か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

本当に言いたいことは波打ち際のぎりぎりのところに書いといたから

2017年08月30日 | 国際・政治

ラーメン風呂は、心地よい。世の中は、こんなユーモアのセンスがあるかと思えば、集団リンチいじめで中学生が死ぬ。しかもそこの校長は得意のアンケートや全校集会を開き、言った言葉が「いじめはなかった」なのだ。

遺族が身を切る思いで遺書を発表するとやむなく認めた。もっと残酷なことは殺された本人が写っているからという何の理由にもならないことで写真展の優秀入選作から被害者の写真を除外した。

死んで初めて見せた笑顔は写真の中であったが幾ばくなりとも慰労になったはずが。主催者たる市は市長の意向でその写真を撤去した。

人殺し達は何事もなかったように次の獲物を狙い早くもいじめを始めている。

青森県藤崎町は全体の道徳観が狂っているので僕は行かない。

大曲

おかしいのは全校保護者会で、犯人の実名を明かせと激しくいっていた自衛隊の幹部の娘が、犯人だったことだ。

世の中は。豊かで落ちついて、トラブルなく、穏やかに生きる教養ある人たちと、殺しに生きがいを見出す低能不真面いい加減バカとに分かれていると思う。

敢えて火中の栗を拾うなと言われるが、電通のまつりさんをいびり殺した奴は許せんのだ。青森も殺したいが手が回らない。誰かやってくれんか。

罰を受けないなら人殺しは面白い。ダッカではいきいきと戦っていた。そのあと100倍の悲しみが来るのに。ばかだから分かりやすく言うと、7人の人殺しもあと5年もすれば赤ん坊を抱いている。踏みつぶしてやろうか。おまいらのやったことと同じじゃないか。

日本はいじめる人だけに人権があり、殺されたほうは顔を全国にさらされる。イギリスで11歳の子供が8歳の子供を誘拐し煉瓦でたたいて殺した。無期懲役。人々は軽すぎるとデモを起こした。

クリオネのなかま

簡単な常識が崩れていく。日本はもっと安心して生きていける国だった。家に鍵をかけることもなく。隣から塩や醤油を融通しあうゆっくりとした国だった。

若者はいきり立って親指の速度を競う。ものを考えなくなった人で町はあふれている。

 

核兵器禁止条約回避してどの面下げて原爆忌の客     中原千絵子さん (タイトルは、茶田さわ香さん) 朝日歌壇より

 

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   14

2017年08月27日 | あそび

8/26(土) 19:28配信 引用開始 朝日新聞

 単独無寄港でヨットによる世界一周を果たした立尾征男(たておいくお)さん(76)=静岡市駿河区=が26日、長年、母港にしてきた堺市の堺出島漁港に戻って来た。約5万5千キロ、394日間に及ぶ航海は波乱の連続で、南インド洋で食料が尽きかけ「コンビニでパンを買う夢ばかり見た」と話した。


午前10時過ぎ、真っ黒に日焼けした立尾さんは、全長約9メートルのヨット「EOLIA号」で入港し、約30人のヨット仲間らに迎えられた。偉業は2001年に続き2度目だが、「一言で言うと疲れました」と第一声。

立尾さんは昨年7月5日に小笠原諸島の父島を出航、今月2日に帰港した。当初は向かい風の多い難コースの西回りを目指した。しかし、南下途中のソロモン諸島でサメが船尾にぶつかり、自動操舵(そうだ)装置の部品が海中に沈んだ。「そこで普通なら中止するが、なんとかあり合わせの部品で修理し、東回りに変えて航海を続けた」と話した。

最も苦労したのは、南アフリカ沖から豪州へ向けての約2カ月に及ぶ南インド洋。「2、3時間続く嵐が断続的に来た」と言う。マストを支えるワイヤが切れ、食料が1カ月分足らないことがわかった。疑似餌でマグロを25匹釣って食べた。「大きさは80センチ級。1匹で5日はもった」と話した。

                                     引用ここまで

日本はやっと今頃、世界一周の許可が下りるようになった。海洋国家でありながら、妙に様々に行政はおせっかいだ。本当は人の心配をしているふりをして、事故のときに自分に責任が来るのではないかと心配している。役人どもを動かす原理はこの一点だ。「責任が来たらどうするか。」

それが無能だから肝心の判断ができずに、おびえて書類ばかり書かせる。因縁をつけて時間ひきのばしてあきらめるのを待つ。僕は断言できる。役人だったからだ。

国民、県民のことはみじんも考えていない。例外は自分の昇進にかかわるときのみだ。

県職員の住宅は車庫証明がいらない。身内にはなあなあで庶民にはとにかくすべてをまず禁止する。

30年ぐらい前ロンドンのチチェスター卿が世界最高齢単独無寄港世界一周に挑んだ。このときの書類は一枚だった。

出航届。

出航地と帰港地を記入する。チチェスター卿は、表情一つ変えず、出航地にLondon、帰港地にLondonと書き Sir Chichesterという自分の名前の他には何も書かなかった。港湾局の係はウインクで返した。

大人の国だ。

 


ウソはしきりと絶叫する   32

2017年08月20日 | 韓国

日帝時代(日韓併合期)はごく少数の人士のみが創始改名を拒否したのであり、多くの韓国人は自ら進んで神社参拝に出かけた。  (京郷新聞 1968年 10月 2日4版)

 

釜山中区にある釜山郵便局1階の郵便窓口に展示された思い出の映画資料展示を見に来た市民たちが、1929年と1950年代の映画ポスターなどを見ている。釜山郵便局は、来る9日まで収集家シンジョムシク氏が所蔵している国内外の映画ポスター、リーフレット、切手、はがきなど映画関連資料1400余点を展示している。

 

日帝時代に大人気だった「タッチ本」 様々な表紙で読書が大衆化した

(転載記事)

古書収集家とか国文学研究者たちが主として探し求めていた日帝時代の「タッチ本」がサイバー世界で読者と会えるようになった。ソウル大の中央図書館はホームページに「韓国のタッチ本サイバー展示会」を開く。

本の表紙が子供たちが遊ぶパチ(パッチン、めんこ)のように色とりどりだということで名前のついた「タッチ本」は、1920~1930年代に広く流行した出版物で「旧字体活字本」、「活字本」とも呼ばれた。日本の印刷技術導入とともに入ってきた鉛活字により大量に印刷された「タッチ本」は「洪吉童伝」とか「沈清伝」のような古典小説のみならず「秋月色」、「チャンハン夢」などの新小説も出版された。「タッチ本」は大抵4・6版の大きさでハングルで書き下ろされていた。市場で麺類一杯食べる値段、6銭で売られていたそうで6銭小説ともいわれた。

 

次回用メモ  18の上から2/3 ソウル大中央図書館~から

 

 

 


籐ひご細工

2017年08月13日 | 韓国

 

ipodを買った。10年以上も前のものなのに何万もした。一方、ipod nanoとかは新しいのに2,3千円であった。

第5世代はFIATと連動しているのでよさそうに思えた。しかもグローブボックスの天井にはipod収納スペースがありすっきりする。充電も気にしないでいい。今はやりのハイレゾでも繋げは腰を抜かすほどいい音がする。ipod第五世代は僕が生まれて聞いた2番目にいい音だ。よくぞあの厚さにHDDを組み込んだ。

僕は、この音楽携帯の世界のことを何にも知らず15年ぐらい知識が遅れていたが、巷では大きな変化があったようだ。図体の大きい恐竜は地球を席巻したがすぐに進化をはじめ小型の電話付に変化したようだ。だがnanoはipod第五世代に及ばない。

二宮金次郎のような格好の猫背でiphoneをいじる姿は隙だらけである。中国人が体当たりをして電話を奪う時代になる。すぐなる。見ている日本人は助けない。そんな日本になったことを自覚しておかないと事件に会う。

 

キーケースの保管用に玄関に置こうと思った 自作品だ 手芸用品店とは実に入りにくい エロ本屋以上だ

 

中国人にはマナーは全くない。昔日中友好協会というのがあって、おせっかいにも日中に国交を開くとき一役買った。バカだから人民相互の友好親善と言いつつ得をしたのは進出した企業であり、30年もすればそいつらは死に絶えた。無責任だ。

日中の軍はもちろん対立していたので(70年代)、交流はほとんどなく常時の連絡ラインはない。30チャンネルに満たない非公式ルートがあるだけの,世界でもまれな断絶国家が成立した。南北朝鮮のほうがまだましだ。これでは日本側の情報・意思が中国中央に達する道はない。現にICBMを持つ国の心配をせよ。

皆様ご心配の北朝鮮は戦前からの組織的人的ルートが今もあり200チャンネルに達する。そうでなくとも労働新聞の端々に匂ってくる留保条件を読み落とさなければミサイルは絶対に飛ばないことが分かる。

もし飛ぶというなら、マッハ15で軌道を修正しつつ落下する空中の一点に向かって迎撃ミサイルを当てることができるなら、ガタガタ心配せんでいいじゃないか。北が、ダミーも飛ばし時間差で飛ばすとき当ててみろよ。相対速度はマッハ20だ。米国は北の4000倍のICBM,SLBMを持っている。

山口組がそこらのチューボー暴走族とけんかをするか。またその逆も同様である。

 

裏返しに置いたところ

水面下の話し合いは双方に花を持たせる形で収まるよう進んでいる。花を持たずしては国民が離反するからだ。

僕の予想では北がグーンと外れたところに飛ばす。アメリカは怒ったふりをして時代遅れのミサイルを無人地帯に撃つ。それ以上は発展しない。歴史を学べ。アメリカは伝統的にモンロー主義でありGooks(アジア人の蔑称)のために死ぬのはまっぴらだ、と考える人が多い。まともだ。アフガン、イラク、ソマリア、スーダン、もう十分アメリカの若者は死んだ。

アホは日米安保が…というが兵を出さないものは出さないのだ。自衛隊だけで北に勝てるんだろ。さっさとやってみろよ。

僕は平和に籐(とう)ひご細工をした。下手だから一日かかった。放射状に編んでくるところ、篭のふちを盛り上がらせるところなどなど、これもやってみると難しい。手芸屋から5メートルの籐のひごを数本買い近所のばあちゃんに聞きながら頑張った。

残りの籐で水筒のカバーなどを考えている。

バカはけんかをしたがるが、朝鮮にはよいことわざがある。

「吠える犬は噛まない」

 

 

 


ちゃんぽんはすべてを語る  2

2017年08月11日 | 食・レシピ

父親は女を作って出ていくし母親はこの時とばかり金を使った。ちょうど大学進学のときだった。

ぼくは、優れた頭脳と着実な努力の尊さが分かる人間だったので、絶望的な状況であったがよく努力して合格した。どうせカネは続かないから大学は中退だろうから、それまでに弁護士かできれば官僚になりたいと思っていた。

そんな時、祖母がなけなしの金をはたいて学費をつないでくれた。天から降りてきた蜘蛛の糸のようであり、そこらのめぐまれた人間を見るとても悔しかった。

人間とは不思議なもので、こういう不遇のときはよく努力する。官僚は忙しくない。一部の財務がどうのこうの言われるが、頭が悪いから処理速度が遅いだけで年中忙しいことはない。僕はもう一段ステップアップしようと思いさらに上位の試験にチャレンジしたが、ことごとく落ちた。

舐めていたのだ。一定の地位が確保されると潜在意識がささやく。もうこれでいいではないか。

そんな時は天神の食堂でアルバイトしていた時代を思い出すことにしている。便所に行くふりをして僕だけにわかるように書いたノートを覚えた。食事は最も早く食えるうどんにして勉強時間を確保した。

僕はしなくてもいい苦労をしているな、苦労なんてそもそもしないほうがいいんだ、そしてそんな日は来ないんだ、と思い続けていた。そんな思いでうどんを食ったからよくむせた。

野球とマージャンを知らない僕は女からバカにされた。

 

だから今でもうどんは嫌いだ。半分ぐらいしか食えない。万福うどんの大盛りは、いやな思い出が甦らない。いいうどんだ。

 

 


教育破壊の朝日新聞甲子園

2017年08月05日 | 教育

全国各地から優秀な野球選手を集め、勝って当たり前のチームを作る。そして高校はプロに続く進路を確保するための品評場。遊び半分や見込みのない真面目な使い捨て選手の墓場となる。

皆それをわかっている。しかし、ばか親は自分のような考える力のない息子ができれば満足で、ましてや野球しか知らない非常識な生徒であろうと野球強豪校を目指すことを進める。

ひどい時は年間授業出席が、ほとんど0だ。長嶋茂雄の息子の場合1日だ。これで高校を出たことになるのはあまりにも不公平だ。

 

受験校のように一日50個の英単語を記憶させるのを平均に置けというのではない。

何もしないで球だけ追って卒業したいなら、専門学校でそれだけ学べ。

そこらの野球バカ学校は破廉恥にも文武両道という。確かに東大に合格10人だし甲子園は常連だ。ただごまかすなよ。世の中ではおまいらみたいなウソをついてもすぐばれる。

東大に進学する奴が野球部にいるか。野球部でも漢字が書ける奴がいるにはいる。それなりに大したもんだ。ただし、自分の名前だけ筆順を問わない場合。つまり文武分業。

九州の鹿児島や福岡の野球強豪校では九州弁が聞けない。大阪弁だ。無教養な親は自分が何をしているかわからず子供を野球留学させる。そして子どもは使い捨てになる。

一つの高校部活がバスを持ちコーチだ監督だと破格の給料で雇っている。

 

ここで、間のぬけたいかにも頭の悪い私学の野球バカからの反論がある。進学するのにあたっても進学校をめざし全県全国から集まるじゃないか、と。

ことの本質が分からないとこのような気か狂ったことを言う。

 

(広報誌から 美人の多いいい学校だ 昔、短い期間つとめた 野球部がないだけまともだった)

 

 

銭湯と温水プールは似ている。だか銭湯の本質は体を洗いお湯につかりリラックスするところだ。存在するものは、すべてそれを存在させた理由がある。温水プールにせっけんとタオルを持って行ってはいけないように銭湯で泳ぐのは中国人だ。

学校は勉強をするところだ。面白半分に生活の技術を教えケーキを焼いて卒業したらいかんのだ。専門学校でやってくれ。生徒一人には年間150万円の経費がかかる。そのほとんどは公費であり来年からは、その全部が公費、国費によって負担する。総額7兆円(国)

 

学校は勉強が本質であり、勉強を与えることを条件に生徒を集めている。野球はオマケである。

一般生徒は音楽の時間が一時間でも足りないと留年なのに、野球バカはそもそも学校に行かなくても卒業していく。

これが異常でなくして何だ。

 

頭を使わんこと、学問でもないことをわざわざ予算を割いて生徒にやらせる必要はない。防衛費と文教予算はいつもほぼ同額だ。

大事なことは、戦後体育施設の不足を補うため文部省(当時)は何でもかんでも引き受けた。それが今日残る部活だ。本来スポーツは社会体育で受け入れるべきで、現在では学校以外の社会体育が受け持つことがが可能だ。低能な教師は家庭を顧みず部活の指導をして立派なことだとほめられる。

平均的な学校の部活動予算の内訳を明かそう。控えめに言うが、体育部予算800万のうちある一つの部が半分を使う。茶道部とか華道部とかECCなど文化部の予算は5万以下だ。

そのある一つの部に入ると勉強がない、留年しない。これじゃあクラス運営はできんだろ。

 

 

 


島原まで  7(最終回)

2017年08月03日 | 日常

夕方、宿を決めて車を置き再び街を散歩した。8月から有料になる武家屋敷が数件あった。やはり武士の家だけあってそこらの商売人の家とは違った。

本物はもっと量が多く上品な甘さだ かんざらし

さすが武家は質素である。過度に上等な木材を使うことなく、調度品にも奢侈なところがない。お城に近いところを見学したので、かなり高級武士だったろう。奥行きは1間ほどの狭い庭だが、当時、きちんと手入れされていただろう。堅実、質素、堅忍、…武士の素養を高めようと厳格な家訓のもとに生活しただろう。

商売人の家はなかなか贅沢な作りで、奇をてらい贅を誇示する成り上がりの下品さに感動した。

現代に通じる。商人の屋敷に嬌声をあげる人、武家屋敷に清貧の美しさを見る人。武家屋敷からは、武士の品位が読み取れた。特別に見学させてもらったからこそ、食レポみたいにウソで褒めちぎることは、してはならぬ。

こう書くと商売人を卑下しているようだが、その通り。銭儲けをしても自律した清貧の財閥は今も残っている。どこに五代がいるか、鮎川は風前の灯火だ。

ところが世の中にはもっと下等な生物がいる。島原の町に残る小道、路地は、すべからく飲み屋に変身していた。しかも寂れたアーケードに付随して夜銭を稼いでいた。

汚いプラスチックの看板。それを酔っ払いが割ってそのまま。恋の泳ぐ街にアルコールと嘔吐物のにおいはそぐわない。

旅館への帰り道、島校生に会った。清楚な顔立ちの利発な生徒だ。ほんの10年前でもこんな生徒はクラスに5,6人はいた。今は見つけてほっとする程度だ。

日本はバカになっている。現代文や小論文の課題が不真面目になってきている。点差はつくが優れた人間が選ばれているとは限らない問題だ。いつか機会があれば書きたい。僕は問題を造りながら、こりゃ無理だな解けないなと思うことが多くなってきた。

再度、日本はバカになっている。ネトウヨは韓国の心配より自分の心配をしろ。

島原城 横に島原高校、島原商業 両者優れた高校だ

 

 

 

 


島原まで  6

2017年08月02日 | 日常

「かんざらし」 価格と商品とのバランスが必要だ。だったら食うなという傲慢さと勉強不熱心さが、街の衰退の原因だ。絶品と言える「具雑煮」の店も閉じていた。

僕は、すでに消えたものを求めたのかな。

 

アメリカ芙蓉というのか。

しかし、過ぎたるは及ばざるのであって、大きさにも限度がある。2,30年前セイタカアワダチソウがあちこちに生えだした。アメリカシロヒトリなども同じ部類の考え方ができる。

在来種を駆逐するやもしれぬと大騒ぎをし、刈り取る、焼却する、すだれに加工する、というB29の爆撃に対するバケツリレーが推奨された。今、人力の及ばぬところで自然は均衡した。

外来のものには違和感がある。日本人固有の感情か。いや人類誰でも感じる。

カナダエスキモーは隣村をひどく嫌う。ニューギニア高地人は殺し合いをする。アマゾンに点在する原始人たちは人殺しをして頭蓋骨を飾りそれが男の勲章になっている。

鯉は、遺伝子工学まで動員し異なるものを欲しがるが、ここの商店街も死んでいた。

 

そう考えると日本人はましなほうだ。なぜヒアリに大騒ぎするのか。毒か、在来種が駆逐されるからか。毒ならスズメバチは数百倍強い。そもそも在来種なんてない。人類が日本で発生したなら我々自身は固有種だ。残念ながら異なるものを嫌がる我々こそが外来種だ。

しかし、注意してほしい。だから危険生物を侵入させてよいというものではない。ヒアリ、韓国人、中国人、イラン人。現に犯罪を犯すものは駆逐すべきだ。

警察は外国人犯罪率の発表をしなくなった。労働力として利用したい資本の圧力だ。

今刑務所に来る手紙の半分は外国語だ。入れ墨おじさんが突然アラビア語の学習に目覚めたか。

官僚なら真顔でこういう。

「その可能性は否定できない。」

 

 

 


島原まで  5

2017年08月01日 | 日常

店内にサボテンがある。熱帯島原は、気絶するほど暑かった。

フロンだ,CO2だとうるさいが、ここまで暑いともう原因などどうでもよくなる。しかもでかい車は走行のエネルギーの5%程度で冷やしているから、暑さを実感することはない。ところがFIATはブレーキを踏みながら走っているようでもやもやする。

娘はスカートを広げ、冷気の吹き出し口を独り占めしている。僕一人なら窓を開ければ済むのだが、それをやったら駄々っ子は即JRで帰る。

島原は、その昔、ある高校から僕に対し求人を受けたところだ。その頃は、県教育委員会に人事権があるとはいえ、まだ有力校の校長は陰に陽に人事採用権を持っていた。とくに、ど田舎長崎情実採用県では。

僕は寡聞にして島原高校がいかに優れた高校であるかを知らなかった。今でもその片鱗はある。

本校は島原半島の「とうだい」と言われております。と教頭が言った。あまり教員になりたくなかったのでお断りしたが、「とうだい」と言われて灯台と思ったが若かったので聞き返すこともできず「ああ、はい」とごまかした。心の中ではなんで俺が島原半島を照らさにゃならんのかと思いつつ。

お分かりのように、灯台ではなく東大だった。もったいないことをした。おかげで僕は息のくさいバカ役人の下っ端どもと、その後の人生を無駄にした。

歴史にIFはないというのは勉強が不得意な人だ。IFを探して歴史の分かれ道を探ることこそ歴史学の使命だ。翻って人生についてはどうだろう。やはりIFは重要だ。人は過去の変曲点を探し未来の判断材料にするしかない。

日本語が不得意な人は字が続くと読まないのでここらで画像。

街なかに湧水を集めた筧があり鯉がいた。なぜ誰も盗らないかと中国人はきくそうだ。右のブロックにギターを弾く青年がいたのでストリートミュージシャンかと思ったら、ただギターの練習をする中学生だった。そうか。観客がいない。

人生にはいくらでもIFがあり後悔の種にしかならない。それは当たり前だ。誰が常に最善の選択をなし得よう。

でも、こう考えたらどうかな。だからなんだ、と。振り返れば失敗ばかりを思い起こす。それがなんだ。それを糧に次はよりよい選択ができる。

それでも失敗したら、その次がある。さわやかな島校生を見ていた。娘がすねたので雑貨店に入った。

レストランは昭和だった。宿は江戸だった。店員さんがなぜか駐車料をまけてくれた。ディーンからけんなので仕方ない。