにも体力ばかりではない。ヤンキーのphysicsの教科書を見ると日本軍の敗因が書いてある気がした。

「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか何とか中国と戦争してるのに中国の故事に酔う能天気将軍たち。20世紀だというのに精神主義だ。勝つわけなかろ。

日本も憲法改正して軍隊を持ちたいそうだが精神力万能主義はごめんだな。

ところで、ヤンキーの物理の教科書は素晴らしかった。安易に答えを与えてない。また、とてつもなく難しい問題が平気で出ている。つまり、米軍は教育のなんたるかをよく理解しているのだ。教育で大事なのは答えではない。そんなもの出てもでなくても、正解だろうが間違っていようがどうでもいい。大事なのは、ああでもないこうでもないと考えることだ。

砲の仰角と二つの支持脚の開角度を求めさせていた。たいていどうでも弾は飛ぶが、照準に正しく飛ばせるにはちょっとした関数が必要だ。もちろんヤンキーたちがこんな問題解けるはずはない。ただ彼らは考える。ああでもないこうでもないと考える。かえって数学が得意なやつはいない方がいい。

いろいろ工夫してみることが頭の訓練になるんだ。そして、思わぬところでそれが問題解決の発想になったりする。

わけも分からず徴兵された尋常高等小学校上りが、意味も分からず丸暗記した軍人勅諭や戦陣訓は大量自殺する宗教集団を生んだ。勲7等とか8等とかでごまかされた、名誉の戦死の兵や哀れだ。

敵の弾と味方の弾の板挟みになって兵は死んだ。そして、その兵に死ねと言った下士官も死んだ。その下士官に死ねと言った尉官も死んだ。しかし、日本軍は佐官が最も生き残った軍隊だ。不条理に包まれた軍隊が勝とうものか。

米軍がわずか25万の死者で太平洋戦争を乗り切ったのは物量の差ではない。新兵訓練で叩き込まれたのが精神主義ではなくて合理主義だったからだ。

Posted at 2012/05/17

さあ、補助金出せるもんなら出してみろ。

2012年12月29日 | クルマ

タイカブ100EX 主要諸元 型式 HA05 全長×全幅×全高(m) 1.835×0.670×1.035 軸距(m) 1.185
最低地上高(m) 0.130 シート高(m) 0.760 車両重量/乾燥重量(kg) 93/89 乗車定員(人) 2 燃費(km/L)50km/h定地走行テスト値 73.0 最小回転半径(m) 1.8 エンジン型式 HA05E(空冷・4サイクル・OHC単気筒) 総排気量(cm3) 97 内径×行程(mm) 50.0×49.5 圧縮比 8.8 最高出力(PS/rpm) 8.0/8,000 最大トルク(kg-m/rpm) 0.83/6,000 キャブレター型式 PB88 始動方式 キック式・セルフ式併用 点火方式 CDI式マグネット点火 潤滑方式 圧送飛沫併用式 潤滑油容量(L) 0.9 燃料タンク容量(L) 3.6 クラッチ形式 湿式多板コイルスプリング・自動遠心式 変速機形式 常時噛合式4段リターン(停車時はロータリー式)
変速比 1速 2.833
変速比 2速 1.705
変速比 3速 1.238
変速比 4速 0.958
減速比(1次/2次) 4.058/2.466
キャスター(度)/トレール(mm) 26°30′/75 タイヤサイズ 前 2.25-17-4PR タイヤサイズ 後 2.50-17-6PR ブレーキ形式 前/後 機械式リーディング・トレーリング
懸架方式 前 テレスコピック式
懸架方式 後 スイング・アーム式
フレーム形式 バックボーン

これ以上のエコな走りをする乗りモノがほかにあるか。補助金出せるものなら出してみろ。条件はすべて満たしているぞ。1リッターで50キロ走る。ツーリングに行けばリッター60キロだ。

ほぼスクエアなエンジンからは最大トルク回転の低い粘り強いエンジン音がする。キックセル併用はとても安心だ。8000回転回れば十分だ。100キロ出る。低脳バイクボーイ達が馬力だ馬力だとわめくから、使いもしない回転数で力を出す奇形児バイクが増えた。

風防をつけていると冬もそれほど寒くない。88年に購入してから風防は3回チェーンも3回タイヤは数知れないほど交換した。およそあらゆる故障をした。しかし、8万キロ走った。

さあ、今からでも遅くない。エコに貢献した補助金もらおうか。

Posted at 2012/05/14

勇者は語らず。外村彰さん、やすらかに。

2012年12月29日 | 学問

戦後、実験物理で最高の業績をあげた外村彰さんが死んだ。70歳。理学博士と工学博士の称号を持つ。これらの称号を持つ者は日本に数千人しかいない。それを一人で二つも持っている。

たとえば医者は多い。弁護士も多い。しかし医者で弁護士は少ない。これを理系に置き換えたのが外村さんだ。

実験物理の人は早く死ぬ。地方の大学で高校の物理みたいなことやってれば長生きするがそんな人は科学者ではない。外村さんは自分をずっと最前線においてきた。10年前、お顔に死相が出ているのが分かった。知の最前線で戦う人に周囲の人はもはや何も言えなかったようだ。

温厚な性格をしておられたが、自分の能力対結果という対峙においては命がけで取り組んでおられた。

理論物理は頭よくなくてもグジグジしつこく取り組む能力さえあればいいが、実験物理は頭自体の出来の良さが必要で、それなしにはものにならない。努力でごまかせない世界だ。

彼の主たる業績を電子顕微鏡学としている新聞が多かった。それは少なくとも違う。アハラノフ=ボーム効果の実証実験に結着をつけた点にあると思う。

誠に申し訳ないがこれ以上は、僕には能力の限界だ。とても悔しいが分からない。しばらく時間をいただいて結論が出てからまた書きたい。

海外においては、二重スリット実験の追試者として有名だ。高校の物理でも出てくる実験だ。だが高校では一番面白いことを言わずに素通りする。

一個の電子が電子銃から打ちだされ、わずかに離れた2本の隙間の開いた壁に向かう。その向こうのスクリーンに電子がぶつかると電子のかげが写る。無限に近く電子を打ち出すと2本のスリットを通った電子どおし干渉が起こってスクリーンに縞模様があらわれる。

池に同時に同じ大きさの2個の石を投げいれたとき、波の強いところとないところがあらわれる。これも干渉である。賢明な読者はお分かりのように、電子も池に投げられた石という電子銃から発射された波なのである。ところが、電子の場合は一個でも干渉渦を作る。

電子は波だから一個の電子であっても2個のスリットを通り抜けスクリーンに干渉渦を作るということ。外村さんはこの実験をきれいに行った。このような実験はきれいに行うことが肝要だ。真空度は十分か、電場磁場の影響は無視できるほど小さいか、電子銃は均質な速度の電子を打ち出しているか、スクリーンに不純物はないか。

ところがこのような実験を邪魔する不純物の影響を消し去ることはできない。そこで計算でそれを除外するのだ。これが実験物理の人の寿命を縮める。

外村さんはご存命なら確実にノーベル賞をとった。そこらの犬を食う野蛮人、竹島を泥棒する前にこういう人を尊敬しろ。

Posted at 2012/05/12

在松山 四国朝鮮初中級学校  3

2012年12月29日 | 韓国

わずか数か所の朝鮮学校を見ただけで判断してはならぬが、金日成、金正日父子の肖像画の類はどこにもなかった。

一部を見て全体を判断するなということは一見もっともらしい。実際は、勉強したことのないアホの言い草である。すべての事象について全体を見るのは不可能だ。だから一部を見て全体を知るために人類には大脳というものがある。

教室には、「熱心に学習に励んで一人一人の力量を高めよう。」というスローガンはあった。それは別に問題ない。

数十年前には金日成の肖像があって、まるで御真影のように生徒たちを睥睨していた。公共の場に自分の写真を飾らせるということは、韓国の朴正煕(パクチョンヒ、ぼくまさてる)大統領もやっていたことだ。売春宿の天井の近くから見下されるのはあまり気持ちがよくない。

日本にいる南北両陣営とも幼稚な御真影ゴッコはもうしていない。こんなバカみたいな神格化ゴッコは、カリスマ性をでっち上げ、無条件に従う人間をつくるのに成功した近代日本のまねである。

小中華を目指した太陽の帝国が亡びると、こそこそと二匹のネズミが一つの半島をとろうとした。

思想信条は自由であるので無理に黙らせようとは思わないが、主体(チュチェ)思想かぶれが大学にもいた。チュチェ思想には思想としてすぐれた点があるのはもちろんだが、ポイントは、破たんした、はるか昔のカビの生えた言い回しで人民を統率しようと夢を見ていることだ。ともあれ、日本の大学の先生は本当にとんでもなく自由な人たちだ。高校の授業でチュチェ思想と言った時点で教育委員会が鼻血を出す。

この、とんでもない言論に対しても自由が必要なことは、先日述べたので再論しない。

朝鮮学校の廊下はとてもせまかった。先生たちはほとんどボランティアにひとしい給料で働いている。運動場も狭い。こんなとこからどうしてサッカー選手が生まれるのか。座学は日本の学校と遜色ない。バカもいればこの時とばかり僕に質問する熱心な生徒もいる。日本の高校より若干ましだろうか。

物珍しさも手伝って生徒が5,6人、職員室で雑談していた僕のところに来た。ノートを持っている娘がいたので無理やり見た。そしたら、「先生本当にあの大学の先生?」とか言ったのでためしに問題を解いて見せた。僕はこのごろ勉強を怠っていたので意外と苦労して解いた。あまりカッコよくない。

教室の半分の広さの職員室。生徒の質問は幅30センチの小さい机で受ける。使われていない教具室。手入れの悪い遊具。最悪の教育環境だ。だが勘違いしてもらっては困る。だから素晴らしいのだ。これに比べたら日本の学生は天国にいる。だが日本人には覇気がない。自分さえいいとこに就職できればいいと思っていて、それを公言してはばからない。だれ一人日本の心配をするやつはいない。

僕は朝鮮学校の生徒に対して、僕が小さい時喧嘩して負けた怖い存在のイメージをひきずっていた。

生徒は一見すれば普通の日本の生徒と変わるところはない。だが、話すと違う。生徒は日本で育った朝鮮カボチャだ。完全バイリンガルだ。K-POPに詳しいのが何か不思議だ。踊ってくれたりした。先生はただにこにこしてそれを見ていた。みんな心の底で朝鮮を心配していた。日本人は絶対日本を心配しない。

ここに僕は何の問題性も見いだせなかった。ただ、補助金なしには早晩つぶれるな。経営上成り立たない。生徒もいなくなるからちょうどいいかな。と思った。だって総連自体が急速に先細りしている。

アメリカンスクールは反日教育をしている。原爆投下は正しかったと教えている。なぜ問題にならないのか。キリストの御真影が飾ってあるぞ。

強い者にはルールを最大限穏やかに適用し、弱い者には正当性を越えて厳格に適用する。日本がこのダブルスタンダードから抜け出す日が、極東に平和のくる日だ。

 
Posted at 2012/05/09
 
 
 
 
 
 

在松山 四国朝鮮初中級学校  2

2012年12月29日 | 韓国

大学の教員というのは、自分に配当されたコマ(授業)さえきちんとこなしていればだれも文句は言わない。教員は偏屈モノが多いので、一言でも文句を言おうものなら速攻で辞める人ばかりだ。

ところが、学校というゆりかごに汲汲としがみついている小中学校の教員はそうではない。能力がなくてほかに拾ってくれるところがない人は、かわいそうなほど保守的になる。保守的になった人は排他的になる。コネでなった低級公務員などはなおさらそうだ。

無目的にみずからすすんで働き蜂になることに生きがいを見ている。そしてたいてい脳に異常をきたし鬱病になる。

兎小屋にすむ日本の労働者が批判されて久しいが、今やその兎小屋すら借りものだ。借り物の狭い部屋から出てコンビニのおにぎりを立ち食いする。重税低賃金にあえぎガソリン代もなくなる。ところがこの低能どもは貧乏になれているのか、現状改善の努力をしない。

ただ目の前のラーメンとパチンコとオフ会とグルメとガキの話しか関心がない。したがって、ことの前後を洞察する力が育ってないので判断が即物的だ。日比谷焼打ち事件はまた起きるな。

尖閣で妥協でもしようものなら焼き打ちやテロは必ず起きる。人々の教養に、倫理性に、世界史的視野に明治時代と何の相違があるか。(尖閣は中国に渡せと言ってないでしょ。発作起こさないでね。)

やっと松山の話。タレントのソニンさんの出たところだ。校長さんとお話しする機会を得た。僕がDPRK(北朝鮮)の独裁体制を批判すると思ってずいぶん警戒されていたようだ。とんでもない。日本のように、まともな日本語も書けない烏合の衆が目先だけを考えた投票をするとか、スポーツ選手に投票するとかするより独裁は優れた政治体制だ。

柔道家が間違えて国会議員になるより金正恩の方が能力がある。彼は戦略家だ。

はたして、本当に日本の批判に終始しているのか、この初中級学校から教科書をかりて翻訳をした。

僕が驚いたのは金日成、金正日父子の神格化された表現は少なくとも記載されているだろうと思ったが、なかった。むしろ、日本の教科書において、日本の政権批判を避ける文科省の検定制度の方が露骨だった。

日本の教科書において、ちょうど金日成がカリスマ性を必要としたように明治天皇もカリスマ性で包まれて書かれている。天皇は永劫に無謬の神とされた。それにより臣民すなはちわれら国民の受けた被害はきわめて甚大だ。

唯物史観と言うとわけわからず反共に凝り固まった貧乏爺が痙攣をおこす。話の内容で判断しなさい。日本の教科書に庶民の登場はない。逆に、庶民の革命の連続が世の中を変えてきたというマルクス歴史学者も先生も今やいない。日本の教科書は上手にお茶を濁した。ことがらの羅列が歴史とされている。

一方で、DPRKの教科書には庶民が登場する割合がきわめて高く時代を実感しやすかった。

オマケだが日本の植民地支配についても記述は少なく、ほとんど日本の教科書と同じ分量だった。最後に「弱い国は強い国に押しつぶされるものだ。」と書いてあったのは僕の心臓にくぎをさす一言だった。

 
 
 
 
 
 
 

在松山 四国朝鮮初中級学校 1

2012年12月29日 | 韓国

ある夕暮れどき、家路を急いでいると朝鮮中級学校の生徒とすれちがった。長いチマ(スカート)は女性の優雅さをよく表現している。日本の中学生よりずいぶん大人に見える。

話しかけた。「熱心に勉強してますか。」彼女は僕を朝鮮人だと思って別に驚くふうでもなく、「ええ」とこたえた。「何の勉強が一番きついですか。」と言うと、「数学です。」と答えた。

もっと話したかったが薄暗くなってきたのでそれだけ話して分かれた。北朝鮮がロケットを飛ばすと日本の跳ね上がり右翼はチマを切りつけたりする。僕はそういう卑劣で筋違いな恫喝にひるまない彼女たちを尊敬している。

バカは事あるごとに文句あったら帰れというが、アメリカの黒人が今更アフリカに帰れない。ハーフの人はどっちに行けばいいのか。

分かりやすく言うと、ドイツは国内に増えたトルコ人問題を解決するためにつぎのような方針を出した。つまり、ドイツ国内のトルコ人を返すためにトルコにトルコ語の話せるドイツ人の先生を派遣し、ドイツ語しか分からないトルコ人のための教室をトルコにつくった。

そうしてドイツは、何十年かけて徐々に国内のトルコ人を減らす計画を立てて実行中である。気に入らないからと言って機関銃を撃ちまくるのもいたが概してヨーロッパは大人の国である。ドイツにトルコ人がいる理由は、トルコ本国で経済的に困窮したことによる移民が主たる理由だ。だからと言って、ドイツ経済を脅かす存在になったので母国があるから母国に帰れとは言わないのが、民族の大移動に耐え異民族の扱いにたけている大人の国民だ。

今朝鮮人は朝鮮に帰れない。数十万人が言葉も分からず住むとろこもなく大挙押し寄せても、それに持ちこたえる地上の楽園なんてどこにもない。

それは日本の知ったことではないが、そういう冷たい仕打ちをしたら日本は以後100年は世界の笑いものになる。

だが彼らは日本国内で反日行為をしている、というアホの声が聞こえてくる。こういう大きい問題は一つ一つ考えていくんだ。またいつか論じるからその議論は待て。

国際紛争がどのようにして解決されていくものであるのか、また、どのように解決されていくのが戦後の常識となってきたのか、という学びが足りないので日本人も火病にかかる人が多い。

無理に韓国やDPRKに戻された人に待つ運命は餓死か自殺か病死だ。韓国がいきなり五十万人を生活保護として受け入れる能力はない。そうすると、その悲劇を予見しつつ半島人は半島へという主張をする人は、ユダヤ人はゲットーへと送りこんだ思想の持ち主と変わるところはない。レイシズムの行きつく果てに何があったかゆっくりと歴史を学んでほしい。

 
Posted at 2012/05/08
 
 
 
 
 
 

紫電改は邀撃に飛んだ。カラの掩体壕が残った。松山343航空隊。

2012年12月29日 | 東洋歴史

僕が松山にいたとき、そばに掩体壕があった。大村みたいに、勘違いして子供の遊園地にしたりしてない。血を吐く苦労、必勝の夢、それらが気絶するほど詰まった掩体壕だ。

とくに松山の掩体壕は変な格好をしている。紫電改が規定の掩体壕に入らなかったのだろうか。カブトガニみたいにしっぽが出た形をしている。必要以上にふんだんにコンクリートを使ってある。やけくそになっていたのが伝わってくる。あとがないことぐらい上層部は分かっていたな。わずか3カ月後に狂気の掩体壕づくりは終わった。

というのも343部隊が松山に来るのは昭和20年の3月19日だ。5月3日には去る。今はもう松山の人はほとんど知らない。

源田サーカスと言われた曲芸的飛行機乗りが、戦争の土壇場で米軍に一矢を報いたと考えたくなるのは当然だ。希望は語られるうちに事実になる。

あにはからんや、ペテン師源田は飛行機乗りとしてはすぐれていたが戦略家としてはもちろん、政治家として時代遅れの不用な人物だった。

「すぐれた搭乗員が戦線の各地に分散していて有効な運用ができていなかったので、一か所に集めて集中運用した。」

これは源田ファンの作りだしたまぼろしである。ほかのどの部隊でも優れた搭乗員を確保しようと必死になっていた。パイロットは3カ月程度で移動するのが通常であった。こうすることで錬度の平均化と情報の共有化を図るのだ。運動会で競争をしているのではない、帝国海軍は戦争をしている。

「無線機を有効活用した。」

これも違う。松山から飛び立ち豊後水道で戦う程度の無線機は、いくら日本の無線機の性能が悪いとはいえどの部隊でも可能であった。かりに特段に優れた無線機があったとしても343部隊だけで独占することは許されない。他の部隊でも優れた無線機はのどから手が出るほど欲しいものだった。他の部隊が無線機に無関心であったかのように述べ、源田だけに先見の明があったように主張するのはひどい誤りだ。さらに、AM変調の無線機の性能はいずれにしろたかが知れている。

「偵察機、彩雲を飛ばし情報収集に努めた。」

なにをいうか、戦闘の前に偵察機を飛ばさないときは自殺攻撃の時だけだ。それにしては2回も原爆を積んだB29を見逃している。

しかもやってはならぬルール違反がある。国民は相当バカにされている。撃墜、被撃墜機数の操作である。被撃墜機数が米:日で62:34と源田は言った。戦後よく調べると34:50だった。こんなことがいくらでもある。大西瀧二郎に体当たり自殺攻撃を進言したのも源田だ。戦後国会議員になる。源田は上位4位の当選だった。息子を無駄に死に追いやったやつによくも投票したな。バカ国民。

紫電改自体が遅すぎた戦闘機だ。歴戦の勇士が整備不良製造ミスで死んだ。しかも川西のような中小企業では500機造るのがやっとだった。アメリカはコルセアのような欠陥機ですら、容易にゼロ戦を落とした。そのコルセアは25000機造られた。

空っぽの掩体壕が残った。(掩体壕:飛行機用の防空壕)

せめて俺を敵の弾で殺せ。機体不調、銃の不良で殺すな。真の寡黙な撃墜王は思ったはずだ。鴛淵少佐、 菅野中佐、僕は忘れない。

Posted at 2012/05/07

おめでとうございます。名誉の戦死でございます。松山22連隊。

2012年12月29日 | 東洋歴史

人は誰かをヒーローに祭り上げたがる。と同時に、誰かをとことん弱虫に作りあげたがる。

ところで、松山の市電は生きている。福岡みたいに地下鉄を敷くために、わざわざ効率の良い市電を廃止したりしてない。松山市は西鉄という私企業の犬ではなかった。今後は延伸すら計画中だ。福岡の迷走した地下鉄は、低能資本どもの欲望の醜悪さを示している。天神の不便さを見ろ。まさに交通のカオスだ。100年恥をさらすぞ。

松山の市電は生きている。戦前、おおぜいの女学校の生徒がこの市電で通学した。

あるとき、がらんとした車内に22連隊の将校が一人乗り組んできた。「ほら、22連隊の将校さんよ。」そういうと女生徒たちは将校と一番離れた席に移動した。

たったそれだけのことだ。なんの物語もない。将校と目があったわけでもなく、おそらくその将校は気がつかぬまま下車していっただろう。おばあちゃんになった女学生の、一番の青春の思い出だ。

僕が松山にいたとき、近所のおばあちゃんが話してくれたことだ。それほど軍人さんは尊敬の的だったのだ。尊敬するがゆえ席を離れて座り少しでも邪魔をしないようにする。こんなことをする日本人は、今や一人もいない。

松山ではヒーローだった22連隊も中支戦線での評判は芳しくない。「またも負けたか22連隊。」

そう言って一番馬鹿にしたのは福岡久留米の菊兵団、第18師団である。いずれにしろ両者とも将校を除けばたいした教養もない烏合の衆にすぎなかったのに、ここが悲しい人間の特性だ。似た者同士が意地になって上下関係をつけたがる。

どちらも世界最悪の武装で最高の武装と戦った。今になって、銃もろくに撃てないくせに38式歩兵銃は優秀だったというバカがいる。それを持って走ってみろ。ボルトアクションは第一次大戦ですら旧式だった。米軍の火炎放射機で瞬時に炭になるぞ。

杭州南京攻略で両軍は先を争うようにして前進する。殺しまくり、やりまくれることに狂喜した福岡県久留米18師団の農民軍は狂乱して南京をめざした。仲間を殺された怒りがさらに狂気に油を注ぐ。

比較的それが少なかった部隊がいる。松山22連隊だ。松山の人は穏やかな人だ。金持ち特有のおおらかさを持っている。あまりにもゆっくりで18師団付近出身の兵はイライラした。

僕は松山の墓をくまなく見て回った。中支戦線で戦死したものは戦死の状況が詳しく書いてあった。時が過ぎるにつれ戦死の状況はいい加減になった。「南方方面。」これだけの兵士が増える。戦況のひっ迫は人の死の記録もあいまいにしていく。

両師団、連隊とも帝国最高の軍隊だ。彼らはインパール作戦という無駄な作戦に参加する。そこで90%が戦死する。牟田口司令官は兵に詫びず、戦後も生き延びた。さらにその生き残りの22連隊はペリリュー付近の小島に配置され、生き残った10%の90%以上が死ぬ。

彼らの善戦は十分に米軍の反攻を遅らせた。10分の1の兵力で、100分の一の火器類で、本当に最後の一兵まで戦った。

戦場では、住民に対する略奪殺害強姦が控えめな軍は弱虫に見える。しかし、本当に窮地に陥ったとき伊予人の見せた奮闘はもっと称えられなければならない。

Posted at 2012/05/06

知らないトンネル

2012年12月23日 | 東洋歴史

福岡県八女市立花町谷川1742に、戦時中、軍の格納庫として使用するために、全長112メートル、幅約4メートルのトンネル が掘られた。トンネルは軍事機密でもあり作業も危険なため女子供を動員したりしていない。陸軍の技術将校が入念な調査をしたのち、軍人軍属を使って突貫工事で掘られた。

112mの全長において、約5メートルおきに両側に枝線が延びている。

トンネルは未完成だと聞いたがそれは誤っている。完成するということはない。勝つまで掘りつづけるんだ。軍需物資秘蔵トンネルとして使いつつさらに掘り進めている。

ツルハシのあとが悲しい。小日本は近代戦をツルハシで戦った。いかに物資と技術がアンバランスであったか。物資。ドリルと電源があれば苦もなくトンネルは貫通していたはずだ。入り口だけ体裁をつけたべトン。

技術。見事なトンネル曲線と、全長の両側をわずかに低くして排水に考慮している芸の細かさ。自然の地形を利用して見事に入口を隠している。しかも50メートルぐらい離れてもう一本トンネルがある。それは村人の通行用の100mほどのトンネルだ。あまりにも目立ちすぎるそのトンネルはダミーの役割をした。二つのトンネルは中央で連結していた。軍はアリの巣のようにトンネルを掘り、火器弾薬の保管を目指していた。

枝線に入ると明らかに掘りかけのあとが見えた。終戦になったんだ。

今はワイン倉庫になっている。2月ごろ観梅会とあわせ、トンネルが開放されにぎわうようだ。

悲しいことにトンネルを正しく説明したものがない。こんなことではいずれ忘れられてしまう。「戦争中飛行機を格納したそうです。」という説明もあった。ばか。幅4メートルのトンネルに飛行機が入るか。

「軍の資材を入れたそうです。」というのもあった。ばか。そんなもん外に置いてカムフラージュすればよい。そんなことのためトンネルを掘るはずなかろうが。

亀の甲、岡山飛行場関連の火器類を保管したんだ。しかし、僕もこれ以上は分からない。知っている人と会うことはできなかった。

アホ八女市、きちんと資料を保存せんか。トンネルの中に竹の灯篭を置いて、ああきれいだと感激する能天気相手に特産品を売るばかりが能ではないぞ。

本物のトンネルの入口は下品な赤レンガに変わり、まさに田舎の醜悪さそのものとなったので載せません。

Posted at 2012/05/02