か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

クリスマス。サンタさん、ランドセルを下さい。

2013年10月28日 | 日常

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男性は福岡県出身。母は3歳の時に亡くなり、実父とされた人物には「俺の子じゃない」と言われ、親戚らの家を転々とした。
あだ名は「捨て子」「みなしご」。11歳の時に預けられた家で「お前がいるから家庭がぎくしゃくする。謝れ」と言い放たれた。
「生まれてきてごめんなさい」と口にした時、「この人生を受け入れよう。大人になったら自分のような子どもの力になろう」と決めた。                      毎日新聞 10月28日

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彼は昔、自分が小学校一年生のとき、お願いをした。「ランドセルください。」

入学式は4月だ。終業式の7月には、工作や作文ノートやお絵描き帳を鞄につめ両手に持ち、両足が浮くような気持ちで家に帰る。何と言ってほめてくれるんだろう。という普通の小学生が持つ感情を、持てないでいる子供が確実に存在している。

皆がする様にクーラーの部屋に帰り「夏休みの友」を開く。お母さんから怒られるほど後を追い、子供は楽しかった学校の話をやめない。皆早く帰ってきてお膳を囲み、おもむろにお父さんに通知表を渡す。

彼のお願いというのはこんな日々が来ることだった。しかし、その願いがかなうことは、ついになかった。大人になってしまったら、どこにお父さんに渡す通知表があるんだ。お絵描き帳の話を聞いてくれるお母さんがどこにいるんだ。子供のほんの一時期にしか子供を包んでくれない幸せのオーラというものがある。その幸せは逃したら二度と来ない。

「楽しかったかい」「頑張ったね」この一言をかけることもなく子供のさみしい背中に気づかない。気づけよ、なあ。かなしい大人達。

大人はどうしてだれとでも寝るんだ。家庭を壊して何ともないんだ。2学期の終わりに彼が一番欲しかったのはランドセルだ。自由研究やお絵描きや漢字ノートやパン工場見学の様子を満載して帰ろう。ところが、もう見てくれるお母さんはいない。みんな持ってるランドセルもない。

サンタさんにランドセルを頼んで、という必死な願いを父親は一蹴した。それどころか彼自身を家から追い出し育児放棄した。

やい、性欲猫。産んだ子供の成長より性交がいいか。「お父さん、お母さん。僕の2学期を、ほめて」という子供の叫びを聞け。

父親も親せきも「お前がいないとなあ」という言葉を吐く。さらには、小学1年生の子供に、「生まれてきてごめんなさい」と言わせ鬱憤を晴らす。

彼は、2学期の終業式までランドセルなしで頑張ったのだ。叫ぶようにサンタさんにお願いしているじゃないか。もはや、家庭なんてどこにもない。ないのに求め続けて大人になった。

たくさんだ。もう第二第三のおれを作りたくない。ランドセルの数が余っているだの、売名行為だの、屁理屈はたくさんだ。こんな彼の止められない行為を、冷笑してはいけない。

効果的だったかという問題は副次的な問題だ。人間は、法だ、道徳だ、慣習だとつまらんものに拘束される前におのずと体が動いてしまう使命を感じるときがある。

みんな持ってるランドセルを一人持たずに学校に行くことは、子供にとって死ぬほどのことだ。たしかにランドセルは高価だ。だったら、買えなくてもいい。子供は理解する。買ってやれなくてごめんね、というお母さんの悲しい顔を見れば納得する。しかし、そんな思いやりに満ちた悲しい顔は、ついぞ見ることができなかった。

僕も不要品として育った。親の暴力で体がおかしくなった。大学に通ったときだけ親は人に自慢した。親が望むものはすべて与えたのに、僕の欠点ばかりあげつらいそれを心から楽しみ、挙句の果てに出て行った。残ったもう片方の親は、この時とばかり浪費した。

タイガーマスクが求めたものは、一個や二個のランドセル寄付による偏狭な自己満足ではない。「やさしいまなざし」を与えあうことではなかったかと思う。僕もそれがほしかった。やさしいランドセルがほしかった。


かわいそうだ。心が沈む事件だ。

2013年10月25日 | 事件事故

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JR西日本の元男性社員=当時(28)=が、月100時間以上の長時間労働を10カ月間続けて鬱病になり、自殺したのは、同社が労働時間の適正把握などを怠ったのが原因だとして、遺族3人がJR西に約1億9千万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたことが25日、分かった。JR西側は同日開かれた第1回口頭弁論で、長時間労働と自殺との因果関係を認める一方、損害額について争う姿勢を示した。            by    産経新聞 10月25日

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僕がつくづく思うのは、世の中とは、頭のいい、家庭に問題のない、学歴のいい、人当たりのいい、優しい笑顔で過ごせる人には、自然と幸せが集まるんだな、ということ。

だったらそうすればいいだけさと簡単に言う人がいる。そう言う人は、自分の能力がないために人生を深く見ることのできない人だから、すべてがリトマス紙のように赤か青に二分して物事を測れると思っている。

できれば誰だって頭がよくなりたいさ、家庭の問題なんていやに決まってる、東大に入ってがっくりする奴はいない。トラブルを抱えず、勉強の環境に恵まれ、好奇心をはぐくんでくれる良いお父さんのいる奴は、いやでも穏やかで人当たりのいい苦労の少ない人生を送る。JR西日本とやらに入ってもネジ一本締めるはずはなく、デスクワークをしばらくすればすぐ管理職だ。穏やかな性格なんて演技でもするだろう。

エンジン付きのベビーカーという軽に乗っているのはブスな女房で、それだけでもイライラする。一方部長になった同期はマジェスタでお迎えが来る。「あなた、はやく帰ってね。」というのは、トリンドルちゃんだ。

トリンドルちゃんから残業頑張ってね、と言われれば100時間ぐらいわけもない。

だけど死んだ彼の中には葛藤があったはずだ。みんなやってることだ。負けられない。俺が休めば皆に対する迷惑になる。ああ、陰口をたたいている奴がいる。組合は会社とグルで組合員をかばうことしかしない。

そうして八方ふさがりになって死を選択する。グダグダあとになって言う奴は「死の意味」について言う。「死そのもの」についてはだれも知らない。死んだことのある人はいないだろう。思ったより苦しいはずだ。分からないなら僕が日本刀で切る。彼はそれを自分でやったんだぞ。

とくに職場での無視、仕事を教えない、文房具のありかすら教えない、わずかな失敗も人によって大げさであったり、はたまた見逃してやったり。さらに自分らは要領よく、はやく帰る。これらの行為をされると真面目な人にはこたえる。

ここまで追い詰められた彼は、地獄へのるつぼの中にいる。

僕は苦しかったら逃げろというスタンスに変わりはない。こう言うとすぐ反論が来る。「おまんま」が食えないじゃないか。ちがう。おまえの苦しみがまだその程度だから仕事が気になるのだ。辞めて路頭に迷うのが気になるのは、精いっぱい仕事をしてないからだ。

でも限界が来たら逃げるべきだった。生きる術はJRだけじゃない。僕を見ろ。道端の草を食う覚悟はいつでもある。山草野草で生きている。極めて健康だ。所属する苦痛より貧乏の方がましだ。

死んで損害賠償をくれるだと。JRは人をバカにするな。

頑張ったらだめだ。死ぬほど頑張って、あの世で休んで何になる。おまえは20代じゃないか。人生はこれから面白くなったのに。

どうせ裁判が終わるころ、世間は忘れてしまっている。

 

 

 

 

 


秘密保護法案は、国家の秘密を何から守ろうとしているか。

2013年10月23日 | 社会・経済

Img_1494369_62396127_1 楽しい話題もあるがうっとおしい話題の方が緊急かつ重大だ。はるか昔の西山事件が国会で論争となった。

西山事件(にしやまじけん)は、1971年の沖縄返還協定にからみ、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが、国家公務員法違反で有罪となった事件。沖縄密約事件(おきなわみつやくじけん)。  Wiki

当時の政府の説明によると、沖縄返還に際して、交換条件として米軍の駐留を認めるという約束はない、と明言していた。政府は、白を黒と言った。

外交において一定の秘密があるのは当然であり、それを知る権利を盾に全部あきらかにしろという極端なバカがいるのは残念だが、幸いそれは一部だ。

ここで大事なのは秘密であるということと、全く逆のAをBと言い張っていることは異なることということだ。

再論するが外交においてたとえば、Aであることを知りつつしらばっくれて、知らぬ存ぜぬで通すことは、ときとしてありうる。ところが「AでなくてBだ」と言い切る権利はだれにもない。米軍のことは、分かりませんとか言えません、と言うべきだった。実際は密約にもとづき、米軍は、むしろ増強を続けた。

この欺瞞を明らかにしたのが西山記者だ。西山による摘発がなかったらなかったら、国民は以後50年間は佐藤栄作の国会での大ウソを信じさせられるところだった。米軍は国民の知らぬところの密約にもとづき既成事実として沖縄に居座ることとなった。50年後のアメリカ外交文書の公開によってわれらはその全貌を知った。

当時の冷戦状況の下、極東の安全保障のためにも米軍の駐留は必要だったというものがいる。バカ。味噌もくそも一緒にするな。国民の基本権を論じているのだ。一時点の極東情勢とは全く関係ない。両者を混同することを何というか。頭が悪いという。

すべての密約を否定するものではない。だが、およそ政府が機密だと任意に決定したら、それが即、国家機密になる社会の恐ろしさだ。佐藤は国民が当然知るべきであった沖縄密約事件を、外務省機密漏えい事件として社会に喧伝した。

たしかにわが国の憲法には、知る権利の規定はない。プライバシーの権利や環境権すらないのだ。昭和21年に制定された憲法にそこまで要求できないのかもしれない。だが「表現の自由」を拡大解釈することによって国民の自由と権利の保障にわが国の三権は決死の努力をしてきた。

にもかかわらず秘密保護法は、知る権利を踏みにじった。能天気右翼よ。尖閣での衝突事件は、いかにして知ったか。CIAの盗聴は、いかにして知ったか。福祉施設は、天下り悪徳役人のためにあることをいかにして知ったか。教育委員会は、に利権を与えることに目をつぶり、いかに莫大な退職金をさらっていくのか。・・・知る権利がなかったら、みんな知られることもなく消し去られたものばかりだ。これら新しい権利の拡大には、自民党ですらしぶしぶ賛成してきた。

なのに時代に逆行して、基本権に制限を加え為政者の便宜のみを図る、この役人のための秘密法案は一定年数たった書類を焼却しようとする。これは、我々が当然知るべき歴史的な政府の所作を、証拠隠滅するものだ。アメリカは50年たったら義務として白日の下に晒すのに、大ちがいだ。

そもそもわが国の国家機密はどこから漏れていると思うか。アホは、日本がスパイ天国だからだという。日本にそんなに積極的に活動する政治スパイはいない。ネトウヨはこう聞くと顎を痙攣させて叫びだすだろうが、いないものはいない。ではどこから漏れるか。パーティで、立ち話で、セミナーで、タクシーの中で、外交官僚、経済官僚は、言っていいことといけないことの区別がつかずべらべらしゃべる。公使、大使、書記官、武官、雇員・・・外国高官はみんな情報の峻別力を持っている。このことを何というか。棚からぼた餅という。

米軍暗号を使わされている自衛隊からは、秘密はペンタゴンに直通だ。沈黙するたかが防大程度の制服組よ。007はいない。垂れ流し組織を見過ごす低脳が元凶だ。

文部官僚だけは別だ。頭がアホなので何を言っていいかわからずいつもパーティの時はグラスを持って壁にヤモリのように貼りついている。これについては面白い話がたくさんあるが、また後日。

座敷の雨戸は開けっぱなしなのに玄関ばかり執拗に鍵をかけるのは、狂気の人がすることだ。

画像は福島原発の爆発


まず敵の衛生兵を撃て。

2013年10月15日 | 東洋歴史

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(ディエンビエンフーにある戦勝記念碑)

2013年10月4日、ベトナム政府広報は、ボーグエンザップが同日にハノイ市内の108軍病院で死去したと発表した(満102歳没)。ベトナム人民軍関係者の強い後押しもあり、通常は国家主席、首相、国会議長、そしてベトナム共産党書記長のみが対象となる国葬が営まれることとなった。現地時間10月11日12:00から13日12:00にかけて、行われた国葬には、ベトナム政府首脳から一般市民まで幅広い弔問客が多く訪れた。遺体は、故郷であるクアンビン省に埋葬された。     by Wiki

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身内、親せきのいない兵を集めよ。将校はいかん。その兵を各小隊に配置せよ。

敵との距離が接近してくるとその兵は、爆弾を背負い敵のトーチカ(防御陣地)に入り口から入って自爆した。この当時は、どんな精密爆弾も入口を見分けることはできない。

命じたのはボーグエンザップ将軍だ。戦略と戦術と戦闘を指揮した。日本の指揮官とは違い先頭に立った。その戦闘により隻眼になり腕も悪くした。赤いナポレオンと言われるが、本当にナポレオンの戦法を研究した。それどころかアレクサンダーの戦いからベルダン攻防戦まで体を壊すほど研究した。決して共産党が強制したのではない。バカに強制しても時間の無駄だ。

少し頭が悪いと古くなった武器を軽蔑し、そこから学ぼうとしない。なあそこらの右翼、防衛大学に行って世界史の授業を受けてみろ。ファランクスや重装歩兵の考え方はいささかも古くなってない。

ディエンビエンフーの戦いにおいて、彼がとった多くの戦法のうち上記の「衛生兵を撃つ」ことと「自爆を命じた」ことについて少しだけ書く。

ジュネーブ条約には違反だ。しかし米国とは決定的に異なる点がある。アメリカは南ベトナムに世界最高の猛毒ダイオキシンをまいた。数百年にわたり奇形児を生まなければならなくなったベトナムの母親の気持ちを考えろ。無害というアホがいるが、お前こそダイオキシンを食ったのか。ご飯にかけろ。

アメリカは第二次世界大戦で使われた爆弾の量の十倍の爆弾を北ベトナムに落とし毎年900人の子供を殺した。共産主義者なら子供でも殺していいわけか。

それでもアメリカは帰る場所がある。本国だ。ベトナムはアメリカにやられたら帰る場所がない。アカ(共産主義者の蔑称)が攻めて来るので防いでやってるのか。大きなお世話だ。しかも、アカが勝利した今はアメリカとベトナムは友好的である。

人殺しを殺すのは権利である。それならより効率的に殺さねば負けて殺されるだけだ。衛生兵には死んでもらおう。

アメリカの北ベトナム爆撃によって多くの戦争孤児が生じた。この孤児たちはもはや命も惜しくないほどアメリカを憎んでいる。まさに苦渋の決断だった。この孤児こそ国が救うべき子供たちではないか。それを人間爆弾にするなんて。彼は小日本帝国の軍隊に学んだ。

ボーグエンザップ将軍は、自分の信念が揺らげば国が滅ぶことを自覚している。断腸の思いで子供たちを突進させた。

ただし、小日本と違うことがある。小日本は仕方なく、成り行きで、ルーズベルトの陰謀で、と言い訳がましく理由を並べあてもなく開戦した。

ボーグエンザップ将軍は科学的な計算によって論理的に勝利を導きだしていた。だから、ディエンビエンフーの戦いはケサンなど各地の戦いに続いた。

「ベトナム人は決して誰の奴隷にもならない 自由に勝る素晴らしいものは無い」


泣くぐらいなら判決出すな、裁判官辞めろ。

2013年10月11日 | 法律

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法曹(弁護士、検事)は本能的に自己主張が通ったことを勝利と考える。公判を見ていて思うのだが、その勝利ためにもともと頭のいい奴らが使う罠、誘導、だましは常人のそれを超えた域にあり、重大事件はとくに面白い。だが勝たんとしてのみ、そんな低次元のことをやるのではない。

公判の結果が今後の類似事件の判例になるかと思うと、いわば日本の判断を形成する作業をしているのである。負けられない。

少年やコソ泥、カード詐欺といった微罪の類は、弁護弁論も論告求刑も力がない。頭もあげず聞き取れない声で早口でとにかく公判を早く終わらせようと必死だ。

あたりまえだ。そこらのクズがバイクを窃盗しようがしまいが大勢に影響はない。戦争になったら真っ先に戦死してもらうありがたい日本の邪魔達だ。

では、裁判所は何をしているか。その存在理由は何か。

法は解釈によって命を得る。つまり判例だ。条文が問題なく実行されるとき、司法権の出る幕はない。そこに解釈の違いが生じ公判が開かれる。つまり、公判を通じて一段と精密な国家意思の形成を行っている。

しかも、公判というその国家意思の形成過程の膨大な蓄積が、判例として蓄えられてきた。

日本国は、それらが一挙に水泡に帰すかもしれぬ制度を作った。裁判員制度。暴挙だ。判決を多数決で決めようというのが、暴挙でなくして何か。正義は数で決まるのではない。ましてや「くじ」で選んだ日本人の教養がいかほどか。裁判員は一生懸命やった。泣きながら帰る人もいる。秘密を守るストレスは相当なものだ。病気になった人もいる。・・・いくらでも書ける。

だからなんだ。赤信号をみんなで渡っているにすぎない。世論に流され無責任に評決が揺れる。

僕は泣きだすような人から死刑にされたくない。人を裁くということは、そのことにとどまらず国家権力の方向を定めているという、もっと大きい作業をしているのだ。自覚と能力と教養と常識と法学知識がないものに人を死刑にさせるな。

裁判官ですら泣き出す人がいた。失礼じゃないかと、僕がこの泣き虫裁判官に叫んだ。即座に僕に退廷を命じなければならない。何も起こらなかった。プロですらこのザマだ。

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千葉県松戸市で2009年、千葉大4年だった荻野友花里さん(当時21)を殺害したなどとして、強盗殺人などの罪に問われた無職竪山(たてやま)辰美被告(52)の控訴審判決が8日、東京高裁であった。村瀬均裁判長は、一審・千葉地裁の裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。                朝日新聞10月8日(火)

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日本の低脳は、こんなに悪い奴は、さっさと死刑にしろとか、裁判すらする必要はない、とかヒステリーのままに動く。地裁判決で危うく証拠主義の原則が崩れ被疑者はあの世行きになったかもしれない。

こんな悪い奴、殺してしてしまえ。という世論の激昂を悪役になって抑えるのも、裁判所が負うべき宿命だ。

我々は「間違いを起こす」ということを肝に銘ずべきだ。飯塚事件を学べ。証拠主義の意義を学べ。世の中が見たままなら学問は要らない。猿のままがいい人には学問は要らない。

裁判すらまともに行わない人権途上国日本。


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る  7

2013年10月09日 | あそび

Imagecalqik5jどうしてこうも小学校の教員というのは、ぶっちぎりの、ずば抜けた、類を見ないバカなのか。女が7割の世界なので男は気違いでない限り教員採用試験に合格する。そして男は、普通にしていれば校長になる。女も頑張れば管理職になる。女はこの頑張り方を勘違いして細かいことがよく仕事をしていると思っている。その細かさに迷惑しながらも、男は首輪をつけられ女が垂らす蝋燭に狂喜する。

学校は、倒錯した密室だ。

ある学校に行ったとき、よほどコンプレックスがあったのだろう。「からけん先生はこんなことも知らないのですか。」、と言った。教員でもあるまいし知る筈なかろうが。また、いろいろ屁理屈をつけ流行語のように「~のめざめ」とか「~へのきづき」とかやたら臭い言葉を使いたがる。

だがまあ夫婦で学校の先生をすれば、子供はどこの医学部でも金銭的には進学できる。つつましくも悲しい庶民の、爪に火をともす生活だ。

友達の友達に小学校の先生がいた。迂闊だった。サツマイモのようにずるずる日本のゴミを、僕の船に連れてきた。全部学校の先生だ。僕は、こいつらの上から目線が大嫌いだ。

いろいろ屁理屈をこねる前に船上では、僕の指示に従え。

この勘所がバカはまるでなってない。今は徹底的に質問して理解する喜びを得てもいい時だとか、あるいは無条件に従い民主主義が成立してはいけないない時だとか。この二つの判断が原腸動物のように渾然一体となっている。原腸動物には脳がない。

小さいころ、石をサイドスローで川面に投げて遊んだ。そのときのように、船は海面をすべって進む。「つかまれ」「うごくな」これだけすら守れないバカがいる。先生とかいった奴らだ。時速60キロのクルマから上半身を出してみるがいい。落水、風下に転舵、デッドスロー(微速前進)で接近、フックで救助。世話が焼ける。サメは何をゆっくりしてたんだ。一時間あったのに。

それでも女はまだましだ。料理は下手だが、「きづき」だの「めざめ」などという世界から脱出している。男はいかん。目を離すと学習指導報告書の話をしている。これには不愉快も極値に達した。

あとで燃料費の請求が行って泣くぞ。約束だから払ってもらう。

海で遭難した時よりも辛かった。船なんかいつ沈んでもいい。バカと一日いたことが嫌だ。

同じ先生でも医者の先生は全く不愉快さがなく楽しく釣りをしてバーベキューをして、水着の看護婦の乳を眺めた。水着の看護婦の乳。三位一体、完全無欠のパラダイス。


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る  6

2013年10月02日 | あそび

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労働力も商品だから最近の様な不況の時期には価格が下がる。つまり賃下げになる。あたりまえだ。モノが売れないのにどうやって給与を払うか。お上(おかみ)は他人事のようにデフレスパイラルとか口にしているが、当事者としては出口のない嫌な時代を生きるほかない。

「不況を脱出しつつある。」 給料が上がったこともない貧乏がタイムラグとやらを信じるがいい。

むしろ、民主主義は低賃金を選択した。リーマンショックは確かに外来のものだが、先進国の中で唯一そのショックから抜け出せずもがいているのは日本だけだ。他人を蹴落とし、人の口からパンを引きぬき、こっそりカネを巻き上げてきた官僚が、ここで突然優しく思いやりのある大岡越前になる筈はない。

ところが頭を使ってみるとこんな素晴らしい時代は有史以来だとも思える。

クルーザーというのはとても高い。ポルシェだ、フェラーリだと、車は目立つので衆口に上ることも多い。かたやクルーザーは海の上だ。だれにあうともなし、たまにカップルがハーバーにデートに来る程度だ。郊外住宅を艇の長さにびっしり並べても、クルーザーの方がはるかに高価だ。

だからチャンスなのだ。今中古艇は二束三文だ。しかも、車を僕みたいに何十年も乗る人は少ないが、船は30年は中堅どころだ。

クルーザーは二度うれしいという。つくづくその意味をかみしめている。一度は、買ったとき。おそらく人生で2番目にうれしいだろう。もう一度は、売ったとき。人生で一番うれしいだろう。一粒で2度おいしい、まるでグリコだ。バカがミエだけで船を買いやがて動かす知識もなく扱いに困る。ハーバーはそんな千載一遇の好機にあふれている。二度と来ないチャンスだ。だれか買ってくれないかとにわか成金の医者どもが嘆いている。軽の値段で来る。

ただ腕がいる。よいヨットマンになるにはディンギーから訓練を受けるべきだ。波を読み風を読み機関のくせを知り艇のくせを知る。今日本には大型実用帆船は一隻もない。八代湾の打たせ船はあるか。だがなせ航海実習は日本丸や海王丸の機帆船で行うか。

頭だ。風が強ければバカでもわかるが、微風の時舵をどう切るか帆を出すか絞るか。バカのリトマス紙だ。日ごろからそう言っていた僕ですら失敗して死ぬ目にあった。

そこらのアホ。よく聞きなさい。間違えたら死ぬから面白いんだ。ヨットから跳ね飛ばされると3メートルは飛ぶ。水しぶきで顔がはれ上がる。だいいち、風の音すら最近聞いてないだろ。

カネは何とかなる。例えば知識もなく1000万持っていたとしてもそれで終わりだ。だが知識があればカネはなくとも、ハーバーの大型ごみになった古い船を寄せ集めれば立派なディンギーができる。カネだけ持った便所虫より何倍も優れた人生だ。

実際僕は、その方法で何艇もディンギーを作って友達にやった。オマエらの低賃金より何倍も稼いだことになる。不況がなんだ。自分の貧乏の言い訳にしてはいかんぞ。

アメリカスカップが終わった。国の威信をかけ、企業の威信をかけ、裏工作をし、限られたものしか参加を許さないブルジョワのお遊びが終わった。参加費用は30億。勝利したアメリカは、もっとかけているだろう。

僕は肯定的だ。NZの金持ちも、 USAの金持ちも、スイスも、オーストラリアも何兆円という資産家や企業が参加した。だから30億なんてタダだ。ただならあとは何の勝負をしているか。

気合いだ。