か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

若いのは声ばっかり大きくて中身がない。

2013年04月29日 | 音楽

おとといバイオリンの先生に呼び出されて先生のおうちを訪問した。ピアノと違いたった4本の弦しかないので調律は早い。ところがプロ意識のせいかなかなか弾き始めずに調律ばかりしている。この頃は調律器などという便利なものも出てきた。

大体でいいんだ。ぼくはコンサートでもない限りG線からポロロンとするだけでいい。KORGの気がきいた電子音叉もあるが、普通の音叉が電池もいらず第一壊れない。

先日音叉で合わせていたら知らない人から笑われた。だから何にも使わないで合わせるのが一番だ。バイオリンはフレットがないので少し弦の張り方がずれていても指のビブラートで調節できる。開放弦の時はいい加減な調律がばれるが横の弦で代用すればばれることはない。

いたれりつくせりのKORGを使うと絶対音階が甘やかされてバカになる。

バイオリンは本体も気絶するくらい高いが、弓もそれに負けていない。自動車の修理にホント似ている。まず、素人ほどいい道具をほしがる。さらに、やたら新しいものをほしがる。それは間違いだ。ほしがるという動機の前に大脳が働いていない。

スパナの形が100年前と変わったか。Macだ、KTCだと叫ぶ前にスパナの形の理由を考え過去の人間の知恵に畏怖を感じなければならない。

若造のバイオリンは声ばかり大きくて肝心なことができない。うっとりさせること。これができなければ楽器ではない。バイオリンの場合は若造といっても100歳だ。200~300歳が色気のある音を出す。壇密を弾いていい音を出したいものだ。

バイオリンにLEDをつけるバカはいない。葉加瀬が電子バイオリンを弾いていたがきわめて悪趣味だ。ビットレートを落として聴くようだ。つまりもうほとんど改良の余地はないのだ。

エンジンもそうだ、ミッションもそうだ。カーボンがついて古く見えるが本質は全く変わってない。キャブがFIになったか。バカ。飛行機は戦前からFIだ。

何をつけた何を貼ったで喜ぶバカは見苦しい。俺の勝手だとは言わせない。僕は見苦しいと言っているのだ。

そういう小手先のどうでもいいことに金をかけあくせく働く前に本質を考えてほしい。

よいバイオリンをよい弓で弾くとよい音が出る。このことはあと数百年は変わらない。

よい車をよい運転で転がすとよい気分になる。これもガソリンの続く限り変わらない。

バイオリンの先生が、「わしゃもうすぐ死ぬからからこのバイオリンはからけんにやろう」、と言ってもらって来たのが画像のバイオリンだ。受け取った時、僕は腰を抜かして喉がカラカラになった。

 

恐怖の暴走

2013年04月29日 | 国際・政治

イノシシだって春になると温かい家庭を持ちやがてウリ坊が生まれ、親の後を駆けるほほえましい姿が見える。増えすぎて迷惑なのは確かだが、それなら山奥にゴルフ場を作るな。また放棄田には餌があることが多い。

鉛玉を食らい電柵のショックを味わいながら命がけでウリ坊のために餌をとる。銃をやめた僕はもう彼らを射殺することはない。

僕を一度でもその牙で突き上げるなら、迷いなく射殺できるが彼らの人生を僕はもう遮断することはない。

これは人にも言えることで、侵入者を射殺したり殺害するのに何のためらいもないが無抵抗の知らない人を殺すことはできない。

「でも向こうが殺す気で来るんだ。」ということに始まる人殺しの理屈はバカでもわかるほど単純だ。なぜならバカでも利用価値があるから納得させ動員する必要があるのだ。肝心なのは相手もそう思っていることだ。

北朝鮮の脅しに振り回されながらも自分を振り返ることは本当はそう難しいことではない。「ミサイル発射が秒読み段階だ。」と言われればたれでも恐怖を感じる。しかしその恐怖はそれ自体で暴走し、敵を殲滅するまでおさまらない。それは兵隊を突撃させるための檄にはぴったりだ。自分の位置、敵の立場を考えてみることはバカには困難なようだ。

日本の組織にはブレーキがあったためしがない。八路軍の攻撃を一番喜んだのは中支派遣軍の参謀たちだ。これでまた増援要請の理由ができた。兵隊は愛国心を鼓舞されて突撃し黙って死ぬ。その組織は720万人に増えた。6千万国民の負担能力をはるかに超えている。

いま防衛費はほぼ教育予算と同額だ。日本のGDPの1%しかない北朝鮮は核兵器を使わない限り勝ち目はない。

ばか。じゃあ前もって北朝鮮を殲滅しておくんだな。そう考えるから兵隊にしかなれないんだ。核がだめなら生物兵器で来るぞ、化学兵器も来るぞ。さあそれらにも対応しなくっちゃ。生物化学兵器の製造は核ほど難しいことはない。中学校の理科室でできる。一人が自爆攻撃すればいい。さあ大変だ。

まず北朝鮮のスパイの朝鮮総連を追い出そう。韓国も日本を攻撃するだろう。大韓民国の居留民団も追い出そう。敵が通常兵器できても核でやっつけよう。そのための日米安保だ。あらかじめ米軍の核を撃ち込もう。

押しつけられた憲法だから改正しようと公然と叫ばれる世の中になったのは上に描いたようなあほの恐怖の暴走がある。押しつけられたからどう改正しようとしているのか。勉強がよく出来なかったかいい先生にめぐり会わなかったかあるいはその両方であったものは、憲法に権利ばかり書いて義務が少ないという。救えないあほだ。憲法とはそもそも権利宣言だ。権利が多くて当たり前だ。

あんパンに餡が入っていると言って怒るようなもんだ。ここを変えてしまったら国は国民に対し恐怖をあおり対話をふさぎ相手をなめてすぐカタがつくと思って泥沼に入る。なぜここで日中戦争を繰り返すのか。

Posted at 2013/04/27

自分の都合だけで喋るでない。

2013年04月29日 | 韓国

僕はこの言葉をかの犬を食う半島で何万回言ったことだろう。僕も能力が足りなかった。徒労に終わることに気がついたのは帰国間際の時期だった。

竹島と従軍慰安婦を批判し、かつ技術移転は促進しろだと。人の足を踏んづけておいて頭は撫でろと厚顔無恥なことをいう。

飛行場にはとんでもなくでかい寄せ集めデザインの黒塗りが迎えに来た。運転手は二人も付いていた。仁川から150キロほど離れたところに勤務予定の大学はある。バカだな。運転手は一人でいい。ネコバスみたいなでっかい車は乗りたくない。

クーラーの出口付近は寒い。そこ以外は熱い。冷たい風が出ますと誇示したいのか。車重に比してショックが弱いのでぐらぐらして酔いそうだ。軽みたいなウインカーの音、音のするブレーキ。すごいのは燃費だけだ。渋滞もなく走っているのに4㌔/リットル。

見栄を張るために形だけ真似した張りぼては、ここ韓国では象徴的な考え方だ。

といいつつ、僕は韓国の自動車産業に関しては明るい見通しを持っている。5年前のでたらめ組み立て、ままごとプレス、あてずっぽう切削、で作っていたころとははっきり違う。昔、シリンダーブロックに小さい切り子がついているのを見たとき愕然とした。

日本ならラインを止めて検証する。そのほうが結局早いのに目の前に車が何台できるかしか気にしない。明日の100台より今日の1台。

で、大学もそうだ。日本人にカッコつけたいの一心だ。事務員が面接すると言いやがった。韓国が日本に勝っている姿をみせつけ僕を貶めてうれしいのだろう。その事務員に学長を呼べと言ったら最初はグダグダ言っていたが、おもむろに学長室に通された。

その夜はうって変わって太っ腹を見せつけたがる意味での狂演だった。夜も更け用意されたホテルに帰ると僕は外に出た。こんなでたらめ社会とはサヨナラしようという思いが急激に大きくなった。ここはもう僕の居る所じゃないな。案の定相手方から何の返事も来ることはなかった。採用するともしないとも。

外を歩きながら閉店間際の小さな店でバナナウユを買った。昔、日本に帰って再び韓国に戻ると韓国語がよく出ないことがあった。自分で自分におまじないをかけてこのバナナウユを飲むと日本人の僕は洗い流され韓国人の僕になるということにしていた。ほんとに韓国人の僕になったと思う。

いまもある。とても懐かしい。今飲んでもそうなるだろうか。

Posted at 2013/04/24

一矢報いたのがうれしいか。

2013年04月23日 | 東洋歴史

核兵器でも落とさない限り、防空とは邀撃機(ようげきき)と高射砲の連携だ。ミスターKについて書いた。大村に勤労動員に来て機銃掃射で死んだ宮崎高女の生徒さんの話も書いた。(宮崎高女の学徒の魂を抱いて掩体壕は立つ )

アメリカは必死に大村の壊滅を狙っている。「ロッキードより大きい大村をつぶせ」アメリカの合言葉だ。プラグマチズムだ。 敵の槍からつぶすのだ。やる気のない日本陸軍とは心構えが違う。日本陸軍は「やる気がない」と書くといまだに幻に酔いたい人には刺激が強い。大村では病院壕から狙い300人を即死させた。

戦前の設計から何の改良もなくわずか900馬力でしかも3000機しか作れずしかも稼働率は40%で、これでやる気があると言えるか。1200機で戦争しようとした。いや疾風があるとほざくバカがいる。ほんとにバカだな。いつできた、何機できた、そのうち何機動いた。

やる気のあるアメリカはどんな失敗作といわれるものでも25000機は作っている。しかも80%の稼働率だ。

精神力だけで寒中水泳に飛び出すのはあほだろ。

やる気のあるアメリカは鹿児島県出水市で国道と国鉄がクロスしているのを開戦はるか前から知っている。艦載機たった一機がその交点を30キロぐらいの小さい爆弾で攻撃した。虚を突かれたやる気のない軍隊はなすすべもなく、ヤンキーは逃げたと喧伝した。

どうなったか。九州のすべての交通は止まった。

大牟田空襲の時、嘘つき源田の343空は何もしていない。出撃していないから数字のごまかしようもなかったわけだ。陸軍も疾風がどうしたというなら一機でもB29を落としてみろ。飛行機もその高度に上がれないばかりか高射砲も届かない。そもそも高射砲自体がほとんどない。

一万メートル上空の爆撃機に当てるには一万分の3の精度が必要だ。近所の数学の教員は予備役解除されその計算力に期待された。にわか仕立ての高射砲隊員だ。無理無理。ここにまた陸軍の戦争知らずが現れる。高射砲とは弾幕を張るもので狙って当てるものではない。

炭坑の坑口、天皇が泊った建物、三井の高級職員用クラブ、などは捕虜収容所で囲った。甘い。ヤンキーが容赦なく味方も殺すのは当たり前だ。なぜか。人殺しのやる気があるからだ。

ほんとにまぐれで一機のB29が撃墜される。パラシュート降下した乗組員は殺されて福岡市内の山に埋められる。負傷者もいたが容赦なかった。あるものはなぜか手首を切り落とされた。これは完全に無駄な人殺しでこれもまた戦争をやる気がないからやるただのやけくそだ。

のべ1000機にいたるB29での大牟田空襲のうち、たった2機を落として一矢報いたつもりになるあほに戦争ができるか。

できないことは最初からするな。

Posted at 2013/04/22

伊藤さんの家に行った

2013年04月23日 | 東洋歴史

僕が幼稚園の大きい組、弟は小さい組。二人を自転車の荷台に乗せてとおちゃんは伊藤さんのおうちに行った。

途中、自転車をこぐのがきつくなると僕を走らせて、弟だけ乗せ自転車を走らせた。未舗装道路を僕らはガタガタ道と呼んでいた。幹線道路を舗装もできない国がよく戦争なんかしたもんだ。

僕は走るきつさよりも路面から突き出た石に気をとられていた。クルマで行けば3分もかからない距離で、その上家にはクルマがあったのだ。なのにケチ野郎は子供のためにはガソリンを使おうとしなかった。

さすがに木炭車はその残骸を西鉄の営業所で見ただけだ。だが、基本的に車、ましてや乗用車の通行はない。僕はとおちゃんと3号線でキャッチボールをしたことがある。今なら5秒で死ぬ。

伊藤さんの家は門構えのしっかりした家だ。建全なる精神が健全なる肉体に宿るなら、住居もそうだ。ひっそりマスかくだけの牢獄で音が漏れるのを気にして退廃した空気の中、健全な精神が宿ったら神だ。不健全な家には不健全な精神が宿る。

ひがんではいけない。怠けてだらけて酔っ払って状況改善の努力を怠った者の哀れな末路だ。この威厳に満ちた家から(旧制)伝習館中学に通ったのが伊藤だ。そういう怠けたバカの反対の生活を送ったのが伊藤だ。

伝習館中学開校以来の秀才と言われた伊藤は当然のように海軍兵学校に進む。僕の家のじっちゃんも海軍だが機械科である。当時は機械が理系の最高とされた時代だが、兵学校の兵科は軍人の本流であり唯一大将の称号をいただくことのできるエリート中のエリートだ。今頃は東大が官僚となって威張り散らす文人万歳の世の中だが毎年5000人も合格するのをエリートとは言わない。「エリート」以外の名称がほしいなら「ましなバカ」程度だ。兵学校定員300。

電気溶接で世界的な業績をあげた宮崎鼎(かなえ)も造船中将だ。その人ですら中将なのに。彼はぼくと同じ町内で山ほどの設計図をもらったことがある。それはまたあとで書く。

いろんな艦に乗ったあとアメリカ留学をする。ここで低脳はよく聞かねばならない。敵国なんかに留学なんて非国民じゃないかとバカは言う。否。敵味方関係なく武官は相互に交流をして敵を知り己を知ることが重要だ。韓国の大使館に来ているロシア陸軍駐在武官、中国解放軍の優秀さを知っているか、バカにしたりなめたり茶化したりすると泣くぞ。

山本五十六との書簡の交流にも見えるが、アメリカを知る者だけの言葉の重さがある。ちょうど韓国の工場の一つも見ないで韓国崩壊論にこだわる低能とは対照的だ。

山本や伊藤に負け戦と分かったのなら止められなかったのかというのは酷である。酷ではあると分かりつつ、あんな完膚無きまでの敗北は少しでもやわらげることはできなかったのかと思う。発狂主戦論とは職を賭して戦うことができたはずだ。流れのままに同病相哀れみつつ泥沼に入り込み若者を殺してしまった。

伊藤整一は戦艦大和に乗艦し第2艦隊司令長官として沖縄特攻、実際は鹿児島坊津(ぼうのつ)沖で沈没し戦果なく3000名の若者を死なせる。本土から100カイリの地点で沈む。わずか100カイリ。もう日本は100カイリの地点の制海権もなかった。もちろん、三池郡高田(たかだ)町、(現)みやま市の稀代かつ稀有の天才も死んだ。

Posted at 2013/04/20

僕のクルーザーに税金掛けてみろ

2013年04月19日 | あそび

 

ところが世の中は金持ちの遊び道具には税金がかからない仕組みになっている。テスタロッサがいくらだ。収入からしたらタダだ。

僕は消費税を他の先進国のまねをして導入しいちような顔をしたがっていた以前の時代、税制は今より妥当だったと考える。バカはよくここを勘違いして国の3兆円は皆さんの消費税で賄われていますとかごまかし文句にだまされる。

僕はコソコソこまかい金額の話をするつもりだといつ言ったか。収入に対する担税力の公平さについてモノを言っている。なのに貧乏人は反発するから相当頭が悪いに違いない。5円10円の金額は知らない。総体としてある不公正に怒るのだ。

以前あった物品税は高級な物品ごとに高率の課税をしていた。今から見るとピアノとかゴルフクラブとか除外すべきものもある。だが、それは課税対象となる品物を入れ替えれば済むだけの話である。

消費税の実施と同時に僕は財務官僚と話したことがある。昔だが、彼らは伝票方式がバカ政治家に潰されたこと、貧乏自営業者に益税のシステムを残したことを嘆いていた。さまざまな税率などの場合を書いた研究書類は天井に届くほどになっていた。

バカ政治家が思いつくと官僚はここまで苦労するんだ。部下任せにしている事実をだれが知っているか。見たか、憶測なく聞いたか。税制の中核は官僚が作る。憶測や期待でモノを言ってはいけない。

ただそれを壊すのは自分で言いだした政治家だ。どうでも脱税できる帳簿方式にし、益税などというこれまた脱税を可能にした。

僕は消費税制度に移行してからクルーザーを買ったので物品税としての正確な税額は分からないがおそらく30%~45%だ。これがいきなり3%になったのでかるーくレクサスの最高級車が来る金額が残った。

僕らのスズメの涙の給料はほとんど消費に回っている。すなはち財産所得で安穏としておける人は少ない。なのに10%も盗られたら不公平じゃないか。部長の10%と僕らの10%は違う。

ところが高額所得者の所得税に関しては著しい減税が行われた。悲しい貧乏人はいつかは自分もそんな高額所得が可能になるのかしらと夢を見る。ばか。目を覚ませ。金持ちというのはお前らの想像できるような階層ではない。

お前の所得税は減税になってないだろうが。エコカー何とかでわずかにカネが戻ると朝三暮四にも気付かず喜ぶバカ。

街でナンパした女が上玉だと日帰りで上海で最高のディナーを食ってくる奴がいくらでもいるんだ。僕のクルーザーは5000CCが二機ついている。海の王者の気分だ。買うときは5%、維持するときは税金はない。郊外の痛ましい新築住宅は三軒入る。

牢獄みたいなアパートでエロ本と仲良くするのはやめよう。僕らは豊かになる権利がある。政治に目を向け不当に高い所得を見逃してはならない。

Posted at 2013/04/18 21
 
 
 
 
 
 

ミスター K

2013年04月16日 | 東洋歴史

異常の中にいると正常は異常とみなされ忌み嫌われる。しかし、そのことを理由にいかなる自己の意見も正当だという錯覚に陥ってもならないわけだ。僕は主水さんから教えてもらった夜郎自大という言葉をかみしめ、できるだけ意に反する意見を理解しようと思っている。

僕は気がついた。あまり抽象的な話は好まれないと。ところが、低脳になればなるほど事実はどうかということを金科玉条にする。少なくとも言えることは真理は真実と違い事実の中には存在しないのである。ニーチェの言う「事実はどうだっていいんだ」という言葉を思い起こさねばならない。

なぜ僕が戦争あるいは戦記モノにこだわるか。それは日本国民すべてが狂気の中にいたからだ。本気でB29を竹やりで落とそうと思ったじゃないか。バカたちは単純なウソにもすぐだまされ信じ込むのも早いが、変わり身も早い。8月15日は一億がっさっとまわれ右をした日でもある。

これはもう済んだことか。遠い昔のことか。いや違う。思考力のない人にとって過去は素早く遠くなる。

我々は再び狂気を体験する。イラク戦争の時フセインを殺す理由にされた大量破壊兵器はどこにあったか。今言えるのは大量殺りくをしたのはアメリカでありそれにカネを出したのは日本だということだ。

我々の狂気性向は変わっていない。

僕の生まれた町の近くに大牟田という化学工業都市がある。三井財閥はこの町の鉱山と付帯施設をほとんどタダで払い下げを受ける。タダで手にしたコンビナートは優れた三池鉱山の石炭を使いたちまち巨大化する。主力工場の一つ三井東圧化学(現)という会社をB29が見逃すはずもない。

東洋の島国のサルが戦争のまねごとをしている。さあ、思い知らせてやろうじゃないか。アメリカ合理主義の結晶は瞬時に大牟田の街を灰燼にした。

B29はほとんど焼夷弾を落としていない。爆弾である。

この時三井東圧化学の5階に捕虜がいた。空襲から逃げにくいところに捕虜を置く。もちろんそれは戦争の常識だ。彼は空襲のたびに遠い防空壕まで死ぬ思いをして走った。しかし狂気の日本人は、「ひきょう者の俘虜」と考えることしかできない。些細なことでこの捕虜は絶食の罰を受けた。彼はだんだん体力をなくしていくが、本国では化学者であったため帝国は彼の能力を利用する。

彼は丸坊主にされ頭に大きく「K」と書かれた。理解ある三井の社員にはこっそり「この戦争はやがて終わる。その時は私の故郷を訪ねて来い。」とささやいた。

ただもう彼にはひっきりなしの空襲警報に反応する体力は残っていなかった。逃げ遅れた彼は爆死する。


教員にもインターン制、バカをこれ以上多忙にするな

2013年04月16日 | 受験・学校

採用試験合格後、3~5年の試用期間を置く、その間は一年更新の常勤講師として勤務するという。自民党の考えそうなことだ。試用期間だから当然不採用もある。

人々の教員に対する意識は屈折している。一般に先生というものに対する尊敬の念と同時に、高い給料、その他恵まれた労働条件、などなどに対して強いコンプレックスを抱いている。3時を過ぎれば生徒とテニスでもして楽しむ先生達を見た住民は、夜中まで働く自分が悔しくてならない。

そこで教員の労働管理が強化されることには、ひそかに快哉を叫んでいるはずだ。

世の中が見た通りなら学問はいらない。必ずまさかと思う視点がある。たったそれだけのために例えばドイツ語を理解しようと頑張る。しかし一つの言語をマスターするには血を吐く努力が必要だ。そうして頑張っている人間はちょっと見ると怠けものに見える。違うのだ。ぼんやり空を見上げていても頭は究極まで発熱して思考している。

そうして頑張るから東大や京大の入試の指導ができるのだ。そこらのドブに咲いた3流低脳大学の教員よりはるかに実力があり教養も広く人間的にも素晴らしい人たちだ。

その伝統は先生達が教え合うことによって培われていく。校長が評価するとは何だ。気でも狂ったようだ。教壇を離れて10年もたち教科も違う人間が何を評価するとぬかすのか。英語上がりの校長なる者が美術の評価ができるのか。ばか。高い給料をもらって天下りの心配でもすればいい。

現実には試用期間に該当する者(インターン)どものゴマすり合戦になるだろうか。

いいや、僕はそうは見ない。こんなにいつまでも結婚を先延ばししてあげくの果てに振られるかも知れない交際は避ける。20やそこらの人間にとって新採用であることの強みを考えるべきだ。5年してお前は不適格だと言われることがあるわけだ。その時その人は27歳だ。あまりにも残虐だ。

少々授業が下手でもいい。問題を解く力を高めようと思う心があればいい。高校の問題なんてそんなにインターンだなんだとカッコつける必要はない。

必ず良い人材は逃げる。ゴマすりは集まる。教壇で問題が解けず立ち往生するやつは増える、低能だから。その他校務運営に関しても能率的な企画力のある人は減る。

荒れた学校を減らそうと知りもしない学校現場に口を出し国民の人気取りをしたかったようだが、かならず結果は逆効果だ。


三流芸能エロ雑誌が無能と対談した

2013年04月16日 | 国際・政治

主水さんの記事を見て記憶の底に澱(おり)のようにたまっている掃きだめの屑を思い出した。僕らは下っ端外交官だった。しかも語学研修員として勉強中だったので交渉の全体を俯瞰することはできない。だが、

キャリア官僚は自分さえ昇進すればいいので愛国心など全くない。巷の右翼が的はずれに交渉をたたき壊せと叫ぶのも迷惑だが、こいつら高級低能官僚がゴルフとカジノとキーセンの心配しかしていないのは明らかだった。つまり日本側は話をまとめようという意思は全くなく韓国は一円でも多く泥棒しようとまじめに努力した。

そんななか、僕はときおり延世大の研究所にいたが、大使館の貸衣装とつくり笑いと覚えたてのジョークが舞うパーティーに招かれた。もうかすかにしか記憶がないが、佐藤は全く朝鮮語が話せないくせにきわめて上機嫌だった。「おれが1兆円を4000億にしてやった。」ばか。朝三暮四とはこのことではないか。

おねだりをする方は飲ませ食わせ抱かせのプロだ。ところが、日本のままごと外交官の常識はこうだった。口を固くしていれば朝鮮ピーをいくら抱こうといいはずだ。からけんは現地妻もおかないのか。

済州島にも何度かゴルフに行った。自国の将来を熱く語る韓国官僚と意気投合した。からけんさん。あと5年で韓国は日本に追いつく。10年で追いぬく。彼らの目は遠くを見つめ輝いていた。

佐藤は後に韓国語を一言も知らぬまま大使になりすぐフランス大使に栄転する。

日本は豊かな国だ。5千億だの1兆円だのどうでもいいカネだ。だから、転がり込んだ人のカネを右のポケットから左のポケットに移すだけのことでだれも責任をとらない。

1965年の日韓基本条約において「一切のかつ完全な最終的な解決」をし国家予算の半分近くを韓国に献上し朴クネの親父朴正煕は軍事費と国民の拷問に使った。高速道路と製鉄所と地下鉄にも。そして今日本は、その製鉄所から技術泥棒をされ、地下鉄は賄賂として資金が還流した。

日本がもみ手すり手で韓国の御用聞きのようにカネを献上するのはなぜか。

日韓議員連盟。断言するが、このコリアンコネクションがなかったら貴重な国費が玄界灘に消えることはなかった。対共産主義共同体という意識は日本の低能達の意識に強く訴えた。十分にカネをもらった後になって竹島を持ち出してくるのは明らかだったのに、カネを韓国にささげて自己満足しているバカ大使やアホ連盟が分かろうはずもない。

韓国は暴力金融だ。まず取りやすいところ(日韓基本条約)から盗る。そのあと力づくで盗る(ODA)。そしてこれをやめない。だが、いくらでも韓国に貢ぐべきだろ。なあ、右翼。ミサイルが来たらどうするんだ。


飛べ、ジャピー

2013年04月16日 | 東洋歴史

数日前天気がよかったので山菜取りを兼ねて鯉を食いに行った。清音の滝は日本名水百選にも選ばれる水量の豊富なところだ。その水を使い3カ月ほどかけ泥を吐かせ素晴らしい肉質にする。腹を減らした鯉は清流の中でしっかり栄養をつける。

その鯉には舐めるようにゆっくり包丁が入り一点の無駄なく料理する。あらいにした刺身とか鯉こくも全部芸術だ。器の写真にしようか迷ったが平凡なので僕の腹に入る鯉達の写真にした。大きな有田の皿の上にはキャベツが敷かれその上に砕いた氷が広がりその上のあらいが乗る。こうすると器の上に春が乗る。鯉に透けて新緑のようなキャベツが見える。

こんな贅沢日本じゃないとできないな。地元のばあちゃんが漬けたであろう漬けものがこれまた絶品だ。少しもらった。これで当分食事が楽しみになる。

僕がこうして平日に料亭を独占していた数日前。それから80年前。1940年に合わせ東京オリンピックが開かれることが決定されていて、国民はまさかと思うほど暢気にもそれを信じた。でたらめな皇紀という年号をでっち上げ、無理に1940年をそれにくっつけ準備は進んだ。紀元は2600年。

冷静な分析力があるなら、中(中華民国)、英、米が反対する中での開催は戦争がなくてもあり得ないことぐらい分かれ。ベルリンオリンピックに狂喜したヒットラーと、隣国すら行かない天皇とは国際政治の分析力に決定的な違いがあった。

この時東京ーパリ間の飛行機レースをしようという話が持ち上がる。もう少しで蓆田(むしろだ)飛行場に着陸できたのにジャピー号は険しい山中に墜落する。

ジャピーは聞いていた。墜落したら食われるぞ。日本人は人食いだ。ジャピーは薄れゆく意識の中で観念した。

ところが村人は全く違うことを考えていた。丸太をかかえ上げ担架をつくり鎌で草を払った。クルマの通る道すらなかった当時の佐賀県の山間部では遭難者の救出は難航した。そしてなんとそこから50キロ程度離れた九大(きゅうだい)病院に運ぶのだ。

後日元気になったジャピーは背振(せぶり)村小学校の校庭に立ち村人にあいさつした。メルシーとしか言えない自分がもどかしかったことだろう。

日本人は人を助ける。どんなに自分が困っても人を助ける。犬を食う原始人には絶対できない。


博多湾の魚のエサにするぞ。本当にするぞ。

2013年04月10日 | 韓国

竹島がどうだとか、朴クネがどうしたとか、ましてやミサイルが飛ぼうが飛ぶまいが一般朝鮮人は大して関心はない。表向き家には労働新聞があり朝鮮語の読み物が散らかっている。

「知ったことか」という気持ちで毎日を過ごしている。そんなことより貸したカネが帰らないことにはみんなの笑いものになる。あるいはパチンコ屋でカネが客に逃げることになる。

つまり朝鮮人にとって命よりも大事なモノがあるのだ。それはカネのように見えるがそうではない。カネを媒介とした「メンツ」である。これは日本人が到底理解できないモノだ。

日本人なら「メンツ」をこらえてカネをとることもある。泣かせる言い訳をする。おれはメンツを立てたかったが家族がいるのでこらえた。ばか。それはメンツなんてありませんということだ。

半島の北朝鮮人はどうだか知らない。南半部の韓国人もやや「メンツに」こだわる。しかし何よりもすさまじいのは日本にいる在日朝鮮人だ。僕は以前、在日外国人選挙権、と題してブログを書いた。でもそれは今回の話とはあまり関係ない。朝鮮人がなぜ選挙権を要求しないかという話だった。

今僕が言っているのは、俺をバカにしたのか、違うか、博多湾の魚のエサになりたいか、という話だ。祖国に帰れと言われて彼らは相当怒っている。

ロシア人は樺太から出ていくわけだな。アメリカの黒人はアフリカに帰るわけだな。イスラエル人はまた放浪を始めるわけだな。延辺の朝鮮族は北朝鮮に帰るわけだな。一体バカたちはいつの国境になれば気がすむのか。

これほど日本に貢献してきたのに帰れというなら殺すぞ。いやミサイルが…。あほ。現実はミサイル以上に切迫している。ミサイルよりも命中精度のいい武器を教えよう。ナイフだ。

僕はケンカをしたことのない跳ね上がり青二才がやくざのテロにあったとき、いかにひとたまりもないか見た。「竹島が~」と叫びながら魚のエサになれ。

人にケンカを売るということは命がけでなければならない。

それが怖いなら知恵を使い両者を生かす解決法を探れ。そんなことできないように思える。それは頭が悪いからそう思えるのだ。外交のスタートはいつも可能性ゼロだ。

Posted at 2013/04/09

任侠道の分からんやつは俺がたたっ切る

2013年04月09日 | 受験・学校

筑後川の河口に中の島という三角州がある。小学校や中学もある大きな島だ。国道は二つの橋で繋がっていた。橋はその島をまたぐ有料橋だったが昭和30年代には無料化した。その島の中央に「中の島ホテル」がある。8Fからは筑後平野がパノラマで見える。写真はすぐ横の昇開橋。

僕が受けていた試験は残虐な試験で、合格したからと言ってそれは採用を意味するものではなかった。合格者が数人選ばれるとその中からコネのある者が採用となって行く。

一年間秒単位で石にしがみつくように努力したのに、一番の成績をとった僕は何も手にすることはできなかった。また一年間頑張るのか。もう問題は覚えてしまっている。どうして僕は一年待たねばならぬのか。

僕が成績で及ばなかったのならあきらめよう。しかし、逆ではないか。なぜ僕よりバカが合格なんだ。
世の不条理を嘆いた。再チャレンジとはなんと世間知らずのボンボンが言う言葉なのかと思う。一年経ってまたコネ採用のアホが一番の僕をさしおいて採用されていったときの僕の気持ちが分かるか。

そんなとき、あるやくざの親分が僕を「中之島ホテル」に招いた。彼は言う。「絶対なると思え。おれは絶対やくざになると思った。」宮崎県で肉体労働をしながら、「いつまでもこんなことするもんか。」と。「歯を食いしばって醤油樽を運んだぞ。5年間。2年間で泣きだすからけんは男じゃなか。(男じゃない)」

「からけん先生の息子さんが一年や二年であきらめたらたたっ切るぞ。」その言葉に僕は申し訳なかったし怖かったが反論した。「親分はすでに親分になっているから何とでも言えるでしょう、僕は採用がなかったら何にもないのです。」

この時親分は肩をふるわせて怒った。「だから限界まで努力せろといっとるやないか。」に対し、「僕は限界まで努力しました。」親分の怒りは頂点に達した。僕の思慮が足りないのだ。誰がよその息子にこうまでして言ってくれるだろう。親分は小声になるとこうつぶやく。「おれがお前を見こんどる(みこんでいる)のが分からんとか(わからないのか)。」

すこーしそれに気がつくともう一回チャレンジしてみるかという気分になった。親分の残した名言だ。「絶対なると思えば必ずなる。」

今でも元気がなくなったときはこの「中の島ホテル」に来てこの時のことを思い出す。結果的にはコネ採用のアホが自分にはできないと思ったようですぐ辞退した。そこで僕に採用が回ってきた。

僕は親分のおかげで、苦しんで採用される人に対する思いやりが分かった。受験生はすべてを「採用」の信念のために犠牲にして生きている。体は弱り頭はおかしくなり心は折れる。同じ試験をうける人は敵ではない。同志だ。日本が、その中枢に入る人間をそう簡単に選抜することはない。みんな気絶する競争率の中でもがいている。みんなにコネがあろうものか。

僕は分かった。任侠は可能性のありなしを気にしちゃいけない。正面突破に美学がある。アホはコネで任用されるならしろ。俺は満点をとって見せるぞ。これが僕の進む道だった。

親分がだれかって? 西日本の人なら知っているだろう。 井上半吾。

Posted at 2013/04/06

ウソはしきりと絶叫する   4

2013年04月08日 | 韓国

イヨンフン ソウル大教授

―――日帝植民地化以前の(朝鮮の)経済状況。                 

“1910年以後は近代的統計資料があるがそれ以前は直接的資料がない。 しかし一定の広さの小作料の資料、米価上昇を示す間接的資料等を通して大体的輪郭を描くことはできる。 おおよそ18世紀を経て1人当り所得が徐々に落ち19世紀後半急激に減少した。 1750年を頂点に農村の場市数字、人口、米生産性などがいっせいに下落し、米価が上がって実質賃金が下落するなど経済沈滞の強い傾向を見ることができる。”

-----日帝の強制併合以後の経済的変化は。

“沈滞一路の朝鮮経済が1900年を前後して上昇曲線を描く。 日本からの資本流入、近代的市場制度の定着、所有権制度の整備、近代的企業制度と商法、取り引き安全性を保障する信託、通信、輸送の発達などが際立っている。 植民地時代をとおして総額80億ドルの資本が流入したし、日本人たちの農場と工場ができながら韓半島地域単位のGDPが上昇して1人当りGDPと生活物資消費量などが大きく膨らんだ。 1920・30年代GDPは年平均4%程度上昇した。”

-----植民地民衆の生活水準が高まったか。

“そうだ。 何より人口が増えた。 19世紀ずっと人口が減少して20世紀に入って増加傾向に戻った。 人口は衛生や伝染病などとも関連があり直接的経済資料ではないが当時の経済状況を推定する資料だ。 植民地時代韓半島人口はその以前の1,700万人から3,000万人(海外移住300万人除外)に増えた。 それだけ経済力が成長したのだ。” 原文:[韓国日報2004.04.22]     日帝、朝鮮近代化に主力      訳)からけん

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貧困と病気の半島は日本資本と世界標準の資本主義を導入して、かろうじて累々たる死体の山から脱出できた。草屋根が延々と続き下水もなく道路を汚物が流れる醜態は原始人がうごめいているだけだと言っていい。

それがさらに1910年に向かって悪化している状況だから、まさに崩壊に直進する国家であり無能な大韓帝国の官僚は半島を近代化するなどとは夢にも思わなかった。

ところが、だから1910の日韓併合は帝国主義的な植民地獲得の動きではなかった、とか、そもそも併合ではなく合併なんだから日鮮は対等であったとかぬかす勉強の足りないアホが出てきた。

ポイントを考えなさい。どんなに開明的なことを日本が鮮人に施そうと、頼まれないことをしたんだ。ロシアとの関係はまだ話をしていない。あれもこれも持ちだすのは低能なガキのケンカだ。頼まれないことをして恩に着せるとは金持ちのボンボンがすることだ。「ウラ」もないのにこんなことはしない。厳然としてあった朝鮮での鮮人差別を看過するのは都合のいいことだけモノを見る極度のアホだ。突然帝国は朝鮮が好きになって何の見返りも期待せずインフラ充実をしてあげたくなったのか。ばか。本心はまさにその見返りにあった。半島で朝鮮人が何人餓死しようと帝国は関心はない。

イヨンフンはそれをもちろんソウル大教授として十分に理解しつつ、それにしても日本による朝鮮近代化事業は素晴らしかったといっている。

ソウル市内の水道はまだ戦前の日本が設置した水道管を一部使っている。六法はすべて日本のコピーだ。韓国をバカにすることは天に唾することになる。韓国は日本が作ったのだから。

Posted at 2013/04/04

ウソはしきりと絶叫する   3

2013年04月08日 | 韓国

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訳) 要するに、相当数の韓国人資本家たちが関与する中で、日帝の下、刮目するほどの資本主義的経済成長があったのだという客観的事実だ。   (チョンサンイン ソウル大学教授 ・ 写真)

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頭が悪いとウソをすぐ信じる。バカの一つ覚えとはよく言ったもんだ。信じ込むともう理屈が通用しない。論理が同じところを回ってますます頑迷固陋な狂信になる。狂信になるとどうなるか。タイトルどおり、しきりと絶叫する。

だが日本はまだ今のところ人種差別主義者は一部だ。ところが韓国では日本人差別主義者は90%だ。

日本もWWⅡ開戦前はそれほど反米意識が高かったわけではない。バカがウソに踊って一億総阿波踊り状態になり酩酊し真珠湾に突っ込んだ。鬼畜米英は瞬く間に常識となる。

韓国で親日的な発言をするということは必ず身の危険を伴う。ソウル大のチョンサンインは勇気のある人だ。あたりまえに読んでほしい。過去を美化する一部日本のバカには利用してほしくない資料だ。

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 韓国は日帝時期に近代資本主義を最も先進的な形態で発展させた。 植民地初期に日帝は近代的官僚国家を構築して制度的基盤を用意したし、土地調査事業の実施を通じて近代的所有関係を確立した。 土地調査事業を契機にして“従来朝鮮社会を支配した前近代的受取関係(取引形態)の代わりに資本主義の論理が新しい受取関係として出現した”と見ることができて、これは土地調査事業が資本主義発展に寄与したことを意味することだ。 また、教育制度や財政・金融制もおよび交通・通信施設と同様に各種社会間接資本も積極的に育成された。

 近代的制度の整備が一段落された以後からは資本主義が本格的に発展し始めた。 経済は1930年を前後した恐慌期を除いては1911年から1938年まで年平均3.7%の成長を見せた。 これは非常に長期持続的な経済成長だった。 また、1918年から1944年まで進行された産業構造の変化を見れば、農産額の場合、80%から43%に下落したが工産額の場合には18%から41%に成長した。 国内総生産にあって鉱工業の比重は1911年の4.5%から1938年の18.7%に増加したし、工場数においては同じ期間の間に110個から6,590個に増えた。 また、工場労働者の数字は1931年から1943年間86,000人余りから36万人余りに増加したし、全体労働者数字は1943年まで175万人余りに増えた。 これで1940年代初に至ると植民地朝鮮の経済発展は先進帝国主義諸国が近代経済成長に進入した水準に到達することができた。

 植民地時代の経済成長の動力は日本からの資本流入および日本との輸出入だった。 したがって工業化の典型的なパターンは日本人資本と韓国人労働力の結合だった。 しかし朝鮮人工場数を見れば1918年には965個であったが1939年まで4,185個に増加したことに反して、日本人工場数は同じ期間の間929個から2,768個に増えただけだ。 韓国人資本家の大部分が比較的大きい規模の日本人・朝鮮人合作会社に投資・参加していた。 重要な点は相当数韓国人資本家が参加した中で日帝下で注目するほどの資本主義的経済成長があったという客観的事実だ。
原文:韓国の植民地近代化  (訳 からけん)

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このような状態が続く中で人々が親日にならぬはずはない。戦前の朝鮮人はすべて親日だった。朝鮮は唯々諾々と日本製の近代というものを総督府を通じて受け入れた。モノよりも制度のMade in Japanが肝要なことなのだ。韓国の今日あるのは韓国人の勤勉さにあるのではない。つまり勤勉と豊かさに相関はない。自分の家庭に置き換えて考えるべきだ。誰が今日のようなシステムを残したかを見るべきだ。

韓国は崩壊しない。それは韓国がMade in Japanであるからだ。

ポイントは、日本が半島に発展の「仕掛け」ともいうべき資本主義的生産様式の確立をしたことにある。

今京都大学にいる小倉紀蔵など日本の低能が戦後ソウル大学に留学した。その低能ぶりとは対照的にソウル大学には韓国の頭脳が集まった。その頭脳は勇気がある。夜道で襲撃されても親日派を助ける者はいない。しかし彼らはアカデミズムの最高に位置する者としての矜持がある。日本のナマクラ学者に欠ける点だ。

Posted at 2013/04/03

僕の机の脚を燃やしたF6F

2013年04月02日 | 東洋歴史

じっちゃんは熊本の建軍(けんぐん)というところに住んでいた。

ある日海軍技官としてそばの飛行場にテスト飛行を見に行った。昭和15年ぐらいはまだ帝国上空の制空権は我が方にある。太平洋の半分は日本だ。下層で低能な戦争気違いになるに従って帝国の勝利を疑うものはいない。

だが、理性ある者はどんなに情報が限られようと、冷徹に太陽の帝国の沈みゆく速さを実感していた。

将校になると、少なくとも海軍は、ケンカの矢面に立たされたわけだからとりわけ慎重冷静になる。その怯えは、ちょうど田舎の松華堂弁当のような飛行機を造らせた。あれもこれもと過大な要求の果てにできたのは襖と障子のふにゃふにゃの空に浮くだけの飛行機だ。

こんなものを世界に冠たるゼロ戦といってはいけない。コピーではなかったというバカがいる。コピーすらできなかったのだ。

じっちゃんが見ているとプロペラが外れてパイロットが殉職した。哀れな人生だ。そのパイロットですら数百倍の競争率を勝ち抜いた空の荒鷲だ。戦争気違いの出る幕ではないぞ。

19年になると日本の制空権は完全になくなった。艦載機が数機ずつの編隊で小さい目標を攻撃した。駅、陸橋、機帆船。学校、病院。個人の家。

ヤンキーはJAPを追いまわして遊んでいた。この時一機のF6Fがじっちゃんの家に銃口を向けた。2000?の急降下と12.7ミリ×6丁の音は天空からの地獄の音だ。じっちゃんは炊事場の石の流しの下に隠れたが、何発もその上を跳弾した。家は火を吹き出したので当番兵に命じて家具を庭に投げさせた。

その後艦載機はほぼ連日のように来た。戦争気違いよ。頭を使え。艦載機が来るということはごく近くに空母がいるということだ。空母は艦爆の餌食だ。日本にはその空母を沈める艦爆すらなかったのだ。

じっちゃんはその後福岡に転勤を命じられ「震電」をつくれと言われた。さすがにこのころになると誰の目にも無理だということは分かっていた。パイロットの養成は?機材は?工作機械は?電力は?輸送は?

B29撃墜に特化した自殺機が完成した。ジェット化計画があったという人がいるが嘘だ。じっちゃんは熱対策に死ぬほど努力をしている。あの機体では無理だ。

建軍の家の机は何度か焼け庭に投げ出された。今は僕の机になっている。

グラマン(F6F)が焼いた僕の机の脚。

Posted at 2013/04/01