か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 99

2023年01月20日 | 韓国
<前回の続き>

キリスト教の影響で西欧の文化と思想が伝わることにより1840年最初の憲法が制定されてハワイは近代的な立憲君主制の国家として変貌した。このころを境に英国、フランスおよび米国人がハワイの支配権をめぐって紛争をくりひろげた。結局独立が維持されたものの1897年には米国と相互通商条約を締結し米国に真珠湾の海軍基地使用権を与えた。独立国家とは言うもののハワイは事実上このときから米国の絶対的な影響のもとに置かれた。


19世紀後半にはサトウキビやパイナップルなど熱帯作物の栽培に成功し砂糖産業が盛んになった。労働力が不足したハワイはこのときからアジア人を含め大規模ながいこく移民を受け入れ始めた。これによりハワイは次第に順調に資本主義的発展の道を歩み始め外国資本と人力の進出も次第に活発になった。


しかしハワイは1890年に入り危機を迎える。このときは全世界的に保護主義が広がる時代だった。資本主義列強は自国の弱い産業に対し高い関税をかけ対外市場を閉ざし国内産業を保護し始めていた。米国も例外ではなく米国政府は1890年何の予告もなく関税法を改定、砂糖など輸入農産物に対し多額の精勤をかけ始めた。このことにより米国への輸出にのみ依存していたハワイの砂糖産業は決定的な打撃を受け経済はマヒしてしまった。したがってハワイに利害関係を持つ外国人とその産業は政府に米国への合併を要求し始めた。


このような状況で1891年カリウオカラニ女王が即位した。しかし、ハワイの新しい統治者となった女王は時代の流れを無視した権力に執着した。女王は親衛クーデターを敢行。以前より王権を強化し独裁体制をきずく内容に憲法を修正した。これに怒った市民たちによって1893年革命が起こり女王は追放され制憲議会招集された。こののち米国人資本家を中心に米国との合邦運動が力を得た。しかし米国はハワイを受け入れなかった。


にもかかわらず粘り強い嘆願と合邦運動は続き1897年ハワイと米国は合邦条約を締結することとなった。これでハワイは1897年から米国の領土となり1900年には準州(semi-state、州に次ぐ地域)に昇格した。米国領となったのちハワイではサトウキビやパイナップルの栽培がさらに促進され人口が増加し、真珠湾の海軍基地も増強された。第二次世界大戦後州への昇格運動が活発になり議会に粘り強く嘆願した結果、1959年ハワイはアラスカにつづき米国の50番目の州になった。


このようなハワイの近代史をよく見ると我が国(韓国、訳者注)と似ている点が多いという事実を発見する。外部世界とは孤立していたが開港を通して資本主義の発展を始めた点、そして解放と改革を拒否した王族を追い出し有力な隣国のブロックに合邦され資本主義の発展に成功したという点などから当時ハワイと朝鮮は共通点が多い国だった。ただ朝鮮はハワイに比べはるかに規模が大きかったし、清、日本、ロシアなどいろんな国に囲まれてハワイに比べて近代化過程がさらに熾烈で複雑であったかという程度の違いはあった。そのような違いによって今日ハワイは合衆国連邦の50番目の国家であるという地位を獲得し豊かさを享受している。反面、朝鮮半島は南北に分断し苦労を重ねる運命をたどるという結果を招いたのだ。


<つづく>