か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

禿は嫌いだ。いちいち理由が必要か。

2013年05月27日 | 韓国

政府は現状を把握しているのか。この勢いで留学生を増やしたら質はどんどん下がる。たしかに、相互主義で日本からも留学しやすくなりはするだろう。

そう言えばよく耳にするようになった。NZに留学する、西海岸だ、豪州だ。こうして日本からもホームラン級のバカが海を越えているから半島からの来客を拒みにくいのだろうか。

夢見る社会党崩れはそれをグローバル化として歓迎する。アホ。バカがグローバル化したらいかんだろうが。

確かにごく一部のエリートは相互に留学しておく必要がある。国家戦略上必要なことだ。だから戦前、飛行機製作の理論においては欧米にそん色ない水準を保てた。現在、韓国の陸軍士官学校から防衛大に留学生がいる。優秀だ。知能でも体力でも勝たんと思う。逆境に強い。この韓国人に伍していくには、おぼっちゃまくんたちにはちと無理がある。

だが、アホがどれほどすさまじくアホであるかも理解すべきだ。僕は延世大にいた。まさにラクダが針の穴を通るほどの難関校だ。が、貸した金が返ってきたことはない。時間が守られたことはない。貸したノートが返ってきたことはない。頼んだことを忘れずにしてくれたことはない。

地下鉄が時間通りに来たことはない。行き先につかないことすらある。ホームで殴り合いの夫婦喧嘩を始める。止めようとするとこちらに向かってくる。殺しておけばよかった。夏に風呂屋に行くと今日はしてないので川に行って洗えという。

教室はどぎつい化粧で昼間のキャバクラだ。良い点はただ一つ。韓国人は巨乳だということ。あまりおっぱいパブに行く必要はない。批判されたときの言い訳の豊富なことに日本人は圧倒されてしまう。

先日、日本で買い物に行った。ただの夕食の準備だ。西鉄ストア。なんかただならぬ雰囲気にいやーな気がした。韓国人の放つ悪ーい「気」だ。禿が酔っ払って暴れていた。頭頂部には玉の汗をかいていた。しかし店の人たちは落ち着いている。保険に入っているし警察も呼んだしということだろう。

いかん。絶対に見過ごしてはいかん。とても怖かったが禿と対決することになった。韓国語でやりあったのでみんなは韓国人同士のけんかと思っただろう。禿の汗がつくのがとても嫌でとにかく床に寝せようと思ったが僕も弱くなった。できなかった。そうするうちにおまわりが見えたので僕は逃げた。日本の警察は書類主義だ。調書顛末書などなど10枚は書かされる。いやだ。

こんなわけ分からんくずキムチと相互主義的に交流するのがグローバル化か。政府、文科省よ。もとからバカだったが最近は韓国並みにバカになったな。


面白くない話題でよく笑う奴は気違いだ。

2013年05月27日 | 日常

そんな低能低質のクズには、昔はやった言葉を差し上げる。「デラシネ」。根なし草のように付和雷同し、自分の意見を持たず寄らば大樹の人生感でその短い一生を終る。低質な塩基配列も種の保存の本能はあるみたいで必ず子だくさんだ。どんどん生んでどんどん死ぬ。

歴史だ文化だ伝統だ、と、それらと縁遠い奴らが叫びだしたときその国の文化は下品になる。

福岡県のある大学は校舎内にエスカレーターがある。実名を書かなくなっただけ僕は丸くなった。スポーツバカがごろごろし、中学生でも解く因数分解ができない。これではある程度以上の深い話はできない。冗談とか横にそれた話は実によく覚えている。

本当に採点したらこいつらは絶対卒業できない。高校以下ならまだ我慢する。修猶館高校の数学の中間考査の問題をもらった。僕はよく分からなかった。このあほたちは中学以下だ。

施設の充実度とその大学の偏差値は反比例する。学長室の豪華さとその大学の偏差値は反比例する。

先生方はなかなか残酷だ。学生が絶対に理解していないレベルの試験をする。レベルを下げると自分までバカにされそうで怖いのだ。この恐怖感は彼らが描くあほ論文によく現れる。とにかく難解だ。僕は1/5程度しかわからない。分っても価値のないことが多い。そしていつも威張っている。まるで南朝鮮の三流大学の偽教授どもと同じだ。

東大は全く正反対だった。ネクタイをした人はほとんどいないし、スリッパで授業をしたり金も持たず飯をおごると言って人を誘ったりする。汚い研究室、雑然とした机、しかしここがポイントだ。肝心の本がある。一定の水準に到達するためには必ず必要な定番の書物というのがある。日常生活ではポケットが裏返しになっていたり服装にむとんちゃくな人が多いが、書架にポイントを突く書物が欠けていることはない。

だから東大出版会の書物にははずれがないのだ。塩基配列が狂った偏狭な人には理解できないだろう。まあ、とにかく何でもいいから本物に触れてみろ。日本の大学予算の半分を東大一校で使っている。しかし間違っても校内にエスカレーターは設置しない。

本物は威張らない、優しい、そして鷹揚だ。バカほど意味もなく盲信して排外的で、へぼい大学ほど、そこにはありもしない歴史だ文化だ伝統だと絶叫する。

とはいうものの、天は二物を与えずとはよく言ったもので、僕はそう言いつつそこの学生さんが好きだ。学食で飯を食っていると僕を呼ぶのでなんかと思うと、自分らと一緒に食おうという。僕が、バカと一緒は好かん、というと、それもそうだ、と返す。なかなか面白い。

一瞬質問かと思った僕がバカだった。



画像は筑後川下流に6,7月にしか食べられない「えつ料理」を食べに行った時のモノです。ほんの6時間前に撮りました。今日は豊漁だったそうで「洗い」をずいぶんサービスしてもらいました。弘法大師の伝説など検索されてみるのも面白いかと思います。


もうひとつの「船を編む」

2013年05月27日 | 学問

こんな映画は原始人には作れない。原始人は犬を食うのがお似合いだ。日本ですら僕が見た時は観客は5人だった。さすがに教養のある人たちで入れ歯をガチャガチャ言わせたり、いちいち声を出してうなずく枯れ葉マークはいなかった。

真面目に頑張ることの尊さを静かに描いていた。映画の主張と観客の心がまさに編まれていくようで素敵な時を過ごした。

僕はもともと「頑張らない」ということを信条としてきた。日本人たちはすぐ頑張る。度を越して頑張る。最大トルクの回転数あたりで走ればいいのに、最高回転を出したがる。結果、故障事故イライラという貧乏の三点セットにのめりこむ。

若いとこれが分らない。僕は若いころとてつもなく難関の試験に挑戦するため頑張ってしまった。結果、病気トラブルコンプレックスという絶望の三点セットが残った。

努力、根性、忍耐。これらはやったことのない人があこがれに持ちたがるものにすぎない。本当に努力して根性があって忍耐があるとその人間はたぶん憤死する。スローダウンすると今まで無駄にした人生が浮き上がって見えてくるのに。

辞書を編纂するということは人間関係も同時に編み上げていくものだ。バカ用漫画映画が大スクリーンを占領する中、興行的には成功するはずもないこの映画が細々と上映され続けていくのを見て日本人の素養の高さを見た。

朝鮮人を元気いっぱい罵る前に豊かな語彙、きれいな字、上品な生活を確保すべきだ。

僕は柳川で生まれた。そのまま住んでいたら伝習館高校に通うところであった。伝習館は今はアホ生徒が通う田舎の三流校だが、本来藩校の流れを引き継ぐきちんとした流れを持つところだ。戦前、この学校にある国語教師がいて、彼は時間ぎりぎりにしか来ず、また帰りはだれよりも早かった。同僚は当然よろしく思わない。学校運営に非協力的だと烙印を押す管理職もいた。

僕はこの国語の先生の名前を書いてあげたい。とても悔しいがそれはできない。最後まで読むと理由が分かる。

この先生はまさに「船を編んで」いた。映画のような協力者はいない。残念ながら国語の教員というだけでは辞書編纂の能力があるとは言えない。しかも現代文、古文、漢文と専攻が分かれ漢文の教員は一校に二人程度だ。彼は一人でまさに頑張った。一年二年の話ではない。一生をかけた。この辞書をだれかが見て、知る喜びが織りなされて、まさに編まれていくのを信じた。

同僚が彼の奥様に重度の障害があるということを知るのは彼の死の直前だった。

つまり、彼は誹謗中傷を浴びつつ一度も弁解をしなかったということなのだ。奥様の介護がすんで彼が作業に取り掛かるのはいつも深夜だった。

辞書は完成した。時代はそれを評価できない。下品な時代だった。


エアガンごっこ。やってみろ。俺の木刀で突く。

2013年05月22日 | あそび

ぽろぽろプラスチックの球を出して喜ぶ遊びは何というのか。日本軍の火炎放射機のようにチョロチョロじょうろの先から球を出す。オカマが増えたもんだ。気合の入った男はどこへ行った。

戦争が弾にあたって死ぬということを盲信するのがまだいたのか。日中戦争すべての時期を通じて弾にあたって死んだのは2%以下だ。対米戦ではこの数字は下がり朝鮮戦争ではさらに下がりベトナム戦争ではさらに下がる。米軍は、弾を撃って相手を殺すことはもはや1%以下だと考えている。

だから銃で戦争はしない。つまり白兵戦はない。

だから日本の気違いが戦争ごっこをしてプラスチックで公園を汚染するのは何の役にも立たぬ。九条違反だと赤が騒ぐのがまた面白い。戦争は関係ない。環境汚染だ。球もひろわず自衛隊の演習気取りで作戦なんぞ立ておってほんとに迷惑だ。球をかたずけないと僕の木刀で突く。

この漫画のような姿を自衛隊で見たらこんな悲しいことはない。目達原の軍神爆弾三勇士の話は書いた。「月光の曲」を弾いて特攻に飛び立った航空兵もいる。両者とも深く考えない人にはいい感激の材料だ。ところが現実は複雑で矛盾に満ちている。今回はそれはこらえて話を先にする。

目達原基地で食事をしていると明らかに田舎の少年が勧誘を受けていた。免許がとれるよ、退職金もあるよ、下着まで給付され自分で買わなくていいよ。

それを佐官が行っていた。兵にとっては佐官というものがいかほどのものかご存じか。神様だ。その神様に田舎の少年は言った。「でも朝早いんでしょ。」

兵の強さは行進にある。これは古今東西変わらない。僕は見た。銃を逆さに担ぐもの。隊列の中央では駆け足の号令に逆らって歩き続けるもの。行進しながら無駄話をやめないもの。

こんな弾よけにもならんものは社会でも邪魔だ。よくもまあ酸素の無駄を集めたもんだ。

日本の駐在武官は昇進だけが関心事なので現実のへなちょこ自衛隊の危機については言わない。自衛隊を増やしてはいけない。もっとへなちょこが集まる。

韓国軍ならそんな自衛隊を一網打尽にしてしまう。白兵戦ならなおさらだがそうでなくとも虚弱体質には機転を利かせる能力がない。2年間兵役に行って合計2000円の給料に耐えられるか。韓国の将官の一人が言った。日本の武官はニコニコ聞いている。

「軍人と生まれたからには死んでもいいから北の軍隊を動かしたい。見ろ、あの精悍な顔立ち。進んで犠牲になる信念、わが国(韓国)の軍人にはいませんな。」

彼はそういうとき全く日本を相手にしていない。

白兵戦じゃなくて電子戦、ミサイル、諜報、で勝つからいいんだとか言うなよ、自衛隊。

そんなら隊員は要らんだろ。

Posted at 2013/05/22

こんなに小さかったのか。昔、僕はクラウンを買った。

2013年05月22日 | 思想

恥ずかしいが世の日本人とともに狂乱して、ウイッシュボーン、ラダーフレーム、MT、グリスアップ、内装も誇らしげにバブリーでカセットテープを自慢した。さしたる故障もなく修理は家の車庫で間にあった。トランクは本当にトランクで今のようにゴルフバッグを重ねて入れさせるような乱暴なことはしなかった。

クルマにとって最も重要なことを忘れていないのがよかった。静かだったのだ。?で測るから現在の計測法ではエネルギーの小さい高音部はないようなものになってしまい、数値的には今のクラウンが低くなっても体感的に下品だ。繊細な日本人の感覚を持ちクラウンを乗り継いできた人は言う。うるさくなった。

フレームがあってぬるぬるっと走り静かな会話が成立する空間にはカネはいくら出してもいい。もともと高いじゃないか。シャーっという音のするふぐ提灯には乗りたくない。第一、人のゴルフバッグと重なって自分のが運ばれるなんて、そこまでしてゴルフをしなくていい。

バブルの話は皆さん聞きあきているだろう。だけど聞かなければならない。なぜか。学習していないからだ。

日本がバブルに突進するころ、この美しい日本のクラウンは生まれた。二度とできないクラウンが生まれた。

このころこの静かな、上品な、芯のある、鉄に守られたクラウンがあったように一人の作家がいた。今は作家が出ない。何だ、村上春樹とやら、クルマにたとえるとプラスチックでできた張り紙細工の車もどきは。こういう低脳を推薦するようなバカは死ね。

精緻な文体、深い愛情、登場人物それぞれの苦悩、葛藤。向田邦子さんだ。台湾の飛行機事故で死んだ。何というもったいないことをしたんだ。

今日の朝日新聞だ。朝日と聞いただけでそっぽを向く人には一生縁のない世界だ。

中学の教科書の載っている「字のないはがき」を覚えている人も多いだろう。照れ屋の父はまだ字の書けない娘が学童疎開するとき、自分宛のはがきの束を託す。元気な時は丸を一つづつ書いてポストに入れなさい。丸はだんだん小さくなっていく。・・・

掌編ではあるが不器用な父親の気持ちが描かれている。必死で子を思う姿がある。

村上が描くのはいつもうるさい。静謐な中に本物の愛情が流れる向田邦子の作品はまるで僕のクラウンのようだ。

  Posted at 2013/05/20

敵を知らず己を知らず

2013年05月22日 | 東洋歴史

昭和17年になると戦局は最初の3カ月をのぞき月ごとに悪化した。戦争は理系が考え文系が死ぬ。大本営は、それは違うなどというウソをつく。

そんなら理系から学徒出陣してみろ。理系の先生を徴兵してみろ。すべて死んだのは学のない貧乏な、ただあるのは浮かれた愛国心だけの農民兵だ。

もちろん例外はある。炭坑技術者、技術官僚、医療従事者、鉄道技術者はその技術が高度であるとき徴兵を逃れた。だからなんだ。そんな屁のツッパリにもならん例外をあげつらっても本質を覆すことにはならん。

理系のスーパーエリートたちを戦にとりだした時点で負けだ。バカはオリンピックと戦争の区別がつかんだろ。参加することに意義があると思っているだろ。クーベルタンが笑うぞ。

農民兵は産めばできる。理系は違う。中学(旧制)で首席をとり、全国でモノになるたった5校の高校(旧制)で上位5%に入り、さらに大学での研究に耐えた者たちだ。

たとえば、造船官800名がいなかったら大和は絶対に出来ていない。電気溶接は夢の夢だ。給弾システムの水密構造は機械屋、数学、冶金、電気屋、の総合芸術だ。

この800名を前線に送ったら戦争はどうなるか。劣勢ではあるがまだパンチの余力があるのに、わざわざ顎を差し出すことになる。

前回書いた栃の木温泉。孫文はそこに一カ月泊った。昭和18年だから孫文の投宿からは40年後。ゼミ旅行でこの温泉に泊まり大騒ぎをして旅館からひどく叱られた学生たちがいる。引率の先生は日本の航空発動機(飛行機エンジン)の権威である。彼は本来2ストローク主義だったが時代は戦闘機用以外のエンジンの開発を禁じた。

ゼミの学生はどの子も独特の可愛さを持っている。優れた頭脳に、「先生!」と言われると僕はシャキッとなる。この優れた頭脳を人殺しに使った時代があった。

東洋の島国の敵を知らぬお猿の隊長は、ついに最高にバカなことを始める。このゼミからも徴兵を始めた。ゼミ生は下級将校となったが魚雷が将と兵を区別して当たる筈ない。一人は内地勤務となり残りはみんなバシー海峡の魚のえさになった。

先生と魚雷逃れの学生は福岡に移り渡辺鉄工所で働いた。先生はそのまま大学教授として、学生は技術将校として。

バシー海峡に希有の才能を捨てることが戦争か。

一人残ったその渡辺鉄工所付き技術将校は今も生きている。ほとんど南方を意味した召集令状に延期という判が押してある。その汚い紙を仏壇にあげて皆にわびている。僕のじいちゃんだ。ラクダが針の穴を通るより困難な召集延期。だが彼は悔やみ続けて戦後を過ごした。生死を分けたハンコ一つ。最もほしくなかったものだ。

Posted at 2013/05/19

勝つまでは何度でも負けてよい。

2013年05月22日 | 東洋歴史

清朝西太后の命脈が尽きたとき、愛新覚羅溥儀を截て(推戴し)官僚たちは粉骨砕身努力した。とくに李鴻章は日清戦争以来、権謀術数の渦中をくぐりぬけてきた中心人物だ。策士としての能力は伊藤をはるかに凌駕している。

まさに消えかかった蝋燭が一瞬明るくなるように、大中華を夢見て洋務運動、留学生派遣、日本人指導員の受け入れなど矢継ぎ早の改革を行った。西太后という重しの取れた清朝首脳が夢を見た三年間であったと言える。

三年間と限ったのは、孫文らを中心とした勢力が清朝を倒してしまうからだ。その孫文も一挙に革命に成功した訳ではない。孫文の興中会が最初に蜂起したのは1895年である。失敗し日本に亡命する。

以降辛亥革命に成功するまで十回以上日中間を往来する。つまり十回以上革命は成功しなかったのである。清朝打倒においては大同団結できても革命以降のプランは各勢力様々だった。同床異夢では成功しない。

しかし問題のポイントはそこにはない。彼は各地で何回も何回も放棄を起こしては鎮圧され、を繰り返している。蜂起というのは鎮圧されればただのテロだ。孫文がかかわったもの11回、興中会だけで9回。やっと10回目にテロリストと呼ばれることがなくなる。それ以後、眠れる獅子が二度と目を覚ますことはなかった。

だが、孫文がいかに困難な戦いをして来たかを示す興味深い演説がある。

「日本がもし支那革命を支援してくれると云うのなら、成功の暁には満蒙(満州とモンゴル)を謝礼として日本に譲っても良い」(明治40年)

帝国は視野が狭くかつ近視眼だった。せっかくの味方までやがて敵に回す愚を犯す。孫文はやがて死ぬ。がしかし帝国は後継者の蒋介石とは戦火を交え、何も理解しないまま島国の農民兵は数十万単位で死ぬ。

タダでもらえた満蒙に散った兵や哀れである。くれるというものを強奪するバカにつける薬はない。後先考えずに錯乱した頭脳で破滅に突進した島の猿たちを美化するのが出てきて鬱陶しい。

蒋介石はこの頃お友達だという論評がお盛んで、台湾なんてお友達以上らしいが、そんならなぜ股肱の将兵を無駄に死なせたのか。

画像は孫文が泊り、からけんのじっちゃんが戦時中同級生と最後のゼミ旅行で泊まり(同級生はほとんど戦死)、からけんとからけんJrが泊った栃の木(とちのきおんせん)温泉です

Posted at 2013/05/18

貧乏人のくせに大学やら行くな。

2013年05月22日 | 受験・学校

福岡市のはずれに品のいい料亭がある。先日そこで大学の会合があり僕はいやいや参加した。風呂も当然付いている。お偉いさんとか、本人が自分は偉いと思っているだけの人が話しかけるので僕は風呂を上がった。

僕は分かっている。僕は無謀に徒手空拳で自分勝手をしているのではない。「お前いやなら辞めろ。」という人が絶対にいないからだ。僕は閥に守られている。若いころはこれが嫌で辞めちゃったわけだが、年をとるとなかなか便利だ。

閥の連中は僕が女子事務員の乳をもんでも東奔西走し僕を娑婆に出すはずだ。

宴会が始まると5分ぐらい遅刻して鹿児島の学校経営者が来た。「すいません、ジェットの加速が悪くて。」ほう、プライベートジェットだった。

この非人道性が成功のコツだ。学生は借金しまくり栄養失調になりながら沖縄から天草から愛媛の山奥から出てきて爪に火をともす生活をしている。

僕は帰りにはいろんな金券、サービス券のほかボヘミアグラスその他の調度品をもらった。荷物が乗らなくてタクシー2台で帰宅した。

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国公立大進学率は、400万円以下の低所得層が7・4%。所得階層が上がるほど進学率も上がり、1050万円以上の高所得層では20・4%となった。    >ニコニコニュース 2013.5.16

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貧乏人が日の目を見ることはない。低所得者は金がなくて進学していないのではない。金がないから不潔な家に住み勉強部屋もないかあるいはあっても狭い。年収400万でどうやって子供の部屋が確保できるというのか。部屋がないのにどうやって落ち着いて勉強できるというのか。勉強できないのにどうやって成績を上げろというのか。

片付かない玄関。しかも狭い。汚い台所には昨日とったピザの大きな箱。散らかるスナック菓子。大きなボリュームのテレビ。さあ、一ついい成績でもとってもらおうか。

むせるような部屋干しした洗濯物、飲み干した缶ビールにたばこを指している。湯呑みには丸めたティッシュがはいっている。ざらざらした床、兄弟げんかが始まる。さあ、勉強して国立大に行ってもらおうか。

ボンレスハムも負けそうな母親、ピーピープープーゲームに夢中な弟、鏡から離れない姉。芸能界、ファッション、ゴシップにやたら詳しく、絶対尖閣なんぞ知らない。とどめは毎晩酔って帰る父親。そうか接待だろ。それにしては年収400万のままだぞ。

こういう奴らの子供が間違えて国立に行っても恥をかく。マナーが、品位が、その一つ一つのたち振る舞いが貧乏のにおいを発散している。貧乏のにおいとはたち振る舞いにおけるゆとりのなさである。

これじゃあいかんだろうが。前にこの様なことを書いたらチンピラどもが一斉に反論しやがった。反論の余地はない。人間はスタートラインにおいてすでに差がある社会を作っちゃあいかんのだ。

これを忘れるな。フェアな競争の結果生じる差別に関しては一言も不満を言ってはならぬ。

Posted at 2013/05/16

人殺しは刑務所で反省する。まさか。俺なら復讐の作戦を練る。

2013年05月22日 | 裁判

当たり前だろ。とんでもないという人はそもそも刑務所にはいかない。

人生はだいたい80年だ。懲役20年を食らえば1/4の死刑に会ったのと同じだ。よくも俺をブタバコに、という恨みは常人の想像を絶するものだ。唯一大人しいのは死刑囚だけだ。僕は昔、研修で死刑囚と刑場を見た。

このとき僕は確信した。悪は悪として生まれ悪として育ち悪として死んでいく。作業に向かう長期囚のまなざしの奥にある殺意を刑務官たちは見ようとしていない。出所まで問題を起こさなければそれでいい。その無責任体制が今回の事件を生んだ。まさに体制の問題で個人は関係ない。

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女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称である。事件番号は平成2う1058。

この事件は、加害者が全て少年(未成年者)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、犯行期間も長期におよび、少女が監禁されていることに気づいていた周囲の人間も被害者を救わなかったことなどの点で社会に大きな衝撃を与えた。       >Wiki


女子高生監禁コンクリート詰め殺人事件主犯格のMは(事件から25年後の)今年1月、東京・池袋で銀行からお金をおろす振り込め詐欺の「受け子(出し子)」として逮捕された。
ところがMは完全黙秘を貫いたため、実行犯、主犯など事件の解明ができずに1月31日に不起訴で釈放された。その後の足取りは不明という。   >4月24日 週刊文春(孫引き)

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つまり悪魔の殺人の後、出所してわずか4年後に再び卑劣な犯罪を犯している。余罪もたくさん抱えている。17歳であったことを理由に匿名扱いされ不定期刑になることが多く少年法に守られた著しく被告人に有利な法廷であったはずだ。なあそうだろう。Mこと宮野裕史。完黙(完全黙秘)はかなり難しい。僕はできなかった。彼は20年間の刑務所でそのテクニックを学習してきたのだ。娑婆の4年間では困難だ。証拠不十分で釈放とは犯罪者の人権のみに配慮した判決だ。彼は今この時間もあなたのうちの前をうろついているのだ。

こういう人殺し野放し社会は、社会の成立自体を危うくする。そもそも刑法の存在理由は何か。弱者に代わって悪人を征伐してくれるものではない。今日の生産関係を維持するものの代表として社会の上部構造に君臨するものだ。僕はこれには大いに反論があるが、通説だから仕方がない。百歩譲ってそうだとしても、人殺しが闊歩する社会においてどうして生産関係が維持できようか。

社会は、子供だからと言って罪を軽くしようとする傾向を優しさとか思ってないか。

この17歳はもっと残忍なことをしている。

関連情報URL : http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/198901adachi.htm

  Posted at 2013/05/15

子は親の言うことはしない。することはする。

2013年05月22日 | 日常

けだし名言だ。成績のいい子供ほど勉強しろと言われたことが少ない。低脳が生んだ低脳な子ほど勉強しろと言われて育ってきている。そしてしなかったいいわけが上手だ。弁解する能力はだれもバカには勝てない。

違うという人はわが子を見よ。そういうバカ親もいいわけ上手で、うちの子は頭が悪くて…という。さもありなん。この親にしてこの子だ。

たとえば東大は難しいか。5000人も通る大学が難関校か。早稲田は57000人も在学している。18歳年齢人口は今や130万人程度だ。やがて100万人になる。この数に慶応や上智を足しただけでも相当の低学力が進学してくることになる。

つまりバカでも進学している時代に「バカですからいい大学にいけませんでした」ということは、バカが得意のいいわけにもならない。気違いなら大学側も断るかもしれない。それはよく分からない。ウチには少ししかいない。

つまり、今や進学をするということは何の意味もない。日本経済大学は出席する学生のうち留学生がほとんどだ。太宰府市の人口が一挙に2700人増えた。たった6万の市が。ほとんど中国人だ。習慣が違うので違和感があるがきわめて真面目だ。よく努力する。必死に質問して食い下がる。10年前の日本人だ。

それにひきかえ日本人の体たらくは何だ。親から言われただろう、「勉強しろ」。ところがその親は缶ビール片手に野球中継を見ながら言った。

その子供はいいわけ上手の子になる。勉強をしない子になる。缶ビール片手に野球を見ながら子供に勉強しろという子になる。

そうあってほしいという希望だけで中国人をバカにしてはいけない。チャンコロはバカであってほしかろう。僕は彼らと話すのは楽しい。向学心があるからだ。その向学心が勉強にふさわしい環境をつくっていく。僕はもう日本人の学生の部屋にはいかない。選択の余地のない悲しいバカの未来が見える。

僕は勉強しろと言われたことはないが、一番にならないと家じゅうのみんなが僕を相手にしなかった。ところが、この一番になるということはさほど困難なことではない。クラスで一番、学年で一番、バイオリン仲間で一番、バイクで一番、ケンカで一番。

問題は一番であり続けること。これにはどうしても親の背中を見てきたことが必要だった。想像を絶する努力。もちろん僕はなかなかできなかった。目標を一つ減らし二つ減らししていくしかない。上には上がいるのだ。だからこそ勝たねばならないことを体得した。

Posted at 2013/05/14

こんくらいは、いいめにおうてよか(会っていいんだ)。泣いたらでけん。(いけない)

2013年05月22日 | あそび

僕たちは稼いでいる。命を削って稼いでいる。30年ローンで建て5分で灰になる家のために。この中毒は止まらない。

アジアで2番のGDPだ。世界で13番だ。だが止まらない。これほどの社会矛盾を抱えた国は経済に制動がかかることを極端に恐れる。3万人を超える自殺者は自己責任という冷酷な論理でその存在を忘れられる。自殺者数は、一つの地方都市が消滅しているということを意味するのに。交通事故しかり。

一方でその実態を糊塗するため世は偽善であふれることになる。身障者駐車場があってうれしいか。アホ。こんな欺瞞的な優しさはない。

「神様にお願いするなら、この世に生れて来なかったことにして ...」のブログに書いた。

ところで今年は船に貝の着きが多い。繋留索は電柱ぐらいの大きさになっている。船速が全然違うし第一燃料がもったいない。黒潮の所まで出てシーアンカーを流し船を固定する。それから眼鏡と大きなへらで貝をこさぐ。

これが実にきれいだ。剥がれた貝が真っ黒い水中におちていく。きらきら光りながら。するとそれを食いにいろんな魚が来る。サメも来るので体にはロープをつけているが耳を澄ましていれば大丈夫だ。サメは音を出す。浮かれてバカ騒ぎする奴はよく食われている。僕は臆病ものだから今のところ大丈夫だ。

一緒に行ってくれる人がいなかったのでほうぼう当たっていたが、ある女性が年休消化とかで休みだそうだ。しかし海の仕事は男の仕事だ。マリントイレ、シートワーク、給油、給脂、ガスの積み込み、給水・・・彼女は日焼けも気にせず頑張った。今頃の日光は危険だ。

カキ落としは危険だったので、彼女にさせるわけにはいかないが。湾内に海軍が作った桟橋がある。火宅の人壇一雄の家がある島だ。ここはだれも利用しない。ディンギーでは来にくいのだ。僕は勝手にここを僕のプライベートビーチと呼んでいる。実際そうだ。陸地側からそこに至ることはできなくなっている。人工物は何も見えずただ海と空と波と緑だ。そこでゆらゆらゆれながら釣果を刺身やマリネにして胃袋に入れた。

帝国海軍が僕にした唯一のいいことだ。

彼女が泣きだした。理由を聞いて僕はジーンときた。

「あたしはこんなにいい目に会ったことがない、いいんですか、なんて幸せなんでしょう。」

大したことじゃないのに、ほんのこれだけのことも経験せず日本人は働きづめできたのか。

日焼けを気にしてこういった。「明日会社の人になんて言おう。」

(画像は今回の僕の船ではありません)

Posted at 2013/05/12

これだけ言えば気違いになる人も出るだろ。

2013年05月22日 | ニュース

지랄 발광 네 굽질(発狂して騒ぎたてまるで畜生だ)  韓国人がよく使うことわざだ。そうか。韓国人は自分のこと分かっていたのか。この発狂が尋常でないことは主水さんのブログをお読みください。(別訳  気がふれて立てなくなって四足になる) こういう訳も可能だ。

日本人は冷静のようで、イラッとさせるバカ無恥勘違いのコメントを残す発狂者がいる。そのひとつには名指しで批判してきたことがあるようだ。これは大いに反省すべきところだ。相手がどんなにバカで傲慢で勘違いしていても、ここは論争の場所ではないのだから名指しはまずかった。反省します。突然私を名指しして批判する無礼者がいたのでそんな世界かと思った。

バカは一人で論争気分を味わいたくてやたら詳しくデーターを並べ悦に入っているのもいるが、させておけばいいのだ。こちらが殴ってないのに殴りかかってくるような考えの人もずいぶんいたが、僕が大人になって猿の一人芝居を楽しんでおけばよかった。

僕にはファンの方と、少ないけどイイネを着実に下さる方がいる。僕がちょっと気を緩めて書くと着実にイイネは少ない。僕の日本語はおかしい。10年以上も日本語を書いていなかったからだ。このごろやっと日本語がスムーズに出るようになった。それに比例してイイネが増えるのがとてもうれしい。

さあガンバろ、と思った矢先、ある学校から勤めないかとお誘いがあった。もう働かない。働けば貧乏になる。というのが僕の信念だったが、なんかフラーっと契約してしまった。

僕の信念は揺るがないが、好き勝手なこと喋って金をくれるならまあ一年ぐらいいいかと思ってしまった。

働くとストレスを受ける。病気になったらカネ以上に大事なものを失う。それは健康ではない。寿命だ。働いて働いて早死にするのは必然だ。

稼ぐカネ以上にその経費が流れ出る。たとえば今僕の家には車が4台ある。もしも僕がこれを自分で車検を受けなかったら業者に莫大な金を払うことになる。そのようなことを合計すると流れ出る金はとても稼ぐカネどころではない。みんながわずかの金にだぼハゼのように飛び着くから賃金水準が下がる。

マクドナルドの価格は韓国も日本もほとんど変わらない。店員の忙しさも変わらない。ところが韓国では時給300円だ。なぜか。みんなだぼハゼだからだ。

僕の韓国語が役立つ日が来れば僕はタダで頑張る。外交官は二度としないが、朝鮮の思い上がりは一度ぎゃふんと言わせたいと思う。

Posted at 2013/05/11
 
 
 
 
 
 

女子学生と数学 7

2013年05月11日 | 学問

世の中が見た通りなら何も苦労して学問する必要はない。ところがここからが人生の一筋縄ではいかないところで、やたら見えないところまで本質を忘れて詳しく計算すればよいというわけでもない。

やおら数学なんぞできたりすると、バシッと証明したり、どこかで仕込んできた変則解法で解いていい気になる。僕は計算が大嫌いだ。先日なんかは大バカがいて僕のクルーザーを会社の経費で落とすべきだと言ってくれる人がいた。大きなお世話だ。第一僕には会社どころか職すらないのに。

概してこそこそ計算するのは女に多い。頭に優劣はない。男にモノになるのが10人いたら女性も1人はいる。そこに優劣はない。ただ女は計算の速度や正確さが、なんか価値があると錯覚している場合が多い。

しかしまあ、教養部はお遊び程度で何とかごまかせる。専門課程は凡人はそのことだけに集中しないと無理だ。教養部は社会科学だの人文科学だの、先生が学生を憐れんでレポートでも単位をくれる。専門課程になりほとんど全部が数学関連の科目になると、ただくそまじめに計算して頭使った振りではごまかせない。

ここで大体女子は高校や中学の先生になっていく。そして山のような採点を徹夜でしてきて採点違いが少ないのを自慢しさも良い教師であることと勘違いする。数学とは無縁の人間だったんだ。

大学への道を通らずにいきなり実業界に入った人にはここまで読むのが退屈だったと思う。あと少しの辛抱を。僕は問題をといていてよく詰まる。できる奴に手を上げさせてやってもらうこともある。問題にはどうでもいいことがいっぱいあるんだ。

どうでもよくない鍵は僕が持っているから特に計算なんか俺にさせるなと言ってある。学生はよく分かっている。教員の中で意地っ張りでまぐれに研究員になったやつはその本質を見ようとしない。これは日本に教員間の競争がないからだ。3年も5年もつまらん論文一本すら描けずに天文学的給与をもらうな。

一日に何回も軍手を変えてどう修理しようかと悪戦苦闘している人がよっぽどすがすがしい。

先日来の女子学生がやっぱり教えてくれと言って来た。だが学校もかなり進んでいる。計算以外の所でつまずくと重症だ。時々互いの手が触れながら問題をといたらどんどん進むのにな。

写真は零式水上観測機(れいしきかんじょうかんそくき)のフロートだ。フロートの真ん中付近の下側には10cmぐらいの切り込みがある。これがなくてもよさそうなものだ。しかし、これがないと飛行機は離水しない。水の粘性に打ち勝つことができない。水ってべたべたなんだ。この計算はそこらの数学者にはできない。

P-38、F4Fを撃墜した隠れた名機だ。800馬力 7.7ミリ×3 2名 1000機

  Posted at 2013/05/09

バカは的はずれに人を評価する。

2013年05月08日 | 思想

バカだバカだと何回も書くものだから、当たっていることを書かれた人は相当悔しいだろう。僕もそれくらいは配慮したい。

とかろがバカがずば抜けているものだから僕の我慢も吹っ飛んでしまう。コメントなど、毎回消すのも面倒だから、脅し、ねたみ、そねみ、ひがみ、的外れの部類は土曜日にまとめてほしいと言ったがなかなかそうもいかないらしい。主水さん、Mikkolaさんの秀逸なコメントを読んで恥を知れ。

第一僕はこのコンピューターなるものがよく分からない。やっとの所で動かしている。そこで一生懸命書いてイイネやファンが増えればそれで満足だ。と言っても関係ないコメントやメッセージはやまない。不愉快を我慢して書くこともないのだからいっそやめようかと思う。OCNにも同じものをコピーしている。みんカラは人のブログを突然消すらしいから。書く方に非があっても、事を行うに当たっては正当な手続きを踏むべきであるということがよく分からない相当に学校の成績が悪い人たちが運営しているのだろう。

ところがところが他のブログはさみしい。CMのコメント。エロコメント。などが多くまともなのがない。なかなか両手に花とはいかないものだ。

今日、鳥栖にあるプレミアムアウトレットに行った。僕はわざわざアウトレットを買うのが分からない。ちゃんとしたのを買えばいい。安いのか。じゃあほしい種類を減らして三越で買え。きちがいになって九州全土から買い物に来ている。しかも十分駐車場は空いているのにわざわざ身障者用駐車スペースに止めている。この無神経無教養に話をしたかったが来なかった。

ブログを消されて不愉快ならお前は参加しないといい。この考えは無教養な身障者駐車場を無視する輩に似ている。そんなに不愉快ならアウトレットに来なければいい、というのとどこが違う。いずれも公共のモノを利用してSNSや大型ショッピング施設が成立していることが分からないでいる。つまり自己の存在は社会的にのみしか存在できないものだという小学校で習う基本がない。

持ちつ持たれつなのだ。身障者用駐車場に無神経にも駐車する諸君。韓国でそれを一つやってみないか。運が良ければ溝にけり落とされてけがをする。悪いと不具者になる。それは韓国の倫理性の低さを示すものではない。いかに倫理的に精錬された戦う正義感を持っているかだ。

Posted at 2013/05/07

こそこそ逃げ出す。これに勝る処世術はない。

2013年05月08日 | 思想

自分に分があるときには青筋立ててガンガンがなり立て、不利と見るや即座に逃げ出す。その時の基準はひとつしかない。すなはち、みんながどうであるか、だ。寄らば大樹は低脳のための永久不滅の金字塔だ。

ほんとは何にも考えてないくせに世の大勢が民主に流れると我も遅れじと民主踊りを踊る。今は思考停止をしている。それは忘れ自民踊りが大はやりだ。

ほんとバカは目の前のことしか考えず咀嚼反芻をしない。だから代を重ねてもバカは続くのだ。中坊公平が死んだが、たぶんオウム事件あるいはサリンのことを思い出せばいいほうだ。オウムは熊本県波野村から10億円巻き上げその金でサリンを作ったのをご存じか。

中坊公平も善人ではない。ただ良心の能力が低質であったのではない。彼はたやすく入る収入に、泣きながら働く労働者を対比できる優しさを持っていた。

僕はモリナガドライミルクのモデルをしたので原告団の弁護士たる彼とは立場は違うが話す機会を得た。40年前のミルク缶に印刷された赤ちゃんは、すでに不惑をはるかに過ぎている。

僕たちは建物が退いて元の草原に戻ったオウム真理教跡に立っていた。話をするにはここがよかろうと思ったのだ。

僕は尋ねた。「善人と思う人が悪人になりまたその逆もあり、人は自分自身すら正義感ばかりでは生きられない不安定な小舟の上にいる。あなたを律しているものは何ですか。」

彼はモリナガドライミルクの缶の赤ちゃんが僕であることを非常に喜んでくれた。そして答えた。「せこく逃げ回る貧しい人間の処世術は悪魔の殺意にかないません。私は勝つか負けるかは分からなかったが、戦う義務を感じた。」

僕の友達はオウムに入り学歴も高かったので出世し今は刑務所にいる。生きて会うことはない。僕は無謀にも彼を取り返そうと波野村のオウムに殴り込みをかけたことがある。門の5,6人を叩きのばしただけに終わった。彼が娑婆に戻る筈もない。

中坊は僕と違い優れた能力で正義を探った。必ずしもそれは世間に迎合するモノではなかった。たとえば、ヒ素ミルク事件や住専の問題では庶民の旗手のように思える、しかし彼の社会正義は僕の見えない遠いところにあったと思うべきなのだろう。批判も多い。

Posted at 2013/05/05