か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

行悖(こうはい)

2014年04月29日 | 韓国

中国や朝鮮ではよく使われる言葉だが日本ではあまり使わない。立ってもいられない状態になるほど酒を飲み暴れまくる時この語を使う。手の施しようのない状態だ。

朝鮮には、「やくざの妻ならなれるが、酒飲みの妻には、なれない」という言葉がある。ただし女も負けていない。いまどき花見にいくと、ヤカンから直接焼酎を飲み大股開きで寝そべる若い女性をよく見る。無料野外ストリップだがあまり見たくない。行悖。

行悖(ヘンペ)とは、よく言って狼藉だ。朴こと高木クネは、今回の沈没事故に対し「行悖」声明を発表した。

が、僕は高木クネの言葉が日本語になると柔らかくなっているのに気がついた。少し引用。

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韓国の朴槿恵大統領は21日、首席秘書官会議で、韓国南西部・珍島沖で起きた客船沈没事故に関し、「船長と一部乗組員の行為は常識的に容認できない、殺人にも等しい行為だった」と厳しい表現で非難した。                ヤフーヘッドライン

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上記の文章中、「殺人にも等しい行為だった」とあるが僕が、KBSを見ていると言葉の度合いが違うことが分かった。正しくは「人殺しと同じ狼藉(行悖)をはたらいた」と訳すべきだ。

一事が万事で、まるで高木クネはいけない国民をしかるという視点からものを言った。クネは大統領制自体を理解してない。李承晩が極悪とすればクネは低脳だ。極悪と低脳とどっちが迷惑か。究極の判断だな。

わが国の内閣制は三権分立ではない。立法府の安倍がCabinetを構成している。つまり行政府の長だ。特段悪いことではない。近代日本が選択したことだ。

ところが韓国は個人、李承晩がアメリカというトラの威を借り大統領制をでっち上げた。しかし高木クネはそのペテン師が作った大統領制すら無視した。大統領制とは三権分立の最も完成した形態である。モンテスキューが泣くぞ。

「船長の行為が容認できない」かどうかは司法が判断することだ。今すべきことは、国民感情に乗って人気取りをしていれば自分の地位が安泰だ、と考えることではない。

当該フェリー関係者にすべて過失があるとは限らない。ましてや船長に殺人罪とは、罪刑法定主義はどこに行った。生徒遺族の怒りは多方面に向いている。船員遺族も少数ではない。彼らは怒りをこらえるしかないのか。

つまり、いま、行政の長たる大統領パククネが緊急になすべきことは、国民間の不毛な対立を緩和する発言をすることだ。

言うに事欠いて身内たる公務員に対してさえ「自らの地位を守るために、上司や他人の顔色ばかりうかがう公務員は、政府から必ず出て行ってもらう」、と、船が沈んだら公務員が悪いといった。これでは公務員はやる気をなくし救助活動の気勢をそがれてしまう。

緊急の課題は、国民和合を図り、団結した国民が、事故原因究明、再発防止、責任者の処罰、損害賠償、遺族への公的援助、等に理解を示してくれるようにすることだ。山とある。

彼女の不用意な発言は、激昂しやすい韓国人のイライラをあおることしかしなかった。青瓦台(大統領官邸)でいきり立つことは絶対にしてはいけないことだ。


 





CELLO  Hitomi Niikura

2014年04月24日 | 音楽

8歳からチェロを始め11歳までドイツのビミスリッキー氏に師事。桐朋学園を首席で卒業、今はスイスに住む。

世界は広い。隣人との境界線争いばかり気にするのは能力がないからだ。それで頭がいっぱいになるのは低脳だからに違いない。

ロシアや中国や朝鮮の現代文学を原書で読めよ。字幕に頼らない映画を見ろ。だが、近隣諸国の文化に通じることは並大抵の努力ではできない。そこで、僕らは、「相手のことはまだ知らない」という自覚の下、さまざまな判断をしていく。彼女と付き合い始めのころのやさしい、遠慮がちな、思いやりのある自分を思い出せ。

横柄な態度で自分の所有物のように錯覚する。やめろ。僕は主水さんから「夜郎自大」という言葉を習った。

口から火を吹いて、竹島竹島と叫びまわるしか能がない自分が、恥ずかしくなるはずだ。

紛争は第一義的には外交で解決する。表面を飛び交う三面記事に狂喜して相手を非難する。ばか。言葉の国はそんなに単純じゃない。

元来、人類は、領土問題の発生に対しいかなる対応をしてきたか。国家権力は領土問題をいかに利用してきたか。それに真っ先に乗った低脳は、いかなる種類の人間だったか。

コタツから出てしばし酒を飲むのを止めて、刺すような夜風に頭を冷やすと自分が笑えてきたりする。

僕はそういいつつもパククネを許しはしない。彼女は外交を知らない。三権の長であるという認識に欠ける。それはまた次回。

犬を食う原始人の失態をしつこく笑うな。そもそも低脳は同じことで何回も笑う。

新倉瞳は超絶技巧の持ち主だった。だがチェロは伴奏楽器だ。主役ではない。主役に上ろうと100年ぐらい前からがんばっているが、無理がある。でも彼女が弾くとビオラやバイオリンの音が聞こえた。しかし、それが何だ。わざわざチェロで弾くことはない。

チェロでバイオリンに対抗心を燃やすのは見苦しい。逆にバイオリンは、チェロに絶対勝てない音域と音量と音色がある。

だから四重奏をする。

金子みすずの言葉を思い出す。「みんなちがってみんないい」

楽器の世界と同様に、世の中は異なるものがなければならない。えてして、少しでも自分と違うとヒキツケを起こして排除に努める。海上自衛隊は内部告発者の三佐を処分しようとした。その策動が世に知れると、今度はうやむやにした。異質なものが怖いのだ。軍の統制を考えろというパーがいる。よく読め、パー。自浄力のない軍が強いか。自浄力の根源はどこにあるか。上意下達の軍が強かったためしはない。

AV女優のパッケージを見るとなんてかわいいんだと思うが、実際の中身はそうでもなかったりする。新倉瞳さんはパンフどおりの人だった。めったにないことだ。

つれて帰り、僕のバイオリンに合わせて弾いてくれたらもう思い残すことはない。

      

  


安山・檀園(タノン)高校

2014年04月20日 | 韓国

今回のセウォル(歳月)号沈没事故で、一部に悪魔の思想を見た。

少し時をさかのぼって語る。僕はこの学校の近くに住んでいたが、まだこの学校はできてなかったのでよくは知らない。隣町の水原(スウォン)や仁川(インチョン)と言うところに住んでいた。

この海難事故の最中に、生存者や死者の数も確定しない中で被害にあった壇園高校を非難する発言があるのは、単にそういう発言をする人の倫理性の欠如や低脳ぶりを暴露するにとどまらない。公立新設校として今後韓国の柱となる人材が輩出されたかも知れない。決して何ちゃって高校ではない。

韓国の良心的な部分から永遠に日本人全体が顰蹙を買うことになる。

というのも壇園高校は反日高校だということを示し、その高校の存在は日本の利益に反すると主張している。百人以上も死んだ生徒たちにかける言葉ではない。これは敷衍すると、ざまあ見ろという思いが見え隠れする。

たしかに、事故に対する対応のまずさやデマ、事故を利用した詐欺など、さもありなんと思いながらも心が痛む。であるからして、船長だのマスコミだの海上警察だの潜水士だのを非難するのはまだ分かる。

だが、反日行事に参加したのは生徒の自由意志ではない。反日行動をとらなければ大学には通らない仕組みだ。大学に通らなければ一生地を這う虫として生きるしかない。日本とは違う。

犠牲者の死に哀悼の意を表します。それがいかに心にもない言葉であるかを、自ら随所で白状している。死者の背景も知らず非難しているではないか。

たとえば、船長は自分だけ逃げて乗客=生徒がかわいそうだ、とかぬかす。そんなに悪い反日生徒なら死んだほうがよかったというために反日高校とか言うんだろう。

反日高校とは何ぞや。知らずにものを言うな。彼らは確かに独島は韓国領だと思っているが、冷静な学術的研究により決定されるべきものだということは、日本のポン介よりよっぽど正確に把握している。

前述したことももう忘れているだろうから再論すると、生徒は、内申書に決定的に響く独島にたいする意思表示を強制的にさせられている。

そんな背景も知らず事故処理の不手際を笑い、ひどいのはもろに人の死を喜んでいる。知らない人の死を喜べるのは悪魔だ。

僕は近所の学校に勤務していたが、日本の高校生と変わらない元気な正直な素敵な子達だった。


おまいら、上からだと安心して同情してるだろ。

2014年04月17日 | 音楽

いいか。自分は安全圏にいて、心底共感しているんだと、同情または正義の旗を振るものがいる。たとえば、ソファーにひっくり返ってビール片手に南スーダンの飢餓を論じるやつ。海峡を挟んでいることに安心して散々鮮人の悪口を言い、仲間を募るやつ。

障害者が連帯するとき、すぐ分かったような顔で口出しをするやつ。そのくせすぐ飽きてほっぽり出して消えるやつ。障害は止めることができないんだぞ。

いずれも自分は快適な座敷の座布団の上にいて、廊下の座布団もないやつらに同情している。世の中、こんな欺瞞野郎が多すぎるんだ。

犠牲者が、かわいいとか障害者であるとかの場合、このときとばかり欺瞞野郎は正義漢ぶっていきりたつ。

「涙のファシズム」だ。

ただの条件反射だ。障害と聞いただけでも涙を潤ませ狂いまくる。身障者駐車場に止めていた健常者がいたことを糾弾すると絶叫するようにいいネが増える。

そもそも駐車場が狭いことが問題だ。どの駐車スペースも広くなれば解決することだ。いや駐車スペースがスーパーの入り口に近くないと、とか言い出すポン介がいるだろう。

じゃあ金属バットもって違法駐車野郎を待ち受けてやろうじゃないか。それはせんだろう。自分は安全圏だろうが。僕はその卑怯な精神が嫌いだ。

聞こえてくるぞ、おまいらの屁理屈反論が。からけんはどうなんだ、だろ。それは話の本筋と関係ないけど言おう。とことんホームラン級のバカだな。お前も一緒にバットのホームラン血しぶきにしてやる。

耳が聞こえないにもかかわらず、というえらそうな発言は許せない。この「にもかかわらず」というのがいやだ。劣っているのによくがんばっていると言いたげじゃないか。純粋に曲の勝負をするのだ。それがプロだ、プロの作曲家だ。耳がどうかは関係ない。ご存知のように世紀のいかさま師、佐村河内は化けの皮がはれた。この男はウソ障害を利用してアドバンテージにした。

世の中は、アホが熱狂しまたすぐ冷めるほど単純ではない。

大久保美来(13歳)というバイオリニストがいる。彼女は、いんちき佐村河内の曲を書いていたのは新垣隆だということを知ると、佐村河内がクレジットされた曲は弾かないと宣言した。

中2の生徒がけじめをつけることを知っているのに大人たちは無様だ。きっと、障害者に同情してHIROSHIMAのファンになったやつらは、潮が引くように消えるだろう。身勝手だ。

大久保さんはバイオリニストだが肝心の右手が生まれつきない。だがもう決して同情だけはするな。演奏で判断しろ。人生のメリハリのつけ方を知る彼女に同情は失礼だ。

同情されるのはポン介、おまえ自身だ。





CZECH PHILHARMONIC STRING QUARTET(チェコフィル 弦の四重奏)

2014年04月15日 | 音楽

水琴窟から歩いて50メートル。音響のよいホールがある。

演奏が終わり第一バイオリンと話をすることができた。お互いcopyだが、似たようなバイオリンを持っていたので親近感が沸いた。彼はガルネリ(フランス製、下注1)、僕はストラジの弟子が作ったものだ。正しくは「そうらしい」というべきだ。

彼は、お互いコピーだね、だけどストラジバリウス(注2)のほうがいいな。とほめてくれた。そして言外に今日のコンサートの出来がよくなかったことを認めた。

僕は思う。いつも心をニュートラルにしてbest conditionで弾くのは不可能だ。とくに、観客に土人の多い地方では。

以下、すべて演奏中にやってくれることだ。

パンフをパシャパシャ折ったり伸ばしたり気にも留めずにやる。携帯が鳴る。子供が騒ぐのを気にも留めない土人の親。隣の女房に何やら話しかける。間違いなくこいつらは軽トラで来ている。明らかに聞いてないそぶりでキョロキョロする。A席の前辺りに座ると舞台からよく見える。気が散るったらありゃしない。家で酒でも飲んどけよ。ここはお前と最も遠いところにある文化と言うものを鑑賞するところだ。

一番前に座っていても後ろに土人がいることが分かったので、僕は立ち上がってガンを飛ばした。演奏者には悪かったが我慢できない。

土人がマスカキ運動を止めるか、あるいは福岡県だから「表に出ろ」となると思ったが、土人はいったんはびっくりしつつ、手遊びを止めなかった。脳が器質異常を起こしている。

演奏が終わって楽屋で奏者と話したのが一番楽しかった。弾きにくかったでしょう、というとプロですからと悲しく笑った。

ストラジバリウスを手にするその日まで、彼はなんにでも耐えていく。ガンバレ。

彼とはドイツ語で話した。チェコだから当たり前だ。僕は英語ができない。ソウルの博物館の会議でわざとらしく館長が英語で話しかけた。僕は5回ぐらい、I cannnot、といったのにみんなに自慢したかったのだろう。これ見よがしに英語でたたみかけてくる。

僕が口ごもると日本人をやっつけてうれしいし、流暢に話すと自分の英語を自慢できてうれしい。悪質な韓国人の典型で、どこにでもいる。

韓国語ならFluentlyにできるから、韓国語で行きましょう、と何度も言った。ところが、英語を止めなかったので僕は帰った。英語が嫌いなのは私の勝手だ。

僕が帰れば会議はできない。後先考えないのも鮮人の特徴だ。

以後、僕は彼を見たことがない。土人は排除されねばならない。


 


注1 イタリアのバイオリン製作集団、およびそのバイオリンをさす。若々しくはつらつとした音が得意。写真。

注2 イタリアのバイオリン職人ストラジが90年の生涯をかけて製作したバイオリン、現存は200台。やさしく引き込む音が得意である。弾く人にとってはストラジバリウス同士でもぜんぜん違うという。

 

 

 


松尾敬宇中佐 オーストラリアが尊敬する帝国海軍軍人

2014年04月13日 | 東洋歴史

豪州(オーストラリア)は戦時中、必ずしも米国と団結していたわけではない。

戦略もなく開戦し戦略もなく戦った小日本は、銃から弾を出すだけが戦争と信じ、どこで戦っても鳥羽伏見の戦いから進歩したことはない。

小日本が米豪の分断を仕掛けた形跡はない。せっかく可能だったのに。勝機に鈍感な日本は近代戦を知らない。

一部の低脳に率いられた哀れな将兵の大量自殺に過ぎなかった戦いを、見苦しいことに負けてないとか、勝っていたとか泣き言を言うのが増えてきた。

戦時中も、そういった目立ちたがり屋の、表面的に勇ましいが中身は低脳な偽善者のせいで犠牲になったものが多い。

僕がこのように断定できるのは、松尾中佐がいるからだ。もう亡くなったが、すっかりおばあちゃんになられたお母さんは90度に曲がった腰をして地面だけみて歩いた。仏事のときも決して何も言わなかった。骨になって帰った息子を見てうれしい母親がどこにいるか。

しかし、明治の女は語らない。沸沸たる思いを抑え込みながら語ることなく亡くなった。

名誉の戦死だというバカがいる。おまいらより松尾中佐は、はるかにはるかに頭がよかったんだ。熊本県鹿本中学(現、鹿本高校)から海軍兵学校に進み優れた成績を残す。

両親が教員で厳格な家庭に育つ。現在は両親が教員だとしても躾がきちんとしていることはない。だが教養がないと「敬宇(けいう、よしたか)」という名は浮かばない。

名誉の戦死、殉職自体はありうる。戦略上数万の兵を見殺しにすることはありうる。

しかし、2本の魚雷を抱いて敵の防潜網に突っ込ませるのはただの人殺しだ。なぜなら防潜網を奇跡的に突破しても、照準をつけるには潜望鏡深度まで浮上しなければならない。   

驚くべきことに、この特殊潜航艇という人間魚雷は潜望鏡深度を取ることができない。艦橋を浮上させるしかない。敵に自分の位置を明確に教えてあげた。その上魚雷を運よく発射しても、その瞬間軽くなった潜航艇は、大きく鯨のように海上にのたうつ。

魚雷はこの時代でも星型レシプロが常識だ。電池でテレテレ30ノットで進んだ。魚雷を撃ったあとの潜航艇は潜航できない潜航艇だ。

ダウンしたボクサーは殴られ続けた。そして山鹿市が生んだ奇跡の秀才は無駄に海底に消えた。

豪軍の「鉄の棺おけ」という表現は言い得て妙だ。しかし、敵であっても、お粗末な潜航艇であっても、乗り組んだ軍人まで嘲笑するのは失礼だ。

つまり必ず死ねという命令だった。生還の見込みがない命令は、よほどの戦術上の効果が期待できなければありえないものだ。ところが効果はおろか、確実に見えていたのは死だけだった。

国内の戦意発揚のためにいけにえにしたのだ。戦意発揚のため人の死を利用する時点で戦争は負けている。

さらに戦後になっても、欺瞞的平和主義は老母を豪州に向かわせ首相などに引き回している。

今、彼の墓の横に豪州と日本の旗が立つ。まやかしは止せと思った僕は、この旗を引き倒していいか聞いた。どうせ腐れて落ちます、といわれた。田舎の人は優しい。





 

なめやがってこの野郎、殺すぞ。かな。アホは引っ込んでろ。かな。

2014年04月11日 | 受験・学校

日本大学に通う女子学生(21)は昨年12月、いっしょに就職活動をしている友人と時報を聞いていた。午前11時00分00秒。志望企業が、採用説明会への参加申し込みをネットで受け付け始めた。名前や大学名は事前に登録済みだ。申し込みボタンを押そうとスマートフォンで採用ページを開いた瞬間、目を疑った。画面には、全日程が、「満席」「満席」「満席」……。

                                  朝日新聞デジタル(2014年3月30日)

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企業は日本大学を締め出そうと小細工をして説明会からも締め出した。なぜ日大を嫌うか。分かりきっている。バカだからだ。江戸と明治とどちらが先か分からないやつがいた。

間の抜けた顔。スポーツとセックスとスクリーン。アメリカの3S政策に見事に乗った、おめでたいゆでダコが五万といる。DNAの欠損か、変異か。脳の疾患か、酸欠か。

このあほたちにせっせと仕送りをするのもたいてい日大出だ。これこそを、歴史は繰り返すというのだ。

と、上智は内心思うのだ。否定するなら、おまえ上智の学生よ。日大生と換われるか。このとき、えもいわれぬ悔しさを嚙みしめるのは日大の上位層だ。バカ層は自分の惨めさも分からず、へらへら笑い腐った脳を耳からこぼしながら、えろバカとの合コンしか考えない。

日大生は悔しかったろうなあ。学歴無用論とか、東大でもこんなバカがいるとか。こんないいかたほど日大生を侮辱するものはない。僕はそんな気休めを言うことがやさしさだと勘違いしている能天気な社会党崩れに言ってやりたい。だったら、お前、換われよ。東大と日大と換われよ。上智と日大と換われよ。

仕方なくバカにまみれて低俗な話題にまみれて勉強に関心のないアホに囲まれる苦痛が分かるか。

世の中は日本ほど発展してもまだ、子供を殺して愛人のところに行く親がいる。離婚して仕送りを続ける親は少ない。3年送れば上等だ。大学どころか高校をどうやって出ろというんだ。本来、上智にいけた人間が、このような家庭の事情により大勢日大に来ている。確かに、上述した、脳が腐り耳から汁をたらした気違いも多い。

だが、ひそかに唇を嚙みしめながら4年間もバカの牢獄で過ごし、能力が開花できなかったものは、上智では持ちえなかったものを持っている。

どうかお願いだ、一概に日大出身であることを理由に切り捨てるのは止めてくれ。




 

水琴窟(すいきんくつ)

2014年04月01日 | クルマ

深さ2メートルぐらいの穴を掘り、大きな甕をさかさまにしてそこに埋める。上になった甕の底に穴を開け、わずかな水が甕の底に流れるようにし、穴からポタポタ水が落ちるようにする。水は手水(ちょうず)の水を引いてある。

これが想像に反して金属音がする。キーン、カーン。エコーのかかった音は気持ちを豊かにする。

からけんよ。みんカラに対してカリカリするのは止せ。馬鹿の相手をするのは馬鹿しかできないといったばかりじゃないか。

しかしこの邸宅は広い。本間の12畳は、レゴブロックで建てたような悲しい貧乏な家がすっぽり入る。そこを仕切るふすまをとると24畳だ。

最近の家は手を伸ばすと必ず何かに当たる。ここはキャッチボールができる長い廊下に大の字にひっくり返っても、雨戸の桟までは20センチはある。

床の間は20センチも高く、ロストテクノロジーとなった本当の漆の床框(とこがまち)だ。

寒い。だが精神を病む暖房があるよりましだ。庭は、僕のような分からない人が見るとただの雑木だが、分かる人が見ると国宝だそうだ。

福岡県八女市。そばを食って饅頭を食ってお茶を飲むのもいいが、そこらの退職へたれ校長が面白半分にはじめた十割蕎麦が、果たして来年来たらやっているか。

この家はまだあと200年は楽に存在する。

思うに、僕らは年々本物から遠ざかっているのではないか。本物が高いのは当たり前だ。それがいやなら100円ショップでMade in Chaina を買えよ。車もそもそもMade in Japanのころは気絶するくらい高かった。

だから、今は安くなってよかったか。バカ。それは車ではない。エンジンつきベビーカーで満足するのは人の勝手か。断じて違う。そういう低脳が、本物を知らずままごとにクルマに乗るから、本物がなくなっていく。

キャブで十分だ。やさしい加速を知らんだろう。250キロぐらいで抑えるべきだ。だからFIはいらん。本当のメッキを知らんだろう。目を刺すようなチカチカするメーター類しか知らんだろう。クルマを野ざらしにしておいてせっせと洗車する。変態だな。ひどいブツブツにきびのようなLEDがそんなにいいか。昆虫系の顔をした高級車がはやりだが、金持ちは美醜の区別ができるぞ。メーカーはチンピラ成金に受けようとするな。FF車の後輪にどうしてディスクが必要か。ドラムで十分。汚い粉体塗装をするな。塗装とは塗るものだ。ちゃんとワックスをかけた車に乗ったことのないやつばかりになった。吸い込まれるような漆黒の塗装がほしくないか。

日本のクルマをだめにしたのは、おまいら貧乏人だ。百均で車を買うから馬鹿車だけになった。

水琴窟の音を聴け。古来日本人はこんなにすばらしい音の世界を持っていた。

本物を求めよ。まがい物で我慢するまがい物の人生をどうして望むのか。

福岡県 八女市 木下家(境屋)住宅  水琴窟がある

関連情報URL : http://www.suikinkutsu.com/