か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 105

2023年07月20日 | 韓国
<前回のつづき>韓国人が韓国人に向けて書いた日本像です。毎月20日発行。


再び本論に戻って、日本とドイツの立場がいかに違うものであったのかということを見てみよう。ナチスドイツが起こした戦争は今となって振り返ると名分も貧弱でアーリア人の世界を作らねばならぬという人種優越思想を土台にイスラエル人とスラブ族に対する残忍な人種抹殺劇を試みた事実は広く認められているのでドイツが犯した過ちについては異なる見解の余地はない。ナチスドイツは純粋に人種の浄化のために戦争中ユダヤ人600万人とロシアのスラブ人2000万人を虐殺した。



しかし日本の場合大東亜戦争というのは日清日露の戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争など50年間続いていた戦争の延長線上にあったということに過ぎず、どういうきっかけで「戦争を始めた」ということは言い難い側面がある。1941年、欧州戦線でドイツが速やかに進軍するとそれを見てドイツと同盟を結んだのであり、アメリカに依存していた石油とくず鉄の輸入が止まったのでこれ以上持ちこたえられない状況にいたりどうしようもなくなりアメリカと戦争を始めたのである。結局、ドイツと同盟を結んだこととアメリカを攻撃したこととは日本の判断ミスであったのだが、だとし犯罪行為行為であったといえるほどのことではない。



1941年当時、日本は原油輸入量の90%、くず鉄輸入の60%をアメリカに依存していた。なのでアメリカの協力なしにはこれ以上戦争を遂行することが不可能な状況だったのだ。アメリカは当時欧州戦線に対してはイギリスがほどなくヒットラーに占領されるという判断の下、ほぼ2年間対岸の火事として傍観していたが、日本がドイツと同盟を結ぶと日本に対し原油とくず鉄など戦略物資の輸出を禁じた。しかも、日本に対し中国本土のすべての地域から兵力を引き満州まで後退しろと要求していたのだ。当時中国は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党、そして日本など3っつの勢力が領土の取り合いをくりひろげていたのだが、アメリカは蒋介石の国民党を推していた。



すなはち、日本は1941年当時アメリカおよびイギリスと戦争をする道を捨て満州と中国北部地域あたりを占領するにとどめアメリカと平和協定を結ぶ道も残されていた。戦争を望んでいなかったアメリカ側としてもそうなることを期待していたし、日米協商も順調に進んでいるかに見えた。しかし、結局軍国主義日本は無謀な戦線拡大路線を選択することにより自滅の道に進む。これもまた痛ましい判断ミスだったのみであり、深刻な犯罪行為だとは言えないことだ。



1941年12月日本は米国と英国に対し宣戦布告をする。ハワイとフィリッピン、インドシナを同時に攻撃しつつこの戦争に東アジア新秩序という名分をつけた。新秩序というのは西洋侵略者たちが生み出した古い秩序を解体し日本の軍事力により東アジアに新しい秩序を構築しようというものだ。当時の日本は東アジアの黄色人種同士大東亜共栄圏を作り幸福になろうというスローガンを唱えた。これは今日考えても非常に説得力があり正しく堂々とした大義名分がある。日本は非欧州国家としては唯一市民革命に成功し帝国主義列強に加わることができたのだが、日本が進出可能な東アジア地域はすでに西ヨーロッパ国家の植民地に転落していた状況であったからこの地域を解放するということは当時の日本帝国にとって極めて重要なことであった。



軍事的な面から見ると日本が東アジアを占領した理由は石油をはじめこの地域の豊富な地下資源を確保しようということ、さらにインド-ビルマルートを通して成り立っている蒋介石軍に対し彼らの軍事物資補給を遮断しようとすることの二つがある。しかし、東アジアを白人たちの圧政から解放しようという意図もまたなくはなかっただろう。東アジア黄色人種の立場から見ると有色人種をほとんど人間扱いしない白人たちによる搾取を受けることより同じ黄色人種国家である日本と手を組む方がましだったとも思える。少なくとも白人の植民地にあって有色人種が受けなければならなかった貧困と汚辱を知っている限りは。日本は東アジア地域に解放軍として進出し、今日たとえ議論が残るとしても東アジアの多くの地域から当時の日本の努力が相当部分評価されているということもまた否定できない。


<つづく> 

「上」に対して思うこと

2023年07月10日 | 社会・経済
仕事を始めたころ、自分の立ち位置は一番「下」。したがって、目に見えているルールや約束、しきたり、人間関係等とにかくあらゆるものが自分より上に存在。

この末端という自分。当初は、人に後れを取るまいととにかく頑張る。何も一番になろうとは思はない。そんな大それたことは思わない。とにかく自分がまともな仕事をしないことには始まらない。それができない場合、人間失格という烙印を押される気がしていた。立派な仕事中毒一年生だ。

仲間の足を引っ張らない。親兄弟に恥をかかせない。学校の後輩たちは僕を切り込み隊長だと思っている。・・・

僕は強迫観念のるつぼの中であえいでいたようだ。

何よりも自分自身に対して思うことがあった。ここまで努力してやっとつかんだ栄光を手放すようなことはできないぞ、と。


しかし、それも3年。昔の人ははうまいことを言った。針の筵ではなかったが、まあ、いわば石の上。そのうえで3年が過ぎたころ。だんだん組織の本当の姿が見えてくる。

どんな人が、いわゆる偉くなるかが見えてくる。つまり、まさかという人が「上」になっていく。

これ。不条理でないかい。と気がつく。

一方で、人格識見ともに優れ、企画力やすばやい状況把握、清濁併せ呑む広い度量、そしてやさしさを持ち合わせた人はあいかわらず僕と机を並べている。

5年もすると組織の上層に対する失望は殺意に変わっていく。



さらには、仲間内から昇進するものが出始めると昇進パーティ会場のトイレでは聞えよがしのひがみ声の大合唱だ。

「あのごますり野郎」「裏切もの」「東大閥でもないくせに」「なんのコネか」しまいには「恥を知れ」

勢いあまって、昇進することが犯罪かのようにまくしたてる。負け犬の傷のなめあいよ。

だが、これがこの輪の中にいるとなかなかわからない。


今思うと恥ずかしい。自分はこの人こそと思う人が冷や飯を食っているのを見て義憤に駆られていると思っていた。そう思って自分を納得させていたに過ぎなかったのに。

それに気がつく頃はたいていもう遅いのよね。



結論

日本というシステムの中では人格者は昇進しない。まれに昇進したら、その人は部下を絶対責めない。自分がかぶる。

日本という人を幸せにしないシステムは、バカの順に偉くなることで支えられている。この偉くなったバカは、きまって部下の無能を嘆く。