か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ファシストの巣窟、福岡の公立高校 その4

2012年03月14日 | 受験・学校

 

福岡の高校受験生をお持ちの保護者の皆様。朝日新聞が公立高校の競争率なるものを発表しました。

おそらくこれを見て競争率が3倍だから入るのが難しい、1.3倍だから易しいと思うバカはいません。修猷、福高、筑紫ヶ丘の御三家高校はそれなりに高い競争率になります。落ちてもすぐれた私立高校に行く能力があるし、落ちなくても最近はこの御三家を蹴って私学に行く生徒が増えました。公立高校のファシズムとアホらしい不必要な学校行事は大学入試の邪魔でしかないのです。

校則の中にはバカも極まったというものがあります。本校以外の異性と連れ立って歩くときは担任の許可を得ること。こんな校則のある学校なんて気持ち悪いでしょ。

ところが頭が悪いと学校を選べません。そういうのが底辺校に集まるのです。バカの吹きだまりの学校もまた競争率が高まります。合格したらもうけものという勢いでこぞって受験します。こういう生徒たちの行くところ、入学式を見ると如実に校風を感じます。

人間の顔にはいわゆる勉強をしてない顔というのがあります。教師たちも生徒も保護者もScienceにまったく関心のないたるんだ顔。間抜け顔に間抜けグルマ。
 
バカの親は改造しまくりのクルマで学校に来る。それがなんでいけないか本気で分からんだろ。だからバカなんだ。

上質とか上品とかと無縁の人生を送る者たちの入学式。何ちゃって高校に来た生徒たちは入学式がはじまるときみんなこう思っている。ああ、おれの人生はここで終わった。葬式のように沈んだ入学式。

保護者はその感覚さえマヒして無能にも我が子の合格を喜んでいる。教師はもっと底辺の学校への人事異動を恐れ第二組合に入り無駄な補習授業に東奔西走する。

駄馬を鍛えても無駄。しかも、教員はこのバカ高校で教えるのに予習が必要なほどバカなのにその予習もしきれていない馬鹿。無能な第二組合のバカ教員たちがさらに荒れた高校への人事異動を恐れ戦々恐々としてよい子ぶるのに対し、そういった欠陥教員は実力のある高教組教員から嘲笑されていました。例外なくそういう実力のある人は第一組合でありさらに底辺校に異動させられていきました。

朝日新聞よ、公立高校競争率一覧だって。そんなまやかしをなぜするか。いままで述べたように競争率と難易度に相関関係はない。朝日の記者ならそれが分かっているはずだ。自分たちが経験してきたことじゃないか。

中3の時、10回以上ある模擬試験を基礎に算出される偏差値ほど雄弁なものはない。

塾では偏差値は壁に張り出され生徒たちは暗記している。
 
 
 
 
 
 
 
 

南京の便衣捕虜はどこへ行った。死んでないならどこへ行った。

2012年03月14日 | 東洋歴史

便衣=私服に着替えて民衆に紛れ込み捕虜として武装解除などの処遇を逃れようとするもの。

日本兵はこれには苦労してたようだ。市民と思うと撃ってくるからたまったもんじゃない。便衣隊からすれば言葉も違う小人のような軍隊が押し寄せてくるわけだからぼんやりしてたら重慶も成都も危ないぞと考えるのは当然だ。銃があれば撃ち殺すのに抵抗はなかった。日本軍はこれを民衆を盾にするひきょう者のすることと考えた。

また、このことを混乱というのだろう。便衣が便衣を打ち殺す。食料の略奪品を略奪しようと撃ちあいになる。それに督戦隊が加わる。

督戦隊=突撃などの時に怖気づいて突撃できなくなるものを打ち殺す。その他軍の風紀一般に責任を持つ。その場で撃ち殺すことが多い。これがいない軍隊はない。

その上捕まったら殺される日本軍が加わった。混乱はなかったというのが出てきたが市街戦を知らずにものを言うな。通り一つ隔てれば何事もない日常があるのが市街戦の特徴だ。

とくに彼ら国民党軍は西安事件以降共産党の将校の指導を受け帝国の将校を狙い撃ちにした。日本軍の将校は指揮棒を手にした瞬間どこからともなく狙撃された。

上海から南京の300キロは両軍(日本軍と蒋介石軍)の略奪の場と化した。両軍とも兵站のなんたるかを考えていない3流の軍隊だった。帝国の軍隊は自分たちの食料にも事欠くありさまで住民から強盗した。

この軍隊は強姦に飽きると父親を連れてきて娘と近親相姦させてそれを見て酒を飲み楽しんだ。寒い時は家の2,3件に火をつけてあったかくなったと言って帰っていった。

母親の前で便衣らしきものの首を切り見せしめにした。その母親は泣いて転がった息子の首を胴体にくっつけた。兵隊たちはそれを見て笑った。

「俘虜はとらぬこと」という命令がある。ぜんぶ殺せということだ。数でいえば日本軍を上回る支那兵が300キロの撤退の中で行き先をなくしていた。死んだ者はいいとして逃亡するものは日本軍は収容しなければならぬ。そのまま逃げたら国民党軍として復活するにきまっている。日本軍を恐れつつも逃げ遅れた支那兵は便衣になる。日本兵は住民と区別がつかないからぜんぶ殺すのは当然だ。

情けをかけたら殺される状況で見逃したり食料を恵んだり絶対にできない。

小日本帝国は侵略の経験の浅さからお粗末な進軍をしている。捕虜の服や糧秣は前もって準備してから南京を攻めろよ。わざわざ混乱をおこすな。浅はかな低能松井、反省しろ。

この南京攻略戦とその途中の進軍には九州の兵隊が多い。兵は勇敢にたたかった。中支那方面軍、よくも無計画な松井や柳川の功績のみをあせった軍の運用をしたな。

陸軍が保有した200師団中最強、すなはち世界最強の軍隊を汚辱にまみれさせ名誉回復すらなされない状況に追い込んだのは戦後の平和教育と低能右翼の浅はかな軍事知識だ。

軍隊は必ず残虐行為をする。やりたい盛りの青年の集団がクーニャンを見ればインポでない限りいきり立つ。こちらは銃を持っている。日本人は銃を持った人間がいかにこわいか知らない。僕のベレッタで狙ってやろうか。

米軍は洞窟に潜む住民と日本兵を火炎放射機で焼き、飛び出した人間を面白半分に遊びながら殺した。沖縄だ。なぜ南京では許されないか。戦争をするということはこういうことが起こることを前提で始めるということだ。アメリカがしたら正義の戦いで日本がしたら残虐行為か。



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Posted at 2012/03/03 22:49:14

イライラしない人は同類のバカです。松任谷、カーグラフィック

2012年03月14日 | クルマ

ま、せっかく同じクラウンだからと思って今まで乗っていたクラウンに変えて新しいクラウンに乗りかえようと思った時がある。今から10年ぐらい前だ。当時の新しいクラウンにしばらく乗ってみた。ミーちゃんハーちゃんはやたらホイルとかショックとかグレード形式に詳しい。そのくせエンジン特性曲線の意味も分からずにいる哀れな人間だ。

僕は知らん。ホイルだの、ショックだの。ノーマルが一番いいに決まっとる。そこらの工場がつくったところでショック一本に億のカネをかけた純正ノーマルに勝てるものか。クラウンというクルマの特性を考えろ。クラウンに乗ってコーナーを攻める気でいるバカがいる。車高も落とせよ。そしてタイヤに泥をつけて走れ。

メカというほどのメカではないがこのように車いじりが好きな人たちがいる。なんと言われようとクルマをいじるんだという気合の入った人たち。たとえいじる前より調子が悪くなったとしても研究をしているのだから他人の入りこむ余地はない。なんだけど、あきらかに中古の古いクラウンにFRPだ、LEDだ、車高を落とした、とか。車高に関してはちょっと違うでしょ。車高を落としてもらったでしょ。なんかクルマがかわいそう。

改造して喜ぶよりもっとクルマ知らずなのがいる。去年のクルマと比べてどうのこうのと講釈をたれる。その一つ一つがどうでもいいことか誤りか嘘だ。

ドアの閉まりの音がよくなったと言っていた。そんなもんどうでも調整できる。質量のある金属が運転手を守ってくれる音というのはSクラス以外では聞けない。レクサスですらドアを閉めるとまとめた新聞紙を投げつけられたような音がする。1時間や2時間乗ったところでクルマの音というものは分からんのだ。

松任谷正隆。

低速が静かになりましたね。よく言うよ。何も分からんくせ言うな。モノコックではどうしても大きい共振が出やすい。安上がりにするためフレームをやめモノコックにした。設計では共振点を散らすためどの会社も苦労をしている。

その結果、コストカットにはなったが静けさは犠牲になった。クルマの出来具合は長年のらないと分からない。試乗車のクラウンに乗るとシーッという音がして嫌だった。長年のクラウン乗りはみんな言っていた。うるさくなった。トヨタは何デシベル下がりましたと言っていたが嘘だ。人間が敏感な音域について静かにしなければならない。モノコックのためにうるさいクラウンを作るとは本末転倒だ。

ラダーフレームの静かさを知らない。外界と遮断すればいいと思っている能天気がトヨタにもいる。タイヤ音、風切り音、水冷ファンの音、エアインテークの音、エグゾーストノイズ、これらは運転手への情報だ。聞こえていい。ただ嫌な共振はいらない。タイヤが道路をなめる音もいらない。コストばっかり考えるクルマならわざわざクラウンを買う必要もないという人も多いのだ。

松任谷が分かったような顔をしてレバーがどうなった、スイッチの位置がどうなった、スタイルのここが少し変わった、と言うのは本当に気分が悪い。もちろん見ないようにしているがふと見てしまうと吐き気がする。プラグ一本変えたことがあるのか。クラウン乗りの中には僕のようにフロントホイールアライメントを自分で調整する人もいる。そうして何代も何十年も乗りつづけるんだ。

どうでもいいことをもっともらしく分かったふりして言うことで自動車評論家になったと思う能天気が増えた。最高の評論家は観音開きのクラウンからクラウンに乗りつづけてきたじーちゃんだ。モデルチェンジのたびにインテリアは低俗なひとが好むようになる。うるさくなりやたらクッションは固くなりカローラ化する。そしたらもうカローラにしようかな。

「いつかはクラウン」がマジェスタになるのはいいことだ。レクサスになるならもっといい。カローラになるならトヨタの乗るのをやめる。

トヨタ、ファンを大事にしろ。日産みたいな会社になるな。86とか何とかでお茶を濁すな。誠実に人生を送ってきた人に必要なクルマをつくれ。クソガキどもが手の届かないクルマをつくれ。

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Posted at 2012/03/04 13:21:41

ヨシムラ  外国のバイク乗りがだれでも読める唯一の日本語

2012年03月14日 | クルマ

昭和10年代、そのころの少年はだれでもあこがれた。少年飛行兵。吉村少年も100倍近い競争率を勝ち抜いて見事飛行練習生になった。

バイクでもいきなり750ccに乗れるわけではない。小さい排気量からゆっくりバイクの特性をつかんで行かないといつまでたっても上達しない人間になる。

飛行機も同様だ。80歳を越えてバイクに乗るじいちゃんがいた。じいちゃんは飛行機乗りだった。バイクは一番飛行機の感覚に近いと言っていた。家の中であっけなく炬燵に手をついて死んでいた。

初練、中練、高練とだんだん乗り継いでいかなければいいパイロットは生まれない。日本はこれを促成でやったもんだからただ落とされるだけの自殺攻撃者の大量養成をしただけになる。

ここで吉村少年の登場だ。幸か不幸か少年は墜落して回復不能なけがをする。大空への夢は断ち難かったろう。しかし、ここが吉村少年の秀でたところだ。ぐじぐじ飛びたい飛びたいといじけているのは低能だ。

彼は整備兵としてお国のため全力を尽くした。もともと少年航空兵に合格するくらいだから今のそこらの大学生より数学はできたはずだ。彼の整備、調整、修理は好評だった。原理原則を理解すればコツをつかむのは早いし応用が利く。

ヨシムラは航空機エンジンと悪戦苦闘することになった。ただ、粗雑につないだだけの排気管が我慢ならん。2万6千cc排気量のエンジンからでる排ガスがこんなお粗末につながれるのか。吉村は戦争の現場にいてくやしかった。

ほどなく終戦になり進駐軍が来た。ヤンキーはバイクが好きだ。雑餉隈(ざっしょのくま)にバイク店を開いた吉村青年はヤンキーのバイクの修理をした。吉村のバイクはなぜか速いと好評をはくし店は繁盛した。吉村は内心忸怩たる思いがあったろう。

「手曲げ」と言われた技術を持っていた。それはみても分からない繊細なカーブをしていた。天下のホンダが吉村のマフラーをとりよせ何回実験してもその秘密を暴くことはできなかったという逸話が残っている。

ヨシムラが世に出た瞬間だ。吸気はどうでもいいが排気は数十倍の速度でマニュホールドをとおる。星型18気筒の排気はよその気筒の排気流とぶつからないように排出されねばならぬ。マニュホ-ルド壁とのρ、廃熱、何にも考えずお粗末な溶接でごまかしているのが隼のエンジンだ。

グラマンのエンジンを見て驚いた。60年たっても楽に飛んでいる。溶接のあとが分からなかった。これこそヨシムラが世に出したかったものだ。

そこらの米兵の教養の程度は知れているからバンバンバイクを走らせてヤンキーを驚かすぐらいできたろうがアメリカが本気出すとすごいぞ。グラマンの流れるような集合管は強く頭に残っている。

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Posted at 2012/03/05 21:33:13

韓国と日本の似非学者に天誅を。

2012年03月14日 | 学問

竹島を我物にして至極ご満悦の韓国のインチキ低脳学者を始め発狂国民ども。運が良かったと思え。何の手も打てない口だけの日本の民主党政府のもと、韓国にころがりこんだのは二つの島と広大な漁場だったな。無能な国民がひきつった叫びをあげると島が手に入るということを学んだな。

負けず劣らずバカだったのは日本の学者たちだ。「やっかいな隣人」というタイトルで雑誌に寄稿していたアホがいるが、僕は彼らの要領いい立ち回りを全部知っている。アホは言った。「私は韓国語ができるので」ある程度彼らとの意思疎通が図れたが。なにをいうか、何年韓国にいても小学生程度も話せなかったくせに。

無能にも教科書問題を話し合いでなんとかしようとしている。何年もかかって成果は0だ。それは相互にホームステイでもしてKPOPの歌でも歌っていたら日韓問題が解決すると思うのと同じくらいバカだ。

彼ら似非学者が要領いいというのは、ソウルにいるとき、彼らは政治的な発言は絶対しなかったことだ。多勢に無勢だからだ。それってひきょうだろ。勝ちそうな時だけ喧嘩するの。

都合悪い時は必死に沈黙を守り日本に帰国するや途端に雄弁に自分の韓国語を自慢する。ばかたれ。
お前ぐらいの韓国語はそこらのカルチャーセンターでも身につく。ソウルでままごと遊びをしてきたことを自慢するな。

研究とは自分の母国語が壊れるくらい血へどを吐いてするものだ。それがいやならそこらで公務員かサラリーマンをせよ。

電通上がりのインチキ無能アホを知っている。私費で留学した勇気は称賛するが要するに公費留学生に合格しなかったのだ。小倉紀蔵、よくもまあでたらめを言えたな。韓国語も話せないでNHKのハングル講座にぬけぬけと出たな。「理」と「気」で韓国のすべてが分かるということを「冬のソナタ」を例にして書いたのがお前の最長論文だ。トンデモ本を書いて日韓関係の専門家になれたと思うのは大間違いだ。

学問の世界は戦いだ。あたりさわりのない意見は不要だ。あいつ早く帰国しないかとみんなで言っていた。ほんとソウル大の邪魔だった。延世大までうわさが及ぶぐらいだから半端なく嫌われていた。

日本の京都大学からお呼びがかかるとさっと乗り換えて京都大の準教授になった。そこでおとなしく無駄飯ばかり食っていればいいものをあちこちでとんでもない発言をするからバカは治らないなと思う。

一番新しいところでは、「韓国の文学は戦後見るべきものはない。」という発言が目についた。それだけでも彼の韓国語読解力のつたなさを示している。ソウルの本屋を見ろ。漫画はないぞ。中学生からきちんと読書の習慣があるからそうそう変な小説は書けないぞ。僕の一押しは、???(李文烈、イムニョル、りぶんれつ)だ。このレベルの作家が毎年20人は出てくる。英訳される機会に恵まれなかったために確かに世界的評価は低い。しかし間違ってもソウル大の大学院で近代韓国哲学を専攻なさったならとんでもない発言は控えていただきたい。

小倉。知っているか。韓国は言葉の国だ。

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Posted at 2012/03/06 23:17:52

長崎県新上五島町の中学の教員。論争しようぜ、百人斬りのまぼろし。

2012年03月14日 | 東洋歴史

愛国行進曲。大好きな歌だ。左巻きは軍歌といってバタ狂うだろう。ばか。落ち着いて詩を読め。どこに武力を使うと書いているか。動画も入れたかったが音の出る絵本にして低能が喜んでも仕方ないと思いじっくり歌詞を考えてもらうことにした。

僕が許せないと思うのは、「朝日」「毎日」新聞は戦時中はさんざん軍歌や軍国神話を持ち上げておいて、何の責任もとらず戦後は厚顔無恥にも軍部を指弾したことだ。

ウソと決まっている支那兵百人切りを戦意発揚記事として国内にキャンペーンを張ったのは朝日だった。弾が飛び交うなか刀で人が切れるか。記者は戦場で銃を手放す時の恐怖を知らない。支那兵とは言え銃は握り締めて戦争をする。

ウソというならうちの日本刀を持たせるから僕は僕のベレッタで狙うので対峙してみろ。体は凍りついて微動だにできないはずだ。だから百人も銃を持った支那兵を切れんだろうって。

謝れ。朝日のせいで二人の将校は戦犯となり死刑になった。救える道はいくらでもあった。誤報の証拠をあげればいいのに。残虐にも朝日はそれをしなかった。そればかりか朝日はころっと豹変して戦犯裁判のころはすでにGHQ万歳の旗を振っていた。

ウソはどうしてもバレるのだ。上海事変の爆弾三勇士。敵の鉄条網を切ろうと久留米で編成された24旅団は突撃を繰り返していた。ある三人の兵隊が爆弾筒を抱え導火線に火をつけたまま鉄条網に飛び込んだ。その爆発によって突破口が開き日本軍は敵の陣地を占領した。

国民は感涙にむせび気絶するほどの弔慰金が集まった。このころの軍はまだ自殺突撃に関しては用心深い。ただ意味もなく死ぬことに美学を感じるほど間抜けではない。兵らがかってに飛び込んだのだというスタンスを崩さない。彼らを称える歌も碑文も検閲が入ったが、軍国美談を必要とする軍は新聞とグルになって国民をあおった。

二階級特進だ。

おまけの話だが、彼らを顕彰する奉唱会というのができた。僕は地元だったのでとくに在郷軍人会、町内会がうるさかったという話を聞いた。ところが僕の家には来ない。将校、ノモンハンの参謀の家だからだ。低能町内会とはいつの時代も同じく、行事をしたがる。おとなしく廃品回収でもしたら。

その奉唱会、進駐軍が来るときくとその日のうちに解散した。ほんと強い者には弱い便所の団子虫達。

爆弾三勇士には軍事上のうそがたくさんある。敵の鉄条網は頑丈な木の支柱で3mの高さだ。爆弾筒では1,2本の支柱しか破壊できない。だから爆弾三勇士というなら久留米の旅団はみんな三勇士だ。これでもかこれでもかと爆弾筒による攻撃はつづいた。爆破に失敗して体もろとも吹っ飛んだので軍国美談の材料に使われたにすぎない。

だいいち鉄条網ごとき、迫撃砲ですむ。少なくとも砲撃で十分だ。日中戦争の戦死者のうち98%が砲撃で死んだ。銃撃が2%だ。敵弾の中を爆弾を抱えて進む兵士というのは絵になるが現場指揮官の判断ミスだ。不必要に人が銃撃にたおれた。飛行機があれば5分ですんだ話だ。

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Posted at 2012/03/09 11:02:55

西鉄バスは素晴らしい。

2012年03月14日 | クルマ

九州のバスは西鉄がほとんどだ。ほかにもあるが資本は西鉄が支配している。西鉄の経営は堅実で利益に関しては冷酷だ。そうでなくては経営者としては失格だ。何万の労働者の生活、株主への責任、地域への還元、環境配慮。いずれも健全なすなわち冷酷な経営判断によって可能になる。

株主に配布される財務諸表程度でも十分それが分かる。オマケだが鉄道の経営はもっと堅実だ。僕はそれ以上詳しくなると分からないしそんなことに頭を使っては損だから半期に一度の投資情報で満足だ。

バスに乗るのもカーライフだ。福岡にはキャナルという狭いショッピングモールがある。その上拡張工事みたいなのをやっているからちょっとバスの停留所付近は狭い。さらに大きな道路に出るところが狭くなっていてああ日本だなあと思う。

せまくてこちょこちょお行儀良くするのが国民性だな。そんなキャナルへバスに乗ってちょっとしたショッピングに行った。買い物をすますと再びバスに乗って天神(福岡の中心地)に向かうことにした。食事をするためだ。食事だけはモールができて10年や20年ではなかなかおいしくならない。味盲は中洲に行くがあそこはお姉ちゃんの乳を触るところだ。

やはり天神だ。僕が幼稚園のころから、さらには僕のとーちゃんが幼稚園のころから通った店がある。800円で筆箱より一回り大きいエビが2匹乗った昼食がある。一人で行くといいな。一人分しか払う必要がない。

さて本題。

天神行きのバスが発車したところタクシーが割り込んできた。みんなすかさず映像をとっていた。さらには今度はそのタクシーが急激に円を描くようにバックしてバスの後部に衝突した。そんなわけ分からんことをしときながら雲助は因縁をつけてきた。大企業からカネがとれると踏んでいる。僕も証拠映像を途中からだが撮っていたのでバスの運転手さんに提供を申し出た。

腹が立ったのでタクシーの運転手に顔面キックをしようと思いバスを降りようとした。

西鉄の運転手さんはえらい。

おおぜいの乗客が申し出た動画の提供を断った。あきらかに自分の有利になる証拠の提供をなぜ断ったのか。職務だ。まず職務があるのだ。お客さんを別のバスに安全に乗せたのを確認してタクシーと口論を始めた。もちろん僕のキックも丁重にお断りされた後に。

そのあとは乗り換えたバスが動き出したので分からない。西鉄バスの運転手さんよく我慢した。どういうバカ雲助がいようと自分の職務をわすれない日本の労働者。雲助が威勢が良かったのもパトカーが来るまでの1分か2分の間だろう。

九州の人間にも火病を持っている人がいるな。

Posted at 2012/03/11 10:22:40 | コメント(0) | トラックバック(0)

傀儡ニセ国家満州国皇帝 愛新覚羅溥儀が女学生と会った。

2012年03月14日 | 東洋歴史

石原莞爾らが策動した満州国もわずか13年で泡沫のように消えた。「東夷」の小帝国日本は石原らの策動を口を開けてみているしか能はなく、せいぜいできたのがその謀略の追認だった。

遼東半島を再び我がものとした日本は南満州鉄道警備という名目で関東軍を満州全域に配置する。日本内地には関東軍の強さが盛んに喧伝された。100万の軍隊、最強の武装。

ソ連の侵攻とともにそのウソはばれる。わずか1週間で関東軍はあとかたもなく消えた。雑兵の寄せ集めが近代兵器の前になんの役に立とう。このとき皇帝溥儀もソ連軍に拘留される。

彼は卑怯にも自分は日本軍の傀儡だったと戦犯裁判で告白する。たとえそうであっても自分の意思で皇帝になった男だ。数十万の兵と民間人が死んだ戦争の責任がないとは言わせない。

ときはややさかのぼって、「あじあ号」がまだ走っていたころ、官立大連高等女学校の学徒4人が新京(長春)に向かった。まだ16,7歳の女の子だ。初めて乗る列車に狂喜した。食堂車、展望車、エアコン。8時間の新京への旅は一瞬だったに違いない。

動輪2メートル、時速145キロ。まさにアジアの怪物だ。男性が万歳をしてもとどかない動輪、これが回って145キロ出すのか。世界水準には遅れていたが日本の鉄道省が心血を注いだ傑作だ。

いつまでもいつまでも話が尽きない少女達。彼女たちは新京につくと愛新覚羅溥儀に拝謁する予定だった。しかしそれより新京までの旅行が楽しいようだ。

クルマが待機していた。宮殿につくと日本の軍人が部屋に案内した。一時間ぐらい待たされるとまたべつの部屋に案内された。そこで拝謁にあたっての注意をうけた。けっして見てはいけないこと、話しかけないこと、何か言われても「はい」としか言わないこと。

どこにもひねくれ者はいるもので、顔をあげて溥儀の顔を見た女学生がいた。

あの人は目が悪いのかな、私たちの前でサングラスもとらなかったよ。下賜品、そんなもんあったかねえ。

僕だったら緊張で貧血をおこすところだが、戦前の女は強い。溥儀は女学生と目線があってあきらかに動揺した。

大連で成績のよかった女学生4人のみが溥儀と会うことができたそうだ。うちのばあちゃんは強い。

Posted at 2012/03/11 21:29:38 | コメント(0) | トラックバック(0)

犯人を逃さないためには多少の冤罪も仕方ない、か。

2012年03月14日 | 学問
<飯塚事件>福岡地裁がDNA資料取り寄せ

毎日新聞 3月1日(木)11時47分配信

 福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑が執行された久間三千年(くまみちとし)・元死刑囚(執行時70歳)の遺族の再審請求を受け、福岡地裁が、裁判で証拠採用されたDNA型のネガフィルム2点を警察庁科学警察研究所(科警研)から取り寄せていたことが分かった。弁護側は「再審を判断するため裁判所が慎重に証拠を精査し始めた」と評価している。

 関係者によると、飯塚事件の再審請求を巡って福岡地裁が資料を取り寄せたのは初めて。この資料は公判で検察側が証拠として提出し裁判所が証拠採用していた。ネガフィルムを保管していた科警研から2月中旬に取り寄せたという。

 飯塚事件では、殺人罪などに問われた久間元死刑囚が無罪を主張したが、現場に残されていた血液と久間元死刑囚のDNA型が一致したなどとして死刑が確定した。

 しかし、09年の再審請求で、弁護側は、実施されたDNA型鑑定(警察庁科学警察研究所のMCT118型鑑定)を▽型判定の精度が低い▽警察庁指針に反した方法をとった--と批判していた。

 福岡地裁は取り寄せたネガフィルムで、鑑定について具体的に検討するとみられる。

 MCT118型鑑定を巡っては、菅家利和さんの無罪が確定した「足利事件」で証拠能力が否定されている。ただ、飯塚事件ではDNA型の再鑑定ができるだけの試料が既に無いとされており、再審が開始されるかどうか、注目される。【岸達也】

 ◇飯塚事件◇

 92年2月、福岡県飯塚市の小学1年の女児2人が通学途中に行方不明になり、同県甘木市(現朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は94年10月、久間三千年元死刑囚を殺人容疑などで逮捕。元死刑囚は一貫して否認し、公判でも無罪を主張したが、福岡地裁は99年9月▽元死刑囚のワゴン車と似た車を現場付近で見たとの証言▽車内から被害者と同じ血液型の血痕と尿を検出--などの状況証拠から死刑を言い渡した。DNA型鑑定の信用性も認めた。最高裁が06年9月、上告を棄却。08年10月に刑が執行された。

【関連記事】
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<名張毒ぶどう酒事件>弁護団が最終意見書 今春にも再審可否決定か

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未執行の死刑囚は100人以上いるので引用の毎日新聞の末尾の【関連記事】にあげられている冤罪の疑いの濃い事件はわずかのように思える。ところが本人が死亡したもの、再審を取りやめたもの、釈放されたもの、などを加えるとその判決に重大な疑義を生じざるを得ない事件は未執行死刑囚のかなりの割合を占める。

冤罪に関する通説と、一方で民間において熱情の如く舞い上がる殺せ殺せの雄たけびには大きい差がある。血圧をあげてがなりたてる早く殺せという人の根拠は犯人への憎しみである。たとえば、5人も殺して無期懲役はおかしいじゃないか。という至極もっともな意見を根拠としている。

しかし偶然というものは重なるものだ。飯塚事件はどうも冤罪の疑いが濃い。被疑者の久間さんはすでに死刑になってしまった。おそまつなDNA鑑定の犠牲になったわけだ。その時頭に血が上って2人殺して無期懲役はおかしいじゃないか。殺せ殺せ、と至極もっともな意見を叫んでいたつもりでも叫んだその人は被疑者を殺すのに加担していたわけだ。

それを冤罪という。国家権力と民衆が熱情に酔って殺人を犯す。

これは例えばなしではなくて現実であるわけですね。殺人犯の検挙率は50%程度です。そして100人の死刑囚が死刑を待っている中で20人程度の死刑囚は十分に死刑判決に対する合理的疑いを持って再審を請求しています。

低能な人は、こんなに悪いことをした人なんだからそんなやつは死ね死ねというが、犯人を5人つかまえるために無実で捕まる人が一人ぐらいいてもいいという考えだったら、北朝鮮や中国のファシズム社会主義を批判できますか。

街の広場で公開銃殺が行われてもいいわけですね。だって悪い人を殺すんでしょう。オウム真理教の信者はどこか収容所に閉じ込めたらいいわけですね。

ナチスには無能罪という犯罪がありました。何回言っても分からない奴は犯罪者とされました。あなたは学校時代まともな点数をとっていましたか。その無能を理由に犯罪者とされていた時代があります。僕も物分かりの悪いバカは犯罪だなあと思いますが、国家がそれを推進してはいけません。

その暗い時代から脱出するための手がかりが人権じゃないですか。

ある日突然警察が来てあれよあれよといううちに死刑台に上ることになった久間さん。僕はどんなに少数意見でも久間さんの無念を晴らしていこうと思います。

  Posted at 2012/03/12 12:17:39 | コメント(0) | トラックバック(0)

ほう。 立派なお父さん。この子は必ず立派な子になる。

2012年03月14日 | 日常

ある日の午後、演劇を見に行った。前から二列目のS席だ。後から考えると2000円出してみる貧乏人と20000円出してみるカネ持ちとはその品位において当然に差があるにきまっている。

「博多座」という名前からすると芝居小屋みたいな感じだが中に入るとなかなか立派なもんだ。入り口で見るとこの人はどの座席に行くか分かるな。D席の人はまずパンフレットを買わない。ざわざわうるさい。しつけの悪い子供を連れてきている。多分有料駐車場の料金を気にしながら観劇して終わったらかけ足で駐車場に行くんだろう。

Sの一部は記帳をお願いしていた。会員の人は不要だが僕は会員ではない。SKDとかやるところの会員にどうしてなれますか。記帳された文字の立派なこと。低能を絵にしたような文字は一つもなかった。

日本文化がどうしたこうしたぎゃあぎゃあうるさいが、そういう自称愛国者は何一つ日本文化を身につけていないことが多い。バカは反論する。柔道ができるぞ、剣道ができるぞ。だから馬鹿なの。僕は筋肉以外の脳細胞を使うことをしなさいと言っている。今朝日歌壇をさわがしている姉妹に注目したことがありますか。竹島竹島と痙攣をおこすことばかりが能ではありません。

ところで演劇がはじまると最前列でしばらくおとなしくしていた子供が、さすがに一時間ぐらい過ぎるとごそごそ動き出した。退屈したんだ。
僕はパンフレットで子供の頭を2回たたいた。その時はいいがまたしばらくするとごそごそする。どうも集中できなくて困る。映画館で枯れ葉マークがしゃべっていつも僕とののしり合いになるが、死がちかづくと子供に帰るんだなあ。

その子供だが僕は堪忍袋の緒を切らして多少ひどくはたいた。子供はイスに座り込んで泣いているようだ。これを社会的教育力という。みんなでしつけをしていくという体制が日本には皆無だ。この後待っているのはほとんど親とのケンカだ。

しつけをうけない猿が大人になってその子にしつけをしないからまたその子は猿になる。これが日本の文化を破壊していくのだとまくしたてると、バカは意味が分からなくなっておとなしくなる。バカの悪循環を説明しただけだ。

このお父さんは違った。演劇が終わるときちんと僕のそばに来て子供に対する教育の不行き届きを詫びた。僕が、叩いたのは悪かったというと強く否定して、いいえどんどんたたいてくださいとまで言った。

このような質の高いお父さんとは違い世の中の実態は、逆切れして食ってかかる低質な親が大部分だ。だがその低能な親の子供は同じような親になる。

  Posted at 2012/03/14 10:09:08