か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

財布も食事も ものづくり

2016年05月29日 | ブランド

 

財布を買った。福岡天神やこのごろの博多駅に行けば、それなりの新作に出会えるだろう。だが良いものとは豊かな土地にしかない。

昔日の日々、わが世の春を謳歌した町があった。かろうじてかつての栄光を感じる町でも、ふんだんにカネがあり湯水の様にカネを使った土地には本物が根付いている。

逆説的に聞こえるだろうが、無駄遣いがあふれた土地は、やがて廃れて廃墟みたいになっても物を見る目が生きている。

貧しいだけの労働者のそばには、本物は近づかない。労働者のほうでも本物を避けるから、「名品」といわれるものだけがかもし出す優れた文化は、かつての炭鉱とか港湾とか製鉄とか、とにかく、そこらの労働者の5倍の収入のあった、一見ならず者達に引き継がれていったのだ。

今回佐賀に限って話をする。佐賀玉屋は、佐賀という窒息させる湿度の中で孤高を保った奇跡のデパートである。知られていないが佐賀の中小企業のレベルは西日本最高である。アメリカのロケット、アポロは佐賀のアポロ電子工業が無かったら飛んでない。そんな例はいくらでもある。

そこの管理職、経営者は、豊かなときをもち審美眼を養った。ゴルフ場と会社しか知らない福岡のチンピラ企業経営者には分かるまい。福岡では育たない人材たちだ。

店内に人が少ない。したがって広い。店員はマニュアルを繰り返す機械ではない。売らんかなとあせっていない。Dakotaについての薀蓄を語り合い、さてどれにしようかと悩む。楽しい悩みだ。

じつは佐賀玉屋は風前の灯だ。なくしてはいけない。経営の話ではない。佐賀の文化の話だ。

 

帰りは日本食を食った。

冷たい茶碗蒸しが気持ちいい。レタスは手前の味噌をつけた。なぜこんな高いところに来るか。わけは簡単。塩辛くないから。

八寸膳。高さ八寸の膳の意味だったが、足はなくなりお膳だけが残った。こう見えても大食の私が残すほどの量があった。

あじ、ひらめ。しょうゆの中にモズクを入れた。いい考えだ。

手間がかかっているのは分かるけど、僕にはもっと具が大きくて、どんぶり鉢に注がれたれたほうが良かった。

メインは平凡だったので省略。

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   18

2016年05月27日 | 韓国

36年が過ぎた後(日本の朝鮮支配が終わった後)、はたしてわれわれが、日本人がやってくれたインフラ、たとえば港湾とか鉄道等を、韓国人が作ることが出来たか。

                    (チマンウヲン 社会発展システム研究所所長)

 

何が間違っていたのかという原因を究明しようとすれば、正確に過去の真実と真相究明が必要であろう。

正確であること。われらはなぜ日本にやられたのか?そのことから究明をすべきだ。もちろん日本が強占(強引に占領したこと)していたことは日本に落ち度がある。しかし、われわれの落ち度もそれに劣らず大いにある。

われわれの落ち度とは何のことか。西欧列強は科学化した富国強兵を推進することにより、植民地の再分割を推し進めた。

日本は明治維新をとおして門戸開放して技術立国、富国強兵の道を進んだ。このとき韓国は何をしていたか。狭い垣根は塀越しにたがいにそしり罵り、あいてを陥れ流罪にするザマだった。当時、中国、インド、などこれといった国々もすべて飲み込まれてしまった。

そのとき、こんなザマであった韓国が、どこかに飲み込まれなかったら奇跡だ。違いますか。

 

----日本は近代化を成し遂げてくれたありがたい国だということですか?

そのように二分法的に話をするのは違うでしょう。しかし、36年過ぎた後にはたして、日本人達がしてくれたインフラ、たとえば港湾、鉄道を自力で出来ましたか。

近代化したからといって日本の強占を正当化するものではない。しかし、よく見ると近代化したのは事実だ。たとえば日本が明治維新を成し遂げ外国の文物を受け入れるとき、科学、富国強兵を行ったとき、わが大院君は摂政でありながら門戸を閉ざし、内部の争いを繰り返した。

このような政治状況の下、36年が流れたら大韓民国ははたして、当時のその程度の近代化を成し遂げることが出来ただろうか。

出典     チマンヲン  「朝鮮が食い物になるようなことをしたから日本に食われたんじゃないのか。」

Herbert Ponting 撮影、場所 京城 龍山 韓江 渡し場 1902年

 

 

 

 


修理は発見と思考が連続する。こよなく楽しい。

2016年05月24日 | 日用家庭用品修理

 

靴修理(内縁の娘用)をした。物事は何でもやってみると難しい。傍から観ると、特にバカが見ると簡単に見える。

(一番左が新しい靴底 100キン 真ん中が古い靴底 右が削った靴底、新しい靴底にあわせて切っているところがポイント)

① 古く磨り減った靴底のゴムをはがす。15センチぐらいのカッターで靴底の劣化したゴムを水平に削り取る。

このときの困難は、古いゴムがなかなかカッターで水平に切れないことだ。しかもピンや石や釘が刺さっている。カッターの刃は一発でだめになり切れなくなる。カッターが思わぬ方向に動かないかも心配だ。(怪我)

(新しい靴底をあわせたところ)

② この水平をとるというのはかなり困難な技術だ。たとえ平面に削れてもその面自体が体の線=足の裏に平行であるか。

ここまでのこまやかさが無いと、履いた者は違和感を訴える。

③ 両面を削り合成ゴム形で着ける。

もっといいのがあるだろうが100キンをたっぷりつければ問題ない。軍手をしながら圧着し、はみ出た接着剤はその軍手ですばやく拭くと仕上がりがきれいだ。ぱみゅぱみゅの出来あがりだ。

④ 待てば接合出来上がり。

(左はまだ作業途中)

問題点  本来靴についていたゴムが発泡ゴムだったのでいちじるしく耐久性に劣る。石や釘がガンガン刺さる。磨り減る。クッションがいいとか言い訳するだろうが、これでは新しい靴を買いにいく途中で靴は磨り減る。かえすがえすも残念なのは日本製であったこと。

日本製が、価格やコストで中国と競争したら負ける。ほかに、競争の基準はいくらでもある。

 

カリフォルニアオレンジが自由化したら日本の農業が壊滅だ、といって反対ばかりしていた奴は、いま廃業している。

考えに考え、血を吐く努力をして活路を見出した者は、むしろアメリカに輸出している。costじゃないぞ。糖度だ。

その名もmikanだ。

 

 

 

 

 


朝日プリンテック(工場見学)

2016年05月20日 | 工場見学

 

<会社公報より引用>

朝日プリンテックは、朝日新聞社100%出資の新聞印刷会社です。1997年8月、川崎に設立され、2006年4月、本社を築地へ移転しました。2010年4月、朝日東京プリンテック、朝日大阪プリンテック、朝日北九州プリンテックと合併し、現社名の朝日プリンテックに変更しました。

 

ガーと大きな音を立てて天井といわず床といわす新聞が生き物のように高速度で這い回っていた。夕方の新聞を見ようと目線で覆いかけたが、とても人間の動態視力が及ぶところではない。

感心したのは天井をクロスする新聞の流れに、わざと一部新聞が落ちそうになる「緩み」があったのだ。これでゴミや紙くずを落とすそうだ。

 

オフセット方式で印刷をするそうだが、これは従業員にサボり心が生んだ偶然の発想だ。鉛板にインクを塗ったりプラスチックの板にしたり、もう改良の余地は無いと思っていると、新しい技術は必ず現れ技術革新はとまらなかった。

 

僕は紙にインクをつけるのには興味は無い。もちろんここで紙面の内容について聞くのは場違いだ。そうすると聞ける範囲での僕の疑問はこうだった。

朝日本社からどういう方法で原稿を送っていますか。ペーペーが、上司の顔色を伺って、教えられませんといったが当然だ。偉い人に聞くと、電送だそうだ。暗号化していますねというと、もちろんですと。

でも一部は有線を利用しているそうだ。その情報は来るや否や輪転機にはさまれていくのだろう。

 

僕は言った。ちょっと多すぎませんか。新聞はタブロイドで十分。 折込チラシは毎日週刊誌の厚みをうわまわり且つ、読まない。これは社会的損失だ。先進資本主義諸国で無駄な広告と宅配システムをそのままに、省エネ、省資源を唱えても説得力が無いといっが、聞く耳はなかった。状況改善能力が無い。にやにやするばかりだった。

 

 

 

 

 

 


小野田少尉

2016年05月18日 | 東洋歴史

このブログで戦争の話をしようとすると、とたんに耳を塞いで思考停止になる人が多い。どう思っているのだろうか。

人殺しいやだとか、戦争怖いとか、平和が一番とか、能天気に馬鹿をさらすのだろう。

私の勝手だ、嫌なものは嫌だ。とでもいいたかろうが、人に迷惑をかける馬鹿は許されない。この国で、その場しのぎの人生観が、マジョリティー(多数)を形成して久しい。Political apathy(ポリティカルアパシー、政治的無関心)が多数になった。烏合の衆が決定権を持った。ファシズム前夜でなくてなんだ。

考えるのを嫌がった結果、一億総貧困という十分避けられたにもかかわらず、おとなしい国民は今貧困の悲哀をなめている。

自分は違うという人がいる。じゃあ毎年5億ぐらいは熊本に寄付できるだろう。

一方、政府はやりたい放題でこの機会を逃さじと、立て続けにアドバルーン政策を打つ。安倍の何が成功した?はあ?マイナス金利はデフレを止めたか。1%の人間が99%の富を持つ社会で、一度でもそれを是正しようとする政策を打ったか。

努力したものがそれなりの報酬を得るのはいいことだと安倍は信じている。違う。貧しい家系の人間は貧困の恐怖に縛られ、まぐれでつかんだカネは腕が千切れても離そうとしない。ところが、

Europeは長い歴史の中でそういう姑息な成金を軽蔑した。むしろ逆にnoblesse oblige、すなはち優れていれば人一倍義務も大きいのだ、と社会のあらゆるところで教育する。日本では、貧者であろうと富者であろうと、「姑息な成金」になることが、社会目標になっている

 

 

 

先日防衛省の幹部の方から案内を受けた。考えない幹部だった。防衛大はこのごろ、本来なら合格者が出るはず無い高校から合格者を出している。ちゃんとした高校から合格しているものが少なくなった。こういうと「ちゃんとした」とは何かといわれそうだ。それが分からないならこのブログは読むな。

もともと優れたものはいない大学校だが、何か防衛大の質が変化していると思った。入試問題は優れているが。

この幹部とは会話が成立しなかった。正鵠を射た返答が無いのでイライラした。

組織を防衛するので精一杯の様子だ。とても日本国は防衛できない。膨大な上意下達のピラミッドの中で、せめて幹部は柔軟な発想がほしい。

会社でもそうだが、出る釘は打たれる。チャンスを狙い息を潜めてかくれるように生きる。大体こういうのが昇進していく。

小野田少尉の母校だ。

陸軍幼年学校。陸軍士官学校ですら競争率は数百倍だったのに、幼年学校はさらにその百倍だった。年齢12歳。ぼんやり読むなよ。中学校一年だ。そのあどけない顔が痛ましくてならない。

今、日本は、「駆けつけ戦争」が可能となり自衛隊員から必ず死者が出る。死なない戦争は無い。

小野田少尉が誰かなと思った人は、ペットを飼っていてその犬は家族の一員でしょう。死んでくれませんか。

上記の士官学校で3名に恩賜の銀時計が与えられた。(年度により数には変更あり) わかるかポンスケ。数百倍の百倍の競争の下、優れた学徒に与えられた。

 

問題はここだ。貧しいので授業料無料の陸軍士官学校を目指してくるものが多いが、一人も昇進のため生きたものはいない。まさにnoblesse obligeなのだ。

おまいら下種には無縁な世界が、戦前、久留米(福岡県)の地にあった。

 

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Peninsula Hong Kong 2

2016年05月14日 | 旅行

 

The Peninsula Hong Kong (ペニンシュラ(半島)ホテル)は、もちろんイギリスがアヘン戦争に勝利し、清に割譲させた九龍半島にその名をとっている。

ところがこのペニンシュラは、1941に名前を変更している。その名も東洋ホテル。お分かりの様に第二次大戦中は大日本が接収していた。

4年たらずであるが我が国が占領していた時期もあるのだ。帝国陸軍は捕虜を整列させ九龍駅からペニンシュラ、モンコクまで行進させた。

動物の背中にまたがり明治の銃と大正の砲で戦おうとした島のサルは、あっという間に駆逐される。

アングロサクソンはフランスと130年戦った民族だ。身長160センチあれば大きいほうの田舎の農民兵が、近代戦を知る由もなかった。

アングロサクソン(英国兵)どもは、帝国軍人に対し死ぬより苦しい屈辱を与える。上記の行進を、国を入れ替えまったく同じ姿で行進させる。そして記録する。

つまり、英兵は、ペニンシュラの前を日本兵を行進させた。

農民兵の生き残りが、アジアを白人の手から解放するという白々しい政府のウソに気がつくのは、8月15日のはるか後だった。人口のほとんどを占める中国人は日本に敵対し無数のちょう報員となり帝国の活動を阻害した。

日本兵は、解放者たる自分になぜ逆らうか、皆目わからなかった。

 

 

Star Ferry これは素敵な船だ。対岸の香港島まで10分ぐらいだが一等に乗って眺めのいい席に座ろう。僕は、何回も行ったり来たりした。ペニンシュラのまん前から出ている。

じつは今までは、香港ではなく九龍半島の話だった。

また戻ってきて九龍の話もするが、僕にとって世界最高のホテルがある香港島の話は次回。 

 

 

 

 

 

 

     


韓国のものは何でもすばらしい

2016年05月10日 | 国内政治

そんなはず絶対ないのに、舞い上がって夢を見ている人は、「何でもすばらしい」といって聞かない。

一回でいいから韓国軍に入隊して尻を腫れ上がらせてみるがいい。

ちょうど、文化大革命のときの中国狂いにもこういうのがいた。人民のエネルギーは資本主義日本を凌駕する。とか、中国での学校の試験の最中、カンニングを咎められた生徒は、先生に対し、「生徒の学習意欲をそぐのは資本主義的だ」、と反論し学習英雄になった。・・・の類である。

得意の自己批判、してほしいものだ。あるいは総括か。

韓国。  日本では客の靴は家人が座って手で向きを変える。韓国では足で客人の靴をそろえると、知りもしないくせ言っていた。僕は見たこともないしありえないことだ。

ばか。常識で考えろ。ちゃんとした靴は足の指先でつまめるほど軽くない。韓国人は足指の秘儀を持つわけか。

僕も料理とか否定しない。見掛けは悪いが女性達の嘆きが詰まっている。韓国気違いはあまり料理をしない。だから、手間のかけ方、また、その膨大さに思いがいくことは無い。

 

「焼肉おいしい。」 それは事実だ。日本製の肉だから当然だ。

ちょうど、惚れた男のすべてがよく見えるのと同じだ。ところがある日、突然さめる。むしろ嫌韓ババアに変身し記憶のかなたに追いやる。

これは無条件永久絶対においしい。

 

日本。  筑紫野という一流の日本料理店がある。LEDが光って僕の席を示していた。LED、持ち帰っていいですかと聞いたら、帰りにLEDを包む様にブーケを作ってくれた。LED+LR44ま、これだけは韓国製かも。

客を緊張させない細やかさ。韓国がこれに追いつくには500年かかる。

 

 

 

 

 

 


やま滴(したた)る

2016年05月06日 | 教育

春の季語に「山笑う」があるということを、このgooか、みんカラに書いた。5月になりこの季語は使えなくなった。今、暦は夏なのだ。

あまり使われることの無い季語だ。  「やま滴る」

(桜の散った後。したたるほどではありません、みどり。)

 

能力が無い人間は、形式とか前例とか多数とかに盲従する。とくに、なんちゃって高校の若い教師にこの手のバカが多い。すると生徒は国語嫌いになる。形式ゴッコでは自分(生徒)に迫るインパクトが無い。

使いもしない、また、使えもしない助動詞の活用を覚えさせるのを仕事のやりがいにしている。ほとんど気違いの域だ。

夏井先生はきっと笑っている。

ごたごた細かいことを言わず、これがいいのだ、とバシッと切り込み、言われたほうはダイレクトに心で理解する。テレビによく出るあのおばちゃんだ。松山はのろまが多くうそつきの町だったが、文化的には日本最高だ。

要綱

5月22日 主催 松山市 17音が景色を変える  講師 夏井いつき

(もうすぐ睡蓮)

 

巷にも俳句の会があるが、痴呆が入ったジジババが、出来の悪い俳句をわざわざ額に入れ褒めあうところだ(松山以外)。やはりここでも国語嫌いは増幅する。旧制女学校出のきちんとした素養のある人は忸怩たる思いでいる。

間違いなく女性の句は秀でている。男は、わしは昔は偉かった、の話ばかりだ。まとめて爆破できないか。

今、高校では国語の教員の中に漢文の専攻の人はほとんどいない。授業のコストしか眼中に無いアホな高校が増えた。

つまり、国語科全員に平等な授業の受け持ち時間を配当するには、漢文しか持たない先生が混じると人件費がかさむという理屈だ。

なぜここで漢文か。俳句の話ではなかったか。あほ。山の緑が滴る様に覆っている(やま滴る)、わけだが、出典はMade in Japanではない。そう。おまいらの嫌いな、Made in Chinaだ。

”郭煕(かくき)”の著書である『臥遊録(がゆうろく)』とされている。

(ちゃんと枝垂桜を観にきている人たちがいる。有名ではないのに都府楼の奥の上品(じょうぼん)の桜をめでる人たちがいる。軍歌を流して日の丸を振るよりよほど日本を強くする行為だ。)

 

漱石が現代文から消え、「ばなな」が教材になる。漱石の漢文に対する深い造詣に接すると、かならず人は謙虚になる。現代のわれわれも彼を学び、自らの日本語力を高めることができる。ばななの文にはその素材すらない。

漱石に何が何でもこだわるということは、ない。ただ、真摯な日本語の世界観を知らない人は教科書に載ってはいけない。

現代文の授業が、早く進む先生ほど良い先生とされる何ちゃって高校が、生徒の国語力を奪い、国語嫌いを増やしている。

灘の橋本先生は、3年間たった一冊のテキストでほぼ全員を東大に通した。

 

 

 

 

 

 


花筏(はないかだ)

2016年05月04日 | 国内政治

 

花びらが、一つ一つのいかだの木切れのように固まって流れていく。その様子を昔の人は花筏とたとえた。

また、俳句の春の季語として「山嗤うとある。別に山が眠ったり笑ったりするわけない。さくらの花びらがなにか乗せて運べるような頑丈な筏」になるのでもない。

しかし、あたかもそうであるかのような、さらにはそうであってほしい気がしてくる四季の姿。このようなわが国の姿は学習しないとわからない。学習しないと習得する前に人生の時間切れが来て、結局知らずに死ぬ。

愛国とはそこにあるのだ。尖閣にヒステリーを起こすこととは関係なく、豊かな日本は、観念の世界ではない実在のそこにあるものとしてそこにある。

きたならしい日の丸とむすびつかない深い情の世界に愛国はある。

今後、君が代とともに登る日の丸に目頭を熱くする人が増える。形の無いものに酔ってないか常に検証しておく必要がある。

吉野作造が民本主義を掲げ、ちょうど今年は100年だ。これはまた後日。

彼の理想は、今、目の前しか見えない低俗な「だって攻められたら困るもん。」という夢見る酔っ払いたちのたわごとに今日本が引きずられている。

北鮮とわが国の核兵器の差は4000対1である。我が国には核兵器は無いというごまかしは、言うな。在日米軍が太平洋の途中で捨ててきているわけか。

4000のナイフに囲まれた国が核武装こそ生き残る道だという。どうだ。ネトウヨ。おまいらの考えと同じだろ。同じ考えで核武装して中国や米国と対等にわたろうというわけだ。

ネトウヨだろうが北鮮だろうが、高くつく賭けはするな。

こそこそバカラ賭博をすると人生を失う。晴天白日の下、建前抜きの話し合いをすれば必ず道は開けるものだ。ただ解決して困るのは安倍だ。病人がいなければ医者は失業する。泥棒がいなければ警察は失業する。悪者が死んでは困るのだ。戦う安倍を演出しているのはキムジョンウンだ。

日朝交渉の全文を入手した。秘密保護法で脅してくるかな。本来公開されるものを手に入れたに過ぎない。読むと斎木は交渉をまとめる気がまったく無いことがわかる。

弱者をゆする外交は破滅する。その情報を与えない国は破滅する。

僕らは、周りにけんかの種を振りまいて自分の人気取りをする。そういう卑怯な低脳安部のやり口からさよならすべきだ。

 

天神のこいのぼり。外交にはこういったドッカーーーンという隠しダマはない。

 

 

 

 

 


うめき灯篭

2016年05月02日 | 東洋歴史

僕は狛犬や灯篭、石碑を読むのが好きだ。年代を読み天明の頃か、とか万延の頃かとか考えるのが面白い。江戸以前のものもあるが風化しているのでよほど光線がよくないと判読出来ない。

 

狛犬も、その姿をよく見ると、神社ごとに個性がある。阿吽の像ではなかったり、鳥居の外にあったり、さらにはそもそもなかったりる。鳥や馬の狛犬もいた。

その向きも相互に向かい合ったり、参拝者のほうを向いたり・・・昔になればなるほど頭は柔軟だった。簡単に彫れたら粗雑な出来になる。

その彫刻能力は現代になればなるほどつまらない。動力を使って瞬時に掘り出しているようだが、狛犬の顔に怖さと個性が無い。

何百年も前の子供は、睥睨されただけで「おとう」の手を握り締めただろう。

 

国道385号線、50年も工事が続く。そのやる気の無い国道を走り筑後川を越えたら青木神社がある。その横の温泉で僕の送別会があった。本職はすでに辞めていたので非常勤職員にまで送別会をしていただくとは恐縮だった。

少し時間があったので青木神社に行った。

面白い占いがある。泥で固めた10円玉程度の大きさの泥饅頭を、3メートル離れた池の中の石に乗せる。平たく半径50センチメートルの石を狙う。大きく放物線を描かないとだめだが。この曲線で狙ったところに石をとどめるとは至難の業だ。

僕は奇跡的に2回投げて2回とも平たい石に乗った。よその子供が来たので二人で遊んでいたら、お母さんらしい人が血相を変えてやった来た。

「何をするんですか」

僕は不審者なんだな。