か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 51

2019年02月20日 | 韓国

 

<前回からの続き>

 韓国の植民地近代化 [チョン サンイン ソウル大教授]

1.序論

 

解放50周年を前後して国内の学会の一角に、韓国社会が日帝時代に経験した近代化への移行へのを受け入れ認めようという問題提起があった。いわゆる植民地近代化論がそれだ。そしてその論争は議論が議論を呼び簡単に収まりそうもない。このことに関して日本の「産経新聞」は「韓国での植民地統治に対する肯定論が台頭している」と報道し、このような「自由主義史観の攻勢を前に民族主義史観の危機感が高まっている」と主張した。これは”事実報道”ではない。まづ、植民地近代化論を日帝を肯定する考え方だとみることはできない。植民地近代化論によって民族主義の史観が危機に陥っているという主張は、語不成説(理屈に合わないこと)だ。なぜなら、植民地近代化論は植民史観とも親日史観とも違うからだ。

日本(の「産経新聞」)が植民地近代化論を我田引水し曲解するのは彼らの立場からして理解できなくもない。問題はもしろ国内事情にあるのだ。植民地近代化論を批判する立場は大体において植民地近代化論の真意を歪曲するか意図的に看過している。その結果、植民地近代化論争は学問的に進化できないまま感情的な対立の中で漂流している。植民地が国家の歴史を中断させたのは事実だが、「社会の歴史」を押しとどめたのではなかった。植民地近代化論は植民地時代の韓国の社会変動を経験的に究明しようとする作業に過ぎない。そうすることは、近代社会への移行であるのかそうでないのかという作業すら避けて断罪することであり穏当な学問的対応であるとは言えない。植民地だったという理由で日帝時代の社会変動を否定する態度は、独裁政権であったという理由で朴正煕時代の経済開発を否定するように、また分断時代であるという理由で現代の南北(朝鮮)間の歴史を韓国の歴史として取り扱わないことと大差ない。

植民地近代化論は多様な近代社会のエポックの中で日本が日帝時代にあらわれたという事実に注目しようというだけだ。そしてそれが日帝の”せいで”ではなく日帝の”時期に”起こったものであることを指摘したい。したがって植民地近代化論において分析の焦点は日帝の植民地政策ではなく日帝時代に経験した韓国の社会変動にあるのである。にもかかわらず現在提起されている殖民地近代化批判論は植民地近代化論がもともと設定していた問題意識から大きくそれている。いわば植民地近代化自体を場外に追い払おうとしているのだ。ここで書く目的は1990年中盤以降今まで学会を騒がせてきた植民地近代化論争の全般的展開過程を検討することで、植民地近代化論が学問的に位置するところを再定立しようとするものである。

 

2.植民地近代化論の登場

 

学会で植民地近代化論が提起されたのは資本主義の発生を中心に韓国社会が近代に移行する基点とその後の過程を確定するところに始まった。歴史学会の主流は長い間韓国資本主義の萌芽を朝鮮王朝後期に見つけようとした。いわゆる資本主義の萌芽論は韓国の歴史が他律的であったことを前提とした植民地史観を克服することのできる民族主義的対案として発展してきたものだ。それは解放以後、資本主義の道を歩んできた南半部ではもちろん、社会主義的進路を模索した北半部でも現れた現象であった。思うに資本主義的歴史の端緒が韓国社会に自生的に存在していたことを明らかにしようとする資本主義の萌芽論は民族主義的もしくは国粋主義的歴史観の産物だ。ちょうど伝統的な韓国社会で資本主義的萌芽を見出すことができなかったらそれがまさに民族的自尊心を気づつけでもするかのように錯覚しているのだ。しかしながら、ペレが指摘するように、朝鮮朝は資本主義的商工業の発展がなくとも500年にわたる長寿の王朝だった。であるとするなら「朝鮮王朝」は(資本主義発展の観点からではなく)それ自体の内在的価値によって評価されなければならない。

同じころ、政治経済学分野の一部学者も1960年代以降韓国の産業化過程を分析してその歴史的起源に関心を深め、この時注目を集めたのがまさに植民地時代についてだった。彼らの主張は、経済成長の過程で韓国はほかの第三世界の国よりもはるかに有利な社会構造的条件のもと出発したのであり、それは日帝の植民地期間を通じて進行した一連の社会変動のためであるというのだ。彼らは1960年代以降いわゆる発展国家(developmental state)の登場とそれに伴う韓国の高度経済成長を分析する既存の研究傾向が朴正煕政権の出帆を経済的な契機として把握するという近視眼的態度を取ったため1960年代以前の歴史的遺産を軽視していると見た。また、経済成長のためにいわゆる”強い国家”(strong state)という切り札が必要だった時点にそれが時期適切に現れたというような”機能主義的”解釈に埋没していることも批判していた。

 

 

<次回は、3. 식민지 근대화론의 내용 から> ©からけん

 

 


統計のウソ

2019年02月02日 | 社会・経済

1500の事業所を全部調べるようになっていたのを500しか調べなかった。

そりゃ大変だと騒いでいるがPOINTはそこではないと思う。客観的に言って、かりに15の事業所を調べるときに5つしか調べなかったら大変な誤差が生まれる。

ところが対象の母集団の数が大きくなるとサンプリング調査をしても全数調査しても結果に影響はなくなる。

 

一部を見て全体を判断するなというのは、全体を見ることが数が多くて不可能な時、バカがそれを見越して自分に不利な証拠が出ないように予防線を張るときに根拠にしたがるまやかしだ。

学校の勉強をおろそかにした人にはわからないことだ。そんな人が一見もっともらしいウソを信じ込み、それは馬鹿の一つ覚えとなりバカの脳裏にこびりつく。

 

砂時計から砂が落ちるとき、落ちたところはうずたかく砂の山ができる。落ちる砂粒の数が少ないと砂山はできないが、多ければ多いほどきれいな裾野の広いなだらかな富士山ができる。(正規分布曲線)

十分に砂粒が多いとき、この時の山の中央がどこにありその高さがいくらかを知るためには、すべての地点で測定する必要はない。1/3の地点の測定で十分平均値は出る。それは真の値に限りなく近く、それを用いた他の統計や計算値が不確かになることはない。

 

ところがところが、立て続けに出るでたらめ統計作業はすべて安部に有利な結果になっている。

これはあってほしい結論のため意図的に高さを図る地点を操作しないとできないことである。

その証拠に国家の基幹を揺るがすごまかしなのに安部は担当者や上司を、ただ言葉でいけませんよと言っただけだ。さらにはインチキ発覚後も内部の人間が混じった第三者機関をぬけぬけと作り上司の監視のもと検証作業を行い真実を糊塗した。茶番だ。

 

たしかにバカはのど元過ぎればすべてを忘れる。選挙になればもうすっかり安部の失敗は忘れ自民党に万歳三唱する。

だが、ばかばかりではないのだ、国民は。一度二度騙されることはある。ただ不都合を隠ぺいするたび、着実に安部を見切る人は増えていく。