たった半年しか勤めなかった役所だった。エネルギーをもてあましていた僕は、テレテレしてドンくさい役人達を毎日怒っていた。このバカで、ゴマすりで、ちょうちん持ちで、寄らば大樹と組合にすがり、わずかな利権を期待して生きる便所虫。
今でもその考えに変わりはないが、なにも怒ることはなかったかな。この5万人の役人ども(本省)は、国家という大きな恐竜の一つの細胞にすぎない。人間と思ってはいけなかった。遅れず、休まず、働かず。
上司にペコペコ、組合にペコペコ。
ところが僕の上司だけは特別に僕を優遇した。最初は、ぼくが将来を嘱望された駿馬なのでへつらっているのかと思った。なんと言う思い上がりだ。タイムマシンで当時に戻れたら、そこにいる生意気な僕を完膚なきまでに叩きのめしてやる。
上司は雄藩の筆頭家老の直系だ。しかも名門京城帝大医学部の出身。一秒でも早く退席したら始末書モノの公務員世界で、「例の件で役所を回るぞ」、と言って僕を連れだした。例の件とかある筈もなく、二人で飯を食った。そこで、
「からけんは、正しいとか強いとかにしか価値を置いてないな。」 に対し、「仕事の価値はそれで十分だと思います」、と返答した。
「お前は、職場で正しいことを言っているつもりだろうが、それで人は動いたか。」 に対し、「それは人がバカだから理解できないでいるのです」、と返答した。
「世の中は、たいして頭は要らんのだ。」 ぼくは、この言葉の深さを分からず仕事を辞めた。医者になりたかった彼が、どういういきさつで役人になったかは知らない。ただ、なりたかった自分になれなかったのは確かだ。
そう言えば、職場では何となく悲しそうで元気がなかった。だが肝心の会議になると素晴らしい采配をした。敵を作らずみんなが楽しく仕事ができるよう配慮した。現場を知らぬアホ官僚のたわごとは全部自分が抱えた。とくに僕に知らせないようにした。
遅いが今頃分かってきた。人間はそう賢くない。負けて初めて分かるものがある。そうして初めて身につくものがある。負けた人間だけが持つ背中の勲章。なりたい自分になれた人は、心しなければならない。勝ったが故に失うものがある。
敗者は、悲しんで悲しんでやさしい人間になっているぞ。