普段は口数も少なくおとなしいのに、バイクに乗ると人格が変わるというやつがそこらじゅうにいた。たいてい死ぬかカタワになっている。
といいつつやはり相手のバイクの後ろは走りたくない。こっそり一人で練習した。リッター47円の時代。コーラのビンを10円で引き取ってくれたので、そのビンを合法、非合法に集めればガソリンに困ることはなかった。
もし、クルマだったら僕は人殺しになっている。
そうでないからよかったものの、刑務所に行くスレスレのことをしていた。だって、いつ人をはねたかも知れない。殺してたら今の僕はいない。だが、バイクとは人生をかけるほどのものではない。ところがメーカーはバカをおだててバイクを売ろうと、弾丸のようなバイクばかり作った。
そんななか、仲間内で『乗ったら半年以内に死ぬ』というちょっとオーバーな表現をしていたバイクがある。2ストで500CCで有鉛ガソリンを入れたら、あながち誇張した表現でもない。マッハⅢ。
小さい男がカッコつけてノーヘルでかなり吹かしてクラッチをつないだ。買ってもらってうれしかったのだろう。ズバーーンとバイクだけ飛んで行き、後ろにいた僕たちはあわててその男を抱きかかえた。
当時のシートはフラットなのだ。
このカッ飛びバイクはきちがいだった。カッ飛び、曲がらない、止まらない。ヤマハも同じようなものだった。トルクカーブが極端に変形している。おとなしいバイクかと思ったら急にヒステリーを起こす。
一方、学校はとてものんびり自由なところだ。課外とか補習とか掃除とか帰りのホームルームとか面倒なものはない。6限目が自習のときは帰ってよかった。その6限目になると放課になった連中がバイク置き場でカラ吹かしをするので、授業の先生の声が聞こえなかったほどだ。
しかし、ここが大事な点だ。バカではなかった。全員が秀才だった。体力も負けない。どんなに何ちゃって私立校が全国からラグビーバカを集めようと負けたことはない。
僕の中には二人の僕が同居していた。数学者ガウスは4歳までに2から300万までの中にある素数を求めた。オイラー、ガウス、ガロア・・・その透徹した論理の美しさにひれ伏し怯える自分。そしてもう一人。とにかく勝ちたい勝ちたいの一心で、人生を失い人の人生も奪うかもしれないむなしい夜遊びをして、一人前の気分でいる自分。
僕は、一概に悪い自分を否定しないのだ。聖書は言う。「光あるうちに光の中を歩め」
今の僕を支えているものは何だろう。僕はいまだに二人の僕が捨てがたい。
最近は、もっぱらこのバイクに乗っている。(画像 SUZUKI GSR)