か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

タダという餌を撒くのは安倍と共産党

2017年06月25日 | 教育

 

タダほど人を腐敗させるものはない。

行政を脅せばいくらでも金を出した時代があった。しかも役人は実際のカネの行方には目をつむる。

日本人はどこまで能天気なのか。田舎をドライブすると城がある。おかしいな何城だろうと思ってみると個人の住宅だ。カネもうけは悪くないようだが、程度を超え富にしがみつき、社会還元とか教養がないので、意味すら分からないすさまじい無教養は、浄化すべきだ。カネもうけは美徳でも犯罪に転化する。

下品な池にはコンクリートの鶴が水を吹いている。座敷には虎の掛け軸がある。客がその座敷に入ると必ず床柱を自慢する。

複雑に葺(ふ)かれた屋根から声がする。「俺はカネ持ちだぞお。」

一方で、貧乏人はその金持ちにはさほど反感を持たず、羨望とか尊敬のまなざしを向ける。なぜなら旦那様は職を世話して下すったから。

 

同列の貧乏同士になると殺しかねない勢いでその不平等を責める。日本には自動車運転免許がタダの人が住む地域がある。(この制度は社会党、現社民党が作った。共産党は反対した)

カネのためなら何でもしかねない貧乏人の御機嫌を取ると票になると思っているのが共産党だ。大学を無償化しますよ、と共産党は言う。安倍も言うが、それは憲法9条改正国防軍設立のためのカムフラージュであるので書くのもいやな気持ちになるのでここまで。

大学なんかタダになっても有り難くないのだ。どうせ行かない。行く価値のある所(大学)にはぐうたらに育てたから通らない。就職もないところに言って人生を無駄にしたい相当のアホの集会所という大学なら行かば行け。会社にとっても間抜け顔の、しつけの悪い、カネぐせまで悪いのをどうして採用するか。

税金が、ぐうたらでたらめチンピラ無能に撒かれる福岡県、こんなさわやかなJKもいるのに。

結論

以上の理由により、貧乏人に施しをしても、溝(ドブ)にカネを捨てたことになる。ありがたがられもせず、貧乏人同士のわずかの違いに、お互いに首を絞めあいカネを取りあう悲しい性癖は、未来永劫のものだ。憲法改正の目くらましにタダ教育というエサを使ってもいかんが、さも正義面(づら)し貧乏人の味方面(づら)する共産党は時を超えて悪質だ。

何のために特高の弾圧に耐え生き残ってきたんだ。貧乏人におもねってはいかん。

 

 

 

 

 


朝日に救いがあるなら

2017年06月23日 | 和歌

 

賢くて意図をもって読者を誘導しようと謀る朝日の伝統は、いまだ代わるところはない。これは低能新聞にはできないことで、騒げそうな話題を騒いで読者を増やそうとするサンケイ新聞は、文化欄にまで品位がない。

百人斬り競争は、日中戦争のさなか、二人の日本人将校がちゃんころの首切り競争をしたというものだ。この中の一人、向井少尉は新聞記事に自分の写真が出ると、恥ずかしかった、と言った。

現実にはできもしない創作架空の記事を書いておきながらいまだ朝日は謝っていない。二人の将校は、戦時中は英雄となり戦後は処刑された。

このような世論が書いてほしい記事を創作する天才が朝日新聞である。対馬イタイイタイ病、サンゴ棄損事件、教科書検定問題、吉田虚偽証言の正当化、取材記事の恣意的な削除追加ねつ造。長くなるので一つ一つは機会があるときに。

 

僕は朝日にあこがれていた。それは入社試験のレベルが高かったからである。日本のどの試験よりレベルが高く、東大からも不真面目な奴はどんどん落ちた。

およそ僕が届きもしない優秀な人たちの集まりだ。簡単に批判する人がいるがおまいらほど馬鹿じゃないぞ、朝日は。評論の水準の高さと読後の清涼感を示せる新聞は朝日を置いてない。

今は相当バカでも合格・入社できる。自業自得だ。でたらめな経営をすれば読者及び入社希望は離れる。僕が言いたいのはここからだ。

 

それでもなお朝日の読者でいるのはなぜだろう。うちは戦前から朝日の読者だったので散々誤報虚報ねつ造に毒されてきただろう。

 

それでもなお、と固執するのは、文化欄があるからだ。世界一の読者数を誇りつつ小学生の読書感想文程度の評論でいい気になっている新聞は、その読者数ゆえむしろかわいそうだ。バカをより大勢に撒いている。節を含まない文章がはたして日本語の日本語たる表現をなしえているのか。なあネトウヨ。日本語は日本文化の神髄だ。村上春樹みたいな文章が並んでいたら日本語の冒涜だろ。

 

 

読解力に期待して、朝日歌壇より。ほかの新聞も全部読んでいるが臭くてキーボードが腐る歌ばかりだ。

 

歯ブラシが洗面台のポケットに収まりきれぬ時代があった。     小島敦

結婚したときは歯ブラシは原則2本だ。子どもに乳歯が生えてくると小さい歯ブラシを買う。弟ができ4本、5本と増えていく。増えるときには何ともないが、やがて子供も所帯を持ちおいていった歯ブラシはいつか捨てる。・・・そしていつかまた最初の2本に帰る。1本になるかもしれない。

洗面台を掃除するときなどふとした時、ああここまで歯ブラシがあったのに、と思うと当たり前ではあるがやっぱりさみしい。みんなこれを繰り返していると分かっている。だが確実にさみしいのだ。

作者がじっと洗面台を見つめている姿が目に浮かぶ。

 

今度は皮肉が効いた一首。作者の皮肉はいつも強烈だ。

過ちは繰り返します反省も平気です日本人です        馬目弘平

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   30

2017年06月20日 | 韓国

(前回からの続き)

ここに無能な王がいます。まさにその高宗です。

 

この腐敗して無能な王は全く自主性がなく、自ら変革しようとする意思もなかった。天のように中国皇帝を仰ぎ、日本に対しては根拠のない優越感を持って、国民に迎合し、ただ食べることのみに熱心で、変革を望む実学者たちを、混乱を起こすからと言って監禁してしまう暴君でした。

 

しかしながら、かれは恐れていたのです。彼自身も儒学派特有の偏見とこだわりが揺らぎ始めていたし、彼はただ自ら目を覆い現状維持だけのため国民を圧迫していったのです。

 

そんなある日、日本の高官の提案があった。「朝鮮は弱小国でございます、わたくしたちに国を任せてください。」高宗はこの提案を喜んでいたばかりではなかった。偏見とこだわりが頭の90%を占めてしまっている高宗は、内心清がこの提案をしてくれたらと思っていたのです。

 

高宗は最初日本の提案を断りたくなかったのは、今後の国の目標もわからないし一人では何もできないし現状維持だけを考えていたところへ日本が管理してくれるなんてなんていいことなんだ、と思ったからです。だが脳内に残る偏見で日本を拒み清に行ってすがった。そうしたところ清は聞き入れてくれた。高宗は喜んでまた何もしなくなった。

 

そうしている間に日清戦争が起き日本が清を簡単に一掃するのを見るや高宗は激しく動揺した。その時から清を馬鹿にし始めたのです。自分は日本であれ清であれまともに対抗できる軍隊などないくせに、軍服ばかり日本に気に入られるようにし高宗はこの国を日本に差し出したのです。

 (からけんが挿入)

国民は、日本が誰の味方かなど分からずまた、日本の先進文明を知る人は日本が自国を管理してくれるということに対しすばらしい栄光だと思い喜んだ。

 

次回用メモ  17の下から1/3  ©からけん

 


その昔、JRは国鉄だった

2017年06月17日 | 社会・経済

 

敗戦日本は多少の無理をしても、強引に輸送システムの再構築の必要性に迫られた。あらゆる鉄道は、実に巧妙な米軍の攻撃により機能を失っていた。

国鉄は国家権力とタッグを組み破格の労働条件を提示し優秀な人材を確保しようとした。昭和20年代に鉄筋の官舎、そこにはクーラーがあった。風呂はタダ、仕事は大抵午前中で終わり詰め所で雑談し風呂に入って帰る。本人はおろか家族まで国鉄運賃はタダ。

しかし、それで優秀な人材が集まることは決してない。採用権は現場の職員にあったから地縁血縁で採用された。今はそれに学歴が加わっただけだ。違うというなら幹部の学歴を示せ。

ここはひとつの文化大革命の現場だった。自分を採用してくれた先輩のためなら何でもする紅衛兵がうようよいて、余剰人員がいるという状態ではなく、まれに働く人がいる状態だった。

朝礼はまさに階級闘争の場であった。自浄力のない集団は破滅する。

したがって改札員は神のようにふるまい少しでも反抗的な態度を示すと改札しなかった。貨物も3か月かかろうと届けばよいほうで、届かない、破片が届くが普通だった。

当時の社会党は国鉄労組の代表が幹部だったのでその紅衛兵たちを必死に守り国鉄の赤字は2兆円に達した。だが、その旧態依然とした職場体制こそ彼らの天国であり既得権であった。

 

ちょうどいま、

TWILIGHT EXPRESS 瑞風 MIZUKAZE が出発した。

もしも紅衛兵たちが生き残っていたら、twilight express は、絶対に走ってない。腐れた車両に空気を乗せて走ることを国民の足を守ると称し、赤字を膨らませ日本は破たんしていた。

大阪ー下関を往復して100万円だが、乗るためには300倍の競争率だ。つまり良いものを作らないから買わない、買わないから売れない、だから不況なだけである。まともな商品は300倍の競争率でも人は求める。

列車を移動手段だけに限定しようとした国鉄には隔世の感があるだろう。頭が悪かったから赤字だったのだ。

許せないのは国鉄労働組合の組合員たち。横着にも、乗せてやるといった態度で我が世の春を謳歌した人間たち。出張に行った僕を労働者の敵だと罵倒した人。まだ生きているはずだ。反論せよ。

僕は空気を運んで給料をもらう真似はよせと言った。それからわずか2年して、狂犬は危険なので囲ってまとめて飼うことになった。(国鉄清算事業団)

あとは狂犬が死ぬのを待つのだ。国家予算の20%の赤字は、わが国の成長の足かせとなり、多くの自殺者が出、夢を見た鉄道好きの少年は背中を向けて去った。

 

 


韓信 (韓進ではない。滅んだ半島の運送屋とは格が違う。)

2017年06月14日 | 東洋歴史

 

引用

ある日のこと、韓信は町の若者に「てめえは背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。できないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って若者の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。その韓信は、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。      wiki

 

多くの人はご存知のことだが、男の悔しさはここに集約されるのではないか。たたっ切れば即解決なのに、というのは韓信の時代だが、じつは今も同様だ。

チンピラが小遣いを稼ごうと因縁をつけてくる町は福岡県が一番多い。ところが県警は工藤会に夢中で、そこらのチンピラは野放しだ。工藤会がほんとに壊滅したらそこら中にチンピラがはびこる。

クルマがかすったら一生しゃぶられる。相手は因縁の天才だ。

大きく言えば国民がそれを望んでいるのだ。だって頭がとれたタコはどんな動きをするか明白なことだ。

 

僕が中国で人力車に乗っていたとき、暗がりを通って少し近道をした。案の定チンピラがいてカツアゲをしようとした。僕は人力車夫を誘ってやろうじゃないかといったが。彼はチンピラにみかじめ料を払って事なきを得た。

僕は不満だったが、家庭もあり家族もある人力車夫はいつもカッコよくはできないのだ。チンピラは、商売道具の自転車を狙ってくるだろう。

まさに韓信の股くぐりだ。

大事なのは家に帰った時、妻がどういう態度をとるかだ。「何よ二人もいて弱虫。」という人もいて「よく我慢したね。」という人もいる。

 

現実の日本の会社になかでは事態はもっと複雑だ。詳しくはわからなくてもいいから、旦那を信じ悔しさを信じてくれる妻がいたらなんとありがたいことだろう。

現実はそうではなく、日本のサラリーマンという車引きは、学歴のハンディ、閥のハンディ、中途入社、部署の、組合の… そうそうカッコよくできないのだ。

あんな、思い付きでしかものを言わないポン助が何で部長になってふんぞり返り仕事もなく、おれに大きい顔をするのか。

 

などなど、みんな韓信の股くぐりぐらい人生でいくらでもしてきているからクルマも家も来たのだ。奥方、分かってあげろよね。

 

 

 

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   13

2017年06月09日 | あそび

日本がバブルという世紀末の醜態をさらしたとき、あぶく銭をつかんだ下品な爺が良すぎる環境に戸惑い、カネを使いまくった。

いわば楽しみの先取りが可能な社会を銀行が作り出し、政府各省は景気が良いと誤解しこぞって経済のしもべとなった。

人は、とくに貧乏人は、持つはずのないカネを持つととんでもない買い物をする。

(画像は本文とは関係ありません)

 

それがクルーザー。船は30年経とうとメンテがいいと、さほど問題ない。つまり買った瞬間から価値が下がる車に対し、きちんとメンテをし正しく動かしていると船の価格は上がりこそすれ下がることはない。

バブルのエロ爺はキャバクラのお姉ちゃんにカッコつけようと、あるいは病院の先生は看護婦との密会を楽しもうと、あるいは学校の先生は、…これは相変わらず貧乏で見込みなし。

ところが彼らは大きな計算ちがいをしていた。船を動かすにはカネは主たる要件ではない。ポイントは、時間とマメさ。あと少しの知識。クルマは故障すれば止まる。船は故障すれば死ぬ。

バブル終了とともに多くの船が売りに出た。頭の悪い爺には無理だったのだ。カネ儲けに忙しい医者には無理だったのだ。破格値の船を友達に紹介した。(1/10以下)カローラの値段で新車の最上級リンカーンが来た。

外から見るとこの不況に時期に…ということだろう。悔しかったら自分の思想を鍛えなければならない。

九州はシーズンとしてはもう終わりだ。暑い。

僕が帰港すると僕の紹介で買った知人の船が桟橋もろとも放火されていた。意外だが船はよく燃える。20ノット、30ノットの風にふかれているからカラカラだ。ガソリンも軽油もガスもある。水は届くほど近くにはない。

まあ、いいじゃないか。警察が(この場合は海上保安庁)絶対捜査しない人たちがやったんだ。あきらめるときは潔く。勝ち目ないから。と言ったが彼は、しばらく働いてもう一艇買うと言った。男だ。

 

 

 


熊本ツーリング Ⅶ  熊本農業公園

2017年06月06日 | 趣味

この頃フリーマーケットは流行らない。netがほとんど全家庭に普及している昨今、早くも時代遅れの売り方になったようだ。はやり始めのころはまぐれのように素晴らしいものが出た。今はあまりそんな利点はない。

せっかくリュックを担いで福岡から1時間もかけてきているのだ。なんかいいものがほしいと思って物色した。

赤い鳥の作家が全部素晴らしかったとは言わない。しかし場違いはいないし、子供向けだからと言って手抜きをした作品はない。表紙のデザインは大正ロマンだ。

姉が読みかけたこの本をまだ字の読めない妹たちは眺めた。そして少しづつ読めるようになり挿絵と物語はつながった。と、こんなことが日本中どこにもある風景だった。

子どもを子ども扱いしない。これは、子供の能力を開花させる思想だ。

もちろんチンピラ予備軍もいて大体においてそのまま不良になる。不良になってカツアゲで一生を過ごす。例外はいる。いるにはいるが皆無と言って差し支えない。気違いは改心しない。そんな成長途中で真人間になるなら僕は神になっている。

ただ、戦後にはやる面白半分のお遊戯会のバカ騒ぎの中では、事なかれを願う校長と無学なモンスターペアレントが喜ぶ。モンスターペアレントは学がないので分数の足し算ができない。だからどうでもいいことにいきりたち学校へのコンプレックスの個人的はけ口にする。

子どもはもっと考えている。鈴木三重吉の名が見える。「ごんぎつね」を改ざんした人だ。原作南吉原と比較すればどんな良い教材になるだろう。

貧乏日本が精いっぱいのカラー装丁にした。坪田も森も彼らの名を冠した文学賞がある。

農業公園というだけあってさすがプロが育てた花だ

ちょっとやらしい形もあった

 

さて、話の続き。

バカはここらでお茶を濁しておけばよい。こういう姿勢が今日の教科書検閲にありありと見える。教科書が簡単なのだ。絵ばっかりで低脳のペットブログと同じだ。

文字なんぞ、実のところ滅んでもよい。漢字もなくせ。中国みたいに表音化するか。絵があればペットとグルメと服と雑貨の紹介はできる。

ただ、思想はできない。思想がないと人は便所虫になる。上からくるくそを待つだけの人生がいくら快適でも人が虫になって満足なはずない。

 

 


熊本ツーリング Ⅵ  熊本を助けるな

2017年06月05日 | 事件事故

人の不幸を覗きに行こうなんて余りほめられたことではない。益城町。遠くから見た限りでは、古い家の被害があきらかに大きい。ぺしゃんこの家も残っていて、まだ片付いていないところも多い。一方で、隣り合わせに何ともない家もあった。

僕は災害というのはごく直後の緊急事態を除いては、自力更生が本筋ではないかと思う。自己救済ともいう。

なぜなら人は他人を助けないからだ。身内であっても助けない。したがって身内という概念はもはや消滅している。

いやいや、人は助け合って生きているのだという人がいる。こういうのは、耄碌した公民館長の訓示によくあるじゃないか。

「人」という文字をよく見なさい、一つをどけるともう一つも倒れてしまうのです、だから助け合いは大事ですと、日本の津々浦々で何万回も繰り返されカビの生えた言い草だ。

ごまかすでない。じゃあ、僕は不幸だから助けてもらおうじゃないか。障害者がいるからボランティアに来てくれないか。

3年、5年じゃかえって迷惑だ。へんにそのボランティアを含めた形で生活のリズムが出来あがると、そのあとがどうしようもなくなる。

人を助けるとは一生死ぬまで助けることだ。僕は言う。それができないなら何もしないほうがよっぽど人助けだ。他人の人生に土足で入ってきて飯を配り掃除洗濯をして、飽きたらさっと帰る。こんなむごい話があるか。

益城のものは死ぬまで益城に住むんだぞ。ちょろちょろ1,2週間善人面しに来て、いったい誰のためになると思うのか。

第一、ずっと熊本に生きてきた者は、自分こそが自立してない坊ちゃんジョーちゃんとは違うぞ。そんな都会の、火も起こせない、飯も炊けない良い子たちに同情されたくない。

僕の知り合いも死んだ。僕は眺めて通り過ぎる。助けない。僕の知り合いは言っている。死んでも人のお恵みは受けない。それが「肥後もっこす」(プライド、正義感、あふれるやさしさを外に出さない、やせ我慢でもいいから男は威張って生きるのだ、という人たち)だ。

おまいらへなちょこ、熊本頑張れなんて絶対言うな。

 

 

 


熊本ツーリング Ⅴ  私の学校がない

2017年06月04日 | 受験・学校

別に高校が廃校になろうと、ましてや大学が消えたからと言って深い悲しみに落ちいる人は少ない。

ましてや自動車学校、お料理学校が消えたから死のうという人はいない。

 

だが中学校、小学校となるにしたがい、きっとこの喪失感は自分だけしかわからないと思うほど悲しみは深くなる。

皆さんは神経がガサツな人が多い。

日本史どころか自分史すら次々忘れ、新しいもの、面白いもの、楽しいもの、分かりやすいものに飛びつく。考えない人が増えた。

廃校になった自分の学校に行くと、こんな小さな椅子に座っていたのかと思うほどだ。が、そういった学校があればまだよい。

 

教室はいつの間にか、にわか陶芸家がカッコつけて土をこね、なんちゃってカフェが文化祭の模擬店程度でカネを取ろうとしている。

失礼な話だ。小学校を廃止にされた村は文科省のお達しとなると途端におとなしくなる。校舎を転用して、「ホントはこんなに陶芸の需要がありました」とか「住民はこんなにヨガ教室を待ち望んでました」とモミてスリてでしっぽを振る。文科省は、ほら廃止してよかったでしょというのだ。

仕事はすべて命懸けだ。みんなそれぞれプロだ。にわか陶芸家は本物に失礼だしカフェもヨガも同じだ。

 

さて、それほど子供が減ったので統廃合をしたのか。それはここ40年を見ればそうだ。戦後の引揚者は田舎に住むしかない。だから都市に仕事が集まると当然に人口は減った。

しかし結論付けるのはまだ早い。100年のスパンでモノを見ると、明治政府は今よりもっと人口が少ないところに学校を建てている。

通学バスなんてなくとも歩いていけるところに学校があった。東アジアの低開発国はそれをお手本にしてきたのだ。

放課後、バスで連れ去られる子供たちには放課後の遊びは存在しない。牛乳配達のように暗くなるころポツンポツンと子供がおりていく。

世界に冠たる日本国はこんな現実を作ってはならない。明治貧乏政府が作った小学校の30%が消えた。安倍の仕業だ。どこが地方創生か。小学校は、村の寄り合いや盆踊りや集会の場であり、みんなの心のつながりがそこにあった。

明治時代の先生は学校ができうれしくて無給で働いたこともある。村の小学校の火を消してはならぬのだ。みんなの合言葉は「一等国になろう」だった。